第3話 積もる違和感
「本当に……本当にテツタなの?」
私たちは新宿駅前のファーストフード店に入っていた。私とテツタがよく溜まり場にしていた場所であり、地震の時には上を通る道路が崩れて跡形もなくなってしまった場所。
「私、目の前で見たんだよ? テツタがあの日……がれきに潰されて息苦しそうなのにさぁ、『大丈夫、俺は死んでもお前のことを助けに行く』ってハイパーマンの真似でガッツポーズして、そのまま動かなくなっちゃったの。あれ、本当にかっこ悪かったよって毎年お墓の前で言ってやろうと思ってたのに。なのにぃ……」
私が言葉の途中で涙ぐむと、テツタは紙ナプキンを無理やり私の目に押し付けてきた。
「だから、さっきも言ったけど地震なんか起きてないって。オカルト雑誌か何かの読みすぎじゃないのか? お前、そういう根暗な趣味あるだろ」
「そ、そんなんじゃないって! 震度八を超える大地震だったんだよ? 学校も街も、大好きな人たちも……何もかも潰れてなくなっちゃったんだから」
テツタは怪訝そうな表情を浮かべていたけれど、うつむく私を励ますかのように、頭の上にぽんと手を置いた。
「大丈夫だって、俺はちゃんとここにいるだろ。夢なら覚めるように思いっきりつねってやろうか?」
私はぶんぶんと首を横に振った。テツタは加減というものを知らないので、つねる時は本当に痛い。それに、別に早く覚めてほしい夢とも思わなかった。
「あれ、ヨーコにテツタじゃん!」
馴染みのある声がして振り返ると、同じクラスのミユキとユウスケだ。二人は仲の良いカップルで、教室内でもイチャイチャしているくらいお熱い。
「お前らいっつも二人でいるよな。嫌になんねぇのかよ」
テツタは思った通りのことをそのまま口にした。するとミユキはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「そっちこそ人のこと言える? 仁科先生、嫉妬しちゃうんじゃないのー?」
「あん? そんなんじゃねぇよ、こいつは子分みたいなもんだっての!」
猛犬が吠えるみたいに大きな声で否定するテツタにミユキはからかうように笑って、空いている席を探しに行った。
——あれ、でもちょっと待って。
ミユキとユウスケ……二人は震災の日に都庁の展望台でデートしていて、地震で展望台が崩れてからは行方不明になっていたはず。数ヶ月経っても見つからなくて、きっと死んでしまったんだと思っていた。あの大震災は本当に私だけが見た悪夢だったのだろうか。
考え込んでいると、テツタがばちんとデコピンをしてきた。痛い。目の前の彼は消えない。夢じゃ、ない。
「それよりさ、お前本当に自分の彼氏のこと忘れちゃったのか? ずっと片思いしてて、一ヶ月前にようやく実ったってのに。俺だって協力したんだぜ」
テツタ曰く、始まりは私の一方的な一目惚れだったという。引っ込み思案なせいで私が何もアプローチできないのを周りのみんながじれったく思い、色々手を焼いてくれたらしい。そこまで説明されても全く覚えがなかった。確かに、ちょっとかっこいいなとは思ったけど。
その時、聞き覚えのあるサウンドが耳に入った。店内のテレビからだ。私はその画面を見て思わず息を飲む。そこに流れていたのは、教室で目覚める前に見ていたはずの映画の予告編だった。
「なんだよー、お前もこの映画そんなに楽しみなの?」
テツタが嬉しそうに言う。だけどおかしい。さっき自分のスマートフォンで確認した時、表示されている日付は震災の数ヶ月後——つまり私が認識している日付とぴったり同じだった。でも、公開中のはずの映画の予告編は「近日公開」で締めくくられ、インターネットで調べてみても上映中の映画館はどこにもなかった。じゃあなぜ、私はこの映画の内容を知っているのだろう。妄想だけであそこまで正確にストーリーを考えられるものだろうか。ズキズキと頭が痛くなってきて、私は一旦考えるのをやめることにした。
数日が経った。確かにこの世界は私を除けばみんな普通に過ごしていた。
でもあの映画の予告の他にも違和感を感じることはいくつかあった。まず、私の記憶の中では地震の後に生き残ったはずの人たちがなぜかどこにも見当たらないのだ。同じクラスでも私以外に二人は生き残っていたはずなのに、その二人ともずっと不登校ということになっている。
それに、新宿の街が気味悪いくらいに平穏だった。誰もがニコニコと歩いていて、目つきの鋭い人も、ふらふらと足取りが覚束ない人もいない。一度だけ、学校帰りに言い争いのようなものが聞こえてテツタと一緒に様子を見に行ってみた。だけどそこには誰もおらず、周囲の人も普段通りに歩いているだけだった。念のため近くの交番に行って話を聞いてみても、中にいた警察の人は「さぁ、何かあったとは聞いてないよ。でも最近この辺に不法侵入者が出たみたいでね。怪しい者を見つけたら報告してくれよ」と言うだけだった。
「あの映画、いつ公開されるんだろうね」
確認するために毎日欠かさず映画館に通った。でも、私が見たハイパーマンシリーズ最新作は、いつになっても上映される気配がない。それどころか、映画館の上映作品一覧はどこかおかしかった。たまにラインナップが変わっていたけれど、追加されるのは最新作ではなくて過去作ばかりだったのだ。
「せっかくだからハイパーマンの前作見ていこうぜ。上映スケジュール見て帰るだけじゃつまらないだろ」
テツタはそう言うと、私の返事を待たずにチケットカウンターに向かい、「高校生二枚、できるだけ後ろの真ん中の席ね」って店員に聞かれるより先にそう言った。
「前作は何度も見て、ブルーレイまで買ったって言ってたじゃん」
「良いんだよ別に。何度見たって名作なんだから」
私は「そういうものかなぁ」と言いながら、ポケットの中で震えている自分のスマートフォンを取り出した。仁科からメッセージが来ている。
「チケット買ったぞ。ん、どうした?」
「仁科先生が……今から会いたいって」
私は恐る恐る事実をそのまま伝えた。テツタは、一緒にいる時に他の人とメッセージをやり取りすると機嫌が悪くなる。それは女友達でも、クラスメートとの事務連絡でもそうだった。だから彼氏となんて、絶対不機嫌になると思ってた。それでもあえて言ってみたのは……私の中で、どこか彼を試してみたい気持ちがあったのかもしれない。
「そうか。じゃあ会いに行きなよ。先生待ってるだろ」
けろりと言ってのけるテツタに、私は開いた口が塞がらなかった。想定していた彼の反応とはまるで逆。思わず彼の両肩を掴む。
「テツタ、ちょっと変だよ。前はミユキにメッセージ返すだけでも怒ってたでしょ」
「何言ってんだ、だってあの先生良い人じゃん」
「そうかもしれないけど……私ちょっと怖いの。仁科先生のこと、どんな人なのか全然覚えてないし、好きかどうかもよく分からないというか」
「何言ってんだ、だってあの先生良い人じゃん」
「テツタ……?」
「ん、どうかした?」
「やっぱり何かおかしいよ。私、ちゃんと断るね。映画のチケット買ったし」
「何言ってんだ、だってあの先生良い人じゃん」
そのあと、私が仁科先生という単語を言うたびにテツタは同じセリフを繰り返した。セリフの内容とは裏腹に、彼の声は徐々に苛立ったような音を帯びていった。
そうだった。私の知っているテツタは、今まで教師のことを「良い人」なんて言ったことは一度もなかったし、それに、私が嫌だと思っていることを私が口に出して言う前に察してしまうような人だったのだ。
こんな世界は、やっぱりおかしい。
私は待合のテーブルを一つ確保すると、スクールバッグからルーズリーフと筆箱を取り出した。そしてその一行一行に、頭の中にずっと抱えていた違和感を全て書き出す。白かったルーズリーフは、あっという間に黒い文字で埋め尽くされていった。
「まさか……こんなことが現実に……?」
書き終えたルーズリーフを見て、私はこの世界のある法則に気がついた。いや、本当は初めから違和感はたくさんあったのだ。あえて目を逸らしてきた。私は信じたかった。テツタや大切な人たちが存在するこの世界に溶け込みたかった。そんな思いが、きっと盲目にさせていたのだと思う。私はルーズリーフを握りしめ、仁科に呼び出された場所へと向かった。
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