第2話

「…………」

「今は何も言わなくてもいい」


言うか言うまいかを思案していると、温かく質量のあるものが、頭に乗せられた。

手だ、と思った直後、がしがしと髪の毛をかき混ぜられた。

いや……左之助流に言わせれば、撫でた、なのだろう。

手が離れると、俺は急いで髪を整えはじめた。

そのせいで、後に続く左之助の言葉を聞き逃してしまった。


「え?」

「いや、なんでもない」


行くぞ、とそう言って、左之助は道を曲がる。

どうやら、彼なりに気を遣っているようだと感じられた。

それに感謝し、左之助の後を追って角を曲がる。





頼まれごとを無事に終わらせた俺たちは、道場の連中が来ない距離にある、こじんまりとした小料理屋へと足を延ばした。

左之助が、たまに利用するようで、入るとすぐに奥の小座敷へと通してくれた。

腰を下ろし、まずは酒を一杯。


「んで……、お前は次男なんだよな?」


目の前の肴をつまみ、口の中へと放り込んだ左之助が、そう問うてきた。

てっきり、先ほどの事を聞かれるのかと思っていたが、肩透かしを食らった感じだ。

俺は小さく頷く。


「次男は家を継げないから、嫡男にとっては厄介者にしかならない」

「……その通り」


さて、ここから話はどこに飛ぶんだ?

俺はどきどきしながら、左之助の話に耳を傾ける。


「ちなみに俺は嫡男だ」

「ん?」


なんだか妙な話になってきたような……。


「嫡男だったが、脱藩してきた」

「…………はあ」


しかし、ここでつついて蛇を出すのはごめんだ。

俺は腰を据えて、左之助の話を聞くことにした。


「だからお前も、理由はどうであれ、胸を張って堂々としていればいいんだ」


ようやく話が見えてきた気がした。

どうやら、先ほどの事を言っているようだ。


「…………俺は…」


これまでの事をすべて話してしまいたい、と思った。

だが、ここで話してしまえば、今の関係性に必ず亀裂が生じるだろう。

……それでも。


「聞いて――――」


その時だった。

俄かに外が騒がしくなったのだ。

何が起こったのか、気になるのが人間の性というものである。

左之助も俺も、気になってしまい、話の途中で席を立った。

主人に断って、様子を見に外へと出る。

周囲には既に人だかりができており、智也の背丈では、その向こうまで確実に見えなかった。


「あれ?」


左之助が、声を上げた。

背の高い彼の事だ。

何かに気付いたのだろう。

残念ながら、俺には彼らの頭しか見えない。

それだけの身長の差があるのだ。


「ありゃあ、山口だな。山口が、旗本連中に絡まれてる」


どうやら絡まれているのは、試衛館に所縁のある男のようだ。

名を山口一。

あまり言葉を交わしたことはないが、何度か道場で見かけたことがあった。


「うん? どうして山口さんが?」

「あんな仏頂面だからな。大方、睨んでるとかで因縁つけられたんじゃないか?」


まあ、相手が悪かったな。

旗本の集団に対し、ご愁傷様、と手を合わせると、何事もなかったかのように店の中へと戻ってゆく。


「おい、智也」

「え……あ、ああ」


果たして、いまだに双方のにらみ合いが続いているのだろう。

それでも、山口さんが万が一にも負けを喫する事が無いのを確信していた俺は、先に戻った左之助を追い、店の中へと戻る。


「山口も、あの三白眼をどうにかできないものかねえ。外を歩くたびに何かと因縁をつけられる」


席へとついた左之助が、ため息とともに言葉を吐き出した。

それはごもっともなことだと思う。

山口さんは、まず無口。

いつも誰かをにらみつけているような表情に見えるのは、三白眼だからだ。

だからこそ、因縁をつけられる。


「でも……一度だけ笑っているところを見たんだよな」


と、俺が思わず告げると、左之助がぎょっとした表情を見せた。


「普通の笑いだったけど」

「…………俺は見た事ないぞ」


しかし、あれが笑ったら……どんな顔になるんだ?


想像できないのか、難しい表情で左之助は考え込んでしまった。






そのうちに、外の喧騒が止んで、再び静かになった。

店の暖簾をくぐり、誰かが入ってきたようだ。

足音がこちらに向かって来る。


「ああ、来た来た」


左之助が待ってましたとばかりに襖を開けると、そこに立っていたのは、先ほどまで絡まれていた山口さんだった。


「お前も、いつも苦労するなあ」


苦笑を漏らしながら、左之助は山口さんに座敷に上がれ、と手招きする。


「あそこにいたのであれば、一言声をかけてくれてもよかったのですがね。左之さん」


仏頂面のまま、荷物を下ろしながら山口さんが左之助に告げた。


「あんなところで声をかけて、どうなる? 応援の仲間かって、こっちにも飛び火してくるだろ」

「まあ………そうですね」


そこまで考えなかったのか、あっさりとそれは認めた。


「それよりも、あいつらはすぐに退(ひ)いたのか?」


その後の顛末を聞きたくなったのだろう。

左之助が話を聞かせろとばかりに、酒を掲げる。

それに誘われ、山口さんは座敷に上がった。


「………宗像君も一緒だったのか」


今……まさに今、気づいたとばかりに山口さんが俺へと視線を向けてきた。


「あんたもいたのであれば、やっぱり声をかけておけばよかったな」


俺の強さを知っているのだろう。

ぽつりと呟きが漏れた。


「俺は面倒事には巻き込まれたくない主義なので、遠慮しておきます」


ここでも、きっぱりと断っておくことにした。

きっぱりと断っておかなければ、今後もこういうことは起こるだろう。

いや、きっと起こる。

これだけは確実だ。


「そういえば最近、道場に顔を出さなくなったが、忙しいのか?」


猪口に酒を注ぎながら、左之助が問う。


「父が病を得て、俺が母の手伝いを…」

「そうか」

「そういえば、少し前ですが、とある北国の藩士と知り合いになりましたよ」


二人は情報交換をし始めたようだ。

そんな二人を他所に、智也はわれ関せずと、酒をゆっくりと飲んでゆく。


「その方なんですが、上級藩士だというのに気さくな方で……」


なんでも、家は藩から庇護されているとか。


「そういえばその方の苗字も宗像だったな」


宗像、という名前に、智也の手が止まった。

ちらりと二人を見やると、四つの目が自分を、じ…と見つめている。

流石に居心地が悪くなり、口を開いた。


「宗像って苗字は、どこにでもあるだろう?」

「そうか?」


左之助が、隣の山口さんへと問い掛けると、山口さんはしばし考え込むそぶりを見せた。

だが、答えは……


「いや、滅多にない名前だろう。しかも宗像殿には、歳の離れた弟御がいらっしゃったそうだ。だが、その弟御は一年前に失踪されている」


次々と出てくる、自分と似た話。


「最近、弟御に似た者を見かけたという話を聞き、江戸に出てきたそうだ」

「ふうん。なるほどなあ」


よくある話だな、と左之助が焼鳥を口に運びながら、こちらを見つめた。

なんとなく素性がばれているような気がした。

山口さんはともかくとして……左之助には。

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