2、カールン警備兵士団

 兵士の一人に小突かれながら、森の中から父親が現れた。

 別の兵士が気を失っている少女を抱いて街道に出る。


「し……死んでいるのか?」

 ぐったりとした少女の姿を見て、隊長が心配そうな顔をする。


「いいえ! 気絶していますが、息はあります。見たところ外傷もありませんっ」


「そ……そうか……ならば良い……行政長官ガバナー閣下は、少女を無傷で連れ戻して来い、絶対に殺してはならん、とおおせだったからな」


「少女の父親は、どうしますか?」

 父親の背中を小突いていた兵士がたずねた。

「閣下は、男には興味がない! この場で殺す」


 その言葉に反応して、灰色の男……ゾル・ギフィウスが隊長をギラリとにらむ。


「……と、思ったが……」

 隊長が、ニヤリと笑った。

「御布令に背き、娘と共に逃亡した罪は大きい……こんな誰も見ていない路上で殺してはな……カールンの町へ連れ帰って、市民たちの目の前で拷問し、その後、公開処刑する」

 それを聞いた部下たちが互いに顔を見合わせ、直後、興奮した顔で「へっへっへ」と笑う。

 舌なめずりをする者さえいた。

 弱い者を公衆の面前でなぶり殺すのが、それほど嬉しいのか。


「やめろ! やめてくれ!」

 突然、父親が叫んだ。

「私はどうなっても良い! せめて娘だけは助け……」


 しかし最後まで言う前に兵士に殴られ、「ぐへっ」とうめいてその場に倒れた。

「娘は娘、親は親だろうがっ……お前を殺したからって、娘の代わりにゃならねぇよっ、このバカ親がっ……手間かけさせるんじゃねぇっ」


 その時、馬の上から隊長が叫んだ。

「良おし! 娘と父親をロープで縛るんだ! 娘は俺様の馬へ乗せろ! 父親はカールンの町まで路上を歩かせる!」


「はっ!」

 石畳に立つ五人の兵士たちのうち、二人が自分の馬へ走り、荷袋の中からロープを持ってきて、一人は少女を抱いている兵士に、もう一人はその父親を殴った兵士に渡した。


「おいっ、立て!」

 兵士は父親の襟首を掴み、無理やり立たせてその体をロープでぐるぐる巻きにした。


「グッ」

 怪我をした左腕を締めあげられ、父親が激痛にうめく。


 少女を抱いた兵士が、ロープを持って隊長の馬へ駆け寄り、その背中へ少女をうつぶせにして縛ろうとした、その時……


「おい……」

 それまで両手を挙げて黙っていた灰色の男……ゾル・ギフィウスが馬上の隊長に向かって言った。

「その少女をどうする気だ?」


 そう言えば、邪魔者が一人居たな……と、いま思い出したかのような顔で、隊長が視線を向ける。

「ああ? 少女を町へ何をしようと、俺様の勝手だろうがっ。このカールン州は、行政長官ガバナーゼレキン閣下の領土だ。そして我々はゼレキン閣下直属の警備兵士団。宿無しの旅人ごときに答える義務は無い!」


行政長官ガバナー直属の警備兵士団?」

 灰色の男が、無精髭を生やした口元に皮肉の笑みを浮かべる。

「俺には、のついた野良犬の群れにしか見えんが……な」


「ぬっ……」

 一瞬、何を言われたか分からず、警備兵団の隊長が口ごもる。


「き、貴様ぁ! 口を慎めェェェ!」

 ゾルから取り上げたナイフをゾル自身に突き付けていた兵士……確か、ダンクルと言ったか……が叫び、ナイフを持つ手に力を入れた。


 ……瞬間!


 ゾルの右手が電光石火の速さで動き、ナイフを持ったダンクルの右手首を掴んだかと思うと、その手首をクルリと回転させた。

 同時に、ゾルの左手がダンクルの右ひじを押さえ、下から突き上げる。

 訳が分からないまま一瞬にして右腕の自由を奪われたダンクルは、自分の手に持ったナイフが自分自身に向けられているとようやく認識した直後、その切っ先で顎を貫かれた。


「ぐっ、ごぉぉぼぼぼぼ」


 下顎したあごから口の中を通り頭蓋骨の中へもぐり込んだ大型ナイフの刃がダンクルの脳中枢を破壊し、兵士は白目をき血の泡を吹きながらその場に折れた。

 兵士が事切こときれ石畳の上に倒れる一瞬の間に、灰色の男ゾルはその右手から自分のナイフを奪い返し、同時に兵士が腰に差していた剣をさやから抜き取り、奪う。


 右手に血まみれの大型ナイフ、左手には敵から奪った剣。


 マントをひるがえしてクルリと体の向きを変え、灰色の剣士ゾルは、少女の父親を捕縛している兵士をにらんだ。

 その冷たく凍りそうな灰青色の瞳ににらまれ、自らの剣を抜くことも忘れてパニックに陥った兵士が「ひっ」と情けない声を絞り出した時には、もう、灰色の風となって疾走はしり寄ったゾルに剣の間合いまで接近されていた。


 ゾルが左に持った剣の切っ先を無造作に突き出す。

 図らずも兵士の盾になるような位置に立っていた父親の右耳すれすれをかすめて、剣は敵の鼻から頭部を貫通しそのうなじから血まみれの剣身を現した。

 次の瞬間、ゾルが剣を引き抜く。

 兵士の顔から吹き出した血が、呆然としている父親の右頬を濡らす。

 振り返ったゾルの冷たい瞳が次に狙いを定めるは、馬上の男、カールン州警備兵団隊長の首。


「や、野郎!」

 あっという間に二人の仲間を殺され、その頃になってやっと我に返った残りの兵士三人が、口々に悪態をつきながら剣を抜いた。

 兵士たちは、隊長の馬へ一直線に走るゾルの、その進路を妨害するよう立ち位置を変えた。

 しかし、その行動に「自殺行為」以上の意味は無かった。

 ゾルが間合いに入った一瞬を狙い、左右に立っていた兵士が上段に構えた剣を同時に振り下ろす。


 グンッ!


 ゾルの走る速度が一気に上がった。

 兵士たちの剣は、ゾルの後ろになびく灰色のマントにさえ触れることが出来なかった。

 次の瞬間、左右の兵士から真っ赤な血が激しく噴き出る。


 右の兵士は、喉から。

 左の兵士は、股間から。


 天に向かって血を吹き上げながら仰向あおむけに倒れる右側の兵士の喉からは、精緻な細工のナイフのつかが生えていた。


 左の兵士は股間から小便のように赤い血を垂れ流し、石畳の上で意味不明の叫び声を発しながら回っている。


 どちらも、軽装よろいが保護しない関節部分を的確に攻撃されていた。

 左右の兵士の間を通り抜ける時、ゾルが、右の兵士へナイフを投げ、同時に左手の剣で敵の股間を下から上へすくい上げるように斬ったのだ。

 灰色の剣士はそのまま速度を落とさず、馬上の男に向かって走る。


 ゾルと兵士団隊長の間に立ち、正面から向かい合う形で一人残された最後の兵士は、しかし既に戦意を喪失していた。

 剣を捨て、涙と鼻汁を垂れ流しながら命を乞う。


「あ……あ……やめ、て……」


 しかし、どんなに命乞いをされても、この下郎どもに生きる価値は無いと、ゾルは既に決めていた。

 首を左右に振り、いやいやをする兵士の顔を剣で真横にぎはらう。

 上顎うわあご下顎したあごの間を水平に切断され、唇を「やめ、て」の「て」の形にしたまま、最後の兵士の頭は石畳の上に転がり、残った体は切り口から血をあふれさせながら糸の切れた人形のようにバッタリと倒れた。

 残るは、隊長のみ。

 しかし一人残された馬上の男は、既に馬首を返し、もと来た街道を戻り逃げようとしていた。

 あるじを失い浮足立った他の五頭の馬たちが続く。


 さすがのゾルも馬の足には勝てない。

 走りながら右手を唇にあて、息を吹く。

「ピューッ」

 森の静寂を破って、鋭い口笛の音が辺りに反響こだました。

 突然、木々の間から粕毛かすげの馬が下草を蹴散らしながら街道に現れた。

 粕毛馬が後ろから追いつき、並走し、追い抜こうとする瞬間、走っていたゾルはその背中に飛び乗った。


「ハアッ!」

 あぶみに両足をかけながらゾルが叫び、粕毛の速度が一気に上昇する。

 視界二十メドールの霧中むちゅうを馬で全力疾走するのは、目を閉じて崖っぷちを走るに等しい。

 しかし、粕毛の馬は見えないはずの霧の向こうを見据みすえ、ぐんぐんと速度を上げていった。

 やがて霧の中に、逃げる兵士団隊長の後姿が浮かび上がった。この男なりに必死で逃げているようだが、超人ならざる男と凡馬の組み合わせでは、霧の中を走る速度にも自ずと限界がある。

 追う者と追われる者の距離は見る見る縮まっていった。


 もう少しで追いつく距離まで接近した時、突然、隊長が振り向いた。

 何故なぜか不敵にニヤリッと笑う。


「?」

 何を企んでいるのか、と警戒するゾルの目の前で、兵士団隊長と名乗る男は、くらの後ろに縛り付けていた少女の縄をナイフで切った。

 振動にあおられ、少女のグッタリとした体が、馬の背中から石畳へ転げ落ちた。


「どうっ、どう!」


 慌てて、手綱を引き、制動をかけ、わずかに進路を変えて、どうにかゾルの粕毛馬は少女を踏み潰すことなく停止した。

 ゾルは一瞬、敵の逃げた霧の向こうを悔しそうに見たが、すぐに馬を降り、少女の元へ駆け寄る。

 石畳の上に力なく横たわる少女を抱き起こそうと手を伸ばし、うかつに動かして重要器官を傷つけるわけにはいかない、と思いなおす。

 よく見ると、左のから血が出ていた。最悪の事態を想像し、さすがのゾルも一瞬ドキリとする。

 急いで粕毛に戻り、荷袋から清潔な布と飲料水を持って、少女の倒れている場所へ引き返した。

 飲料水で布を湿らせ、優しくの血を拭いた。

 傷は思ったよりも浅かった。かすり傷と言っても良い。

 ほっと胸をなでおろし、傷の周囲を触ってみる……少なくとも、傷周辺の頭蓋骨に損傷は無いようだ。


 ……その時……


 少女が目蓋まぶたを薄っすらと開けた。

 ゾルを見上げる瞳は、意外にシッカリとした意志の光があった。

 意識が混濁こんだくしていないか確かめるため、名前と年齢を聞いてみる。

「お嬢さん、名前は? 年齢としは幾つ?」


「私はレイネ……七歳……」

 思った以上に、はっきりした発音だった。


 再度、ほっとするゾルに向かって、今度は少女がたずねた。

「おじさんは、だあれ?」


「俺の名はゾル……ゾル・ギフィウスだ……『おじさん』は非道ひどいな……これでも今年で二十九歳だ」

 そして、かすかに笑みを浮かべる。


 その笑顔を見上げながら、少女レイネは思った。

 ……こんなに優しい笑顔のひとに会ったのは初めて、と。

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