3、光るナイフ

 レイネと名乗る少女に骨折が無いかを確認し、どうやら大丈夫そうだと分かった。ゾルは少女に「起き上がれるか」とたずねた。

 少女はうなづき、いったん上半身だけを起こして石畳の上に座る格好になった。

 水筒から飲料水を飲ませてやる。


 さらにしばらく休ませ、立ち上がれるようになった所で、抱き上げて馬に乗せた。

 レイネをくらの前に座らせ、ゾルがその後ろに座って手綱を持ち、霧の中を並足なみあしで父親の居る地点まで戻った。


 父親は、事故の現場(であると同時に、ゾルが兵士らを殺した場所)から少し進んだところに立っていた。

 ゾルが先に馬を降り、レイネを抱いて馬から降ろしてやると、少女は石畳を走って、しゃがんで待っている父親に抱きついた。


「ウッ……ひ、左腕には触れないでくれるかい、レイネ……お父さん、怪我をしているんだ」

 父親が顔をしかめながら言い、レイネがハッとなって体を離した。


「怪我? 怪我をしているの? ひどいの?」


「その腕、おそらく骨折しているな」

 レイネの後ろからゾルが言った。

「放っておくと妙な形で骨が癒着してしまうぞ。最悪、左腕がまともに使えなくなる可能性もある……応急処置をしてやろう」


 ゾルの言葉に、レイネの父親が立ち上がる。

「ありがとうございます……わたしはこのの父親でサイケンと言います」


「兵士たちの死体は、どうした?」


「そのままにしてあります……助けて頂いたのに、こんな事を言う権利は無いのですが……その……あの血まみれのひどい有り様を娘に見せたくなくて……」


「気にするな。親として当然だ……それより、股間を斬った男だけが、まだ死んでいなかったと思うが、どうした?」


「そ、それも、そのままに……」


「そうか……では、ここで待っていろ」

 親娘をその場に置いて、ゾルは事故現場へ歩いて行った。

 霧の中から血に染まった石畳と、その上に横たわる兵士どもの体が現れた。

 そのうちの一体は、まだうごめいていた。ゾルが股間を斬った男だ。

 敵から奪った剣は、さっき兵士団隊長を逃したあと少女の手当をするのに邪魔だったから捨てた。

 ゾルは辺りを見回し、仰向あおむけに倒れている別の男の喉笛のどぶえから美しい細工のナイフを抜き取り、そのナイフを使って、股間を濡らしている兵士にとどめを刺した。


「これは俺のナイフだからな。返してもらう」

 死体につぶやき、血まみれの刃を自分の左肩に乗っているトカゲの口元へ持っていった。

 トカゲが長い舌を出したり引っ込めたりしながら、刃に付着した兵士の血をキレイに舐め取っていく。


「さて……この死体……どうしたものか」

 右手に持ったナイフを左肩のトカゲに舐めさせながら、左手でポケットから手のひら大の水晶板を出し、霧の中にさらしてみる。


 携帯用のだ。


 たとえ太陽が霧や雲に覆われていても、日中である限り、特殊な屈折率の水晶で作られた円盤はその内部に影を作った。

 厚い雲と霧に隠され、人々が太陽を全く見られなかった時代……のちに〈霧の暗黒時代〉と呼ばれる二千年間において、曇りだろうと雨の日だろうと太陽の方位を教え時間を知らせてくれるこの特殊な日時計は、街道を旅する者の必需品となっていた。


(カールンの町に日暮れまでに到着したかったのだが……いずれにしろ死体はこのままにせざるを得ない、な)


 幼い少女を誘拐かどわかすような下衆げすどもの死体など、腐ってうじこうがからすに目玉をくり抜かれようが知ったことでは無いが、街道を汚したまま立ち去るのは他の旅人に対し少々申し訳ない気がした。


(まあ、今回は仕方がない)


 時間がないと自分に言い訳をする。どのみち、殺した人間を路上に放置したのはこれが初めてでは無いし、他の誰かが殺して路上に放置された死体を見たことも一度や二度では無かった。

〈霧の暗黒時代〉に街道を旅するとは、そういう事だった。


 ナイフの刃に付着した血が一滴残らずトカゲにめ取られたのを確認して、ブーツのさやに収め、サイケンとレイネの父娘が待つ地点へ戻る。

 父親は街道わきの木に背中をあずけて座っていた。ゾルが少女に渡しておいた水筒から飲料水を飲んでいるところだった。

 ゾルは、適当な木の枝を見つけて添え木にし、粕毛の馬に積んだ荷袋から布とロープを出してサイケンの腕を固定してやった。


「ありがとうございます」

 布で左腕を吊ったまま立ち上がり、再度礼を言ったサイケンに、ゾルがたずねた。

「ここからカールンの町まで馬でどのくらいだ?」


「さあ……無我夢中で逃げてきたので、ここがどの辺りなのか正確には分かりませんが……」

 サイケンが大雑把な所要時間をゾルに告げる。


(やはり、日暮れまでに町へ着くのは、もはや無理か)

 馬を使うとなると、ゾルとサイケンとレイネの三人乗りということになる。一人は体の小さな少女だから、三人同時に馬に乗ること自体は可能だろう。

 しかし、乗馬訓練など縁の無さそうな父親と幼い娘が乗っていては、街道を飛ばして行くのは無理だ。速度を上げたら彼らが振り落とされてしまう。

 それに、うかつにも、あの警備兵士団の隊長とかいう男を逃がしてしまった。

 カールンの町に着く頃には、サイケンとレイネはもちろん、おそらくゾルの手配も回っているに違いない。


 ……心配事が、もう一つ。


「霧が、濃くなっているな……」

 ゾルのつぶやきに、サイケンがビクッと体を震わせ、辺りを見回す。

 確かに、先程まで二十メドールあった視界がせばまっているような気がした。


 帝国を滅ぼした〈霧の妖魔〉どもの出現条件は二つ。

 日が没し世界が闇に飲み込まれるか……あるいは、視界をふさぐ乳白色の霧が一定以上の濃度になるか。


 いずれにしろ、もはや残された時間はわずかだった。

 早く隠れる場所を探さなければ、警備兵士団から逃れるどころの話では無い。

 サイケンは、脇に立っていた娘の体を健康な方の腕でギュッと抱いた。

 突然、ゾルがブーツのさやから大型ナイフを抜いて右手に持ち、小声でブツブツと何かを言いながら、その右手を一定のリズムで様々な角度に動かした。


「あ、あの、ギフィウスさん……何をやって……」

 サイケンの問いかけにゾルは答えず、呪文をつぶやきながら空中に見えない文様パターンを描き続けた。

 最後に、ゾルがナイフを刃を顔の前に持ってきた。

 旅人の瞳が灰色から赤紫に変化した。

 ……いや、赤紫色に輝いているのは、美しい文様を持つ刃の方だった。ゾルの灰色の瞳はその光を反射しているだけだ。


「ナ……ナイフが、光った?」

 呆然と見つめるサイケンとレイネに向かって、魔法発動の儀式を終えたゾルが言った。

「このナイフは『魔物よけ』の力を持つ『魔法具』の一種だ」


「ま、魔法具? 魔物よけ? ……では、〈霧の妖魔〉が近づかないようにしてくれるのですか?」


「逆だ。……妖魔がこのナイフを避けるのではなく、このナイフが、妖魔の来ない場所を教えてくれるのだ」


「ナイフが、教えてくれる?」


「まあ『確率的』ではあるがな。こうしてある方向に切っ先を向けると……」

 そう言って、ゾルは適当な方向へナイフを向けた。

 発光する大型ナイフの刃が、赤紫から赤に変わった。


「光は青から紫、紫から赤へと色が変化する……あるいは、その逆に。赤みが強いほどその方向は危険で、青みが強いほど『比較的』安全な方向というわけだ。……まあ、それでも運次第で『出会うときには出会ってしまう』が……さあ、行こう」

 ゾルは発光するナイフの色に従い、元来た道を……兵士の死体のある方へ向かって……スタスタと歩き出した。


 一瞬、躊躇ちゅうちょしたが、サイケンは娘の手を引き、ゾルの後を追った。

(どんな魔法にせよ、ナイフが自ら輝いているのは事実だ……それに、この男について行く以外、私たちには行くあてが無い)


 霧の中をどんどん歩くゾルの背中を見ながら、サイケンは思った。

 ひづめが石畳を叩く音に気づいて振り返ると、灰色の旅人の後ろを歩く父娘の、そのさらに後ろを粕毛の馬が歩いていた。

 この立派な馬を盗んで娘と二人で街道を逃げようか……サイケンの頭に、ふと、そんな考えがよぎり……いや、いや、っと自分の考えに首を振る。


(目の前を歩く旅人の戦闘能力は尋常ではない。自分ごときがこの男から何かを盗むなど可能であるはずがない。それに……)

 もう一度、振り向いて、サイケンは後ろを歩く馬の頭を見た。

 何となく、この馬にも、あの輝くナイフと同じ魔法的な何かを感じた。

 万が一、運良くこの馬の奪取に成功したとしても、おそらく馬はゾル以外の人間の言うことを絶対に聞かないだろう……そんな風に思った。

 やがて、自分たちが馬車を横転させた場所……五人の兵士たちの死体が転がる場所に来た。


「レイネ……」

 サイケンは娘の手をぎゅっと強く握った。

「お父さんが良いと言うまで目を閉じていなさい。大丈夫。お父さんが手を引いてあげるから」


 レイネが素直に従う。

 血まみれの死体の間を通り、ゾルがある場所で立ち止まった。


「なんだ……この獣道けものみちか……」

 ゾルがつぶやく。それは、先ほどゾルと粕毛の隠れた獣道だった。ナイフをその方向に向けると光が青に近い色に変わる。

 ゾルは一瞬、その細い獣道に分け入るのを躊躇ためらう。


(……我々人間はともかく、馬はこの細い道の先まで行けるだろうか?)

 五メドール先までなら馬でも通れることは、既に証明されている。しかし、その先は?

 道がどんどん先細りになって、馬が通れないほどになってしまったら?

 ゾルは迷いを払うように軽く首を振った。


(なんとなれば、馬は置いて行けばいい。〈妖魔〉は馬には手を出さない。人間以外には興味を示さない)

 灰色のマントを着た旅人は下草を分け、街道を外れて森の奥へ奥へと進んだ。

 その後ろにサイケン、レイネ、そして粕毛の馬が続いた。

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