第22話 竜王の乳母

「……戻ってきたばかりのところ悪いが、兵士たちを連れて氷漬けになっている賊の兵器を回収してきてもらいたい。使えそうなものは速やかに他国へ売り払うよう大臣たちに手配を。賊の情報と共にだ。安くとも良い。即金だ。金がなければ現物でも構わない。この冬を乗り切るだけの食料を急ぎかき集めてくれ。近衛兵たちは城下の復旧作業に、城の守りなど気にするな。むしろ家を失ったものの為に解放しろ。備蓄の食糧を配れ。燃料もだ」


 トーアの声がする。


 矢継ぎ早に命令を下している。


「……」


 わたしは天井を見上げる。


 城の医務室。間仕切りの向こう、隣のベッドの周囲には大勢の人の気配がして、指示に対して頷いたり、伝令が入れ替わり立ち替わり出入り、忙しいことになっている。


 あれからどれくらい経ったのだろう。


 片目を覆う包帯を確かめ、わたしはベッドに横たわる。風邪をひいたみたいで頭がぼーっとする。雪の中に埋もれていたところを、兄に発見された。匂いを追いかけてきたとか、それで二人まとめて抱えられて戻ってきたところまでは覚えてる。それからどうしたっけ。


「シズキ」


 冷えた手がわたしの額を撫でた。


「おかあさん。戻って……」


「賊の兵器に蹴散らされたわ。部隊は散り散り、やっと戻ってきたと思ったら氷竜よ。全滅するところだったわ。本当に」


 小声で、母は説明した。


 軍服は雪まみれで、顔も赤いけど、活力がないということはなかった。むしろ怒りを力に変えて行動するタイプだ。言葉の内容ほど落ち込んではいない。挽回するために頑張ってしまうだろう。


 休んで欲しいけど。


「生きてて良かった」


 それしか言葉が出てこない。


「シズキこそ」


「わたしは、みんなが守ってくれたから」


「……」


 母は首を振った。


「詳しい話は後で聞くわ。ゆっくり眠りなさい。ガルテ様がご心配しているようだから、元気な顔を見せてあげるのよ?」


 ガルテ様も無事だったようだ。


 それはとても喜ばしいことなんだけど。


「おかあさん」


 わたしには言わなきゃいけないことがある。


「なに」


「王妃様が……」


「いいの。陛下はもう決意されたから」


「……」


 なにを決意したのだろう。


 そう思ったけど、母は小さく手を振って間仕切りの向こうに出て行ってしまう。起きあがることもできず、わたしは微睡みに落ちていく。


 夢も見なかった。


「……つまり、その乳力でそなたは凍土のさらに奥、北限の海まで頻繁に遊びに行っていたというのじゃな? 信じられぬが、しかしあれを見てしまった後では信じるしかなかろう」


「ガルテにはいずれ直に会わせてやろう。親の方はあれよりもさらに大きいぞ。大きすぎるが故か滅多に動かないがな。海の上に座り、鯨などが近づくと深くまで凍らせて海ごとそれを補食する。あとは何年かに一度、交尾をするのだ。それがまた凄い。厳冬がやってくるからな」


 なんの会話だろう。


「どのくらいの数がいるのじゃ?」


「私が確認したのは十か十一、竜である以上かなりの長命なはずだが、数がそれほど多くならないのは食料が足りないからかな」


「その気になれば、世界を滅ぼしかねんからの」


「……」


 わたしは身体を起こす。


 頭は重くない。熱は下がったようだ。


 人獣の身体はそれなりに頑丈にできてる。


「……」


 お手洗い。


「シズキ!」


 戻ってくると、ガルテ様が泣きそうな顔でこちらを見ていて、わたしのお腹にタックルして抱きついてきた。おしっこしたばかりなので臭いとかちょっと不安になる。


「よくぞ生きて! よくぞ生きてトーアを守ってくれた! そなたがおらなんだら、この国は終わっていたぞ! 本当に、そなたは!」


 でも感極まってた。


「ガルテ様、シズキはなにも」


 わたしの方のテンションが追いつかない。


「謙遜せずともよい! よいのじゃ!」


「ガルテ様が無事だったことの方が嬉しいことですよ。シズキにとっては。本当に」


 わたしはお姫様を抱き返す。


 立場を考えたらこんなことをしてはいけないのだけど、その小さな体温をちゃんと感じたかった。暖かい。生きてる。それを確かめて、ここが地獄じゃないと実感したかった。


「シズキ、起きたか」


「で……陛下。あの、申し訳ありません」


 わたしはその顔をまっすぐ見られなかった。


「なぜかご一緒に休むような状態で」


 下がったはずの熱がまたぶり返してくるような気分、ぼーっと頭が熱い。なんでだろう。別になにってこともないはずなのに。おっぱいなんていつもあげてるし。頭を撫でたのはその。


 久しぶりだったから。


「謝ることなどないぞ。城に避難した者たちを迎え入れたからな。部屋がないのだ。兵たちもほとんど出払っているから、守りを固める意味でも、まとまっている方が効率が良い」


「……」


 そういう意味じゃないんだけど。


 じゃ、わたし、どういう意味ですか?


「シズキ、良いのじゃ」


 俯いたらガルテ様と目があった。


「なにがでしょうか?」


 お姫様は涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃでも可愛いのがズルいと思う。なにがズルいのかよくわからないけど、なんかこう可愛くて可愛くて変な気分になる。めちゃくちゃにしたい。


「余が許す。トーアと子を成すが良い」


「こなす?」


 漬け物が美味しいよね。


「うむ。そして乳力を持つ子たちを育て、国を強くするのじゃ。もちろん余もその力を貰い、近い内にトーアと子を成すぞ! 余とシズキの子らで二十人もいればエレ・エネンドラは盤石じゃ!」 


 わたしの理解とか関係なく、お姫様の頭の中ではもう国の未来が描かれていた。牛女牧場よりはマシだけど、それでも兵器としての子供量産とかかなり暗黒な気がする。


「ガルテ様、落ち着いて」


 なにより八歳の女子が口にすることじゃない。


「そうだぞ、ガルテ。私の身が持たない」


「陛下!」


 なにを言っちゃってるんですか。


「陛下はよせ、トーアでよい」


「そうじゃぞ! 余もガルテで良い。なにを他人行儀な! そなたと余らの仲ぞ! もう三人は三人でひとつなのじゃ!」


「……」


 答えに窮していると視線に気づく。


「……」


 ネンさんが羨ましげにこちらを見ていた。


 いや、そんな目で見られましても。


「再確認せねばならないな」


 トーアが言う。


「うむ。シズキ、乳を出すのじゃ」


 ガルテは言いながら胸をわっしと掴んだ。


「あの、今ですか?」


 母乳が滲むのを感じながら言う。


「「………!」」


 こっくりと夫婦は頷く。


 わたしの境遇はかなり変わってしまった。


 そしてこの国も。


「皆、よくぞ集まってくれた! トーア・エレ・エネンドラだ! もう多くの者が知っているだろうが先王は死に、王位を継承している! 私がこの国の王となった!」


 襲撃から三日後。


 トーアは城に城下の民を集めた。


「先王の死は先日の賊の襲撃によるものだ! 悼む者も多いだろう! が、しかし! 私は伝えなければならない! この死は、父自身が招いたものだと! そして襲撃によって家族や親しい者、見知った者を失い哀しみに暮れる者たちには、父の子として、率直に謝罪の意を表せねばならないと!」


 城の正面入り口、大きな階段のある広間にぎゅうぎゅうに入った人々がどよめく。王になったばかりの十五歳、父を失っても立つ、その精悍な姿を見て、国難を乗り越えようというどちらかと言えば前向きな気持ちだったはずだが、トーアはそれを打ち消す決意を固めていた。


 真実を告げること。


 それがトーアの選んだ道だった。


「此度の襲撃を招いたのは、私の母であり、先王の后である。ゾンネ・エレ・エネンドラだ! 長らく体調を崩していると表向きには発表していたが事実は違う! 噂で知っている者もいるかもしれないが、私が生まれて間もなく、私を暗殺しようと画策し、領内の城に幽閉状態にあった! それは王家の威信に傷をつけまいとする考えもあったが、なにより父の甘さだった!」


 階段の上、集まった人々から見える場所に立ち、声を張り上げ、堂々とトーアは語る。そこに普段の彼らしさはない。親子の情を捨て、嘔吐して振る舞おうとする姿だけがあった。


 わたしも群衆の中でそれを見ている。


 両手を握りしめ、祈るような気持ちで。


「父は、私を殺そうとしても尚、母を殺すことができなかった! 秘密裏に行われた裁判で、母が犯行への関与を認めてもだ! 王家への攻撃は極刑と定められているにも関わらずだ! 法に背いたのだ!」


 トーアの言葉には力が入りすぎている。


 普段を知る立場からは正直、空回りしているとも感じられなくはなかった。けれど、集まった人々にはその言葉はストレートに届いているようでもあった。どよめきは、不穏な空気へと変化しはじめる。


「そして、それは私も同罪だ! 母の罪を知りながら、いつかは母が正気を取り戻してくれると信じていた私自身も同罪なのだ!」


 その一言で、どよめきに声が混じった。


「ならば罪を償え!」


 怒りの声。


「引きずりおろせ!」


 だれかのかけ声に、近衛兵たちが民衆の前に立ちはだかる。兄の姿もあった。家族を失ったり、大切な人を失ったりした城下の人々の怒りは当然で、正直に伝えればそうなる。


 しかし、それも長くはつづかなかった。


「申し訳なかった!」


 王の土下座。


「こうして頭を下げることしか、今の私にはできない! 無力で無能な王と罵ってくれて構わない! 失われた命はもちろん、財さえも戻す力はこの国にはないのだから!」


 静寂が広間に訪れる。


 集まった人々は反応に困っていた。


 確かに王だが、まだ十五歳の少年でもある。


「三年! 三年の猶予を私にくれ!」


 土下座したままトーアは叫ぶ。


 声はかすれていた。


「三年の間に、今回の襲撃を行った賊と、母の首を皆の前に持ってこよう! できなければ、私が断頭台に立つ! 約束しよう!」


「陛下……」


 わたしは思わず口にしていた。


「そして三年の間に、この国を建て直して見せよう! 寒さにやられた畑を取り戻し、失われた財を取り戻し、逃げていく人を取り戻し、父の時代より豊かな国になる道筋をつけて見せる! それができたかできなかったかは皆が決めてくれ! フィギラスの方式に則り、投票を以て、私が王で良いかの信を問おう! 過半数の支持が得られなければ、私は王位を退き、そして裁判によって罪を償うことを約束しよ

う!」


 トーアはそこまで言って、ふたたび立った。


「エレ・エネンドラは、エネンドラ最後の王家だ! 私はその血を受け継ぐ者として、伝統を守らねばならない! しかし、皆は違う! 伝統など守らなくとも良い! この三年は私にとっての猶予であると同時に、皆が皆の求める国を考える時間にもなるはずだ! 私がどれだけ言葉を尽くしても納得のできぬ者もいるだろう! それは構わぬのだ! そうした者にとって三年は、私から、王家から支持を奪う三年だと考えてもらいたい! 力による革命はそれからでも遅くはない! 私はこの国を、この国の民を愛している! それは仮にこの王家が否定されても変わらないものだと考えて欲しい! 王家が滅びるとしても、国が国として生き残るために、私を否定する者はこの国を繁栄させる道を考えるのだ! 私とその者ら、どちらがこの国を愛しているか! これからの三年は、それを判断する三年になるだろう! 民同士で血を流さず、どちらがより優れた統治者を生み出せるか! 私は、私より有力で、私より有能な者がいるのなら、喜んでこの国を譲り渡す! 約束しよう!」


 呼吸。


 深く息を吸うトーアの次の言葉を人々は待った。聞き入っていた。子供っぽい言葉かもしれない。無駄な言葉が多いかもしれない。でも言葉が足りてないかもしれない。伝わらないかもしれない。伝えすぎているかもしれない。だけど、聞き入らない訳にはいかなかったから。


 それが、真実の言葉だから。


「だが、同時にわかってほしい! 私は、私よりこの国を愛さぬ者に、この国を絶対に譲るつもりもないということを! 今は無力で無能な王だが、これから先も無力で無能でいるつもりはないということを! 私は、これまでのどのエネンドラとも違う王となる! 竜王! 強さと賢さの両方を兼ね備えた王となる!」


「竜王」


 わたしがつぶやく。


 力強い響きだ。


 周りの人々もつぶやいていた。


 口にせざるをえない。


「最後まで聞いてくれてありがとう」


 トーアの声は小さくなった。


「まずは三年、共にこの国を栄えさせよう」


 そう言って、マントを翻し、トーアは城の奥へと消える。どこからともなく、拍手が起こり、広間は歓声に飲まれた。好き嫌いを通り越して伝わったのだと思う。少なくとも、わたしたちの王は、わたしたちに語りかけてくれた。王と民ではなく、人と人として。


「……」


 わたしは、涙が止まらなかった。


 嬉しかったから。


 乳母としてトーアが成長した姿を見れて。


 そしてまだまだ成長するから。


 竜王の乳母。


 そう呼ばれる日がいつか来る。

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竜王のウェットナース 狐島本土 @kitsunejimahondo

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