第21話 冬
「界力夢想・鎧」
「犬剣・波道!」
踏み込んだ殿下の目の前でダイスケの身体は漆黒の鎧に覆われる。二本の刀を交差させて正面から剣を受け止めた直後、背後の木々がなぎ倒された。
「その技は見たぜ?」
顔だけを残して界力で全身を覆って言う。
黒い力は煙のように立ち上っていた。
「シュルトと戦ったのか」
殿下が力を込める。
ぎぎぎ、と剣と刀が擦れた。
周囲に風が吹き、山の木々から鳥たちが飛び立つ。わたしは身を低くしてマントにくるまる。逃げるべきかもしれない。でも、見届けなきゃいけないとも感じてる。
あげてしまった力の結果。
責任がある。殿下の勝利を語り継ぐか、殿下と共に死ぬか、ふたつにひとつ。そして、わたしが信じているのはひとつだけだから。そのひとつ以外で生き残っても意味がないから。
「ああ……エレ・エネンドラ一の剣士とか言ってたが、死んだだろうなぁ、斬り倒して、教会ごと爆破してやった! 街中に爆弾も仕掛けた! トーア! 新たな王様よぉ? この力を、世界を統べる特別な力を持ちながら、アンタが遅れたことで何人が死んだかなぁ?」
重圧で足を地面に沈み込ませながら、ダイスケは煽るように喋る。だが、それは明らかな余裕のなさだった。押し返すだけの力がない。
「……」
殿下の腕にさらに力が入っていく。
その瞳はダイスケを見据えたまま、揺れすらしない。怒りと哀しみが入り交じっても、まっすぐに倒すべき相手から目を逸らさない。
「なんとか言ったらどうだぁ? 国王失格だなぁ? まぁ、オレに殺された父親よりは戦えるだけマシか、ジジイに守られて逃げ延びて、どうにか息子に王位を継がせて、無様だったぜ! たとえオレをここで殺せても、賊に殺された無様な王として国民を萎えさせ? その息子は賊に王都をメチャメチャにされた無能として大陸全土に広まる訳だ! 残念だったなぁ!」
口の減らないヤツ。
聞いてるこっちがイライラしてくる。
「ふん」
そう思った直後、殿下が不意に力を抜き、足を尽きだした。押し潰す力に対抗していたダイスケの身体が少し浮いた一瞬に容赦ない土手っ腹への蹴りで、一気に吹き飛ばされる。
「なに、特に残念でもない。私は自分を王として有能と思ったことなどないからな」
そう言いながら、殿下はすかさず吹き飛んだダイスケを追って跳んだ。わたしの視界からは一瞬にしてその姿が消え、倒れた木々の向こうで空気が弾ける音がする。
ヒュ……ン。
ドン!
花火でも打ち上げられるかのような音が周囲に広がった。ビリビリと地面が揺れる。見上げると空中から真っ黒な男が地面に叩きつけられ、そこに殿下が追いついてきて剣を振り下ろそうとする。
「界力夢想・盾!」
ダイスケは剣を盾に変えて攻撃を防いだ。
「力を上手く使うものだ」
殿下は言う。
「そっちこそ! 腐っても王族、仕込まれた武術の差がデカいみたいだなぁ。足が出るとは、実戦的でイヤになるぜっ!」
男同士でなんか通じ合った感がある。
「では、足の使い方を教えてやろう」
そう言った殿下の手元で剣が膨らみ、人間を踏みつぶせるサイズの足に形を変える。重さも自在、ダイスケが言っていた言葉をわたしは不意に思い出した。
「ふざけっ」
ズン!
盾を解除して、ダイスケが黒い力を脱ぎ捨て足の下から一瞬にして逃げ出す。スピードが上がった。たぶん、重さと速さを両方一度に出せない力なんだ。
「ふむ、流石にこれでは潰せないか」
殿下は力を剣の形に戻す。
地面には巨人が踏みしめたような足形。
「死ね! トーア!」
逃げ出したまま木々の間をすり抜け走るダイスケの声。その声すら移動速度が速くて追いきれないわたしは、目の前に飛んできた黒い矢に気づくのが遅れた。
「なるほど、実戦的だ」
それは殿下が抜け目なく払い落とした。
けど。
「そう動くと思ってたぜ!」
ダイスケが叫ぶ。
黒い刀が殿下に振り下ろされるのは同時。
「くっ」
殿下の血が地面に散る。
「己の無能にも、国民の死にも動じないが、シズキは殺させねぇってか? わざわざ追いかけてきた時点で不思議だったが、道理で! そういうことかよ!」
ダイスケが嘲笑する。
「この女のデカいだけの胸に惑わされてんのか! バッカじゃねぇの! この女を救おうとしてアンタが死んだせいで何人が死ぬんだかなぁ!? マジありえねぇ! 優先順位を考えろよ! 一国の王になりゃ、胸のデカい女なんていくらでも代わりがいるだろぉが!」
「シズキの代わりなど、いない」
刀が振り抜かれて、血がさらに吹き出しても、殿下はわたしとダイスケの間に立ちつづけていた。でも、カラン、と剣が手から落ちる。黒い力は抜けていた。
「私が生きているのは、シズキがいたからだ」
「殿下、いけません」
「よい。これでよいのだ」
「そんな……」
ダイスケの言う通りだ。
乳力だとしても、わたしを守って死んだらなんの意味もない。ダイスケの浅はかなやり方なんて見抜けたはずなのに、わたしを見捨てれば、仇も討てたのに、どうして。
「そうかよ。なら、死ね」
ダイスケの言葉の直後、黒い刃が殿下の首を払おうとする。夜明けの太陽の光が陰って、殿下の頭が見えなくなる。
「トーアっ!」
わたしは叫んだ。
「ひひゃひふひひにわはひほほうほんはは」
ちゅうちゅう。
「え?」
「は?」
わたしとダイスケは硬直した。
一瞬にしてわたしの胸に顔を埋め、両方の乳首を寄せて口に頬張り、ごくごくと母乳を飲む殿下の姿がそこにあったからだ。なにをしてるのかさっぱりわからない。
「ふざけ……」
「ふざけてなどいない! これが乳力だ!」
ちゅぱ。
乳首から唇を離した直後。
真っ白な光の剣を殿下は握っていた。
「!?」
ダイスケは反射的に刀で防いだけど、その白い光はまるでわたしの母乳みたいに勢いよく噴出して、その身体ごと周囲の木々もろともダイスケの身体を吹き飛ばす。
「な」
「やはり飲んですぐが一番だな」
殿下は堂々と言い放った。
「……」
信じられない。
そう思いながらも、吹き飛んだダイスケに向かって歩く殿下の身体から迸る真っ白な輝きに、わたしは言葉もでなかった。あの状況で母乳を飲む。そんなことだれも想像しない。
「くそ、乳? シズキの力を取り込んでた?」
刀を地面に突き立て、ダイスケは言う。
立とうとするけど、その膝に力は入らない。
「さて、終わりだ」
その首に殿下の剣が向けられる。
「大人しく力を解除しろ。さもなくば」
キュリキュリキュリキュリ。
「?」
わたしの耳は殿下の声と同時に奇妙な音を拾っていた。それはすごいスピードでこちらへと近づいてくる。
『聞こえる?』
そして、ダイスケの胸元から女の声。
通信、とわかるのは前世の記憶があればこそで。
「なんだ?」
殿下は一瞬怯んだ。
「おっせぇ、よっ!」
その一瞬を見逃さず、ダイスケは横っ飛び、距離を取ってこちらを振り返ってひきつった、でも勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「わかってたんだ、オレは! シズキ!」
そして叫ぶ。
「転生者の力である以上、オレに対抗する界力の持ち主があらわれるだろうってことはな! だから、慎重を期した! 王の外遊日程に合わせた襲撃には使えなかったが、ギリギリ、今、間に合ったぜ! オレの勝ちだ!」
「なにを言って」
「打て!」
殿下が反論しようとしたのと同時に、ダイスケの号令。と、同時に奇妙な音のする方角からたてつづけに重たい轟音。前世のどこかで聞いた音。映画かもしれない、ニュース映像かもしれない。奇妙な音は、戦車だ。
轟音はその大砲。
「トーア! 逃げて」
「……!」
ヒュン。
殿下が音に振り向こうとした時には地面が爆発していた。砲撃は次から次に、こちらへ向けて打ち込まれている。直撃するような精度ではなくても、身動きなど取りようがない。
バイクだけじゃなかった。
戦車。
砲撃をして、ふたたび移動をしてる。街の方へ。殿下が生き残っても、王都をそんなもので攻められたらひとたまりもない。ばらばらと降り注ぐ土を浴びながら、わたしは首を振る。
ムチャクチャだ。
こちらの兵士たちは剣を握り、竜に跨がり、連射のできない鉄砲がやっと。守りきれない。街を囲む石の防壁も近代兵器の前では役に立たないだろう。街が瓦礫の山になってしまう。
みんな死んでしまう。
ガルテ様も。
「シズキ、無事か」
土煙の向こうから王子が現れた。
「殿下?」
なんで。
「またそれか、もうよい。トーアと呼べばよい。さっきは久しぶりに呼ばれて嬉しかった。昔はそう呼んでいただろう? 乳首を噛んでは叱られていたような、あの頃は」
「? なにをこの状況で悠長なことを仰っているのです。シズキのことはいいですから、速くあの男を追って、ぞ、賊はとんでもない兵器を使ってきています。殿下の力ならもしかしたら」
「その必要はない」
必死の訴えに、殿下は諦めたように言う。
「もしや、力を使い果たしましたか? ならば、この乳をなにも出なくなるまで飲んでください! もう噛んでも捻っても潰してもいいですから搾り出して!」
わたしは自分のおっぱいを握って母乳を出す。
その白い飛沫は王子の顔にかかる。
「私もあの男と同じ考えだ」
それをペロリと舌でなめて殿下は言った。
「は?」
「いや、無理なのだ。飲めばいいというものでもない。乳力はその使用に精神を消耗する。それはあの男も同じだろう。同じ力を持つ者がぶつかれば、それは消耗でしかない。戦争を決する力にはならないということだ。わかっていた」
「ですが」
「準備はしてある。切り札だ」
殿下は頷いて言う。
「使いたくはなかったが……」
「切り札」
え、乳力が切り札じゃないの?
「……」
懐から小さな笛を取り出すと、殿下は吹いた。音としては聞き取れなかったけど、近くにいるとなにかめまいがするような振動を感じた。
「シズキ」
殿下はポツリと言う。
「母上に会ったか?」
「え」
土煙が消えると、夜はもう明けていた。空は青く、太陽の光が降り注いでいる。でも、それは一瞬だった。空が一気に暗くなり、太陽を覆い隠すようにそれは山の向こうから現れる。
戦車の音が止まった。
「……!!!」
わたしもそれを見上げたまま固まる。
「氷竜、グレットライベンだ」
殿下の息が白くなる。
冬がやってきた。
空を覆い尽くすような巨大な翼を広げ、見るからに獰猛そうな口は山のひとつも飲み込みそうな大きさというかもう山。凍り付いた体表はそのひとつひとつのでこぼこが氷山のように鋭く、凍ったその内側は深海のように暗い。
大きすぎて竜かどうかもわからない。
ただ、周囲が一気に凍りついていく。ただ現れただけで山は白くなり、戦いで倒れた木々は見る見る内に死に、立っている木もその葉を凍り付せていく、谷間を流れる川の音さえ、聞こえにくくなったような気がする。
たぶん凍っている。
「……」
わたしはマントでぎゅっと身体を包む。
ヤバい。
むき出しのおっぱいが凍る。
「ありがとう。助かった」
白い息を吐きながら、殿下は二度目の笛。
「もう、いいんですか?」
「ああ、通り過ぎるだけで十分だ」
山を越えて、氷の竜は飛んでいく。その下のわたしたちは確かにそれだけでもう身動きできない状態だった。こんなに厳しい冬は、この国でも珍しいぐらい。
遠くでは逃げる人の声がする。
戦車も動かなくなった?
そらが一気に曇って、大粒の雪が降りはじめた。しんしんと、音を吸い込んですぐにつもっていく。地面の熱なんて残っていなかった。災害、ただ通っただけで季節が変わってしまった。
「やれやれ、これで作物は壊滅だな」
殿下はそう言いながら、わたしのくるまるマントに一緒に入ってくる。暖まるようにおっぱいに顔を埋めて、そして熱い涙を流していた。
「あの男の言う通り。私は無能だ」
「殿下」
「トーアでよい。そう言った」
「……」
わたしは躊躇う。
「頭を撫でてくれないか、昔のように。今だけでよいから。シズキ。私は、身勝手だ。母上の言った通りの存在なのやもしれん」
「……トーア」
わたしは頭を撫でた。
小さい頃。
わたしも子供で、トーアも子供だった頃。
まだ膨らみきってもいないおっぱいをあげて、そのまま一緒に寝たりしたとき、見ていた。夢を見ながら泣いている姿を。王子として生まれて、王子として育って、心細さを一人で抱え込んで、弱音なんて口にもできない姿を。
「そんなこと、ないよ。トーア」
わたしにはこう言うことしかできない。
「……」
眠るように目を瞑る、トーア。
「立派なことをしたんだよ。王様として、人として、わたしのトーアとして」
本当の母親にはなれないけど、乳母だから。
「シズキ」
その手がわたしの腰を抱きしめた。
冬がやってきた。
賊が逃げ去り、戦いは終わる。
雪が積もって、わたしは小さな穴を掘り、そこにふたりで身を寄せる。抱いていてわかったけど殿下の身体は冷え切っていた。力を使い果たすとそうなってしまうと聞いたのは救助された後のこと。兄たちは生きていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます