第20話 ニューパワーニューキング

 整然とした大勢の足音。


「……!」


 近衛兵たち。


 四方八方から、この教会を包囲しようとしてる。距離がどれくらいか。でも、助けがきた気分にはならない。兄たちが戦っても相手にならない男を止められるかどうかもわからないから。


「耳が動いたな。そろそろ集団が来るか」


 ダイスケは察しよく言う。


「数を相手するのは面倒だなぁ。退くかぁ?」


「……」


 わたしに訊いてるんだろうか。


「おーい」


「ダイスケ……」


 その子は教会の入り口から覗いていた。


 子供だ。


 たぶんガルテ様よりも年下。やたらととんがって長い帽子を被っていて、大きなつばから見えるまん丸の瞳はなんか泣きそう。そして真っ黒なローブを着ている。魔法使いのコスプレみたい。


「退いていい?」


「だめ」


 子供は顔だけこちらに出して首を振る。


「大体さぁ、オレが出張る予定じゃなかったじゃん。最初の襲撃で王を殺し損ねたのはそっちだろ。もうさぁ、ゾンネの相手でヘトヘトなの。わかる? ねちっこいの。熟女は」


「……」


 子供は赤面した。


「退くって言うか、そう。この女をね。連れて帰って、子供産ませるから。よく考えたら別に合意とか要らねぇんだった。どっかに閉じ込めてストックホルムすりゃいい」


 とんでもないこと言ってる。


 ヤバい。


「……ダイスケ」


 子供はぽてぽてと駆け寄ってきた。


「おねがい。ちゃんとして」


「ちゃんと殺しただろ。王位継承が終わってたのはオレのせいじゃねぇよ。オマエの計画が悪いんだ。何人やられた? 言ってみろよ」


「よんじゅうななにん」


 子供は申し訳なさそうに口にする。


 ぽたぽたと涙が床に落ちてる。


「子供になにやらせてんの」


 流石に黙ってられなかった。


「首謀者だから。コイツ」


「はい?」


「オレひとりで国を建てるとかはじめる訳ねぇだろ。幽閉されてる王妃の情報とかだって知りようがねぇ。コイツが持ってきたの。尊き神の使徒さんが。ほれ、自己紹介しろ」


 ダイスケは言いながら立ち上がると、わたしを小脇に抱えてもう一方の手でとんがった帽子ごと子供の頭をくしゃりと撫でた。


「ブリュネ……です」


 子供はぺこりと頭を下げた。


「なんでこんなことを!」


 わたしはそう言うしかなかった。


 子供相手に怒鳴るのもどうかとは思うけど、首謀者であることを否定しないなら、この子が親玉ということだ。抱えられて動けないけど、手を伸ばせるなら捕まえてやりたい。


「!」


 子供は首を振って逃げ出す。


「なんでとか聞いても無駄だぜ? 尊き神の導きだからな。この世界でオレを見つけたのも、その結果としてエネンドラが滅ぶのも、っと」


「!?」


 ぐん、身体が浮く感覚があって、次の瞬間には教会の天井を突き破っていた。入り口側の屋根の先にある鐘楼が見える。


「おーおー、すげぇ数だ」


 松明。


 教会の周囲の道という道に炎の明かりが揺らめいている。足音も小さく、声も殺して突入のタイミングを伺おうとしていたようだったが、ダイスケが天井を破ったことでざわめきもある。


「この国も見納めだ。なにか言うことは?」


「……」


 わたしはなにも言えなかった。


 ダメ。


 このままじゃダメ。


 それはわかる。だけど、なにもできない。わたしにはこの男を止める力がない。片腕で抱えられてるだけなのに、全然逃げられない。


「特にねぇか? まぁ、地獄でメイド、いい思い出もねぇか。そんで、これからは地獄のさらに地獄で監禁生活だ。事故死なのに報われねぇけど、地獄ってそういうもんだから諦めろ」


「いい思い出ぐらいあるよ!」


 わたしは叫んだ。


 もう叫ぶことしかできなかったから。


「エレ・エネンドラは、みんな、みんな良い人ばっかりだったから! 楽しいこといっぱいあったよ! 毎日充実してた! お城の仕事をして、わたしのやってることなんて小さいことばかりだけど、そういうことの積み重ねが、この国を少しずつ良くしてくってわかったから! 生きてる実感があったよ!」


 充実してたんだ。


 小さい、貧乏な国で、色々と生々しい話もあるけど、そういうことさえ、自分がちゃんと世界と繋がってるという実感があった。


「この世界は地獄なんかじゃない!」


 口にするとボロボロと涙が出てきた。


 悔しい。


 こんなヤツに地獄よばわりされたくない。


 おかあさんも、おにいさんも、血の繋がらないわたしを本当の家族として扱ってくれた。それで命懸けで戦ってくれる。そんな関係、前世にはなかった。前世の両親にはいきなり死んじゃって申し訳ない気持ちはあるけど、だからって。


「具体的には?」


 ダイスケの表情は冷め切っていた。


「ぐたいてき? それは、たとえば」


「言えねぇだろ?」


 その遮り方はズルい。


「ちょっと待ってよ。仕事でさ? 窓を拭いてすっごい綺麗になったとか、思ったより早い時間で沢山あった作業が片付いたとか、洗濯物がすっごいさっぱり乾いたとか、肉を焼いたら火の通り具合が完璧だったとか、あるから!」


「だから、そんなのはストックホルムだっつってんの? 地獄で逃げ場がないと思ってたから地獄に馴染んで自分の心を守ってるだけ」


「ストックホルムストックホルムうるさい!」


 ダイスケの言葉を遮る。


 大体、ストックホルムってなに?


「くっだらね。ま、いーや。そういうヤツなんだよな? オマエ。たぶん一年後にはオレに監禁されたこともいい思い出として語るようになってるよ。赤ん坊に母乳をあげながらな?」


「ふざけ……」


「もう黙れ」


「!?」


 わたしのこめかみを中指が弾く。


 二日酔いみたいに頭が内側から痛む。


「ブリュネ! やれ!」


 ダイスケが叫ぶ。


「……!」


 景色が白く飛んだように見えた、直後、爆音と共に教会の建物が崩壊、さらに城下の家々からも炎が吹き上げていた。さらに城からも。爆弾だ。襲撃しながら仕掛けられてた。たぶん、この世界の技術レベルを遙かに上回る威力の。


「こんだけやっときゃ、まぁ、国は死ぬな」


「……」


 声が出なかった。


 わたしの無力で、何人の人が。


 ガルテ様たちは。


 殿下は。


「トーアが生き残っても、こんだけやられて報復を考えないとは思えねぇから、オレを殺しにくるだろ。そんとき返り討ちにすりゃいい」


 街を囲む防壁を軽々と飛び越えながら、ダイスケは言う。景色が流れていく。街が見えなくなっていく。城が、わたしの思い出が取り返しのつかない後方へ。


 自分の力ではどうにもならない。


 階段から落ちて死んだときのように。


「シズキ?」


 ダイスケがわたしの顔をのぞき込む。


「……」


「いい顔だな。ちょっとそそる」


「殺して」


 わたしは言った。


「殺してよ。もう。なんで、なんでこの世界を地獄にするの。わたしは、満足してたのに。なんで、どうしてこんなこと」


「死にたいなら精神的に死ねよ。シズキ。肉体の方はオレが有効活用してやっから。抵抗しようって気持ちをなくすだけでいい。ゾンネはそうしてたみたいだぜ?」


「……」


 王妃様が。


「地獄にしてるんじゃねぇ。最初から地獄なんだ。オマエが地獄を見ないフリしてただけだ。実際、だれもオマエを助けられねぇだろ? オレだってそうだ。界力があっても、ブリュネがいなきゃ地獄に埋もれてた。そういうことだ」


「わからないよ」


「わかる。いずれ、これからな」


「……」


 わからない。


 ここは地獄なの?


 もちろん犯罪者はこの世界にもいる。


 悪い人間も、普通にいる。


 戦争も絶えない。


 人は死ぬ。


 だれも助けてくれない。


 わたしも助けられない。


 だから、ここが地獄でなくても、運悪く地獄のような目に遭う人もいるはずだ。前世だって地獄だったかもしれない。階段から落ちてあっさりと死んだ前世のわたし、そのせいでいじめられたダイスケ、あっさりと死んで残された前世の家族、ダイスケの家族、そこかしこに地獄は隠れてる。見てなかったと言われれば、確かにそう。そうなのかも。


「シズキ」


「……」


「仲良くやろうぜ? オレたちは同じ転生者なんだ。子供さえ産んでくれりゃあ、また楽しく暮らせる。地獄に仏って言うだろ? あれって、心持ちのことだと思うんだ。仏のような心になれば、地獄でもそれなりに生きていける。な?」


「……」


 頷きそうになる。


 よくわからないけど、これがストックホルムってるんだと思う。心細さを手近なところで安定させようとする。おにいさんの仇なのに、エレ・エネンドラを滅ぼそうとしてるヤツなのに。わたしは前世の繋がりに縋ろうとしてる。


 イヤだ。


 力があれば。


 この男の口を塞ぐ力が。


 わたしのカイリキ、目覚めてよ!


「シズキ」


「私のシズキだ。やらんぞ」


 風が吹いた。


 谷間の街道の上を連続ジャンプで飛ぶように駆け抜けるその横に、見知った、鏡で自分の顔を見るより見てきた顔が追いついてくる。


「遅くなって済まない。少々、準備がな」


「その、金髪」


 ダイスケの声が驚いていた。


「お探しだったか?」


 王子は言った、


「トーア・エレ・エネンドラだ。まずはシズキを返して貰うぞ?」


 着地と、再ジャンプ。


 流れていく景色が止まるその一瞬を見計らうような一言の直後、わたしの身体はラグビーのボールでも奪うみたいに殿下に抱えられていた。


「これで胸を隠せ」


 王子はそう言ってマントをわたしにかける。真紅のそれは陛下が身につけていたもので、国王の証とされる国の宝のひとつだった。よく見ると、その服装も、国事のための正装になっている。


「で、陛下、これ、汚れてしまいます」


 混乱していた。


 そんなことを言いたい訳じゃない。


 どうして、どうやって。


 ダイスケに追いついてきたその力は。


「よい。洗えば済む」


 王子はそう言って、わたしとダイスケの間にすっと立った。その背中の頼もしさに、わたしは頭がおかしくなりそうになる。


 この気持ちはなんなの?


「界力だと?」


 そう言いながら、ダイスケはすでに黒い刀を握って、警戒していた。たぶん同じ力を持つ相手には会ったことがないんだろう。


 明らかに緊張している。


「剣で勝負か、賊にしては覚悟がある」


 王子はそう言いながら腰の剣を抜き、そしてその表面を黒く覆った。カイリキ、たぶん同じ力なんだと思う。空中へ追いついたことといい。使えるということは。


「テメェも転生者か」


 ダイスケの言う通りならそういうことになる。


「てんせいしゃ……とはなんだ?」


 けれど、王子は首を傾げた。


「前世の記憶を持ってんのか?」


「ぜんせ……前世、生まれ変わりのことか。随分と異端の信仰者らしい。エネンドラを狙うのはそういう意味があるのか?」


 会話が噛み合わなかった。


 王子がはぐらかしてるとは思えない。


 基本的に正直な人だ。


 前世の記憶を失ってる?


 そういうこともあるのかな?


 でも幼い頃の記憶はかなり鮮明にあるとか。


「なんで界力を使える!」


「カイリキ? 確かに怪しい力だが」


「そのボケはもういいんだよ!」


 王子の反応にダイスケはキレる。


「いや、伝承が本当なら、エネンドラは界力を受け継いでいる一族ということなのか? オレだけの力じゃねぇのかよ、クソが! クソ、独占するには、倒すしかねぇってことか。ブリュネめ、こうなるとわかってやがったのか!?」


 余裕を失ってる。


 明らかにそうだった。


「私も驚いている。私以外にこの力を使える者にあったのははじめてなのでな。この乳力を」


「あ? なんだって?」


「……」


 ダイスケとわたしはたぶん同じ反応をした。


 なんだって?


「ちちぢから、だ」


 王子はハッキリと発音した。


「父から受け継いだ力ってことか」


「父上から受け継いではいないが」


「そう言っただろうが! ふざけてんのか!?」


 会話はさらに噛み合わなくなっている。


 でも、わたしにはわかった。


 そして状況を把握した。


 わたしのカイリキは、母乳を通じて王子のものになっている。おそらくそういうことだ。転生して三日ですぐ三歳ぐらいまで成長したわたし、その力がカイリキだったのかもしれない。


 カイリキがどういう訳か母乳になった。


 そう考えれば辻褄が会う。


 殿下がいつそれに気づいたかはわからないけど、おっぱいを飲むことで力を得てる自覚があった、だからこそのネーミング。この恥も外聞もない素直さ、らしい。間違いなく、そうだ。


 乳力。


 ニューパワー!


 信じられないことだけど。


 殿下ならありうる。


 毎日、ほとんど毎日欠かさず、わたしのおっぱいを吸いつづけたその結果、乳なる力を手にしていた。すごい。とんでもない。ありえない。でも、この新しい王様は戦える。わたしから吸った力で、この世界を守ってくれる。


「ふざけてなどいない。しかし、もう限界だ」


 王子は言った。


「あとはこの剣で語らせてもらうぞ!」


 その目は真剣そのもの。


 山の端がオレンジに燃え上がろうとしていた。朝の気配、夜の闇は黒い剣に吸い込まれて、戦いの終わりを告げる日が昇ろうとしているようにわたしには思えた。時代を変える。新しい王の到来を祝福するように。

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