第14話 怪しい乳汁の陰謀

「シズキ! なにをしておるのじゃ!」


「ガルテ様、あの……んっ」


 寝間着の中でブラを外して、たくしあげたところで怒鳴られた。それでも殿下の命令なので途中でやめる訳にもいかず、すぽんと上半身を脱ぎ切って、両方の乳房を放り出す。


 とりあえず堂々としなければ。


「実は、わたしは」


 こうなった以上、照れたり隠したりして、下手にいやらしい意味を勘ぐられないように。あくまで自然なこととして受け入れて貰わないといけないと思う。


 全部が不自然なのは別として。


「黙れ! 言い訳など聞かぬ!」


 だが、お姫様はもうキレていた。


 ふわふわの髪の毛を振り乱しながらわたしに向かって手を振り上げている。怒っていても愛らしいのが凄いことだけど、そんな暢気なことを言ってる場合じゃない。


 こじれそう!


 わたしに命令を拒否する権利ないんで!


「落ち着け、ガルテ」


 わたしに胸を出すように命じた王子が平手打ちをしようと開かれた手を掴んで止めた。止めてくれるとは思ってたけど、その表情はいまいちガルテ様の怒りを理解してないように見えた。


 大丈夫かな。


「落ち着け? トーア! これが落ち着いて要られる状況か? 余の目の前でなにを……」


「乳を飲むのだが?」


 殿下は首を傾げて言った。


「!!!」


 わたしは言葉が出ない。


 わかってない!


 乳を飲む、ってなんかもうちょっと言い方あるでしょ? オブラートに包んでも結局は乳首直吸いだから一緒と言えば一緒だけど!


「ちち?」


「ああ。ガルテはまだシズキの胸から乳が出ることを知らなかったか。それならば……」


「知っておる!」


 王子のナチュラルな返答にガルテ様の怒りはさらに高まったようだった。頭に血が本格的に上ってきたようで、顔も真っ赤になっている。


 無理もない。


 わたしもここまでデリカシーを欠いた言い回しで説得するつもりだったのかと驚いているぐらいだ。女心というものをなんだと思っているのだろう。この結婚は破談かもしれない。


「乳を飲む? 赤子でもあるまいに! そのようなごまかしをせずともよいわ! トーア、そなたは諦めたのだな! この国と、この国の民と、自らの命を諦めて、この状況で、最期にその女を抱こうというのだな!」


 案の定、誤解された。


「落ち着け、ガルテ、まずは乳を飲め」


 そして王子には危機感がない。


 最悪だ。


「飲むわけがなかろう! もうよい! ネン、引き上げるぞ! 余もこの国を見限る! 王妃になる前で良かった! くだらぬ! 本当に!」


「どこへ引き上げると言うのだ。ガルテ」


 立ち去ろうとするお姫様の背中に王子が言う。


「どこへだと? そなたのいない場所ならば」


「あの世へか?」


 殿下は肩をすくめた。


「!」


 ばん!


 ガルテ様が床を強く踏んだ。


「聡明だと聞いていたが、その実体がこれならば呆れることだ。現実が見えていない子供、すべて結局は机上の空論、ツエの操り人形か」


 ため息をついて、王子は言う。


「トーア!」


「王都グロースへつづく街道は二本」


 ガルテ様が振り返って怒鳴ろうとした目の前に、王子は指を二本立ててしゃがみ、目線を会わせていた。一瞬の動きだった。


「!?」


「父上とガルテたちが通ってきた道はすでに封鎖され、もう一本はこのシズキの母親であるヴェントが率いる軍勢が国境に向かって防衛線を押し上げている。あとは山を越えるしかないが、エレ・エネンドラの山岳地帯は竜の巣窟、よほどの大軍勢でも消耗は必至、短期間での通過は不可能。仮に突破されても軍の出発からはもう一日、この一日は外からの敵は来ない」


 じっと目線を合わせて言い含める。


「……」


 ガルテ様の顔が怒りとは別の赤に染まった。


 どうやら顔はお好みらしい。


 ずるい口封じだ。


「さて、この状況で城に侵入した賊の狙いはどうなる? 当然、父上や私の首を城内で取りたかったはずだ。しかしそれは失敗した。父上は城内の隠し部屋にすでに逃れ、私もこうしてオオーチの屋敷まで逃げている。追いかけて探そうにも、あの通路を見つけるのは不可能だろう?」


「あ……ああ。確かにそうじゃ」


 ガルテ様の目が少し落ち着きと取り戻した。


「…………」


 ネンさんも否定はできないようである。


「見つけにくい上に、私たちを逃がすために、シュルトと、そちらのリーレン、双方随一の使い手が敵に対処している。これはまず抜けない。賊がこちらの警戒をくぐりぬける少人数であったが故に、数による力押しが通用しないからだ」


 王子は畳みかける。


「うむ」


 ガルテ様が口元を押さえた。


「城下から出れば、城から逃げようとする者を狙う賊の伏兵に見つかる可能性は高い……の。周辺の地理に疎い余らが下手に引き上げるよりもここから動かぬのが、生き残る上では好手」


 そして独り言で納得している。


 どうやら言葉に説得力があったようだった。わたしから見れば、乳を飲む話をはぐらかしているようにしか聞こえないけど、テキトーを言っている訳ではないらしい。


「そういうことだ、ガルテ」


 説得が通じて満足げに王子は頷いた。


「しかし、それと乳となんの関係がある。余を煙に巻こうとしても無駄ぞ。ここから動かぬ方が良いとしても、トーアの無節操は変わらぬ」


 はぐらかされなかった。


「関係はないが、これは私の習慣だ」


 王子はさらっと答えた。


「習慣?」


「そうだ。シズキは私の乳母だからな」


「うば? うばとは、乳母のことか?」


 ガルテ様は驚いたようだった。


 そりゃそうだ。


「いや、人獣の体質を生かしたとすれば、歳はそれほど離れておらずともありうるのか? しかし、なぜ、乳離れしていない? なぜ、させなかったのだ? 周りは、シズキ」


「あの、それは……」


 わたしは視線を泳がせる。


「よい。うむ。そうであった」


 母に殺されかけた関係。


 マザコンなんて言葉はこの世界にはないが、そうした概念は当然あるのだろう。王子自身がどう思ってるかはともかく、屈折したマザコンなのは間違いないだろうと思うところだ。


 結婚相手がマザコン確定とか大変だけど。


 こればかりはどうしようもない。


「乳離れというが、シズキの乳は妊娠とも育児とも無関係だ。飲んで良いものならば飲みつづけることになんの問題がある? 生まれて数ヶ月からは、国を離れるような日を別にすればほぼ毎日、乳を飲んでいる。特に気持ちの乱れたときは心が安まるぞ?」


「毎日、じゃと?」


 ガルテ様がどん引きしたのがわかった。


 近寄ってきた王子から後退り。


 いくら顔がお好みでも受け入れがたい性癖というものはあるだろう。自分がおっぱいをあげてるんじゃなければ、わたしも同じようなリアクションをすると思う。残念ながらその一点でおことわりされても文句は言えない。


「背も伸びる」


 けれど、王子の次の一言がガルテ様を捉えた。


「せ」


 お姫様の視線が胸に向けられる。


「私は十で父上の背丈を超えた。エレ・エネンドラの歴史上でもここまで背が伸びた王族の男子ははじめてだそうだ。成長に寄与する栄養成分が豊富なのだろう。この乳房の大きさを見ればわかるはずだ。そうした力そのものの形だ」


 王子、なんか凄いこと言ってませんか?


「シズキ、本当かの?」


「え? と、どうなのでしょうか?」


 確約はできない。


 転成して三日で三歳ぐらいまで成長したのが、母乳を与えるようになってからは普通になった、というのが関係があるのかと自分でも少し考えたけど、詳しく調べてもらったことはない。


「余とトーアが並んで立てるか?」


「背が伸びなくとも」


「踏み台がなければ頭三つほど違うであろう?」


「き、気にしておられたので?」


 そういう意味か。


「気になどしておらぬ。じゃが……」


 ガルテ様は語尾を濁した。


 わからなくもない。


 王と王妃、王子と姫、夫婦として国民の前に立つことを考えれば、あまり大きな身長差は気になるだろう。ガルテ様が特に年齢不相応に小さいとは思わないけれども、殿下と並べば必要以上に小さく見えるのは間違いないところだ。


 一生つきまとう問題にもなる。


「飲まれますか?」


 わたしは片乳を持ち上げて見せる。


 可愛い悩みが解消されるならよいことではあった。


「その、心が安らぐとも、背が伸びるともお約束はできませんが、殿下はまず美味しいから飲んでくださっているのだと思います」


 言葉を探しながら喋る。


 ここは正念場だ。


「その、少々……少々ですが」


 強調気味に、言った。


「これが変わったご趣味であるのは、このことを知る城内の者すべてがそう思っております。ガルテ様のお気持ちは察するに余りあります。ですが、シズキが申し上げるのも差し出がましいことですが、こうして一緒に飲もうとおっしゃられるのは、ガルテ様を想ってのことであることも乳母として存じあげております。いくらでも隠すことはできるのです。それでも、夫婦になるにあたって、隠し事をしないと決めておられて……」


「そういうことだ」


 王子は乗っかってきた。


 もうちょっと自分の口で言ってください。


「うむ。ならば」


 ガルテ様は少し考えて言う。


「いけません。ガルテ様」


 黙って様子を見守っていたネンさんが口を開いたのはそのときだ。見ると、その両手にはいつの間にか爪のような武器が装着されている。甲から出て先端が抉るように曲がった一本の太い爪が伸びる篭手。刺し殺す系。スリムなスーツ姿のどこにそんなものを隠していたのかという驚きがある。


「ネン、なにを」


 ガルテ様も驚いている様子だった。


「なんの真似だ。ネン・ラター」


 そう言う王子は腰の剣に手をかけている。


「その乳が怪しいということです。偽物の殿下」


 意外な一言を言いながら、ネンさんは腰を落とし、両腕を上げ、すぐにも飛びかかりそうな構えをする。わたしの耳はぞわっとした。


「!?」


 おっぱいにその爪を向けてるの?


「偽物? 私がか?」


「殿下、大変申し訳ありませんが、ネンの推測が正しいならば、殿下ご自身が自らを偽物と知らない可能性さえあるのです」


「ネン、それはどういう」


「まず、今回の賊とガルテ様との結婚は無関係です。これは申し上げておきます。この状況はこちらにとっても予想外のことでした。本物の殿下はすでに殺されているのではないかということを調べるために派遣されたのは、このフィギラス情報部、ネン・ラターなのですから」


「情報部じゃと?」


 ガルテ様も知らなかったらしい。


「申し訳ありません。ガルテ様、長らくお仕えしながら、正体を偽ってきたこと、偽物の執事であることの責めは、この偽物の王子を排除し、貴女を無事に国へと連れ帰ってから必ず受けます。フィギラスの翼に賭けて」


「ネン……」


「偽物偽物と、なにを根拠に言う」


 流石に不愉快そうに王子は言った。


「本物が暗殺されていた、そう考えるのが妥当だと今の状況で確信したということです。幼き殿下の命を救ったのは今や将軍となった人獣ヴェント・オオーチ、その乳母は娘とされている種族不明の人獣シズキ・オオーチ。剣術指南役はその兄とされている人獣シュルト・オオーチ。おかしいのですよ。偽物の殿下。確かに、エレ・エネンドラは人口が少なく、過酷な環境故、人間と人獣が共生する伝統はある。しかし、ここまで重用されることがあるでしょうか? 否、ありえない」


「……」


 わたしはなにも言い返せない。


 確かに家族ぐるみすぎる気はするから。


「それぞれ優秀だからだ」


 王子は首を振った。


「要するに私が暗殺事件ですり替えられたと言いたいのだろうが、ヴェントのその後の活躍はフィギラスの情報部ならばしっているだろう? シュルトの剣術の腕前もまた国民の多くが認めるところだ。父上は優秀な人材を登用することでこの国を強くしたいと常々考えてこられた。私もそれは正しいことだと考えている。偽物である根拠にはなにひとつなっていない」


「では、シズキの乳は? その怪しい乳汁についてはどう説明されるのですか? 十五になっても乳離れできないような味だとすれば、それが鍵なのではないですか?」


「……」


 わたしはかなり落ち込んだ。


 怪しい乳汁。


 あんまりな言い草だ。


 自分でも怪しいとは思うけれども。


「美味なのだから仕方がないだろう? それは飲んでみればわかることだ。好みはあるかもしれないが、私はずっと飲んできて病気ひとつしたことがない。健康にも良いはずだ」


 王子は乳汁を擁護してくれる。


「ネンに言わせれば、それは間違いなく中毒です。人の心を操るような代物やもしれないということです。殿下。世界には催眠効果のある薬物というものもあります。幼き頃から飲まされつづけ、自分が王子であると思いこまされているのやもしれない。想像したことがありますか?」


「催眠!?」


 いくらなんでも黙っていられなかった。


「そんな、荒唐無稽すぎます。むしろシズキは殿下には乳離れしてほしいと言っているぐらいです。結婚するのならばそれこそ、この機会にと先日も。殿下、そうでしょう?」


「なるほど、考えたことはなかった」


 殿下は考えていた。


「え?」


 ちょっと。


「確かに筋は通る。今回の賊の襲撃そのものが、オオーチの策略ではないかと言いたいわけだな。ネン。余も不思議には思っていたのじゃ。少人数の賊の強さはともかく、城内にまであっさり入ってきたという状況は手引きがなければ考えにくいことはの」


 お姫様まで考えている。


「が、ガルテ様?」


 ちょっと、マジですか?


「シズキの乳で人を操れるとすれば、この緊急事態に悠長に乳を飲むなどという話をしている理由にもなる。トーア、どうなのじゃ? 操られている感覚はあるのか?」


「シズキ……」


 王子が悲しそうな目でこちらを見た。


「……」


 ウソ、ウソでしょう?

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