第15話 秘めたる心を安らかに

「……将来的にはガルテの乳も飲みたいのだが」


 悲しそうに、王子は言った。


「はい?」


 なにを言いだしたの?


「私の嗜好は、正気を疑われるほどにおかしいのだろうか? 父上が言うには、赤子に与える分に影響がなければ、飲むぐらいのことは許してくれると言うことだったのだが」


 整った顔を苦悶に歪め、なんか言ってる。


「……」


 ガルテ様は両腕で自分の胸を守っていた。


 小さく震えているように見える。


 夫になるかもしれない相手に危険性を感じてしまったようだ。当然だと思う。結婚どころか人間関係の諸段階をすっ飛ばして乳飲みたい宣言では致し方ないと思う。不憫、本当に不憫だ。


「あの、殿下? なにを仰っているのか、シズキにもわかるようにご説明くださいますよう、お願い申しあげたいのですが」


 慣れているわたしもやや引いている。


 話の流れが明後日の方向へ。


 と言うか、陛下となんの相談をしてたの?


 男の親子ってそういうモノなの?


「だからだ。乳を飲むことが人格を否定……」


「お覚悟をっ!」


 ネンさんが叫んだのはそのときだ。


 わたしが視線を向けたときにはその場に姿はなく、次の瞬間にその足が蹴っていたのは天井で、身体を捻りながら、鋭利な爪の先を殿下へ向けて伸ばし飛んでいた。


「甘いな、ネン」


 キ、キィンッ!


 殿下がそう言ったのと両方の爪が折れて部屋の壁に突き刺さったのはほぼ同時だった。そして直後には抜いた音すらわからなかった剣を鞘に納め、飛び込んできたネンさんの頭を掴んで床に叩きつけている。


「! ネン!」


「動くな、ガルテ」


 駆け寄ろうとしたお姫様に王子の声が刺さる。


「!」


 ガルテ様が硬直する。


 それは刃のように冷たい声だった。


 わたしも聞いたことがない、男の声。


「っ」


 ぐねん、と押さえ込まれた身体をありえないほどに反って殿下の頭を蹴ろうとするネンさんだったが、その足先を掴まれて捻られる。


 見るからに痛い。


「ぅ……」


「よく声を殺した。並の人間ならば絶叫しているところだ。そういった訓練も受けているということなのだろうな。この屋敷に来るまでに、お前が足音を殺す歩き方をしていることに気づかなければ、わたしも油断していたかもしれない」


 王子はそう言いながら容赦なく足を折った。


「!?」


 わたしの耳は肉と骨が潰れる音を拾う。


 痛い。もう聞くだけで痛い。


「! 気づいて、いたというのか」


 悲鳴すらあげず、ネンさんは問いかける。


 額から尋常ではない汗が出ていた。


「ガルテを抱えて逃げる間も足音を消していれば、警戒ぐらいはする。シズキの耳が拾わないほどに完璧ならば、さらにな」


 王子は折った足を投げだし、ネンさんを仰向けにして、そのおなかの上に腰を下ろすと、懐から短剣を取り出してその刃を抜く。


「見様見真似で足音を消すことができた」


 王子はわたしを見て言う。


「!」


 言われて理解した。


 だから王子が部屋にくるまで気づかなかった?


 でも、それ見様見真似でできるものなの?


「なかなか面白い技だ。予備動作を廃して動くことで相手の視界から消える今の攻撃を含めて、是非とも詳しく聞きたいと思う。心して私の質問に答えよ。ネン・ラター」


「殺せ」


 ドスの利いた声だった。


「なにも答えることはない」


 きっちりと分けて固められたショートヘアの乱れたネンさんの顔は、もう執事とは思えない形相になっていた。殺気、というのか、隠しようのない憎しみを半分も歳のないはずの王子に向けている。なぜ、そこまで。


「ネン」


 あまりの変貌に、ガルテ様も青ざめていた。


「フィギラスの情報部などではないのだろう?」


 だが、王子は気にする様子もなかった。


「殺せ! でなければ」


「舌なぞ噛み切らせたりはせぬぞ?」


 王子はそう言って短剣でネンさんの服を引き裂き、切り取った布を口の中に押し込んだ。そしてそのまま鮮やかな手つきで服をバラバラにして、その布を用いて縛り、拘束していく。


「んんんっ!」


「拷問などしている時間の余裕はないのだが……」


 数分後、王子はそう言って短剣を仕舞った。


「……!」


 わたしは思わずビクッとする。


 あっさりと拷問とか言われると、ね。


「どういうことなのじゃ。余にもわかるように説明せよ。トーア。なにが、どうなって……」


 ガルテ様が縛られたネンさんを見て言う。


 シリアスな状況。


「……」


 だから、口には出さなかったけど、変態チックな縛り方だとわたしは思っていた。女性っぽさを隠していた執事のスーツをまるで女の部分を露出させるように切り裂いて紐に変えている。よくわからないけど、明らかにエロい。


 子供だと思ってたのに、こんなことを。


 だれに教わったの?


「ガルテ、私が本物だと思うか?」


 王子はお姫様に言った。


 声はいつもの少年らしさを取り戻してる。


「わ、わからぬ。事件のことは、余もネンから噂のひとつとして聞いただけじゃ。しかし、それもこの状況、ネンの策略だった、ということかの。余も踊らされて、あるいはこの結婚も……」


 ガルテ様は小声の早口で混乱を吐き出す。


「落ち着け、私にもわからない」


「!?」


「え?」


 ガルテ様とわたしはその言葉に驚く。


「物覚えはすこぶる良いと思うが、母上の股から出てきたときの記憶まではない。若い頃の肖像画と似ているから父上との血の繋がりは間違いなくあると思うが、母上との血の繋がりまではわからない。信じてはいるが」


「なにを言っているのかわからぬぞ、トーア」


 ガルテ様が充血した目で睨む。


 泣きそうだ。


「……?」


 わたしもなんの話なのかよくわからない。


「殺されそうになったときの記憶はある」


 王子は真剣な表情で言った。


「なんと? 生まれて間もない頃ぞ?」


「ガルテにはないのか?」


「ない、ないであろう? あるはずがないのじゃ。シズキ、そなたにはあるのか?」


「いいえ」


 ガルテ様に尋ねられてわたしは首を振る。


「これに関しては証拠もある。ヴェントがそう証言している。私が逃げるように促したとな。あの事件の裁判記録を見れば書き込まれているはずだ。生き延びたら確認してくれ」


「なんじゃと?」


 ガルテ様が首を傾げた。


「口など利けぬ赤子の頃であろう?」


「ああ、言葉は喋れなかった。だが、ヴェントはそれを理解できる。獣と対話できるという人獣としての能力は、獣に近い赤子にも通じる」


「獣と?」


「それで」


 わたしは頷いた。


「シズキは知っておったのか?」


「いえ、わたしが拾われたのは事件直後で」


 あのとき、最初に出会ったあのとき、母がまるで赤子の殿下と喋っているように見えたことを思い出した。獣と対話できることは知っていたけど、関連性は考えたことがなかった。


「獣的な直感というべきか、襲撃に気づいて、私は泣き叫んだのだが、理解されず、多くの兵士に対応する時間はなかった。ヴェントがその叫びに気づいたときには遅かったのだ」


「よくわからぬが、事件の最中に別人にすり替えられたことはないと言いたいのじゃな?」


 頭を押さえつつ、ガルテ様は賢く要約する。


「そういうことだ」


 王子、もっと子供にもわかりやすく。


「殺されそうになったのが私であること、それを招いたのが母上であること、これらについては確信を持っている。だが、なぜ殺されそうになったのかという理由については、わからない。母上がきちんと語っていないからな」


「……」


 王子の横顔にすこし陰鬱な色が過ぎったのがわたしには見えた。隠し事の後ろめたさ。きちんと語っていない。それはウソではない。世界を滅ぼす子がお腹に宿った、なんて理由が真の動機であってはいけないとわたしも思う。


 でも、ガルテ様には伝えにくいか。


 おっぱいを飲む嗜好よりはマシ、だと思うのはわたしの個人的意見なので、王子がそう判断しないのならば仕方がない。いや、本当はマシだと思って欲しいけどね。


「本物ではなかったとしても、事件とは無関係なところですり替えられたと考えろ、と言いたいわけじゃな。トーアは」


「父上と母上の間に、私まで世継ぎとなる男子は生まれなかった。生まれなかったことで、母上を圧迫する勢力があったことも事実だ。すり替えられたとするならば、そんな母上を不憫に思った父上が別の女に生ませた自分の子を連れてきた可能性はある。母上が私を殺そうとした理由も、その辺りにあるとすれば筋は通るかもしれない」


 ガルテ様の言葉に、王子は硬い表情で応える。


「そうは考えたくないという口振りじゃな」


「ああ」


 王子は頷いた。


「わかってもらえないと思うが、私は、母上が自分の子だから殺そうとしたと思いたいのだ」


「……」


 ガルテ様は沈黙する。


 軽々になにかを言えることではない。


「ともかく、私はエネンドラの血は受け継いでいる。そして王位も継承された。私の命は王の命だ。例え、真実が偽物であろうとも、殺されてやる訳にはいかない。それが国家の安定と国民の安寧のために王たる私が守るべきものだ」


「理解する」


 王子の言葉にガルテ様も頷く。


「じゃが、余もネンの素性は知らぬ。情報部ではないとトーアは言ったが、しかし、ツエの家で長らく、余の物心ついた頃には執事であったのも事実なのじゃ。何者の差し金と考える?」


「姉上の内のだれかだろう」


 苦々しい顔で、王子は答えた。


「姉」


 ガルテ様の表情が曇る。


「王位は男子しか継承できない。このしきたりによって姉上たちはエレ・エネンドラのために結婚をさせられた。父上の結婚相手の選び方はとてつもなく実際的だ。富や名声や力、国家を盤石にするための布石としての有用性が最優先されている。私とガルテのように」


「殿下、それはいささか言い過ぎでは」


 王子の言葉に、わたしは思わず口を挟む。


「よい。シズキ。事実じゃ」


 だが、ガルテ様も納得しているようだった。


「父上は母上を自ら選んだ」


 王子は申し訳なさそうに口にする。


「その結末が事件だったことで、国内での求心力をかなり失っている。その子である私の時代となれば、さらに王の権威は失われかねないと危惧していたのだろう。なんとしても権威を取り戻すため、エネンドラ同士の縁談をと、まだ幼いガルテを強引に引っ張った。こうなることは、姉上たちも予想はついたはずだ。エレと関係の悪くないエネンドラはツエぐらいだからな。そこにネンのような手練れを送り込めば」


「再度の暗殺も可能となる、の」


 ガルテ様は縛られた執事を哀れむように見る。


「今のタイミングで殺すのは計画的ではなかっただろう。私の実力を知ってからでも遅くはなかった。その意味では拙速だ。しかし、好機であったことも事実ではある。父上の死は確実で、私さえ殺せば、次の王位は、姉上たちの相手のいずれかに暫定的に譲られるだろう。エレ・エネンドラの血筋を絶やす訳にはいかない。あとは国内の権力闘争、つまりネンを送り込んだのは、現時点で国内に力を及ぼせる姉上ということだ」


 王子も見つめる。


 しばらくの沈黙。


 静かな時が流れる。


「……」


 見つめられ、汗塗れのネンさんだが、それが冷や汗なのか、それとも単なる痛みによるものなのか、わたしにはわからない。ただ、その呼吸は決して安定してはいなかった。


 苦しさが伝わってくる。


 王子を殺そうとしたという意味では、わたしにとっても怒りを覚えるべき相手なのだけど、なぜだかわからないが、あまり怒りが湧いてこない。傷一つつけられないぐらいの力の差があったからだろうか。足を折られ、いやらしく縛られ、同性として同情するからか。


 どちらもしっくりとこない。


 変な感じだ。


「その姉とは、だれなのじゃ?」


「いや……いい」


 ガルテ様の質問に殿下はそう答える。


「よくはなかろう? ネンを連れてきた余の責任もある。今後のためにもきちんとするべき……」


「問題は、失敗の理由だ」


 王子はそう言って、再びネンさんに言う。


「失敗の理由? それはトーアの強さにネンが及ばなかったからであろう。他になにがある」


「……ガルテに惚れているな? ネン・ラター」


 お姫様の言葉を背にしながら、王子がつぶやいた一言に、部屋の空気が凍りつく。わたしは自分が胸丸出しで肌寒いことを思い出した。


 上、着てもいいのかな?


「なにを言い出すのじゃ。ネンは女じゃぞ」


「ガルテ、世の中にはいるのだ。同性に愛情を注ぐ人間が。それを踏まえれば、いきなり殺しにきた理由も自ずとわかるというものだ。そうだろう? そのはずだ」


「……」


 ネンさんは明らかに動揺していた。


 汗が目に入っても、視線を動かさない。異常なほどにポーカーフェイス。そこまで表情を固めてしまっては図星と言ってるようなものではある。拷問されてもたぶん喋らないような訓練をしてるのが仇になってるのか。


「よくわからぬのだが」


「よほど私の嗜好が納得できなかったのだろう。ガルテの乳を飲みたいと口にした直後には、殺気を消せなくなっていた」


「.……」


 わたしは王子の意地悪さに呆れる。


 そこまで察していて、挑発してたんですか。


「トーアの申す通り、余を好いていたのか?」


 そしてガルテ様はやや鈍感なことを聞いてる。


「んう」


 ネンさんは静かに首を振ったけど、明らかに汗の量が増加していた。痛いのだと思う。心が。おそらくは何年も隠し通してきた気持ちを、乳離れできない王子に暴露される屈辱で。


 わかる。


 だから、怒りが湧かなかったのかもしれない。


 執事とただの使用人じゃ違うところもあるけど、わたしが逆の立場でガルテ様の乳母だったら、その結婚相手が母乳フェチとか知ったら殺すしかないと思うかもしれない。身分も立場も違って、結ばれ得ない気持ちだから。諦めたいのに、将来、幸せにしてくれる未来が見えない相手なんて、どうしたらいいのか。


「殿下、あの、シズキはこれからどうすれば……」


 わたしに出来ることはこの過剰な責めをやんわり止めることぐらいだ。これ以上、この人の傷口を抉る必要はない。背後関係まで察しているのならば、口を割らせる必要もない。どちらにしても、殿下を殺そうとした時点で死罪は免れないだろうから。


 せめて、安らかに逝かせてあげて。


「もう少しそのまま待て、シズキ」


 だが、王子は笑っていた。


「ここからが面白いところだからな」


 面白いって。


 母乳フェチでサディストですか!?

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