第11話 綺麗な歴史とお姫様

「到着されましたよ。シズキさん」


「……ん、んん……っ!」


 カニちゃんに揺さぶられて目を覚ましたのは到着予定日の深夜、日をまたごうという時間だった。わたしは口元の涎を拭って、使用人の休憩室を小走りで出る。


 他の使用人たちも動きはじめていた。


「城門を開いたそうです」


「ギリギリまで連絡なかったね」


 わたしより背丈も歩幅も狭いのに素早いカニちゃんを追いかけながら、あっちこっちへ行き交う人々の間をすり抜ける。


「あの、耳を」


 周囲を見回し、小声になるカニちゃん。


「うん」


 走りながら身体を傾けて長い耳を預ける。かなり曲芸みたいな走り方になっているけど、人獣の身体能力だとそこまで苦しくはない。


「ボーラ将軍が深手を負っているそうで」


「!」


 悲鳴が出そうになる口を押さえた。


 三大将軍のひとり、母と同じ、ではあるけど人間の軍人の家系から出てきた正統派で陛下の信頼も厚い、七十近くなって現役で戦に出たという半ば生きる伝説。それすら十年以上前だからこの世界の平均寿命を考えたらもう超人の域だ。


 精神的支柱、みたいな人。


「連絡できなかったのではないかと」


 耳から口を離して、カニちゃんは言う。


「ガルテ様は」


「まだ被害の状況はよくわからないそうですけど、竜車は城の近くまで来るそうです。ぼくたちの仕事は荷物運びですけど、落ち着くようにって。ダッハ女史が」


「うん」


 その通りだ。


 使用人が慌てふためいて仕事を滞らせれば、決定権を持つ人たちの仕事が遅れる。わたしたちは国を動かす歯車のひとつ。止まることは許されない。スムーズに、普段通りに、それが第一の心がけだ。


「ガルテ様、こちらへ」


「うむ」


 わたしたちが城の裏口、竜車を回してこれる要人専用の入り口へ到着したのとほぼ同時に膨らんでくしゃくしゃの髪の毛の女の子が城内に入っていった。本当に子供だ。


「そこの人獣たち。ガルテ様付きの使用人だな」


「「はいっ」」


 竜車の前にいた騎士が兜を脇に抱えて歩いてくる。長身で暗い夜でも青白く輝く髪の男だった。泥まみれで、血塗れ。それだけ見れば十分に緊迫感は伝わったけど、なによりその視線に漲る殺気みたいなものはわたしの尻尾をへたらせる。


 怖い。


「シズキとカニー」


 車全体も雨の中を抜けてきたらしくボロボロ、二頭の小型二足歩行竜も疲労と興奮なのか荒っぽい息を吐いていて、御者がしきりに宥めている。陛下に次ぐ要人の状態がこれとは。


 小競り合いは思った以上に深刻そう。


「間違いないな。話は聞いている。特徴のわかりやすい人獣で助かった。荷物はこちらだ。貴重なものもある焦らず速やかに運べ。壊すんじゃないぞ。それとガルテ様にこれ以上の動揺を与えないように。余計な情報をお耳に入れるな」


「「畏まりました」」


 わたしたちは声を揃えて承る。


 ピリピリしてる。


「シズキさん」


「重いものは任せて」


 ともかく仕事だ。


 わたしたちは竜車の後部に接続された荷台に積まれた見るからに豪華な家具や衣装ケース、山のような本などを次々に運んでいく。母や兄は武力として用いる人獣の力だけど、わたしの場合は専ら力仕事に生きるのだ。


「よいしょ、っと」


 前世では一人で持つことなど考えられなかったような背丈より大きなクローゼットさえも一人で背中に背負ったりできる。


「おおっ」


 荷台にぶつけないように注意して下りると後から到着したらしい何人かの護衛の騎士たちがどよめいていた。こういうのはちょっと誇らしかったりもする。


 優越感?


 そりゃ武術の心得とかはないけど。


 単純なパワーなら人間の男には負けませんよ?


「なんだあの胸」


「すっげぇ信じられねぇ」


「ありえないだろ」


 そっちですか。


 まったく肌の露出なんてない装いなのに、男の目線はそちらばかりに行く。接するのが同僚の使用人とか女ばかりなのでついつい忘れがちと言うか、王子が巨乳にニュートラルなのでどうも。


「無駄口を叩くな! お前たちは竜車から竜を離して休ませろ! 装備の点検を済ませ、交代で休め! ここからが正念場だぞ!」


 青白髪の男が視線を遮るように割って入った。


「りょ、了解です隊長!」


「竜轡の用意!」


「用意します!」


 騎士たちはバタバタと逃げるように動く。


「人獣、お前もだ」


「はいっ」


 いけない、足が止まってた。


「その無駄な脂肪! 縛って隠せ!」


「むっ、しぼっ……」


 思わず反論しかけて、わたしは息を止めるように口を噤んで早足で城内に入る。無駄な脂肪、一番言われたくないワードだ。事実だから。別に脂肪が母乳になる訳でもないしね。


 さらに、縛って隠せ?


 そんなことが出来るならとっくにやってるよ。ちょっと窮屈に押さえつけたら母乳が染みてくる人生を一度歩んでみたらいい。ぬるぬるしてねちょねちょして生臭くなる人生を歩め。


 あ、でも男子は下半身がそうなるって話?


 だっけ?


「……よいしょ、っと」


 クローゼットから、タンス、皮で作られた衣装ケースと次々に運びながら、わたしは男を警戒していたけどもういなくなったみたいだった。すでに城内だから近衛兵もいるし、外を警戒してるんだと思う。


 隊長とか言われてたな。


 城では見たことない人だったけど、この国の軍人なのだろうか、それともガルテ様が連れてきた貴族の私設軍隊の人なのか。立場によっては、何度も顔を合わせるかも知れない。


 イヤだな。


「……」


 なんか苦いものを食べた気分になっていた。


 ただでさえ同性にもあまり好かれないのに、異性にも敵視されるとかデメリットしかない。過剰な成長はわたしの気持ちとは無関係なのに、デブと同じ扱いみたいなところがある。


「これで全部です」


 荷物のリストと運んだものに違いがないかチェックしてカニちゃんが言う。このあたりは最初にきちんとしておかないとトラブルの元だ。


「うん。じゃあ、えーと、ガルテ様の執事に荷物の解き方を聞かないとね。家具の配置とかも、予定より多そうだから、あと宝石なんかの貴重品はどう管理するか……」


「……」


「ぎゃっ」


 わたしは自分でも信じられない悲鳴をあげた。


 喋りながらぐるりと部屋を見回したら背後に人が立っていたという状態は普通に驚くし、物音には敏感な人獣のわたしの耳がまったく気配を感じなかったので二重にビックリした。


「いつ、部屋に」


 カニちゃんも目を丸くしてる。


「ネン・ラターです。はじめまして」


 その人物はキリッと一礼した。


「ネン、さん。っ」


「ガルテ様の執事のっ」


 わたしとカニちゃんはそろって頭を下げる。


「シズキ・オオーチです」


「カニー・カーニーです」


「伺っています」


 もちろんわたしたちも聞いていた。


 ネンさんと言う人物が、わたしたちの新たな上役になること、その人の指示に従ってガルテ様の使用人を勤めることになること、日常の作法などについてエレ・エネンドラの方式と違う場合もその通りにすること。


「流石ですね。ただの人間ならば十人掛かりになる時間当たりの仕事量。人獣を使用人に欲するガルテ様の慧眼は素晴らしい」


「……」


「……」


 わたしたちはちょっと視線を合わせた。


 これ、ガルテ様を誉めてるよね?


 そんな確認。


 別にいいんだけどさ。


「現在、ガルテ様は湯浴みをなさっています。一時間はかかりますので、その間に部屋を整えましょう。カニーさんはそちらの鞄から食器類をこの棚に並べてください。シズキさんは棚をその壁に寄せて、あとこちらの箪笥はあちら側に、本についてはご本人にお任せして、それから衣装部屋の広さを確認したいので……」


 テキパキと指示を出しはじめる執事にわたしたちは仕事に移る。とりあえず人獣に対して偏見が強い人でもないようだ。そこが一番に心配していたところだったので、少し安心はする。


 湯浴みは、結局、二時間弱。


「またせたの」


 ホカホカに暖まった様子のガルテ様が部屋にやってきたのは、深夜もかなり深まった時間だった。もちろん長旅の疲れもあるだろうから別にいいのだけど、城内の他の場所が相当緊迫していることを想像するとやや悠長な感じもする。


 わたしたちは頭を下げて出迎えた。


「ガルテ・ツエ・エネンドラじゃ。楽にしてよいぞ。シズキ、カニー。余は堅苦しいのは嫌いじゃ。頭を上げよ」


「シズキ・オオーチと申します」


 わたしは緊張しながら名前を名乗る。


「カニー・カーニーと申します」


 カニちゃんも背筋が軽く反るぐらい緊張している様子だった。無理もない。わたしは毎晩王子に接しているからちょっと感覚が麻痺してるけど、執事でもなければ、城の使用人は普段まず王族と接触しない。それがさらに他国の貴族だとか、エネンドラだとか、ありえない。


 こんな風に紹介されること自体、ないのだ。


「……」


 ガルテ様はわたしたちをじっと見ていた。


 人獣が本当に珍しいのだろう。


「……」


 うひゃあ、お姫様だよ。


 わたしの方も、顔がヒクヒク笑いそうになるのをこらえつつ、露骨に視線を逸らすのも失礼なので、わたしも緊張しつつそちらを見るしかなかったのだけど、もう頭の中はともかくお姫様でいっぱいになってた。


「カニー、その顔を触ってもよいか」


「も、もちろんです」


「ほ、ほー。ふさふさしておるの」


 カニちゃんの頭から顔、実際には全身も覆っている毛を撫でて感触を確かめている。そんなあどけない横顔さえ高貴な感じ。王子を見慣れているから案外驚かないのではないかと思ったけど、エネンドラはエネンドラだった。


 最初に竜を倒した人間。


 エネンドラ。


 それが王を名乗るようになった、というのがこの世界の歴史を語るときの最初の一ページになっている。そしてタッセ大陸を統一するまでの千年戦争と呼ばれる長い時代に突入するのだけど、たぶんこの辺りは神話の類だと思う。


 ちょっと色々と作り話っぽすぎる。


 悪い先住民族がいて、エネンドラは友好的に接しようとするのだけど裏切られて、なんか非業の死を遂げた悲劇の王がいて、国民が団結して、長い年月をかけながらも、代々戦いを引き継ぎ、徐々にその民族を追いつめ、滅ぼした。


 うん、ない。


 先住民族がいて、滅ぼしちゃったのは事実なんだろうけど、そこに大義名分はなかったと思う。前世的に言えばアメリカやオーストラリアとか、人間の進歩の過程と割り切るにはやや残酷すぎる歴史みたいなものを想像しちゃう。


 綺麗な歴史なんてない。


 実際、大陸を統一したエネンドラ、大エネンドラとか呼ばれてるそれは、三代で崩壊してしまう。千年も国民が団結して戦った国がそんな簡単に崩壊するのもそうだけど、そこから今の時代に至るまでの四百年の歴史がグチャグチャ。


 まず五王時代。


 大エネンドラの四代目になるはずだった王子を含む、三代目の五人の王子たちが国を割ったのがこの時代のはじまりだ。そこでエネンドラは五つに分かれることになる。


 ヒレ、ツエ、クレ、エレ、スゲ。


 長男から五男を意味したこれらが、王族のミドルネームのはじまりになっている。ツエは次男、エレは四男の血統ということだ。なぜ五人の王子がそれぞれ王になったかという話もあるのだけど、それは現在は否定されている。


 次は革命時代。


 五王時代に入ってから百年後、ある歴史書が刊行されてこの時代に突入する。社会が発展してきて思想がどうとか色々ととかややこしい話もあるけど、簡単に、一般庶民感覚で言えば、五人の王子が国を割ったのは、ひとりの女を巡る争いが原因だったよ、という歴史的暴露本。


 その歴史書がきっかけで、エネンドラの王位に対する正当性を問う民衆のうねりになり、クレ・エネンドラがそれを弾圧したことで最初の革命が発生、そこからは他国にも波及して次々に小国ができあがっていくことになる。


 で、大陸戦争時代。


 些細なきっかけから、タッセ大陸のほぼ全土を巻き込む大戦争がはじまって小国が大きくなったり小さくなったり、最終的に大国となった四つの国が終戦協定を結ぶことになる最初の大陸会議までがこの時代。九十年前のことなんだけど、その終戦協定を取り持ったのが、エレ・エネンドラ王国だったりする。


 エレだけが王国として残った。


 その理由は、五王時代のエレが病弱で実質的に争うことすら出来ず、殺すのも忍びないと僻地に飛ばされただけだったことと、病弱なその王が気弱だったのか性格が良かったのか、意外と善政を敷いて、というか税金を安く抑えて国民に憎まれておらず革命が起こらなかったことが理由だ。結果論だけど貧乏王国だから滅びなかったと言えると思う。


 故に、伝統的国家として発言力もある。


 そんな感じ。


 革命時代のきっかけになったクレは一族郎党皆殺し、ヒレは革命に飲まれて現在は政治の舞台にはいない。ツエは、革命の波を見てさっさと王位から退き、国民に政治を委ねて自らは貴族という立場になり、商業に力を入れた立ち回りのうまさで逆に政治に返り咲き、スゲは大陸から逃れて島へと移って国を建てたけど戻ってきてない。


 そんな感じ。


「……」


 えーと、なんだっけ。


 そう。


 エネンドラはこの世界で歴史的に王様であり、そしてお姫様なのだ。わたしが見たことがあるのは陛下とその親族、王子ぐらいだけど、みんな、風格というのだろうか、目の前にすると平伏したくなるような威圧感を持ってる。


 殿下はおっぱいを吸うのでイマイチだけど。


 ガルテ様は、お姫様だ。


 王位にはない貴族なんだけど、それでも。


「シズキ、そなたは耳だけか?」


 話しかけられた。


 桃色がかった金の髪は上品なウェーブがかかっていて絹のような輝きだし、くりんとした瞳も宝石みたいに色を変えるし、鼻も唇も愛らしさ満点、八歳の身体は流石に子供だけど、寝間着としてのドレスはゴージャスな刺繍とそれに負けない白い肌が透ける庶民には着こなせない代物を自然に着ててもう生まれの違いを感じる。


「外見的には、尻尾があるだけでございます」


 わたしは赤面しそうになりながら答えた。


 おかしいな。


 女の子相手なのに。


「尻尾」


 あ、という顔で頷く。


「か、カニーにもございます」


 カニちゃんが聞かれる前に答えた。


「見せてみよ」


「……」


 ガルテ様はわたしを見ていた。


 見せる?


「尻尾を余に見せてみよ」


「か、畏まりました」


 そう答えたけど、頭の中がぐるぐるする。


 スカートのうしろをめくって見せるの?


 お姫様にお尻を向けて?


 すっごい失礼っぽくない?


「……」


 助けを求めるようにネンさんの方を見たけど、あちらは小さく頷いた。尻を出せ、そう仰るわけですね。パワハラでセクハラですね。そんな言葉はこの世界にはありませんが、輸入しておくんだったかな。


「し、失礼いたします」


 わたしはうしろを向いて屈み、スカートの裾を持ち上げてめくってみせた。なんかすっごい恥ずかしい。おっぱい出せって言われる方がマシ、とか思うのは感覚が麻痺してるのかな。


「尻尾。尻尾だぞ。ネン!」


「尻尾でございますね。ガルテ様」


「人獣、おもしろい」


 お姫様がそう言って近づいてくる気配。


「おお、意外としっかり筋肉があるのだな」


 ぐい、と引っ張られる。


「!」


 そこ、そこ、そこ弱いから。


「自分の意志で動かせるのか? シズキ」


「あ、ある程度は」


 わたしはガルテ様の手をはねのけない程度に根本を動かして見せる。実を言うと、椅子代わりにできるぐらいには力がある。あまり行儀が良くないので母には止められているが、疲れたときなどはこっそりスカートの下でやってる。


「もっとよく見せよ」


「あ」


 パンツ、下げられた。


「はぁあ、こうなっておるのだな。ふぅむ」


 尻尾の根本をぐりぐりと触ってる。


「ガルテ様、あまり」


 ネンさんが流石に止めに入ってくれた。


「気にするでない。シズキ、そなたの臀部は綺麗ぞ。この状態をいつもたもつが良い。おもしろい感触じゃ。余も尻尾が欲しいの」


「あ、ありがとうございます」


 わたしはしみひとつない天井を見上げる。


 なんだろ、この辱め。


 いや、お姫様とそのペットって感じ?

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