第12話 バカ正直に異様

「んんんんーッ!」


 わたしの次にカニちゃんの尻尾も握って、ガルテ様のテンションはマックスのようだった。叫び出したいのを堪えるように口を結んで、今にも飛び跳ねそうな足取りでぐるぐるとわたしたちの周りを回る。


 もちろん、こちらはスカートを上げたままだ。


「決めた! 余は決めたぞ! 二人とも次は絵を描く! 服を脱いで余の前に立つがよい! ネン、絵筆と画布をもて!」


「「え」」


 わたしとカニちゃんの作り笑顔が固まる。


「ガルテ様、服を脱げと言うのは」


「一糸纏わぬ姿じゃ! もちろんな」


 カニちゃんの質問の答えが最悪の予想通り。


 全裸。


 ヌードデッサンはじまる?


「……いや? 一人ずつで良いな。正面、側面、背面の三枚は描きたい。まずはシズキからじゃ」


「!」


 わたしから!?


「心配するな。余の絵の腕前ならば一枚一時間もあれば完成する。朝までには終わるぞ。カニー、そなた今宵はもう下がってよいぞ」


「で、では、お言葉に甘えて、カニーは、し、失礼いたします。これからよろしくおねがいいたします。ガルテ様」


 カニちゃんはちらりとこちらを見て、わたしを気遣いつつも命令された通りに従った。そうするしかない。どうしようもないから。


「うむ。余は楽しみは後に取っておく方だ」


「は、はい」


「……」


 緊張の余り、ブラの中で母乳が漏れ出ていた。


 カニちゃんが部屋を出ていって、ネンさんが荷物から使い込まれた様子の道具一式を持ってくるのを見ながら、わたしはこの状況から逃れる言い訳を探していた。


 脱ぐのはまだ別にいい。


 裸婦画はこの世界でも芸術の王道らしく、数多く制作されているけど、その主流となる画風はリアルとはほど遠い。緻密に似せてくる訳ではないし、お姫様でたぶん基礎的な教養を身につけているとしても八歳の少女の絵なのである。


 モデルぐらいは我慢できる。


 でも。


 脱いだら、おっぱいが濡れてるのは問題だ。


 母乳バレはマズい。


 このお姫様、飲みそうだから。


 それで味を気に入られたりしたら?


 自画自賛する訳ではないけど、そして自慢にもならないけど、わたしの母乳はかなり美味しい。王子がそう言っているだけではなく、王子に飲ませる前に試した陛下も驚いていたし、先生もそうだけど、母もわたしが自分で搾っているときは欲しがる。なにより、自分で飲んで美味しいってよっぽどだと思う。


 乳母をつづけているのも、結局は、王子が気に入っても仕方がない味だと認められているからだという面はかなり大きい。若き日の陛下のように女遊びを繰り返すよりは穏当な嗜好として認められてるというべきかもしれないけど。


「ガルテ様、今夜は早めにお休みになられた方が良いと思います。明日のご予定が」


「わかっておる。余をだれだと思っている。それでも、この高揚感を画布に刻みたいのじゃ」


「申し訳ありません」


 ネンさん、そこで引き下がらないで。


「……」


 良い言い訳が思い浮かばない。


 生理中とか、お尻見られた後じゃ無意味。


 覚悟するしかない?


 母乳はいずれはバレる。


 その覚悟はしていた。


 王子は正直に言う気満々だから。


 でも、それだって別にすぐじゃないはずだ。結婚までには何段階もある。政略結婚なのだ。二人が本当に二人きりにさせられる状況はまだ先になる。その前に諸々の、主にこの国の政治に関わる人たちがこのお姫様を担ぎ上げることに同意するかどうかが肝心の部分だと母も言っていた。王の権力は絶対だけど、国を運営しているのはやはり多くの臣下な訳で、それを無視するような陛下ではない。ちゃんと根回しをする。


 その間にガルテ様の信頼を得る予定だった。


 母乳はあげているけど、王子とは男女の仲ではないと信じてもらえるぐらいの関係になっておけばいいと考えていた部分を軌道修正するしかないのだと思う。どう修正すればいいのか皆目見当もつかないけど、なんとかしなきゃ、わたしが死ぬか、この婚姻が破綻するか。


 ともかく、ガルテ様に気に入られることだ。


「よいぞ。シズキ」


 キャンパスをイーゼルに立てて、筆を握るお姫様が言う。その視線に当たり前だけどいやらしさは一分もない。聞いている。いろんな学問をやっていると。大量の本を持ち込み、結婚後も勉強をするつもりなのだ。


 純粋に、絵が描きたいのはわかる。


「はい」


 脱ぐしかない。


 しゅる、と腰紐を解いて、上からストンとすべてを落とす。ネンさんが眉間に眉を寄せたのが見えた。ブラジャーはまだ高級輸入品扱いで珍しいはずだけど、貴族ならとっくに手にはいるはずだし。そこじゃない。


 乳房を包む布の先端が湿っているから。


「それはなんじゃ?」


 当然、見逃されるはずもない。


「ガルテ様、その、た、体質と言いますか、シズキは、その、常に母乳が出ますので、お見苦しいと思いますが、お許しください」


「妊娠しているわけでなく?」


「はい」


「そういった種族なのか?」


 質問は矢継ぎ早につづく。


「種族に関しては、同族に会ったことがなく、詳しくはわからないのです。申し訳ありません。シズキは捨てられていたものを拾われたので」


「ふむ。なるほどの。苦労しているようじゃ。気にせずとも良い。ありのままを見せてくれることが観察にはまず大事なことじゃからな」


「……」


 観察。


 運び込んだ本の中に様々な図鑑があったことを思い出しながらブラも外す。尻尾ですでに見られているのでガーターベルトを外し、ストッキングも脱ぐ。心細い。人獣と獣の境目は服を着ているかどうかだ、などという言葉がこの世界にはある。服を脱がせ、獣として殺したので殺人ではない、と被告が無罪を主張した裁判が数年前にあったぐらいだ。結果は有罪だったけど。


 それでも新聞を読んで恐怖に震えた。


「そのまま動かぬのだぞ」


 ガルテ様はわたしを正面に捉える。


 ポーズは特に求められないらしい。


「獣としての性質がその乳房に出ているということかの。……発見されていない獣か、それとも人獣しか生き残らなかったのか。……男であったらどうなるのか。ふむ……ふむ」


 独り言なんだと思う。


 こちらの反応を待つことなく、ぶつぶつとその可愛らしい口を動かしながら絵筆を素早く動かしていく。絵筆は何十本もあった、色、線の太さを変えるためだろうか、それを次々に取り替え、迷いなく描いてく。


 集中は途切れる様子がなかった。


「ネン」


 そして、しばらくして執事を呼ぶ。


「畏まりました」


 すばやく執事はキャンパスを取り替えて、汚れた絵筆を新しいものに切り替える。二枚目に移ろうということらしい。思ったより早かったかと思ったけど、部屋の柱時計を見ればきっかり一時間経っていた。


 緊張していてわたしも真っ白だった。


「シズキ、胸を拭いても良いぞ」


「! あ、ありがとうございます」


 母乳が滲んで胸が濡れていた。


 緊張すると汗みたいになるから困る。今日はすでに搾っていたので水気が少なく絨毯に垂れないぐらいの濃さだったのが幸い。ガルテ様の部屋を生臭くしたとか言われたら大変だ。


「シズキ、男は概して乳房の大きい女が好きだそうだが、それくらい大きいとさぞや引く手数多だろう。もう結婚はしているのか?」


「い? いえ、あの」


 胸をハンカチで拭きながら困る。


「そうか。同種族がいないのだったな」


「そ、それもありますが」


 人獣は大体が同種族で結婚する。


 これは差別も理由のひとつではあるけど、むしろ人獣の側が自分たちの姿形を誇りに思っているところが大きい。人と混ざれば薄まるから。


「トーア殿下の好みはどうなのじゃ?」


 わたしが答えに迷っている間に話題がスライドしていた。だけど、それはうれしい変化でもあった。一時間耐えたことで、少しはガルテ様も人獣を目にした興奮から落ち着きはじめて、普通の話題になっている。


 そうなのだ。


 結婚相手が気になって当然の状況。


「殿下の好みは」


 言いかけて、わたしは言葉に詰まる。


 あれ?


 どっちが好きなんだろう?


 母乳には興味ありそうだけど、乳房は。


「余は気に入られぬやもしれんな」


「いいえっ……ガルテ様、そうではなく。あの、殿下はあまりそう言った話がありませんので、シズキも好みは把握できて……」


 喋りながら寒気を覚えていた。


 わたしと噂になってる。


 ガルテ様の耳にそれが入ったらどうなる?


「仕方がない。母も胸が小さい」


「……!」


 そして残酷な遺伝。


 大きくならないと思っているところに、大きい女と噂になっていると知れば、感情が拗れたりするかもしれない。それが自分の使用人ともなればなにかの当てつけと思われるかも。会う前から確執を生むとか大問題だ。


 断るんだった。


 わたしの考えが足りなかった。


 このお役目、断るべきだったんだ。断るのはありえないけど、でも、殿下が母乳を求める限り、わたしをクビにするとも思えないから、扱いが悪くなる覚悟をしてもお断りすればなんとかなったかもしれない。決断が遅かった。


「そ、そそそんなことはありません、よ」


 うわずった声で否定した。


「良い。気休めはな。余が気に入られずとも、ツエとエレの結びつきが強まれば良いのだからな。シズキ、次は背面だ」


「は、い」


 後ろを向かされる寸前、切ない表情のお姫様の顔が目に焼き付いて胸が締め付けられる。ああ、もう。可哀想だ。八歳で結婚するのを家のためだと受け入れている健気な、ちょっと変わってるけど可愛い女の子をわたしのおっぱいが苦しめている。ひどい話だ。


 無駄な脂肪以下。有害な脂肪だ。


「尻尾を持ち上げて、少し横に」


 ガルテ様の声のトーンは少し落ちていた。


「こう、ですか」


 お尻を見せろってことかな?


「それでよい。しかし、背面からでもその乳房は存在感があるの。生存の邪魔になるのではないかという気がするが……ふむ」


 また独り言に入ってしまった。


「あの……ガルテ様、少し、お話をしてもよろしいでしょうか。動かないようにいたしますので」


 わたしは意を決する。


 ここでクビになっても、なんとかせねば。


「よいぞ」


「殿下は、その、少し、不思議な方です」


「どういう意味じゃ?」


「シズキは、ずっと殿下付きとして使用人を勤めて参りましたが、殿下は、だれに対しても分け隔てなくお優しく、だから本心がわからないところがあるのです」


 下手をすれば結婚相手の批判に聞こえるかもしれない。王子を使用人があからさまに批判したらクビどころか重罪にもなる。


 でも、ここは率直に言うしかなかった。


 乳母であることをわたしから明かす訳にはいかないけど、それなりに近くでずっと見てきたのだから、二人には良い夫婦になって欲しい。国を安定させるためというより、王子の幸せを願うものとして、それは偽りのない気持ちだ。


「本心……ご自分の好き嫌いをあまり重要なことと考えられてないのではないかと、思うのです」


「……」


 ガルテ様はわたしの言葉を黙って聞いていた。


「なんと言いますか、王位継承者というお立場から心が解放されていないように、時々、本当に時々ですが感じるのです。ですから、シズキは、ガルテ様のような、広い興味と関心を持たれた方ならば殿下の本心を引き出してくれるのではないかと思っています。僭越ながら、その、相性が良いのではないかと思っています」


「ふむ」


 ことん。


 筆を置く音がした。


 したした、と軽い足音が絨毯を踏みしめ、こちらに近づいてくる。ヤバい。怒ってるかもしれない。ちょっと出過ぎた言い方だったか、一使用人が王子のなにを知ってるとか言われたら答えようがないし、ガルテ様のことなんか会ったばかりで知ってるも知ってないもない。


 相性とか、もうちょっと言葉を選べって。


「心して答えよ」


「はい」


「トーア殿下のお母君が幼き殿下を暗殺しようと画策したという噂は、まことのことなのか?」


「し、シズキの口からは」


 他国に広まってる?


「命じておるのだぞ?」


「……」


 具合悪くなりそう。


 おっぱいから母乳が吹き出した。


 ぴちゃ、と部屋に飛沫。


「それが返事か?」


「事実で、ございます」


 ああ、もう、わたしの胸はバカ正直だ。


「なるほど。うむ」


 ガルテ様はそう言うと、再びキャンバスの前に戻ったようだった。わたしは動けない。ただ、尻尾を浮かせたまま、背中に注がれる視線を感じるだけだ。どう思ったのだろう。


 これでよかったのかな。


 わたしにはわからない。


 明け方近くまでモデルはつづいた。


 集中力をまったく切らす様子もなく、ガルテ様が書き上げた絵は五枚になり、写真のように緻密なもので、わたしの全裸が完全に記録に残ってしまっていた。


 いや、なんかヌードグラビア?


「ガルテ様の絵はあくまで生物学的資料です」


 絵を描き終えてそのまま寝てしまったお姫様を見ながら、ネンさんはわたしを落ち着かせるようにそう言ったけど、外部流出してくれるなと願わずにはいられなかった。


 無表情でポーズのないヘアヌードって異様。


 そして客観的に見ると、おっぱいの大きさは更に異様。

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