第4話 竜と誘惑
この世界で「肉」と言えば、竜。
牛や豚、鷄みたいな家畜は存在しない。
「おっきい」
母が貰ってきた肉の塊を包丁で切り分けながら、わたしは食事の支度をする。料理は前世からできたけど、こっちでの調理は火を起こすところからはじめるので手間は数倍かかる。
将軍の家でもコックを雇う余裕はない。
厳しい台所事情。
「薪、持ってきたぞ」
シュルトも手伝ってはくれる。
「うん、おいといて」
「な、本気でスジだけじゃないよな?」
打算的だけど。
スジに沿って肉を分割、焼いて食べられる柔らかい部分と、加工しないと硬すぎる部分をより分けるわたしの手元をのぞき込みながら、兄は小声で言う。甘えている。
小さい声でも母の耳には届くと思うけれど。
「付け合わせはつくよ」
確か野菜はまだ残っていたはずだ。
「シズキ」
ガッカリした声。
ま、確かに本当に久々のお肉だ。
竜のステーキなんて、これを逃すとしばらく食べられない。シュルトが特別に意地汚いとかではなくわたしだって一年ぶりぐらいでワクワクしている。口の中は涎でいっぱい。
家畜、という概念はこの世界では発達していない。
竜と呼ばれる食物連鎖の頂点、前世的視点で言えば恐竜みたいなものがいて、人を含めてあらゆる地上の動物はその餌になっている。戦争もあるけど、人々はまだまだ自然を制圧することなく闘ってる。
小型の、人とサイズの変わらないものはいくらか飼い慣らされて車を引いたり、畑を耕したりと活用されているのだけど、それの肉はかなり硬くてよほどでないと食べることはない。
そして中型、だいたい人の三倍ぐらいの大きさからそう呼ばれるようになるレベルになると、この世界の最新武器である鉄砲、わたしの知る限りでは火縄銃よりは多少便利ぐらいの代物を百丁ぐらい用意して二百人ぐらいの舞台で罠とか投石機とか色々と使ってやっと倒せるぐらい。肉を食べるためにそこまでするのはコストパフォーマンスが悪すぎるということだ。
大型となるともう災害、なので論外。
見たことはないけど。
竜は、チェア土と呼ばれる火山土には近づかないという習性があって、それを煉瓦などに加工して街を作っていく、という竜対策は確立されている。街で暮らす分には危険な目に遭うこともないのだけど、それで大陸全土を覆うことはできないし、農地に混ざると作物の生育を妨げるというデメリットもあって必要最低限しか使えないから、家畜を育てるという余裕がない。
だから、肉が手に入る状況は限られてる。
竜同士のケンカ。
それで深手を負った竜をしとめる偶然。
高価で貴重なのだ。
「この量だと燻製もできるね。地下室にまだ貰った鉋屑あったっけ? なければ、お茶の葉っぱがあると香りも良くなるんだけど、切らしてたかな。最近、家でくつろぐことってあんまり」
「頼むよ、な?」
「燻製窯、しばらく使ってないから掃除して。あと、一回デートして連絡してないメイちゃんに別れるなら別れる、付き合うなら付き合うって言って。それなら、おにいさんの分も用意する」
わたしはかなり譲歩した。
「メイ、怒ってた?」
兄は耳を掻いた。
「牙、出てた」
泣きながら怒って剥き出しだった。
「あー、連絡しなかったんじゃなくて、その」
「言い訳は本人にして」
「する。するよ。すればいいんだろ?」
肉の誘惑には勝てなかった。
女の誘惑にも勝てない。
むしろこの兄は剣術ぐらいしか勝てるものがないんじゃないかと思う。オオーチ家の跡継ぎとしてはそれが大事だけど、人としてはやっぱりあまり尊敬できない。
「わたしが仲介したんだから、ちゃんとしてよ」
そう口を酸っぱくして説明してそれでもデートしたがったメイちゃんにも問題はあるんだけど、友達だから仕方ないところだ。ダメ男でも兄は兄、メイちゃんは良い娘だから本気になって真面目になって欲しいという淡い希望もある。
たぶん難しいだろうけど。
「よっし、にっくにっくにっっくぅ」
逃げるように兄はキッチンを出ていく。
「甘いわね」
「! おかあさん、聞いてたの?」
兄と入れ替わりで母が入ってくる。
「シュルトは父親の血を色濃く受け継いでる。躾るなら、もっと厳しくしないとダメよ」
「……」
それで何人の男を逃してきたのか。
兄に同意する訳ではないけど、母は母で誘惑に勝ちすぎて色々と逃しているのはわたしもそう思っている。特に親友に奪われた初恋の相手の子供を、戦争で親友と初恋の相手両方が死んでしまったとは言え養子に引き取った経緯とかを聞くと、損な役回り過ぎる気が。
「なにか言いたそうね? シズキ」
「んーん。ソースはなににする?」
誤魔化して、調理に集中する。
母は勘がとても鋭い。
「そうね。竜酒に合うのがいいわ」
「了解でーす」
竜は皮や骨まで余すところなく使われる。
「「「乾杯」」」
一時間弱の調理後、食卓を三人で囲む。
「んく」
十六で成人なので設定上わたしもお酒を嗜む。
小さなグラスに軽く一杯だ。
「……!」
結構キク。
竜酒は、竜の血の色をしてる。紫色。
ワインみたいなものだろうと思う。
「殿下の今日のご様子は? シズキ」
一気に一杯目を飲み干し、母は言う。
「ご結婚のことなら、動揺はしているご様子でした。体調には問題ないと思いますが」
わたしは答える。
「自分で搾らなくてもいいぐらい飲まれましたし、両方のバランスをお気遣いくださる気持ちの余裕もありましたが、いつもより一心不乱な感じはしました。割と強く掴まれて」
「……」
シュルトの視線がわたしの胸に向く。
いつものことだ。
酒好きだけど弱いのですでに目が据わってる。
「ツエの娘だっけ?」
ちらちらと胸を見ながら、ナイフを動かして肉を切り、口に運んで噛みしめてる。なんの味を想像しているのか、あまり聞きたくない。
こっそり吸わせてくれと言われたことがある。
まだお互いに子供だった頃の話だけど。
もちろん断った。もし出なくなったら大変なことだ。
「ガルテ・ツエ・エネンドラ様。陛下が、その生まれた直後に縁談を進めると決めておられた相手よ。その理由は二人ともわかるわね?」
「「……」」
わたしと兄は無言で頷く。
金だ。
ツエ・エネンドラという家は、その名前の通り、この国の王家、エレ・エネンドラの親戚筋に当たり、かつては自らも別の国の国王だったのだが、今はその座を下り、貴族という立場になってむしろ経済力で裏から国を支配する側に回っているという話だった。
質素倹約して王族であるか。
豪華絢爛の貴族になるか。
わたしの知る限りでも歴史的に色々な条件の差はあったのだけれど、時流を読んで上手く立ち回ったというのは間違いのない一族。その一人娘を王子と結婚させることでその金の後ろ盾を得たい、という政略結婚の意図は明らかだった。本人たちも重々承知しているだろう。
「陛下には申し訳ないけど、八年前にその話を聞いてから、ずっとツエが受ける訳がない、と思っていたわ。無謀な交渉だと」
母は言った。
「あちらには利益がない」
兄も頷く。
「ガルテ様は天才だと評判ですしね」
わたしも言う。
もちろん本人の意思がすべて通る立場ではないだろうけれども、八歳とは言え、政治にまで関わる人間が貧乏王国に嫁ぐことをそう簡単に受け入れるだろうか。
「そう。でも受けたということは、なにか意図があると考えるべきでしょう? たとえば、殿下を通じて、この国を間接的に乗っ取るとか」
「!?」
わたしは母の言葉に驚いて。
「乗っ取る価値、ある?」
兄はぶっちゃけた。
完全に酔っぱらってる。
仮にも軍人がそんなこと言っちゃダメでしょ。確かにお金もないし、人口も少ないし、交通の便も悪いし、お姫様になるつもりで来たらガッカリすることこの上ないとは思うけれど。愛国心とかあるでしょ。
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