第3話 おにいさんおかあさん

 部屋を出て、小さな手燭の明かりを頼りに移動する。夜を迎えると城内は真っ暗だ。照明代を節約している。それだけじゃない。人の気配もほとんどない。守衛の人件費もギリギリ、昼間でも最低限、夜はほとんど無防備になってる。


 でも、泥棒もたぶん入ってこない。


 金目のものがないことは、国民みんなが知っている。はっきり言ってもう笑い話の類だ。王様のマントが代々伝わる継ぎ接ぎだらけだとか、王冠にくっついていた宝石はすでに売り払われてガラス製のものになってるとか、玉座が差し押さえられたことがあるとか、謁見の間の深紅の絨毯だったものは日焼けで薄紫だとか。


 エレ・エネンドラはその王家も国も貧乏だ。


 もう百年以上そういう状態らしい。


 理由は長い戦争。


 かつては王国が参戦したものもあるけれど、どちらかと言えば周辺国同士の争いによって困窮しているという側面が大きい。最大の理由は、立地の悪さ。大陸の内陸、周囲を険しい山脈に囲まれた土地、水はそこそこ豊富だけど、農地として利用できる面積そのもの少なさ、山に遮られて日照時間が短いことで作物の収穫高が低く、周辺で戦争がはじまればすぐに流通が止まって経済がストップ。戦争当事国よりも貧しくて、見かねた遠方の友好国が決死隊を組織して支援物資を届けてくれるぐらい。


 一昨年、わたし自身も経験した。


 給料の遅配からの食料品現物支給。前世で言うなら公務員ポジションのはずの城勤めでそんな有様だ。一般国民はもっと苦しい。城も暗いけど、城下の街だって暗い。


 貧しさをなんとかしようと傭兵になって戦争に参加して死ぬ男性が増えて、人口のバランスも崩れている。まだ四十代の財務大臣の髪の毛がすっかりなくなったのは国の未来への絶望だと言うもっぱらの噂だ。少子化ってヤツ。


 嫌なリアル。


 わたしが、転生したなんて言うわたし自身の境遇を夢とも思えないのはこういう話を幼い頃から教育されたからだ。日本もそんなに明るい国じゃなかったけど、それ以上に明るくない。


 逃げ出せる国民はもう逃げ出していて。


 残ったのは逃げる場所もない貧しい国民で。


 だから税金を上げるとかもできなくて。


「シズキ」


 使用人の出入り口につくと、守衛の老人と話し込んでいた男性が手を挙げた。暗くてよく見えなかったけど、声でわかる。


「おにいさん」


 わたしは呼びかける。


「お疲れさん、一緒に帰ろう」


「待ってくれていたんですか?」


 いつもはそんなことしないのに。


「なに、酒を飲む金もないだけだ。爺さん、そんじゃまた今度。可愛い孫娘を見せてくれよ」


「おめさんにはやらねえよ、この女たらし」


 老人は歯の抜けた口で笑った。


「いやいや、爺さん。妹の夜道を護衛するこの心根の優しいアニキぶりに女はメロメロなのよ。曾孫の顔も見たいだろ?」


「はっ、よく言う。おめさんらの家はすぐそばじゃねえか。酒場のねえちゃんにひっぱたかれたのは昨日だろ。見かけ倒しの優しさだ」


「あれはなぁ? シズキ」


「知らないんで、わたし」


 そそくさとスルーして歩き出す。


 恥ずかしい。


 昼間、城内で噂になってたのは本当の話か。


「待てって」


 兄、シュルト・オオーチはコツコツッ、と軽やかに靴音を立て、わたしの横に並んで歩く。兄と言っても、もちろん血の繋がりはない。わたしと同じ、ヴェント・オオーチの養子。二十六歳。犬っぽい耳と、尖った鼻と大きな口、大きく膨らんだ尻尾、灰色の毛並みを持つ人獣。そして、王子の剣術指南役でもある。


「冗談だってわかるだろ?」


「なにがですか? 酒場の女の子たちの生理の臭いを嗅ぎ分けて指摘したことがですか? 冗談で済むんですか?」


 わたしは冷たく言う。


「酔ってたんだよ。覚えてない」


 シュルトは毛むくじゃらの手で片目を隠す。


 嘘を吐くときの癖だ。


「生理中の女の肌の味が好きだって吠えて、嫌がる女の子を嘗め回したのも? まったく?」


「! そんなことはしてないしてない」


 鼻息も荒く否定する。


「覚えてるじゃないですか」


 まったく。


「性格悪いぞ? かあさんに似てきてる」


 シュルトは大きな口から長い舌を出した。


「ありがとうございます」


 わたしはお礼を言った。


「褒めてない。褒めてないぞ? アニキとしては心配なんだよ。十八にもなって恋人のひとりもできない妹の将来が。かあさんみたいになりたいのか?」


「尊敬してますよ。おかあさん」


 十五年しか生きてないが、設定上は十八だ。


 成人が十六で、結婚はそれこそ家の都合や、減っている男性の確保など、十二、三ですることも珍しくないこの世界では確かに遅れている。その意味では焦っている気持ちがないでもない。


 でも、この世界で恋人を作るのが正しいのか。


 元の世界に帰りたい気持ちもある。


 王子に母乳を与えながら?


 なにより、恋人を作れるのかどうか。


「そりゃおれだって尊敬してるよ。感謝もしてる。そんなことは大前提として、それでも、やっっぱりさ。軍人とは言え、結婚できなかったからだろ、シズキやおれを養子に取ったのは」


 シュルトは言い訳をしていたが。


「おかあさん」


「……!?」


 わたしの一言で背筋をピンと伸ばした。


 耳が気配を捉えている。


「シュルト、シズキ、おかえりなさい」


 母は殊更に優しい声音を使って言った。


 ランプの明かりを持ち、門の前に立っている。


 どうやら、帰宅を待っていたらしい。


 忙しいはずなのだけど、たぶん、王子の件でわたしたちに話をしようと思っていたのだろう。王国にとって一大事であると同時に、わたしたち一家にとってもかなりの大事だからだ。


「か、かあさん、違うんだ、おれが言いたかったのは、そういうことじゃなくて、わかるだろ? シズキは軍人にはならないんだか、らがっ」


 シュルトの顎が吹っ飛んだ。


「結婚はできなかったんじゃなくて、しなかっただけです。この命は国に捧げていますから」


 拳を振り上げて、母は言った。


 アッパーカット。


「……」


 わたしの横を駆け抜けたはずだけど、まったく見えなかった。辛うじて長い耳が気配の移動を拾ったぐらい。もう五十近いはずなんだけど、去年の剣術大会で優勝した兄に反応すらさせない腕前に衰えはまったく感じられない。


「ご、ごめんなさい」


 シュルトは土下座。


「少し遅いけれど、久々に家族が揃ったのだから食事をしましょう。お肉を頂いたのよ? シズキ、あなた料理してくれるかしら?」


 母はパッと切り替えて言う。


「はい。おかあさん」


 わたしは大きく頷く。


 城のすぐ近くにわたしたちの屋敷はある。


 かつて王子の命を救ったことで大きく出世し、それから十五年、今や王国の三大将軍のひとりまで上り詰めた養母、ヴェント・オオーチ。


 自分の名前以外もどこから来たかも説明できなかったわたしを、王子が母乳を求めていたとは言え、自らの養女にして面倒を見てくれたもうひとりの命の恩人。


 それは単純に尊敬や感謝なんて言葉だけでは言い表せない。恋人を作る前に、元の世界に帰れるとしても、ちゃんと恩返しをしたいと思ってる。前世ではいた実の両親にさえ思ったことがないぐらい強く思ってる。


 あ、王子にはあんまり思ってない。


 母乳あげてるから。


「肉かぁ、久しぶりだなぁ」


「シュルトにはスジの部分だけでいいわ」


「了解です。おかあさん」


「スジ? スジだけ? なにそれ」


「おにいさん、実は一番味わいのある場所ですから。もう噛めば噛むほど味が出ますから」


「いや、違うよね。硬くて噛んでも噛んでも飲み込めないだけだよね。謝ったじゃん。かあさん。もういい歳なんだから現実は現実とし、でがばっ」


 余計な一言でシュルトがもう一発食らう。


 スジに多少は肉を付けてあげよう。


 突然できた妹を受け入れてくれてる兄には少しだけ恩返しをしたいと思っている。これで済んだということにしておこう。たぶんそれくらいでいいと思う。泣かされた女性たちを何人も知っているので、十分すぎるぐらいだ。

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