第5話 いやらしい獣娘

「可能性の話よ。現時点では」


 母は言った。


「八歳の娘を天才と持ち上げて大陸会議で演説をさせてから間もなくの婚姻、これだけでも裏になにかの意図を感じるのに十分だわ」


「なるほど、かあさんらしい見方だ」


 兄は納得している。


「……」


 言われるまでガルテ・ツエ・エネンドラの世間的な評判を鵜呑みにしていたわたしは黙るしかなかった。インターネットどころかテレビもないこの世界の報道なんて、いくらでも操作されていておかしくない。


 そう報じる狙いがある。


 ガルテという八歳の少女、未来の王妃の聡明さを国民にアピールすることで有利になるものがあると疑ってかかる必要がある。具体的にどうとかはわたしにはちょっと、わからないけど。


「仮に国を乗っ取るとして」


 兄は酔った目を寄り目にしながら言う。


「単純に王位継承後にトーア殿下を暗殺して実権を奪うにしても、結婚する前から政治ができる資質があったと言える実績作りのひとつ、って可能性はないとは言えない」


「暗殺……」


「そこまで短絡的なやり方はしないでしょうけど、殿下の身辺警護はもちろん、これから結婚に向けての変化と、結婚後の変化に注意するように、ということよ。シュルトとシズキ、殿下に近いあなたたちがその変化を捉えることができれば、かつてのようなことは未然に防げるかもしれない。些細なことでも、報告はこまめに」


「はい、おかあさん」


 わたしは緊張して頷いた。


「おれが乗っ取る側なら、まずかあさんを懐柔することを考えるから、おれたちの目が本当に役に立つかは謎だけど、なぐっ」


「こっ、のぉ、バカ息子ッ!」


 ゴズン。


 兄の言葉の終わりを待たず、母の手がその頭を掴んでステーキ皿ごとテーブルに叩きつけていた。なぜいちいち怒らせるようなことを言うのか、その言動の方がわたしには謎だ。


「うが、ああっ、折角の肉が」


 兄はすぐさまテーブルから肉を口に入れる。


「一兵卒の身から、将軍にまで取り立てて貰った恩を忘れて、このヴェント・オオーチがエレ・エネンドラ王家に背くとでも思っているの!?」


 母はテーブルに立ち、胸を張って言った。


「ひょおはんはろ?」


 もごもごと兄は答える。


「冗談でも口にしていいことと悪いことが」


「ふたりとも、お行儀が悪いから!」


 反射的に自分の皿だけは避難させたわたしはそう叫ぶ。いつものことだけど、食卓を囲むときぐらいはやめてほしい。軍人同士になる以前から、この親子は暴力がスキンシップになっているところがある。仲が悪い訳ではないのだけど。


 いくら人獣の身体が頑丈だからって。


「けーもーの、けーものむーすめ」


 そんなだから、こんな悪口も言われる。


「獣娘、聞いてますの?」


「わたしは獣娘ではなくシズキです」


 振り返ると、部屋に見たくない顔が入ってきていた。振り返るまでもなく、わたしの耳がだれかは把握していた訳だけれど。


「名前なんかどうでも良いのよ。獣娘。ここ、まだホコリが残っていますわ。それとも、あなたの尻尾の先っぽだったかしら?」


 ラッテ・アウムは暖炉の上を撫でて指を見る。


「申し訳ありません。そこはこれから」


 言い訳じゃない。


 今、わたしは梯子を立て、壁の照明を掃除しているのだ。ホコリは下に落ちていくのだから、仕事としては当然の順序なのは明らかで、嫌味にしても大概にして欲しい。


「とろいですわ。獣娘。ここの掃除をはじめてからもう一時間は経ってませんこと? そんな調子ではいつまで経っても終わりませんわ」


「はぁ」


「はあ?」


「……」


 わたしは壁を見渡す。


 照明だけで二百三十八個あるこの大食堂の掃除が一時間程度で終わる訳がない。陛下が戻ってくる一週間後に向けて、他の仕事と平行して手の空いた人間が掃除している真っ最中なのだ。一時間前から掃除してるのがわかってるなら手伝って欲しいぐらい。


 そんなことは期待できないけれど。


「獣娘、あなたは人より力も体力もあるのでしょう? ならば、人より働かなければ怠けているのとかわりませんわ」


 ラッテは言いたい放題である。


「怠けてはいません。丁寧に」


「丁寧なのはとーぜん。獣娘、まず下りてきなさい。あなたの大きな胸が邪魔でその頭の悪い獣顔が見えないのよ。指導してあげるわ」


「……」


 こっちから顔は見えてるよ。


 めんどくさい。


 そう思いながらも従うしかなかった。ラッテは陛下付きの使用人で、それは殿下付きの使用人であるわたしよりも立場が上ということに城内ではなっているからだ。貧乏国故、給料にはそれほど差がつけられないので、より激務らしい陛下付き使用人の不満解消のため、何代か前の王様が使用人の間に格差をつけて溜飲を下げさせたとかなんとか。迷惑な話だ。


 その上、彼女は純粋に人間でもある。


 人獣より人間の立場が上。


 これは城内のローカルルールとかではなく、この世界の宗教的な教えのひとつとしてある。宗派は色々とあるらしいけど、聖典とされるものはひとつだけである。古代の神殿の奥にあった五行の文章。この世界の教育ではまずその内容を叩き込まれる。


『尊き神は世界をつくり。


 世界は人と竜をつくった。


 賢きものと強きもの。


 生き残ったものが世界を統べよ。


 尊き神はそうのべられた。』


 で、この五行には世界にいるはずの獣についての言及がない。五行なんだから書けなかっただけだろうと思うのだけど、昔の宗教家たちはそれは空気や水や植物や虫に対しての言及がないのと同様に人や竜を生かすための存在だからだ、という解釈をしたらしい。


 じゃあ、人と獣の中間っぽい人獣は?


 当然の疑問が生じる。


 それについての答えはこうだ。


 人が獣に知恵を授けた。


 だから、人間より下の存在である。


 難しい質問を投げかけられた宗教家がムチャクチャを言うのは別の世界でも同じことのようだ。たぶん耳が痒いとか思いながら適当に答えたに違いない。そのせいでこの世界の歴史もだいぶ歪んでる。


「どうやって磨いていますの?」


 梯子を下りたわたしにラッテは言う。


「え、ど。こう、やって?」


 ランプを覆うガラスの内側と外側を磨く仕草をする。油を燃やしているのと、古いものなので汚れが頑固なのに、あっちの世界よりガラスが脆いのか、耳と尻尾だけとはいえ、人獣であるわたしの力が強くなってしまったのか、力を入れるとすぐ割れるので割と気が抜けない作業だ。


「こう、ですわね?」


 むぎゅり。


「ん!」


 ジェスチャーをするわたしの動きをまねて、ラッテの手がわたしの胸を拭くように動く。セクハラが悪いことだ、という社会的通念はまだこの世界にはない。そして相手はわたしが一人きりで掃除をしているのを見計らってやってきているので、止めに入る同僚もいない。


 城の人手不足が嘆かれる。


「あら、この辺りに汚れがありませんこと?」


 胸の先端でひっかかりを覚えたらしく、ニヤニヤとひっかけてぐりぐりと動かしはじめた。同性の方がセクハラに遠慮がないことをわたしはこの世界でかなり知った。男子の視線なんて、まだ遠慮がちなぐらいだ。


「掃除中でしたから」


 乳首です!


 王子に吸われつづけて肥大してる。


「硬くなってません?」


「いーえ」


 わたしは歯を食いしばって答える。


 硬くなったらそんなもんじゃありません。


「いやらしい獣」


「……!」


 だから違うっつってんの。


 気持ち良くない。


 むしろ、母乳が滲んで気持ち悪い。


 わかってる。


 ラッテとわたしは背丈がほぼ同じぐらいで、歳が十八なのはわたしの設定と同じ、使用人なのも同じ、未婚なのも同じ、だけど、胸のあるなしが違う。人間と人獣なのも違う。


 そしてなにより。


「殿下のご結婚が決まっていよいよこの下品な胸の使い道ができたと考えているのでしょう? だけど、お生憎様ね。これだけ見るからに下品だと品位が下がるのは明らかだから、あなたに手を出すことなんてありえませんわ。この獣娘!」


「……」


 それが言いたかったんですね。


 この人は、ガチで王子を狙っている。


 嘘か本当か、代々使用人をしているアウムの家には何代か前の王族の血が混じっている、というような噂もある。筋金入りなのだ。そして使用人の中では殿下に近いわたしをライバル視してる。


 迷惑な人だ。


 その下品なおっぱいを殿下が毎日吸ってるとか知ったらどうなってしまうのか。興味はある。バレたらたぶんまずわたしが逆恨みで殺されるか、胸を切り取られるかするに違いないので、試してみたくはないけれど。

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