#03
「駄目だ…もはや死んでお詫びするしかない…」
「その程度で許されるとは思えんが…俺も付き合うぞ…」
およそ四十分後、暴走馬車が石垣に激突して湖に落ちたという事故現場を、少し離れた歩道の片隅から見詰め、蒼白となったマーディンとササーラはうわごとのように言った。
時には腹心の部下達まではぐらかし、人の裏をかく事が生きがいのような主君ノヴァルナが、唯一嘘偽りなしの愛情を表す二人の妹。そのうちの一人、イチ姫を守れなかった責任…いや罪は、親衛隊である『ホロウシュ』にとって、万死に値するどころでは済まない問題だ。
マーディンもササーラも旧来のウォーダ家家臣であり、父母も健在だが、これを知れば彼等も自ら命を絶って、両家は断絶するに違いない。
しかし今のマーディンとササーラには、そんな事などどうでもいい話だった。それよりも、目の前で崩れ落ちそうになる膝を必死に支え、小さな肩を震わせて妹を想う姫君の後姿に、詫びる言葉が見つからないのだ。
事故現場には、ドーム都市『ザナドア』の警察機関、保安隊のパトカーが複数台停車して回転灯を光らせ、封鎖線の外側は野次馬が幾重にも重なって、石垣の激突箇所の様子は見る事が出来ない。まだそうと決まったわけではない…決まったわけではないが、現実は絶望的としか思えない状況であった。
“フェアン!…フェアン!…フェアン!!”
マリーナはフェアンのファーストネームを、心の中で繰り返し呼んだ。声に出して「イチ」と呼ぶのは、妹がそう望んでいるからであって、心の根底から呼ぶ時は「フェアン」だった。
事故現場に駆け寄りたい衝動と、現実を直視したくない恐怖がマリーナの胸中で交差する。しかしいずれの気持ちが勝っても、これ以上近付くのは危険だった。
『ザナドア』管理局が、水棲ラペジラル星人売買に関与している事が確実となった今、どこに監視者が潜んでいるかも知れず、保安隊自体も信用はならない。
そしてこの光景に、イェルサスもただ立ち尽くしていた。
“僕は…なんて無力なんだろう………”
さっきはようやくの思いで陸戦隊員と戦い、大切なマリーナ姫を守る事が出来た。ノヴァルナ様に言われた事が出来たと、誇りに思った途端、その大切なマリーナ姫が自分以上に大切にしていた、イチ姫を守れなかったのだ。
イェルサスはここに来る前、宙雷艇の操縦室でノヴァルナと交わした言葉を思い起こした。
「―――おまえもそろそろ、自分が守るべきものを、自分の手で守れるようになれ」
「守るべきものを自分の手で…」
「おう。まずは今の自分の手が届く範囲!そしてその手をこれから先、段々と伸ばして行くのさ!」
無力感の中から、これまでの自分の不遇さに対するものとは違った悔しさが、湧き水のように心を満たしていくのを感じ、イェルサスは天を仰いだ。
本当に大切なものを守るには、僕の腕はまだ短すぎる………
星空を映すイェルサスの潤んだ瞳に、気の早い流れ星が流星雨の始まりを待たずに一つ、虹色の尾を引いて流れる。それはこの少年の心に、武篇の萌芽を思わせる一瞬であった。
するとまるでその流れ星が招いたかのように、心を閉ざしかけていたマリーナのNNL(ニューロネットライン)をコールするものがある。どこからか届いたメールだ。
今はメールなどとても見る気分ではないマリーナは、目を伏せて顔をそむけた。それは脳波とリンクしてメールを削除する仕種でもある。
だがこのメールには何らかの仕掛けがしてあるらしく、削除されるどころか、勝手にホログラム化して封筒の姿で、目を伏せたままのマリーナのこめかみの辺りに浮かび上がった。その封筒ホログラムを見たイェルサスは、息を呑んでマリーナに告げる。
「マッ!…マリーナ様!そのメール…」
イェルサスのただならぬ声に、マリーナも封筒ホログラムに目をやった。次の瞬間、マリーナの顔がぱあっと輝く。ウォーダ家の家紋、『流星揚羽蝶』を入れた赤白ピンクの乙女チックな封筒ホログラム―――誰が使っている封筒ホログラムかは、言わずもがなだ。
「フェアン!!!!」
思わずファーストネームで差し出し主に呼び掛け、マリーナはメールを開く。マーディンとササーラも驚いた表情のまま、メールを覗き込む。主君の妹君に対して著しいプライバシーの侵害だが、この状況では反射的にそうなってしまう。今は生きていてくれさえいれば…そんな思いだ。
ところが緊張してメールを読んだ途端、そこに居合わせた全員が出来の悪い冗談を聞かされたように、「はあ?」といった顔になる。まるでノヴァルナの悪ふざけに巻き込まれた時の表情だ。
「……………」
俄かには信じられないメールの内容に、マーディンとササーラが無言で顔を見合わせ、メール画面を見返すイェルサスが青い目をしきりにぱちくりさせる。
その中で唖然としていたマリーナは我に返り、自分のキャラクターを思い出したかのように、「コホン…」と小さく咳払いをした。
三人が気付いて振り向くと、マリーナは彼等を見渡し、普段の静かな口調で告げる。
「とにかく…メールに書かれている通り、すぐに宇宙港へ向かいましょう。NNLを使ってしまった以上、管理局にここを知られたはずです」
NNL(ニューロネットライン)のメールなどのデータを、ホログラム化して浮かべるのは、銀河皇国のインフラの一つとして、人類居住惑星のほぼ全て(辺境宙域を除く)に無数に設置された、外部端末にリンクさせて行われていた。
これらには当然、その地区ごとに管理センターが存在し、無論『ザナドア』でもそうなっている。
そしてマリーナ達がナグヤに送信した偽装データメールを、『ザナドア』管理局が傍受して開封した事は、データメールに仕掛けていたトラップで判明済みであった。それによって陸戦隊員達が自分達の前に現れたのであるから、このメールでも同様の事が起きるはずだ。
「わかりました。参りましょう」
頷いて応じたササーラは振り返りざま、大きな手をマーディンの肩にバン!と強めに置いた。長年の友人は落ち着きを取り戻した素振りをしてはいるが、イチ姫様からのメールに、内心では安堵のため息を百回以上は繰り返したのを、見抜いていたからである。
四人は歩く、と言うには些か速い足どりで事故現場を離れ、宇宙港へ向かい始める。マーディンとササーラを前を行き、マリーナはイェルサスと並んで後に続いた。
華やかな街明かりの中、イェルサスがマリーナに柔らかな声を掛けて来る。
「よかったね。マリーナ様」
イェルサスの好意に日頃から気付いてはいたマリーナだが、いつも自分の事だけで精一杯だと思っていたこの少年の、思いがけない自然な気遣いの言葉に、「あら?ありがとう」と珍しく歳相応な少女の口調で応えながら振り向いた。
すると視線の先で微笑むイェルサスは、これまでとは別の、どこか大人びた姿に映る。マリーナは不意に自分の頬に僅かな熱を感じて、戸惑う目を遠くの夜景へと逸らした………
▶#04につづく
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