#02

 


「ここにいちゃ、人目につきすぎる。行こう!」


「うん」


 先に立ち上がった少年が差し出した手を取って、フェアンも元気よく立つ。案の定、暴走馬車の激突事故に道路の向こう側では、人影が集まり始めた。すぐにこのドーム都市の警察か、それに類する者達もやって来るに違いない。


 二人は反重力スクーターを置いたまま小走りに駆け出す。T字路を右へ進んで、街灯の立ち並ぶ道路脇の芝生を、湖に沿って三百メートルほど行くと、湖面に突き出した小さな半円形の公園があった。


 そこのベンチに腰を下ろし、フェアンと少年は「ふう」と、肩で大きく息をつく。

 駐車場を真ん中に設けて、ドーム都市の夜景を映す湖面を向いたベンチが並ぶ公園には、街灯はひときわ明るいものの、何組かのカップルが寄り添ってベンチに座っており、ここなら目立たずに済みそうだ。




 状況が落ち着いたところで改めて見た少年は、やはり兄のノヴァルナと同じくらいの背格好で、薄紫色のTシャツに、黒っぽいデニムのパンツとジャケットを着ている。

 髪は長めの青みがかった銀髪で、温厚そうな整った顔立ちであった。印象的にはノヴァルナとカルツェの、二人の兄の中間…といった感じだ。


 自分が少年に見入ってしまっていた事に気付き、フェアンは顔を赤らめて少しうつむくと、肩をすぼめて告げた。


「あの…助けてくれて、ありがとう」


 考えてみれば、少年は見ず知らずの自分を助けるために、命をかけてくれたのである。

 しかも今の救出劇の際、自分からは死角となって見えていなかったが、少年には迫りくる石垣が見えていたはずなのだ。それでいながら、あの恐怖を忘れさせてくれた優しい笑顔を浮かべられるとは、相当な勇気の持ち主に違いない。


「うん。無事でよかった」


 少年はそう応えて、再びその時と同じ笑顔を見せる。フェアンは自分自身にもどかしさを感じた。もっとちゃんとお礼の言葉を伝えたい…気持ちがそう思うのに、頭の中にはいろんな思いがいっぺんに湧き上がってくるのだ。

 そしてフェアンが実際に口にしたのは、ごく短い質問だけであった。


「…どうして?」


 すると少年は少し考える顔をした後、端的な言葉で応じる。


「自分がそうするべきだと思ったから」


「!!…」

 

 少年の言葉に、フェアンは形のいい細い眉を僅かに上げた。彼が言った言葉は、兄ノヴァルナの行動原理と同じだった。

 そしてその言葉は、生まれてからずっとノヴァルナと離れて暮らしていた自分と姉のマリーナが、初めてノヴァルナに会った時に告げられた言葉でもある。その言葉のおかげで、自分と姉は、それまでの無個性な生き方を脱する事が出来たのだ。


「貴方…兄様とは全然違うのに、兄様みたい」


「え?………」


 意味不明なフェアンの言葉に、少年は微かに困惑の表情を浮かべる。だがその目はすぐに和らいで、フェアンと少年は互いに見詰め合った。そのまま幾何かの時間が流れると、湖面を滑る遊覧船が遠くで汽笛を鳴らし、二人は我に返って慌てて今度は目を逸らし合う。


 そこで少年は、自分がまだ名乗っていない事を思い出した。


「あ、ごめん…僕の名前は、ナギ・マーサス=アーザイル」


 そう言って振り向く少年に、自分も名乗ろうとしたフェアンだが、「あたしは…」と言いかけて躊躇いを見せる。ウォーダ家の姫である自分の立場を考えたのだ。

 この旅ではガルワニーシャ重工役員の娘、フーア=ミシャスという偽名も持っているのだが、命がけで自分を助けてくれた相手に、嘘はつきたくはなかった。


「言いたくなかったら、別にいいよ」


 フェアンの葛藤を感じ取ったのか、ナギと名乗った少年は微笑みながら気遣いを見せる。するとフェアンは、「ううん」と言って首を振り、自分の本当の名前を告げた。


「あたしはフェアン。フェアン・イチ=ウォーダ」


 ナギはフェアンの名前を聞いて微かに目を見開く。しかしそれ以上は何かを探るような素振りもせず、「そう。よろしく」とだけ応えた。


「さっきは本当にありがとう」


 本当の名を名乗って、自分自身へのわだかまりも消えたフェアンは、ようやくちゃんと自分の気持ちを言葉に乗せて、ナギに伝える事が出来た。


「どういたしまして」


「石垣にぶつかるとこだったのに、凄い勇気ね」


「いやもう、無我夢中だったよ。今になって自分でも“僕って凄い”って、ビックリしてる」


 ナギが少々わざとらしく腕に力こぶを作る身振りをして、おどけた口調で応じると、フェアンは笑顔になった。


「ふふふふふ」

 

 にこやかな顔で笑い声を漏らすフェアンに、ナギは柔和な表情で問い掛けた。


「でもどうして、あんな危ない目に遭ってたんだい?」


 さすがにこれはすべてを話すわけにはいかず、フェアンは言葉に迷いながら応える。


「うーん…わ、悪い奴らに追われてたの」


「はい?」


 まるで安っぽい映画かドラマのヒロインが口にする台詞そのままで、ナギはあっけに取られた。フェアン自身も自分の言葉の馬鹿馬鹿しさに、がっかりした様子だ。


「ごめん。そうじゃなくて…えーと…」


 もう少しマシな言い回しはないものか…フェアンはそう思って、人差し指と中指の先で自分の顎を押さえ、ドーム都市の天井を見上げた。透明金属製の天井の向こうには一面の星空が広がっており、観光の目玉の『虹色流星雨』が始まるには、まだ時間がある。


 するとその時、半円形の公園の真ん中にある駐車場に、黒塗りの反重力セダンが七台、八台と続々と入って来た。


「!!!!!!!!」


 振り向いて気付き、驚くと同時に恐怖の表情でナギに身を寄せるフェアン。さっきの陸戦隊の仲間なのではないか!という顔をしている。公園にいた他のカップル達も、異様な黒塗りセダンの大量出現に、泡を喰っているようだ。


 瞬く間に狭い駐車場を埋め尽くしたセダンからは、それぞれ四人の黒いスーツと黒いサングラスをした男が降りて来た。夜に黒いサングラスとは変だが、フレームに小さな赤い光が点っているのが、赤外線暗視機能付きである事を示している。明らかに一般人ではない。そしてその男達はフェアン達の方へ真っ直ぐ近付いて来る。


「ナ、ナギ…」


 フェアンは男達を見据えたままのナギに呼び掛けた。早く逃げなければ…


 ところがナギは何を思ったか、ベンチを立つと肩をすくめて両腕を広げ、男達に緊張感のない声で告げた。


「わかった。わかりましたよ」


「ナギ?」


 何がなんだかわからないフェアン。ナギはどこか悪戯っぽい表情で振り向く。


「実は僕も追われてたんだ」


「はい?」


 今度はフェアンがあっけに取られる番であった。しかもそれに続く光景は、フェアンもよく似た場面に、頻繁に居合わせている。黒服の男達を掻き分けて現れた軍服姿の中年男性が渋面も甚だしく、ナギに呼び掛けたのだ。


「若!何をやっておられるのです!!」


 あまりの既視感に、フェアンはめまいを感じた………




▶#03につづく

 

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