#01
「マーーーディーーーン!!!!!!!」
猛スピードで走る馬車の後部座席から、フェアンは腕を伸ばして、自分を守ってくれていた『ホロウシュ』筆頭の名を、もう一度叫んだ。だがその姿はもはや見えない。
一人ぼっちとなって、頭の中が心細さで埋め尽くされるフェアン。それでもやはり星大名であるウォーダの一族らしく、勇気を振り絞って、座席にしがみつきながら、馬車の前方へと向かった。ロボット馬さえ大人しくさせる事が出来れば、何とかなると考えたのだ。
しかしフェアンが御者席に辿り着いてみると、それは絶望的な思いに変わる。マーディンと陸戦隊員との格闘で、麻痺警棒の高圧電流を喰らったロボット馬の制御パネルは、爆発で大きくえぐれ、主要部分がほとんど失われていたのだ。いくらコンピューターの扱いに強いフェアンであっても、これではどうする事も出来ない。
他に手動で停止させられる何かがあっても、よさそうなものだが、そもそもこのタクシー馬車は、ロボット馬をアンドロイドの御者が操る事で、システムが成り立っているのである。制御パネルを使用する事自体がすでに、緊急対処の最終手段だったのだ。
「そ…そんな…」
呆然としたフェアンが呟いた直後、焦げた制御パネルに新たな火花が散って馬車は急に加速をかけた。火花で焼き付いた集積回路が異常信号を発し、二頭のロボット馬に加速を命じたのだ。
「きゃあああああああっ!!!!!!」
加速の反動で、御者席からその後ろの客席に飛ばされ、フェアンは悲鳴を上げた。馬車はぐんぐん速度を上げて行き、周囲の夜景が、光の川のように尾を引いて流れる。
約二か月前の“プラント衛星の戦い”で、秒速をもって計るシャトルの操縦をした時の速度とは比べるべくもないが、今の状況は全く違い、フェアンに出来る事は何もない。まだ十四歳でしかない少女の感情が、恐怖を剥き出しにする。
「いやぁああああああっ!!怖い!怖いよぉおっ!!」
元々それほど速度を出すように作られてはいない馬車は、サスペンションの設定もそれに合されており、速度が上がって不必要なほど車体を跳ね上げ始め、フェアンにさらなる恐怖を与えた。
馬車が走って行く車線では、自動運転システムで40キロに合わせて走行している。それが後方から突進して来る馬車を感知して、急速回避を行う事で大混乱を引き起こした。
まるでモーゼが出エジプトで紅海を割ったように、見事に二つに分かれる車の流れの真ん中を、フェアンを乗せた馬車が暴走して行く。
制御を失った二頭のロボット馬が叩き出すその速度は、もはや70キロを超えようとしていた。いつ事故を起こしてもおかしくはない。いや実際、馬車が通り過ぎたあとの交差点では、回避システムの限界を超えた挙動を起こした車同士が、接触事故を起こしていた。
“兄様、助けて!ノヴァルナ兄様!!!!”
客席に身を伏せ、両手で耳を塞いだフェアンは、瞼をきつく閉じて、心の中で兄の名を叫んだ。だがそのノヴァルナはここにはおらず、決戦地となるMD-36521星系へ向かっている。
それでもやはりこの窮地にフェアンの頭に浮かぶのは、優しい兄の、力強く頼れる姿であった。
“ノヴァルナ兄様!!!!!!”
「―――!!!!」
とその時、馬車の巻き起こす騒音の中で、誰かの声がフェアンの耳に聞こえて来る。フェアンは薄目をあけ、神経を聴覚に集中した。
「――のきみッ!!!!」
確かに聞こえる。若い男性の声だ。
上半身を起こしたフェアンが馬車の外を覗き見ると、そこには、反重力スクーターに乗った少年がいる。年齢は兄のノヴァルナと同じくらいだ。
その少年はスクーターを馬車と並走させながら、大声で再び呼び掛けて来た。
「そこのきみ!早くこっちへ!!!!!!」
少年はそう叫んで、スクーターを馬車から僅か30センチ程まで幅寄せする。間隔が安定しており、運転の腕はいいようだ。
「乗り移って!!」
そう言われて恐る恐る立ち上がるフェアンだが、直後に馬車が大きく揺れ、「きゃあっ!」と叫んで座席に腰を落とす。
「駄目!怖い!!」とフェアン。
「大丈夫!」と少年。
しかしフェアンは怯えた表情で下を向き、首を振る事しか出来なかった。馬車の後方では反重力車同士が、また新たな接触事故を起こす。
「大丈夫だよ!!」
少年が再び、そしてさらに強く叫んだ。その声に引き寄せられるようにフェアンは顔を上げる。そこには少年の笑顔があった。美しい笑顔だった。するとフェアンの視覚の中で、その少年の笑顔に、兄のノヴァルナの笑顔が重なる。
“ノヴァルナ兄様…”
もしかすれば声にも出したかも知れない、自分の心の呟きを聞いたフェアンは、一瞬、すうっと恐怖が引き潮のように去ったのを感じる。
視覚が生み出していたノヴァルナの姿が消えたそこには、スクーターを駆る少年の笑顔があった。少年はまるでダンスでも申し込むように、優雅な仕種でフェアンに片手を差し出して告げる。
「大丈夫だよ。僕が守るから…」
「………」
その言葉に誘われ、フェアンは少年の手を取って恐怖を感じる事無く、スクーターの後部座席に乗り移って行った。
するとなぜか少年は咄嗟にブレーキをかけ、スクーターを横に向ける。
「いやぁああああああっ!!!!」
反射的に悲鳴を上げたフェアンは、両腕で少年の背中にしがみついた。それとほぼ同時に、間近でもの凄い激突音が響き渡る。石垣の直前で止まったスクーターの後部座席から、フェアンが見たのは恐ろしい光景だった。
それは直進の果てに激突して、石垣を破壊した二頭のロボット馬が、バラバラに砕けながら馬車を道連れに、その先の湖に落下していく光景である。道路が湖に面した突き当りの、T字路となっていたのだ。
もしも少年の差し出した手を拒絶していたり、スクーターに乗り移るのがあと数秒遅ければ、フェアンは馬車もろとも石垣に激突し、湖水の底に沈んでいただろう。
初めて気付く、まさに危機一髪であった状況に、愕然とするフェアン。するとフェアンと少年を乗せたスクーターは、自分がバランスを崩していたのを思い出したかのように、パタリと横倒しになって、石垣の手前の芝生の上にフェアンと少年を放り出した。
「いったあ~い」
危機が去った途端、いつものあっけらかんとした口調に戻ったフェアンは、腰をさすりながら上体を起こす。それと間を置かず、隣で少年も「いたたたたた…」と、控えめな声で腰をさすりながら体を起こした。
「大丈夫?」と少年に尋ねるフェアン。
「大丈夫。大丈夫?」と頷いて尋ね返す少年。
「大丈夫」
フェアンがまた同じ言葉で応じると、二人は顔を見合わせて一拍置き、声を合わせて「あはははは…」と笑いだす。
「あたし達、ずっと“大丈夫”ばっかだね」
「そうだね」
そう言って、スクーターの上から見せたのと同じ笑顔を向ける少年は、白い街灯の光の下でフェアンの目に、さらに美しく映えていた。
▶#02につづく
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