#04

 


 午前10時を告げる控え目な鐘がキオ・スーの城内に響くとメールが告げた通り、全ての扉の電子ロックが外れた。


 ノヴァルナのいる部屋の扉も、誰も触っていないのに、カチャリとロックが外れた音が鳴る。二人のSPは不審を抱いて扉を見た。その直後、部屋の中からガラスを割る音が起こり、SPは、すわ殿下が窓から脱走か!と部屋に駆け込む。本来が使用人の部屋であるため、窓に防弾などの処理はされておらず、割れない物ではない。


 やはり部屋はもぬけの殻で、ノヴァルナ殿下どころかイチ姫までいなくなっていた。しかし奇妙な事に、割れる音がした窓のガラスはなんともない。

 窓に何か仕掛けがあるのでは…と近付いた二人のSPだが、実際に手で触れてみてもやはりどこにも異常はなく、無表情だった顔に困惑の色が浮かぶ。


 だがこの時、ウォーダ家の兄妹は出入口のすぐ脇に待機しており、部屋に踏み込んで来た二人のSPの背後で、開いたままのドアから逃げ出そうとしていたのだ。

 ただしその姿は見えない。今しがた細かく分けたホログラムスクリーンを、兄妹とSPの間に、姿が隠れるように並べて浮かべ、そこに予め撮影しておいた誰もいない部屋の壁を映し出して、兄妹の移動に同調しながらついて来るように、ノヴァルナがプログラムしたのである。いわゆる簡易の光学迷彩というわけで、ガラスの割れる音はネットから拾って来たものだ。


 無論、ちゃんと見ればすぐに分かるチープな代物だが、はじめにガラスの割れる音を聞かせて、SP達の注意を窓に向けさせていたため、短時間なら効果は充分のはずであった。 

 ところがまんまとSPの目を欺いたはずのノヴァルナとフェアンが、開いたドアの前に来た途端、姿を隠していたホログラムのスクリーンが消失する。


「あれっ?」とノヴァルナ。


 『あれ?』ではなく、謹慎で閉ざされた部屋の中の映像しか取り込めていなかったのだから、同調出来る開いたドアの映像がないのは当然だ。


 部屋の中を見る兄妹の姿が露見し、ノヴァルナの発した声に振り返った二人のSPと目が合う。


「…………」


「…………」


 体を硬直させた四人に無言の一瞬が流れると、フェアンは小声で兄を呼んだ。


「ね…ねぇ、兄様」


「う…いや心配すんな。これも計画のうちだ」


 二人のSPがこちらに向かって歩きだす。いくら大好きな兄が、“計画のうち”と言ってもいかにも嘘臭い。フェアンは兄のジャケットの袖を掴んでさらに尋ねる。


「だったらこのあとは…?」


「決まってんだろ!ひたすら走って逃げる!!」


 そう叫んだノヴァルナは、部屋の開閉スイッチを叩いてドアを閉じ、フェアンの手を握って猛然と廊下を走り出した。


「ああん、兄様!そんなの計画なんて言わないよぉ!!」


 抗議の声を上げながらついて行くフェアンだが、その表情はどこか楽しそうだった。その背後で二人のSPが、部屋から飛び出して来た。一人は通信機で他のSPに連絡を取っている。


 その連絡はノヴァルナの父親、ヒディラスの元にも届いた。


「なに!ノヴァルナめが、部屋から逃げ出しただと!?いったいどうやって!?いや、そんな事よりすぐに捕らえろ!!…なんだと!?またイチの奴も一緒なのか!!」


 書斎の堅い樫の木で出来た机を叩き、ヒディラスは通話ユニットを放り出すと、NNLを起動させてノヴァルナに繋ごうとする。だが接続しない。


「ええいノヴァルナもイチも、ローカルのプライベートモードにしておる!!」


 ヒディラスが忌ま忌ましそうに吐き捨てると、その向こうの大きな窓の側から、軽い笑いとともに静かな声が響く。


「ハハハ…兄上にも困ったものですね」


 声の主はヒディラスの次男、ノヴァルナの弟のカルツェであった。年齢は15才。顔はノヴァルナと似ているが印象は理知的で、体の線はノヴァルナより細い。奇行が目立つ兄とは対照的に穏やかで明晰、家中での人望も高かった。第一継承権はノヴァルナにあるが、この方をこそナグヤ=オ・ワーリ家の次期当主に、と推す声は多い。


「それにしても、兄上の周到さには飽きれたものです。この城を訪れた際に、一階隅の下男の部屋などを無理矢理借り上げ、何をお考えかと思っていたら…なるほど、あそこからなら、このような時、城の外へも逃げ出し易い」


「感心しておる場合ではない!」


 カルツェの呑気な言いようを叱り、苦虫を噛み潰したような表情のヒディラスであったが、幾分気を取り直して口元を緩める。


「まぁよい。奴が逃げ出すとすれば、またバイクであろう。だが今度は奴のバイクも、配下の『ホロゥシュ』どものバイクも、すでにこちらが押さえておるわ」


 ヒディラスが口にした『ホロゥシュ』とは、ヤヴァルト皇国公用語で『親衛隊』を意味し、アイスクリーム屋の騒動の時、ノヴァルナと一緒になって走っていた、バイクの若者達の事であった。

 彼らは単なるノヴァルナの悪友ではない。ニ十名で構成されたノヴァルナ直属の親衛隊の中の四名であり、一応は兵士だ。


 この“一応”という言葉には意味がある。前に述べた、約ニ年前のノヴァルナ単身でのスラム街の不良狩り、その時の喧嘩相手の中から、見所のある者だけにノヴァルナは身分を明かし、部下に取り立てた。それがこの『ホロゥシュ』達の大半を占めている。

 ノヴァルナ自らが見いだして来た彼らは、荒々しくも有能ではあったが、親衛隊という役目以上にノヴァルナと徒党を組んで、悪ふざけの規模を大きくしている場合の方が多く、またその出自を卑しんで、オ・ワーリの家中でも毛嫌いしている者がほとんどだった。それで“一応”なのである。


 ただし今回は、ヒディラスも手をこまねいていたわけではない。『ホロゥシュ』達もノヴァルナ同様謹慎を命じられており、何かあればバイクにも人員が配置されるように、手配済みだった。逆に言えば先読み出来てしまうほど、常日頃からノヴァルナの行動に悩まされているという事だが。

 それはともかく、仲間もバイクも押さえた以上、ノヴァルナに城から逃げ出す術はなく、ほどなくその身を確保出来るに違いない。


「おのれノヴァルナめ、自分の領地だけでは飽き足らず、このキオ・スーでまで騒ぎばかり起こしおって、どうしてくれよう」


 唸るようにそう言い、苛立ちまぎれに温くなった茶を一気に飲み干すヒディラスを、カルツェは無表情で見ていた。するとカルツェのいる窓の外で人の騒ぐ声がする。何事かと思い、カルツェは窓の外を見下ろした。この書斎はキオ・スー城の上層階に位置し、声は下の中庭の方から聞こえて来る。

 そのカルツェの視線の先で、開かれた廊下の大窓から、妹のフェアンを両腕に抱えたノヴァルナが中庭へ飛び出した。


「そらよっ!!」


「キャハハハハッ!」


 ノヴァルナが窓から芝生の上へ着地すると、文字通り“お姫様抱っこ”されたフェアンが無邪気な笑い声を上げる。その背後から黒服のSPが八人、同じように中庭に飛び降りて来た。SPの人数が増えているのは、兄妹を廊下のあちこちで挟み打ちにしようとしては、逃げられたためだ。


「あれは兄上。だがなぜ、中庭などに?」


 カルツェは眉をひそめた。予想ではノヴァルナは、バイクのある城の駐車場に向かうはず、と思っていたからだ。確かに城の中庭には、池や林のような植え込みまであって相当広い。しかし所詮は周りを建物に囲まれた、閉ざされた敷地である。フェアンを抱えた兄がどんなに逃げ回っても、行き場はない。


 はじめから見張りの者達を、からかうだけのつもりだったのだろうか…ただ妹を抱きかかえたまま、あれだけ軽々と跳んだり走ったりする兄の身体能力の高さには、驚かされる…カルツェがそう思ったところに、次男の言葉を聞いたヒディラスが窓際へやって来た。


「ノヴァルナが中庭にだと!?たわけが、自ら逃げ場をなくすとは!」


 カルツェは、どうやら父も自分と同意見らしい…と考えて視線を、中庭を真っ直ぐ走るノヴァルナとフェアンに戻す。だがそこで初めて、兄ノヴァルナの顔の前に青緑色をした、小さなホログラムのウインドウが開いている事に気付いた。目を凝らすとそのウインドウでは、何かの秒読みカウントと思われる、減少する数字が表示されている。


 その直後、城の上空に轟音が響いた。


「な、なんだ!?」


 驚いて空を見上げるヒディラスとカルツェ、そしてSP達。そこには急速に降下して来る宇宙船があった。全長は30メートルほど、大気圏内飛行も考慮されたリフティングボディは、短い両翼と一体化した平たい底部を、大気との摩擦熱で赤く光らせている。そして胴体には『流星揚羽蝶』の家紋。ウォーダ家専用のシャトル、いわゆる御用船だ。


「来たか!ラン!!」


NNL(ニューロネットライン)の通話回線をオンラインに開き、ノヴァルナはシャトルへ向けて叫ぶように言った。




▶#05につづく

 

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