2章ー1・江梨花のいない世界

あたしはいらない子だ。


パパにとってあたしはお荷物。

ママにとってあたしは目障り。


ママにもパパにも必要とされていない。あたしはママとパパの邪魔になるだけ。

だからあたしはいらない子だ。


どうして。

だったらどうしてあたしは産まれてきたの。

なんであたしは生きているの。


嫌いだ。

ママとパパの邪魔にしかならない自分が嫌いだ。

あたしなんか消えてなくなればいいと思う。


ずっとそう思いながら生きてきた。


でも、他の子はあたしと同じじゃない。

あたしはいらない子なのに、なんであんた達は必要とされているの?

あたしはママにもパパにも愛されないのに、なんであんた達は愛されているの?

いい子にしているのに愛してもらえないあたしと親に我儘を言っても愛される子。


意地悪だ。

不公平だ。

あたしを暗くするために。あたしを惨めにするために。

あたしを苦しめるために、この世界はきっとあるんだ。


ママとパパを憎む事はできなかった。2人に愛してほしかった。

代りにそのはけ口は関係の無い世の中に向かった。他人に向かった。


それが小学校3年生の時。

あたしは最低だった。

生意気な子や気に入らない子とは喧嘩をした。

大嫌いな子には、気の合う子達とつるんで虐めまでした。


あたしは人の心をたくさん傷つけてきた。

あたしのしてきた事は取り返しがつかない。


あたしという人間はどうしようもないクズだ。

生きる価値は生まれた時からないけれど。あたしはもっとクズになった。




泣きたい気分で目を覚ます。

美空みそら中学の制服に着替え、洗面台で身なりを整える。

目玉焼きにトーストを焼いて1人朝ごはんを食べる。

パパは仕事でいない。ママはリビングでテレビを見ていた。


食事を済ませて食器とフライパンを洗いテーブルを拭くと、あたしは鞄を持って家を出る。


「行ってきます」


テレビを見ているママに小さい声で挨拶すると


「テレビを見ているんだから、いちいち話しかけるな」


と言われた。

あたしは靴を履いて玄関を出る。







しばらく歩くとあたしと気の合う3人の子達と一緒になる。

美耶みやちゃん、葉月はづきちゃん、琴音ことねちゃんの3人とは出会った頃は喧嘩ばかりしていた。それから段々とお互いに気が合い、いつも一緒に遊ぶようになった。


あたし達4人は全員、ひねくれ者の女の子だ。意地悪で他人にちっとも優しくなんかない。類は友を呼ぶということわざを聞いた事があるけど、これがそうなのかな。



「見てみ。前を歩いているの、ちえりだぜ」


美耶みやちゃんが目線であたし達の少し前を歩く女の子を指した。


「あいつ、この前あたしがモク引いてたら担任はげにちくりやがんの」



「激おこ?」


美耶みやちゃんがどのくらい怒っているのかを葉月はづきちゃんは尋ねた。



「うーん。ムカ着火?」


美耶みやちゃんが答えると琴音ことねちゃんが白い眼で二人を見る。


「バカっぽい話し方」



「うるせえ」


「バカにバカって言われた」



あたしはこの3人が割と好きかもしれない。

「頭悪すぎ。笑えるこいつら」と言ったら、お前にだけは言われたくないと3人から同時に返された。あたしに言い返す時だけは息合うな。


あたし達は学校でいうところの不良品。社会の爪弾き者なんだろう。

でもそんなゴミみたいなあたし達だけど、嫌な目に合わされたら誰だろうと許さない。必ず仕返しする。


クズだからって舐めるな。

のほほんと幸せそうに生きてる奴らに蔑まれると余計に腹が立つんだよ。



「ちえりの奴、まだ懲りてないみたいだし。やっちゃおうよ」


葉月はづきちゃんがあたし達を見て言った。


最近、何かと歯向かうちえりは目障り。歯向かう度にいじめているけど、まだ懲りていないみたいで反撃してくる。


そろそろ本気で追いつめてやろうか。

そんな事を考える・・・・・・あれ?


そういう気持ちにならない。

どうした、あたし?


なんだろう。

歯向かう気も起きないほどいじめてやろうと、いつもなら思うはずなのに思わない。そういう考えをしようとすると、胸の奥がぎゅっと痛くなる。


嫌だ。傷つけたくない。

人に心を傷つけられた時の痛みは知っている。

自分が辛いと感じた事を他の人にもするの?

ママやパパに自分がされたような事をあたしもするの?


嫌だ。悲しいのはもうたくさん。



「やめとこ」


あたしは3人に言った。



「えー。なんでよ?」


「このままじゃ、あいつ調子に乗るよ」


芹歌せりかちゃんらしくもないなあ。どうしたの?」


3人に訊かれて、あたしは自分の気持ちに戸惑いながらも答える。


「自分がされたら悲しいだろ。だからやりたくない」



「は?」


あたしの答えはとても以外だったのだろう。

3人から有り得ないものに遭遇してしまったような目で見つめられた。





学校に着き教室に入ると、朝の会が始まる前のクラスの喧騒が耳に入る。ここにあたし達4人の馬鹿騒ぎの声も混じって、より騒がしくなるのがこのクラスのいつもの日常。


担任の先生が来るまでの間、琴音ことねちゃん、美耶みやちゃん、葉月はづきちゃんと笑いながらふざけているとちえりの姿が視界に入る。


ちえりはスマートフォンを触りながら1人で机に座っていた。


「あれ?」


1人でいるちえりの姿に違和感を覚える。



「ん。どした?」


琴音ちゃんに訊かれ、あたしは尋ねた。


「ねえ。ちえりって朝、いつも1人だっけ?誰かと話してなかった?」



「あいつ友達いないじゃん。いつもぼっちでしょ」


琴音ちゃんの言葉に「だよね」とこたえたけれど違和感は拭えない。1人で居るちえりの元に誰かが来て話しかけていたような気がする。


そんなはずはないのに。そんな記憶はないのになぜかそう感じてしまう。



「今日はなんだか変だよ。芹歌せりかちゃん、何か悪いものでも食べたでしょ?」


からかうように葉月ちゃんに言われて、あたしは笑いながら答えた。


「あんたじゃないんだから変なものなんて食べないよ」



「あ、お前。人がせっかく心配してやったのに」


葉月ちゃんが首をしめてきたので、お返しに首をしめ返しておいた。







翌日。

また美耶ちゃんがちえりと言い争いをしていた。きっかけはつまらない事。どちらも相手が気に入らないからちょっとした事ですぐ言い争いの喧嘩になる。




「ちえりの奴、むかつくんだけど!」


4人での帰り道。吠える美耶ちゃんに葉月ちゃんが訊く。


「激おこ?」



「激おこも激おこ!激おこプンプン丸!」


美耶ちゃんが答えると琴音ちゃんが言ってきた。


「ねえ、芹歌ちゃん。ちえりの奴、あたしらの事舐めきってんじゃないの。そろそろ痛い目に合わせないと調子に乗るかもよ?」



「おう。琴音ちゃん、いい事言うじゃん。あたしのちえりへの怒りはもう、ムカ着火いんふぇるのだよ?」



「お前はちょっと黙れ」


琴音ちゃんが美耶ちゃんの口を塞ぐ。



「芹歌ちゃん。あたしらは舐められたら終りだよ」



琴音ちゃんに言われなくても分かってる。4人とも親に半分見捨てられたような境遇だ。ひねくれて態度も悪いから先生の印象も最悪。そんな爪弾き者の自分達はクラスの連中に舐められたら終わり。


今は一目置かれているからクラスの中でも好き勝手できている。でも舐められたら誰にも助けてもらえないあたし達は惨めなものだ。


嫌な子供は勘が鋭い。小学校の時、授業参観に一度も親に来てもらえなくて、その事をしつこくからかわれた。こちらは心の底から触れてほしくない部分なのに、ずうずうしく無遠慮に土足で踏み込んでくる。あたしが嫌がると面白がって余計にからかわれた。


親にも先生にも見捨てられ、クラスでも浮いている自分達が学校で自由に振舞うためには舐められちゃだめなんだ。


それは分かっている。でも相手が嫌な思いをする事はしたくない。

あたしは琴音ちゃんに答える事ができなかった。




それから何度も3人からちえりを痛い目に合わそうと言われたけれど、その度に3人を止めた。


「芹歌ちゃんさあ。なんかあったの?」


「おかしいよ。いつもなら芹歌ちゃんが一番乗り気で、やろうって言ってくれるのに」


「何か悪い物でも食ったんじゃないの?それともついにヤバイものに手を出した?」



「ごめん。いつものあたしじゃないって自分でも分かっているんだ。悪い物は食べていないし、ヤバイものとか言うな。あたしはまだ、この歳で捕まりたくない」



「わっかんないなあ」


美耶ちゃんが難しそうに首を傾げている。葉月ちゃんも戸惑った表情をしていた。琴音ちゃんは少しだけ怒ったような顔をしている。




前は人の痛みや悲しみといったものに思いをはせる事はなかった。ママやパパにされて辛かったくせに。悲しかったくせに。


ママやパパに毎日傷つけられている内に、人を傷つける事は普通の事なんだと錯覚するようになっていた。でも違う。傷つけられれば痛いんだ。やれば相手が自分と同じ痛みを味わう。それはしたくない。あんな痛みは自分だけでもうたくさん。


自分がされて辛い事は人にしたくないんだ。

葉月ちゃんも琴音ちゃんも美耶ちゃんにもそんな事はしてほしくない。人を傷つけるのは自分を貶める行為だから。



それから3人とはちょっとだけギクシャクしたけどすぐに元通りになった。

いつも通りの馬鹿を言い合う4人組。何でも言い合える仲間のままだと思っていた。だけど違った。何かを決める時。集団行動をする時はいつでもあたしが中心になって決めていたのに今回の件からは弾かれた。


3人はあたし抜きで、ちえりにちょっかいをかけ出したのだ。



ちえりがトイレにいる時に3人は掃除後の汚れたバケツの水をちえりの入っているトイレの中にかけたり、彼女が体操着に着替えようとしたらその前に盗んで燃やしてしまったり、どんどんやる事をエスカレートさせていく。


あたしは放課後、3人を校舎裏に呼び出した。


「もうやめなよ。こんな事を自分がされたら辛いだろ。自分がされて嫌な事はやめなよ」



「芹歌ちゃんさあ。今さらいい子ぶるのはやめてくんない?」


琴音ちゃんがあたしを睨みながら答えてきた。



「別にいい子ぶってなんかねえよ。ただ、分かるだろ。自分が嫌な事された時の事を思い浮かべてみてよ。ぜったいしたくなくなるだろ?」



「自分が嫌な事をされたら、やり返せばいいだけじゃん。やり返せない奴は舐められるだけだよ」


葉月ちゃんもあたしに反論してきた。



「もう、いいよ。芹歌ちゃんはちえりのいじめに加わらなくてもいいから。あたしらの邪魔だけはしないで」


美耶ちゃんにまで突き放された。

3人はもう、あたしをリーダーだと思っていない。


3人はあたしの言う事を聞いてくれなくなってしまった。




あたしは変わったのだろう。

他人に嫌がらせをすれば、された方はどんな思いになるか。

その事に思いを傾けるようになった。でも、これは普通の事なんだ。相手の事を思い、相手を気づかう。

当たり前すぎるほど、当たり前の事なんだ。


それをあたしは気づかされた。




気づかされた?


気づいたではなくて、気づかされた?


何、この感覚?


自分で気づいたんじゃないとなぜか分かる。

あたしは大切な事を誰かに気づかせてもらっていた。


誰が?

一体、誰があたしに教えてくれたというの?


思い出そうとすると、胸の奥が締めつけられる。

でも嫌じゃない。悲しいような。だけど温かい気持になる。

思い出したい。凄く大切な、大事なものを忘れているような気がする。


それが一体何なのか。

いくら考えてみても心当たりが浮かばない。

この心の奥底からこみ上げてくる切ない思いの正体が分からない。




校舎の裏で3人が立ち去ってしまった場所に1人たたずむあたしの目の前に、ぼんやりとした人の姿が突然現れた。


「男の子?」


グレーがかった瞳にダークブロンドのくすんだ金髪。外人っぽいから見た目の年齢にずれがあるかもしれないけれど感覚的には10~12歳くらいの男の子。可愛らしい美男子だ。


息を飲むような美しさと可愛さを併せ持つ男の子。

でもそれ以上に私が息を飲んだのは彼の胸元。


穴が空いていた。

胸にぽっかりと大きな穴が空いている。


何?何なの、この子は?

あたしは体が震え出し、無意識に後ずさりしていた。


この世のものじゃないと直観で感じた。

逃げ出したい思いに駆られるのに、その場から動けない。


男の子がわたしに向かって言葉を発した。


「見つけた。君が触媒だったんだね」



何?触媒って何?

あたしの体は本能的に身の危険を感じている。

けれど、震える唇に力を込めてあたしは尋ねた。


「貴方は誰?幽霊か何かなの?」



あたしの質問に男の子は答えず、自分の要求だけを口にする。


「エリカを復活させるためには君が必要なんだ。拒む事は許さない」


子供の姿のくせに引き寄せられそうな魅力的な微笑みを浮かべる男の子。

見蕩れてしまいそうな微笑みの奥に潜む危険な眼差しに見据えられて、あたしは金縛りを受けたように身動きができなくなってしまった。

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