5・寄り添う気持ち

「あの子溺れちゃう!助けないと!助けないと!」


慌てて何度も転びそうになりながら階段を下りていると、ついに私はつまずいて前のめりに倒れてしまいます。まだ下まで20段くらいはあるでしょうか。この勢いで転んだら打ちどころが悪いと死んじゃいますね、私。


でも私の体は階段を転げ落ちる事もなく、ふわりと持ち上げられました。


「え?」


階段を転げ落ちそうになった私を持ち上げてくれた相手を見ると、そこには大きな熊さんのお顔がありました。


「プーさん」


「にゃん」

プーさんは私の呼びかけに黒いおめめを細めて、熊さんなのに猫さんの声でお返事をしてくれました。熊猫パンダさんに呼び方を変えた方が良いでしょうか。


「危なっかしいですね、江梨花えりか。わたくしはなるべく見守るだけでいようと思っていますのに、つい手を借したくなってしまいます」


頭の上から女神様の愚痴のような声が聞こえてきました。


「女神様、助けてください!あの子が溺れちゃいます!」


女の子が飛び込んだ辺りを見ると苦しそうにもがいている腕が見えます。水で死ぬのはとても苦しいそうなので、あがいてしまうのは当然です。


「わたくしはお薬なら万能ですけれど、直接行動ではあまりお役には立てません。江梨花えりか、プーさんにお願いしてみなさい」


「ぷーさんに?」


「はい」


「分かりました。プーさん、あの溺れている女の子を助けてあげてください」


私を抱き上げているプーさんにお願いしてみると、プーさんは私をその場に下ろして、二本足立ちから四足歩行になり、風のような速さで階段を一気に飛び越え、橋の袂にたどり着いてしまいます。


もがいていた女の子の腕がついに川の中に沈んでしまいました。


そこにプーさんが飛び込み大きな水しぶきが上がります。はらはらしながら様子を見ていると、川からプーさんが女の子を抱きかかえて出てきたので胸をなでおろしました。


雑草の生い茂る川辺を越えてプーさんは女の子を河川敷の土手に寝かせます。どうやら女の子は気絶しているようですね。近寄ってお顔を近づけると咳きこみながら水を吐いています。川の水はバイ菌や虫がいっぱいいるのでこのままだと病気になってしまうかもしれません。


私は女神様にお願いして体の中を綺麗に浄化してくれるお薬を出してもらい、それを女の子の口の中に数滴落としました。女神様のお話だと、このお薬はこれで効果が十分に出るそうです。



「げほっ。げほっ」

再び女の子は咳きこみ、うっすらと両目を開き始めます。


「良かった。気がつきましたね」

ひざまずいて女の子に声をかけると女の子は突然悲鳴を上げながら叫びました。


「川の中に熊が!熊がいたの!」


ふぁ!しまった。プーさんを見られちゃいました。

そう思って慌てて周囲を見回しましたが、プーさんも女神様もいつの間にか姿を消しています。

相変わらず撤退が早いですね、女神様。


「く、熊なんてどこにもいませんよ!きっと溺れて幻でも見たのでしょう」

私は強引にプーさんの存在を女の子の脳裏から消し去ろうと試みました。


「そんなはずない。川の中は暗かったけど、あれは熊みたいなものだった!」


駄目です。彼女の脳裏からプーさんが消せません。

私は諦めて、話題を変えます。


「ところで貴女はどうして自分から川に飛び込んだのですか?」


そう私が尋ねると、女の子は口元をぎゅっと結んで黙り込んでしまいます。

言いづらいみたいです。

そうですよね。川に飛び込むほどの事だもの。

私は女の子の隣に腰をかけて、そのまま黙って座り続けました。

女の子も起き上がりそのまま土手に座り続けます。


長い時間、私と女の子は二人きりで座り続けます。

辺りはもうすっかり真っ暗です。


「くしゅん!」

女の子がくしゃみをしました。


そうでした。彼女は川に飛び込んでずぶ濡れです。日も落ちて気温も下がってきているので、このままだと風邪を引いてしまいます。早くお家に帰ってお風呂に入って着替えないと。でもそんな事をしている間に風邪を引くかも。


「ちょっとだけ、そのまま待っていてください」

私がそう言って土手の反対側に行こうとすると女の子がわずかに不安そうな表情を浮かべました。


「大丈夫です。すぐに戻ります」


「別にどうでもいいし。私とは何の関係もないんだから、あんたはさっさと帰ればいいでしょ」


強がりでしょうか?それとも本当にそう思っている?

私は人の心を読むのが苦手で彼女の本心が分かりません。


でもとにかく、ずぶ濡れの女の子をこのままにはできません。私は土手の裏側に下りて集中します。



お願いです。今はどうか成功して!


神様。空気を自在に操れる神様。気温も湿度も場所も自由自在。空気で清浄化もできる・・・・そんな神様。


姿は白銀の長い髪に涼しげな青い瞳。いえ、違います。普通の綺麗なお姉さんのお姿で!


途中まで神々しい姿をイメージしたのですが、またプーさんみたいに人に見られて驚かれると困るので、ちょっと綺麗なお姉さんのお姿にしました。服装は今日、優衣ゆい先生が着ていたスカートスーツで。


心はどうしましょう。迷ったら無難に私の性格で。名前は気神きしんにします。お願いだから成功して!



まばゆい光輪が現れて中からスカートスーツ姿の女神様が出てきました。今度はぼやけて消えそうじゃありません。姿がはっきりしています。


私は空気を自在に操れる女神様にさっそく土手の向う側で風邪を引きそうになっている女の子の服を乾かしてもらうように頼みました。あと体と制服の浄化も一緒にお願いします。


女神様はにっこり笑って、快く引き受けてくれました。



私は土手を登って、再び女の子の隣に座ります。


「なんだか、体が温かい。それに服がどんどん乾いてくる。何これ、どうして?」


女の子は自分の服と体に起こっている変化にとても不思議そうにしていますが、私は素知らぬふりを決め込みます。やった!女の子の体と服を乾かすのに成功していますよ、気神きしん様。


自分の体の変化に不思議そうにしながら女の子は私に言いました。


「なんだ。帰ったと思ったのにまだいたんだ」



あれ、本当にお邪魔なのかもしれないです。私。


「お邪魔なら消えますけど?」

女の子にそう答えると、なぜか彼女は黙ってしまいました。


あれれ?

お邪魔じゃないの?




また、私達は2人並んだまま土手に座って時を過ごします。

「あんた、名前は?」

女の子が小さな声で訊いてきました。


小仲江梨花こなかえりかです」


「そう」

短く女の子は頷きます。

そのまま、また沈黙の時間が流れます。


中岸なかぎしちえり」

女の子がぽつりとつぶやきました。


「え?」

私が聞き返すと女の子はさっきよりも少し大きい声でまた言いました。


中岸なかぎしちえり。私の名前」


「ああ、中岸ちえりさんというお名前なのですね。よろしくお願いします」

私は座ったまま中岸ちえりさんにお辞儀をしました。


「あんた、変わってるね」


「そうですか、ちえりさん?」


「うん。川に飛び込んで自殺しようとした私なんかの側にずっといて。それに何も聞いてこないし。私があんたの名前を聞いてあんたが答えた後は何も言わないし」


「ふぇ?自殺しようとしていたんですか、ちえりさん!」

私が驚いてちえりさんにすり寄ると、ちえりさんも驚いたお顔になりました。


「ええ?!普通、自分から川に飛び込んだら自殺だってわかるでしょ!」


「ふえー!そうなんですか?何か嫌な事があって気分転換に川に飛び込んだとか、修行の為とかだってあるかもしれないじゃないですか?そりゃ、自殺の可能性も浮かびましたけれども決めつけは良くないし」


「気分転換とか修行って・・・あんたって、ほんと頭の中が変わってるね!」


「えへへ」


「褒めてないよ」


「そうですか。人と違うって、個性的で良いと思ったのですけれど」

私が少しがっかりしていると、ちえりさんは不思議そうに私の顔をまじまじと見つめてきます。そんなに見つめられると照れちゃいます。


「なんだか馬鹿らしくなってきちゃった。私、そろそろ家に帰る」


「そうですか。よかったら私と一緒に帰りませんか?」


「あんた、友達とかいないの?」


「いますよ。どうしてそんな事を訊くのですか?」


「私みたいな不愛想な子に付き合ってずっと側に居てくれたし。今だって一緒に帰ろうとしてくれてるじゃん。よっぽど友達がいなくて、さみしいのかと思って」


「そんな事ですか。辛そうな人を放っておけるわけないじゃありませんか。それにもしご迷惑でなければ私とお友達になってくれませんか?」


「別に・・・」


「はい?」


「別に友達になってあげてもいいけど」


「ありがとうございます。じゃあ、今からちえりさんは私のお友達です!」


「うん」

恥ずかしそうに頷くちえりさん。


私はちえりさんの手を握って2人で仲良く帰る事にしました。


私に手を握られたちえりさんは、夜なのにお顔が赤くなっているのが分かるくらいに照れていました。ちえりさん、可愛い。


「あんた。やっぱり友達いないんでしょ」


「え、いますよ」


「じゃ、どうして私なんかと友達になってそんなに嬉しそうにしてんの?」


「ふぇ?だって、ちえりさん可愛いし」


「かわいい?!」


「はい。照れたお顔がとっても可愛いです」


私がそう言うと、ちえりさんは顔を赤くしたままうつむきました。

私達は夜の帰り道を仲良く歩きます。

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