2・最初の神様

江梨花えりか、一緒に帰ろう」

授業終了のチャイムが鳴り、お掃除の時間が始まったばかりなのに、後ろの席の倉橋貴樹くらはしたかき君が下校のお誘いをしてくれました。


貴樹たかき、部活さぼる気なの?また先輩に怒られるよ」

私のお友達の檜川茉希ひかわまきちゃんが貴樹君にお小言を始めました。


貴樹君はこの美空みそら中学校の野球部で2年生です。勿論、同級生の私と茉希まきちゃんも中学2年生。そして茉希ちゃんは野球部のマネージャーさんをしていて、貴樹君の事が好きみたいです。前に私とおしゃべりしている時に好きな子の話題になって茉希ちゃんが頬をピンク色に染めながら私に教えてくれました。


「私、真剣に貴樹たかきの事が好きなんだよ。ねっ!だからお願いねっ!」

とその時に何度もお願いをされたのだけれど、何のお願いだったのでしょう?


「う、うん」と茉希まきちゃんの勢いに押されて、思わず意味も分からずお返事しちゃったけれど結局何のお願いだったのかは分からず仕舞いです。

今更、あれって何だったの?とはとても聞けません。


江梨花えりかってさ、いつもぽやんってしているだろ。一人で帰らせると変な奴に連れて行かれるんじゃないかと思って心配なんだよ」

私を心配してくれていたのですね。

貴樹君、ありがとうございます。

でもそんなに私って危なっかしくて頼りないのかな?


「お掃除が終わったら私は一人でちゃんと帰れますから心配しなくても大丈夫ですよ。貴樹君はさぼらず野球をがんばってくださいね」

と答えたら茉希ちゃんが私を見てなぜか嬉しそうにウインクしてくれました。

私の返事に貴樹君が残念そうな表情をお顔に浮かべていますが、そんなに心配しなくても本当に大丈夫ですから安心してください。


お掃除も終わり、貴樹君が茉希ちゃんに袖を引っ張られながら部活に向かう様子を眺めた後、私は帰る準備を始めます。


小仲こなかさん。俺が送っていくよ」

今度は同じクラスの滝本和也たきもとかずや君が一緒に帰るお誘いをしてくれました。心配してくれるのは嬉しいけれど、そんなに私は危なっかしく人から見えているのかな?ちゃんとしないと駄目だね、私。皆に迷惑をかけちゃいます。


滝本たきもと君、エリちゃんと方向が全然逆じゃん。それなら私がエリちゃんと帰るから来なくていいよ」

クラスメイトの西島綾香にしじまあやかちゃんが私と滝本和也たきもとかずや君の間に入って言いました。私も綾香あやかちゃんの背中からお顔をぴょこっと出して滝本君に感謝しつつ答えます。


「心配してくれてありがとうございます。でも帰る方向が逆だから滝本君が大変になっちゃいます。私は綾香ちゃんと一緒に帰るから大丈夫ですよ」


みなさん。いつも心配させてごめんなさい。

と私は心の中で謝りました。


綾香ちゃんと一緒におしゃべりしつつ帰る道すがら、綾香ちゃんが私に向かって言いました。


「エリちゃん。ガードはしっかりしないと駄目だよ。そうじゃないとエリちゃんみたいなおとなしい女の子は男共にすぐにつけ込まれちゃうんだから」


ガードですか?男共ですか?

学校帰りを狙ってくる不審者さんとか変質者さんの事を言っているのかな?

うーん。そういえば最近、そういう噂があるものね。気をつけます。




「じゃあ、私はこっちだから。エリちゃんバイバイ!」

大きなお寺の前まで来た三叉路で綾香ちゃんとさよならします。


ここまで来れば私のお家はすぐそこです。大きなお寺を迂回するようにして続くこの道を500メートルくらい進めば私のお家が見えてきます。


車に気をつけて車道の横を歩いていると前から一台の乗用車がこちらに向かって走ってきました。私は轢かれないように道の端に寄ります。

その時、信じられないものを見つけてしまいました。

小さな黒い仔猫が道の真ん中でうずくまって倒れていたのです。


「だめ!」

気がつけば私は車の前に走り出していました。


危険なのは分かっていました。

でも見過ごせなかった。

あんなに小さな命が目の前で散る姿なんて見ていられない。


私は仔猫を両手に抱えて、そして跳ね飛ばされました。

跳ね飛ばされて道端に転がりながら倒れた私は今まで感じた事もない痛みに息が詰まります。鉄の味が喉の奥からこみ上げてきました。これは背骨も肺もボロボロになっちゃったかもしれないです。


痛いです。死んでしまいそうなほど痛くて痛くてひとりでに涙が出てきます。その時、私の腕の中で小さな鳴き声が聞こえてきました。


「みゅう」


まだ目も開かないちっちゃな仔猫さんです。

良かった。

助ける事ができました。


あれ、昔似たような事をしたような気がします。

そんな記憶は無いのに。


そう思った瞬間、見た事もない風景が浮かんできました。

え?何ですか、この景色は?


(ああ、なつかしいです)

私の心の中で知らない私の声が聞こえます。私は私に尋ねます。


なつかしい?何がなつかしいの?


(私の生まれた世界です。なつかしい故郷)


知らない。私はこんな世界は知らないです。こんな景色は見たこともありません。


(私の愛した人達の世界です。ここが私の本当のふるさとなのです)


ああ、そうか。何となく感じていた違和感の正体にやっと私は気づきました。

今の私が暮らすこの日本も地球も私にとっては別の世界。

今いる世界は私にとって本来の世界ではなくて見知らぬ異世界だったのだと悟り、

少しだけさみしくなりました。



さみしさの中で私の意識はしだいに薄れ、違う私の意識が私を支配します。




頭の中で走馬燈のように風景が次々に浮かび上がってきました。あのなつかしい故郷の景色。


貧しいけれど優しくて、教会にお布施や食べ物を分け与えてくれる親切な人々の姿が瞼に浮かびます。戦争で大切な親を失ってしまった子供達や寝たきりの人達が、お世話する私に時折見せてくれた穏やかな笑顔も昨日の事のように鮮明に思い出せます。


そして一列に並べられて処刑されそうになった人達。

結局、一人も救えなかった。

くやしいです。

あの人達にどんな罪があるというのですか。

あんなに理不尽な事は許せません。

願わくば、故郷を・・・あの世界を救いたいです。


死ねない。

私はこんな所で死んでなんかいられない。


神様。

どうか助けてください。


神?神なんてこの世にいると信じているのか?

私をあざ笑うあの声。


神はいませんよ。

ぼんやりとした明るい世界の中で声だけが聞こえる人に言われた言葉。



それが何だというのです。

神様がこの世にいらっしゃらないのなら私が神様を作り出します。

あの声だけの人が与えてくれたこの力で。



私を轢いた乗用車から女の人が出てきて私に何か声をかけておられるご様子ですが、苦しみと痛みで身じろぎ一つできない私はお応えする事がかないません。だってもう息もできないのですから。


ごめんなさい。

見ず知らずの人の車に飛び出して貴女にとんでもないご迷惑をおかけしてしまいました。でも私は死なないので心配しないでください。何がなんでも生きますから。


私の体が横たわる後ろにあるのは大きなお寺。

確かご本尊は薬師如来様。


仏様ですけれど、たぶん大丈夫でしょう。

私は心の中で薬師如来様のお姿とその能力をイメージします。

どんな怪我や病気もたちどころに直してしまうというその薬を生み出すお力。そんなもの薬師如来様にあったっけ?とは聞かないでください。これはあくまで私のイメージなのですから。強く具体的にイメージしないと正しく神様の形が作れません。


神様の芯となる心の形は良く分からないので私の性格をベースにします。

そして最後に薬師如来様への真名の名付けです。

今は緊急事態なので、そのまま薬師やくしにしました。


誕生の時です。薬師やくし様。


光り輝く光輪が出現し、その中から真っ白な衣を纏いし美しい女神様が私の目の前に現れました。

女神様は手許から小さな液体の入った小瓶を生み出すと、その小瓶の蓋をあけて横たわる私にそっと飲ませてくださいました。すると痛みと苦しみが嘘のように消え去り、私は安堵してその場で気を失ってしまいます。





目覚めるとそこは病院のベッドの上でした。

涙を流すお母さんやお父さん。それと綾香あやかちゃんの姿が見えます。

私が目を覚ました事に気づいた3人が泣きながら私に抱きついてきました。


ごめんなさい。

こんなにいっぱい心配をかけてしまって。

私はベッドから起き上がり泣きながら謝りました。


「お気持ちは分かりますが、病院内では静かにお願いします」

ちょっと怒った声のする方を見ると看護婦さんが私達4人を睨んでいました。


怖いです。ごめんなさい。






あれから私は学校を3日間休んで精密検査を受けましたが体のどこにも異常は見当たらず健康体ですね。と太鼓判を押されてしまいました。


私が救急車で運び込まれてきた時にも、服は泥だらけでボロボロだったけれど、擦り傷一つない綺麗な体だったそうです。


事情聴取に訪れた警察の人が言うには、私にぶつかった乗用車の方が前がボロボロになっていて、普通なら生身の体で轢かれた私が怪我一つ負っていないのは奇蹟であり、不思議でしかたないとの事でした。


私も実は不思議なのです。

何となく私が神様を作った事は覚えているのですが、あの時の私の意識は今の自分ではなくて、どこか遠い世界の人のような感じでした。自分なのだけれども自分じゃないみたいな感じでしょうか。だからどのように私が神様を作ったのかあやふやなのです。


それともう一つ。

あの一目見ただけで忘れようがないほどインパクトのあるお姿をした女神様を誰も見ていないのです。どうしてでしょうか?私にしか見えないとか?






3日間の入院生活を終えて美空みそら中学校に登校すると、クラスのみんなが私の周りに集まってきてたくさん声をかけてくれました。綾香ちゃんなんか今でも泣きそうな表情です。私を送って帰ろうとしたすぐ後だったので責任を感じてしまったのだそうですが、とんでもない事です!私の方こそ勝手にみんなに迷惑をかけて心配させてしまってごめんなさい。


私が元気なのを見て安心したクラスメート達が席につくと、今度は優衣ゆい先生が心配したんだよー!と私に抱きついてきて、頬ずりをいっぱいされちゃいました。

温かいみんなの気持ちに触れれば触れるほど切ない気持ちがあふれてくるのは

何の予感なのか、今は考えたくはありません。

ただ、一つだけ言える事はこの世界に来て良かったという事です。

この世界の人達と出会う事ができて本当に良かった。


みんな優しい。

みんなありがとう。

みんな大好きです。



感謝の気持ちで授業が始まるのを待ちながらふと教室の窓を眺めると、そこにはあの私を助けてくれた女神様が優しい笑顔を浮かべながらお空にふわふわ浮いていました。


私の助けたあの黒い仔猫をその腕に抱いて。

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