第8話
青かった空が束の間色を失う。思い出したように紅(くれない)に染まり、紫から藍に変わる。紅丸は仁孝の妙案のとおり、その藍が紺になり、黒になるまで待った。いい塩梅がわからないまま、伊都乃が臥せている部屋の前まで来てしまった。尻に違和感がある。夜這いをするからには準備が必要だと思ったので、自分で広げて軟膏を塗り込んでみた。
屋敷は静まり返っている。隙間風や家鳴りを入れても、自分の心臓の音が一番大きい。紅丸はほとんど何も着ていない。腹当てを兼ねた下着の上に単を羽織っただけだ。
何度もためらい、ようやく襖に手をかける。紙を貼っただけのものがどうしてこうも重いのか。磨かれた桟をすべらせる。仁孝の言ったとおり、そうっとだ。自分が通れるだけの隙間を作り、中へ入った。
伊都乃は敷布に横になり、夜着をかけていた。横臥しているのは、背中の傷が痛むためだろう。瞼を閉じている。眠っているのかもしれない。がらんとした部屋に身の置き所はなく、紅丸は伊都乃の近くに座ってできるだけ小さくなっていた。
肌蹴た襟からのぞく白い肌や薄い唇を眺めているうちに、今の今まで忘れていた恐怖がどっと押し寄せた。死んでしまうかもしれなかった。仁孝は伊都乃でよかったと言ったけれど、少しもよくない。
あのとき、彼女を殺せていたら――
「泣くなら他所でやれ」
「泣いてないっ」
伊都乃が目を開けた。
「何しに来た? 暗殺か?」
冗談でも笑えない。紅丸はにらみつけたが、伊都乃は受け流す。
「それで、何をしに来た?」
改めて問われると、夜這いとは言いにくい。暗殺よりもよほど冗談のようだ。伊都乃は呆れるだろう。そうでなければ鼻で笑われるだろう。
もじもじしていたら、早くしろと怒られた。死にかけると人が変わると聞くが、短気は変わらないらしい。
「よ……夜這い」
「なんだ。いいぞ」
「え? いいのか? 夜這いだぞ?」
「どうせご差配だろう」
「知ってたのか?」
「いや。しかし想像はつく。まず、お前から夜這いという言葉が出てくるわけがない」
それもそうだ。
「どうした? 来い」
「でも、怪我が」
「ここまで来ておいてそれか? 俺がいいと言ったのだからいいに決まっている。早くしろ」
白い腕がのびてきて、紅丸の単をつかまえようとする。咄嗟に避けたらむっとされた。
「逃げるな」
夜這いをされる側の発言ではない。もちろん自分の行動も、する側のものではないのだけれど。
ためらいつつにじり寄っていったら手首をつかまれた。伊都乃の手は熱い。熱は完全に下がっていないようだ。伊都乃は夏場でも陶磁器のようにひんやりとしている。本当に大丈夫なのかと危ぶんでいるうちに、夜着の中に引きずり込まれた。無性に恥ずかしい。顔を見られたくなくて、伊都乃の鎖骨に額を当てる。
「冷たい」
伊都乃は心地よさそうにつぶやいた。体中を撫でられる。冷えていた皮膚がぬくもりを取り戻していく。伊都乃は紅丸の太腿の裏を撫で、尻の肉を揉んだ。ヒッと情けない声が出る。
何度もしているのに、何をされるかもわかっているのに、いつまでも所在のない気持ちになる。夜這いは初めてだからだろうか。いや、それは口実だった。他にしておかなければならないことがある。まごまごしていたら流されてしまう。
「伊都乃」
「ん?」
「ごめん」
伊都乃の手が微妙な位置で止まる。
「今更やめるのか?」
「そうじゃなくて、怪我……おれが、できなかったから……」
鉄が肉に刺さる音。崩れる体の重み。女の喉に刺さった棒手裏剣と見開かれた目。思い出すだけで息ができなくなる。
「阿呆。こんなときに言うな」
不機嫌そうな顔をする。でも、怒ってはいないようだ。許してくれたのか、そうでないのかわからない。伊都乃は自分が言いたいことは遠慮なく言うのに、こちらが聞きたいことはなかなか言ってくれない。
耳を齧られ、舌先を突っ込まれた。ぐちゅぐちゅと湿った音を聞かされる。下着をずらされたと思ったら、すぐに指を入れられた。
「やわらかいな。自分でしたのか?」
「う、うん……夜這いだから」
伊都乃は喉の奥で笑った。こりこりと弱いところを引っかかれる。素直に気持ちいい。前がだんだん張ってくる。吐息が熱を帯び、どちらからともなく唇を重ねた。舌先を吸われ、上顎を舐められると腹の奥がぞくぞくした。
「ん、あ……伊都乃」
「ん?」
「ありがとう」
「今度はなんだ?」
「あのとき、助けてくれたから」
伊都乃はため息を一つ、さらに深く口づけた。しこりを強く押さえられ、紅丸は声を上げた。そのまま小刻みに揺すられると我慢ができない。粘膜がうねり、伊都乃の指を締めつける。
「あ……ああっ」
自然、手が下肢にのびる。自分で触っていると、伊都乃が昂ぶりを押しつけてきた。
「一人だけ楽しむな」
戸惑う紅丸に、夜這いなのだからと追い打ちをかける。紅丸は手探りで伊都乃の帯と下着を解いた。彼の方が大きいから、少しばかり劣等感を感じる。自分の腹の布を避けて、二人のものをまとめて握った。一人のときとは勝手が違う。恐る恐る手を動かしてみる。
とても恥ずかしいことをしている気がする。硬くなっていることも、濡れてきていることも、直接的にわかってしまう。お互い様なのだけれど、自分ばかりが興奮しているようで居心地が悪い。
「ひぁっ」
指を増やされ、広げられた。逃げがちになる腰を引き寄せられる。密着すると、髪に熱い吐息がかかった。感じているのだろうか。普段は伊都乃に翻弄されるばかりで、そこまで考える余裕がない。鈴口を擦ると、わずかに反応があった。
「気持ちいいか?」
伊都乃は答えず、指を引き抜いた。夜着をめくられ、ひんやりとした空気にさらされる。二人分の先走りで濡れた手が冷たい。
「今日はおれがする」
脚を開かせようとする手を押しとどめる。怪我人に負担はかけたくない。
「できるのか?」
聞かないでほしい。ない自信がさらになくなりそうだ。
肘を支えに上体を起こした伊都乃の腿にまたがり、屹立の先端を後孔に当てる。ぴりぴりと痺れるような感覚があった。事前にほぐして、軟膏も塗って、伊都乃にも弄られたのに、つながる瞬間は苦しかった。一番太いところをなんとか押し込み、徐々に腰を落としていく。その様子を伊都乃がじっと見ているから、居たたまれない。
「ん、んっ……はぁっ」
すべてを身の内に収め、紅丸は深く息を吐いた。異物感が凄まじい。伊都乃の腹にぺたりと座りこんだまま、動けなくなってしまう。
「きちんと動け。夜這いだろう?」
「わかってる、けど」
紅丸は敷布に手をつき、腰を前後に揺すった。前屈みになると伊都乃の顔が近い。どこを見ていいかわからず紅丸は目を伏せた。
快楽は生ぬるく果てしなかった。波が絶え間なく押し寄せるが、焦らすばかりでさらってはくれない。下着が後孔と陰嚢の間を擦ることさえもどかしい。達するには足りなくて、下着の内に手を入れる。蜜は先ほどよりもぬめりが濃くなり、扱くとにちゃにちゃと音がした。蒸れた匂いが鼻をつく。
「や……ああっ、あぅっ」
不意に下から突き上げられ、紅丸は喉を逸らせて喘いだ。肩に引っかかっていた単が落ちる。紅丸は伊都乃の肩口に額を押し当てた。熱っぽく汗ばんでいる。律動に合わせて腰を振り、紅丸はひたすら快楽を追いかけた。
夜這いだったのに。自分からすると言ったのに。気持ちよくて止まらない。
せり上がってくるものがある。こめかみが脈打ち、白く靄のかかり始めた頭で、絶頂が近いことを感じる。
「あ、ぁんっ、あ……!」
内壁がぎゅうっと収縮する。噴きこぼれた白濁が紅丸の手と下着を汚した。伊都乃のものは固いまま紅丸を穿っている。
こんなはずではなかったのに。硬直していると、耳に触られる。
「ここまで赤いぞ」
何か言い返してやりたかったが、言葉が出てこない。唇に触られる。伊都乃の手からは、毒の匂いも鉄の匂いもしなかった。指先を舐めると、伊都乃は紅丸の腰に腕を回した。そのままゆっくりと仰臥する。
「伊都乃、背中」
「大人しくしていろ」
さすがに痛むらしく、伊都乃は顔をしかめた。体の位置を入れ替えられ、今度は紅丸が伊都乃を見上げる。欲望にぎらつく双眸が紅丸を敷布へ縫いとめる。殺意のようにまっすぐで、ねっとりと重い。
脇腹を撫で上げられ、紅丸は身をよじった。乳首を指の腹で押しつぶされる。円を描くようにこねられると、そこはぷくりと膨らんで芯を持ち始める。
「あッ、や、あ……っ」
伊都乃の手が離れても、じくじくと疼いている。つんと立って、まるで触ってくれとねだっているようだ。最初はそんなことはなかったのに、伊都乃が変な風に触るから、感じるようになってしまった。触るだけではない。舐めたり吸ったりする。甘噛みもされる。
「伊都乃は、楽しいのか?」
女のように、やわらかなふくらみがあるわけではない。多少の筋肉がついた平らな胸だ。
「何が?」
脚を抱え上げられる。
「なんで、おれとこういうことするんだ?」
「お前、さっきから俺を萎えさせたいのか?」
「だって、ぁ、ああっ!」
最奥を突かれ、紅丸は腰を浮かせて悶えた。そのまま揺さぶられ、がつがつと奥を抉られる。先ほどまでの温い快楽とは違い、燃え上がるように激しい。達したばかりの体は脆弱だった。うながされるまま絶頂を追い、伊都乃のものを食い締める。
「あ、あ……や、だ……なんで……っ」
もう少しというところで抜かれ、紅丸は水の張った目を伊都乃に向ける。開ききった後孔が物欲しそうにひくついている。欲しい。擦って、突いて、かきまわして――いやらしい言葉がこぼれそうで、紅丸は口に拳を当てた。
「入れてほしければ答えろ。これまで何も言わなかったくせに、今それを問う理由はなんだ?」
ひどい。脅迫だ。
「……って、だって、ひとたかさまが」
「本当に碌なことを教えんな、あの御方は」
再び挿入されると、それだけで達してしまいそうだった。膝を抱えられ、これ以上ないくらい深くつながる。襞が擦れて気持ちいい。腰が揺れてしまう。
「伊都乃は?」
「ん?」
「答え。なんで、こういうことするんだ?」
うやむやにされないようにしないと。
伊都乃は渋い顔で舌打ちをした。
「わからないからだ」
声も渋い。
「お前が何なのかわからない」
何なのかなんて、そんなこと――
尻に陰嚢がぶつかって乾いた音を立てる。あふれた淫液が尾骨を伝っていく。締めつけるたびに弱いところを擦られ、感じて、また締めつけてしまう。
「ああぁッ! あ、あっ」
普段のように抱きつこうとしたが、かすかに残った理性に阻まれた。
「大丈夫だ。来い」
耳朶に吐息がかかる。紅丸は伊都乃の背に腕を回した。伊都乃の単は汗で湿っている。なるべく力をかけないように、という気遣いもやがて押し流される。
おあずけを食らった秘肉は、より貪欲に熱源を銜え込んだ。乱れた呼吸と、乱れた脈と、接合部からの卑猥な水の音が鼓膜を犯す。感覚のすべてが鋭敏で、与えられるものすべてが紅丸を狂わせる。
「あ……ん、はっ、ああっ」
受け止めきれなくなった快楽が堰を切って、ぷつん、と時間を切ってしまう。
「ひっ、あ……やだ、あっ、あぁ――っ」
内壁が痙攣する。なおも揺さぶられ、抉られて次の絶頂まで高められる。最奥に肉がぶつかる衝撃とともに伊都乃の体が張りつめ、弛緩した。粘膜が余韻にうねり、伊都乃のものを味わっている。
首にかかる息がくすぐったい。待ちかねたように睡魔がやってくる。
「伊都乃、おれはおれだぞ」
「わかっている。俺にとって、という意味だ」
伊都乃は憮然と返した。ぬるりと抜かれ、紅丸は声を漏らす。
「最初は殺してやろうと思っていたが、どういうわけか今はそう思わない。言っておくが、侮辱されたことを忘れたわけではないぞ」
髪を切ったことをまだ根に持っている。侮辱したつもりはないし、髪より命の方が大事だと思う。
「近くにいると腹が立つ。しかし、ご差配にふたりでいろと言われても異を唱える気にならない。始終ふたりでいても、お前が何なのかわからない。だから、抱いてみた」
睡魔との戦いが熾烈を極め、初めの方がよく聞こえなかった。もう少し。もう少しだけ。
「抱いたらわかるのか?」
「女の場合は大抵わかる」
「おれは、まだわからないのか?」
負けそうだ。呂律が怪しくなってきた。
「わかっていたらとうにやめている。野郎を押し倒して楽しいわけがない」
声を出すのも億劫で、とりあえずうなずく。
伊都乃の考えることは面倒だ。人と人との関係をこれと定めなければならないということはないだろう。けれど、伊都乃はそうしたいらしい。
自分にとっての伊都乃は何なのだろう。友、仲間、相棒――どれも違う気がする。伊都乃は伊都乃だ。
「わからないうちは抱くからな」
傲然と宣言される。拒否権はないようだ。いつまで経っても慣れないし、夜這いもうまくできないが、伊都乃がそうしたいのなら仕方ない。
駄目だ。まぶたが重い。
早くわかるといいな、と言いたかったけれど、間に合わなかった。
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