第8話:M計画

 僕は迷っていた。

 グロスターの所に来た依頼をどう考えるか。

 もし、僕の動きを嫌がる誰かが、僕のことを調べようとしたというなら、なぜ、直接言ってこないのか。

 風俗店が摘発されたように、僕の所にも警官が来て逮捕するなりなんなりすればいいのだ。

 逮捕するための理由を探すために僕のことを調査しようとしているのだろうか。

 怖いのは、公に何かするのではなく、極秘に何かをしてくることだった。

 そのために僕を調べていると言うことだろうか。そんな手間をかける理由がどこにあるだろう。グロスターに依頼をするより、僕の家の住所を探す方がはるかに簡単である。一体、グロスターにどういう依頼をしてくるのか、それが気になった。

 グロスターからの連絡を待つ間、何もしないわけにはいかない。

 謎は今のところ、M計画というのがなにか、和倉晶とは何者か、という2点である。

 僕が興味本位で調べているだけで、気にしなければそれで済むことなのかも知れないが、そうするにはあまりに僕はそれらのことに接近しすぎているのだ。それが僕を落ち着かなくしていた。

 それに、グロスターに依頼が行った時点で、物事は動き出していて、もはや止めようがなかった。

 和倉のことはグロスターが調べてくれることになったが、M計画の方は、自分でも出来る範囲で調べておくに越したことはない。

 大公レルム3世は、09革命も、ほかのありとあらゆることも、すべてがM計画に繋がる、と言っていた。

 09革命と言われる構造改革については、政府のサイトや評論家のサイトで大体つかんだものの、それはあくまで公式発表とそれを元にして論評しただけに過ぎない。

 大公のセリフは、その裏があることを示している。

 でも、果たして、公式発表以上の何があるというのだろう。

 サイトからダウンロードしたデータを何度も見直してみる。

 環境悪化、高齢化社会、経済の発展、科学の興隆。

 おおよそ、革命の目的はそれらの問題に対応することだ。

 実際に、政府がやっている構造改革は、この目的を成し遂げるためにやっている。

 それぞれの改革には、もっと細かい部分もあるだろうし、極秘の計画もあるだろう。

 だが大公の言っていることはそういう端々の問題ではなく、全体のことであった。

 つまり、これらの問題を総括した1つの計画があると言うことである。

 それはいったいなんだろう。

 大公のセリフを思い出してみる。

 彼女は、それが人類の未来に関わることだとも言っていた。

 確かに、どの問題も人類の未来に影響することだ。環境悪化も、高齢化社会も。

 だがそう言う事じゃない、もっと具体的なことのように感じるのだ。

 たとえば、地球環境を劇的に変えるような計画とか。

 いまでもすでに、人々の住む場所を限定して、残りの地域の自然を回復させる計画は進んでいる。諸外国でもそうだ。砂漠の緑化や、土壌の回復などは、大戦後に本格化している。

 それらがM計画だというのではないようである。あるいはM計画の一環なのだろうか。

 総合計画という意味で、M計画というのがあるのだろうか。

 そんなことなら、大騒ぎするようなことではない。

 やはり、何か具体的な計画なのだ。

 具体的であり、いまの様々な構造改革にも関係があり、大公が言ったように電脳国家の社会的実験にも関係があり、そして秘密にしなければならない何かだ。

 大公があの豪華なホテルの一室に閉じこもっているのもそのせいだろう。彼女はM計画を知っており、その一端と思われる電脳国家の経営をしているために、住む場所を限られているのではないか。

 何者かが僕のことを調べているのも、風俗街の摘発も、そしてみるくちゃんが死んだのも、その秘密性に触れかけたからだ。

 そういえば、みるくちゃんと一緒に殺された役人の名はなんと言ったかな。

 ニュースで流れた心中事件のデータを検索してみればわかるが。

「いや、その前に、あれを見てみよう」

 僕は風俗街取材の時に記録したデータのバックアップを探した。机の上にある電脳端末のそばのケースを開けてみる。記録用リムーバブルカードがざらざら出てきた。一応、記録はすべてこれにバックアップしている。エリンターとしてはこれくらい常識だ。

 透明のやらいろんな色つきのもあってカラフルだ。何ヶ月か前の記録だから、どれがどれだかわからない。

 カードはどれも片面全体がミニパネルになっている同じ規格だ。そのままでは消えているが、カードを指で挟むと体温が電気に変わり表示される。内容データの簡単なリストが表示される。7センチ×3センチ程度の大きさなのでわかりにくい。

 一個一個見ていき、やっと風俗取材のものをみつけた。

 電脳に差し込んで中味を表示する。

 動画データや画像データ、音声データのファイルが並んでいる。テラバイト級のカードだから容量も重い。

 あれは確か、取材のあとだったので、動画データではなかったように思える。しかし、僕はとっさに携帯の録音機能をONにしていたから、音声データに入っているはずだ。

 大体の見当を付けてファイルを開き、ソフトで早送りする。

 あった。

 風俗コンパニオンのみるくちゃんがしゃべっている。

 僕の質問に答える場面に出た。

『オクノ、だったかな。オクなんとかだったと思うけど……』

『お役人だというのは、どこのお役人?』

『えーとねえ、厚生労働省……』

『厚生労働省?』

 そうそう厚生労働省の奥野だ。肩書きは課長だったはずだ。

 音声を進めると、確かに課長だと言っている。

 ソフトを止め、カードを取り出す。

 課長クラスならネットで調べればわかるはずだ。

 なんの役職かわかれば、そこから何かわかるかも知れない。

 検索ソフトを呼び出し、厚生労働省、奥野、課長で検索を開始する。

 すぐに結果が出た。直接のデータではなく、キャッシュデータだ。すなわち、奥野はもう死んでいるため、保存されている過去のデータしかないのである。

『厚生労働省高齢者福祉援護局援護部第一援護課課長奥野修一』

「高齢者福祉援護局……援護課課長?」

 大まかな分野はわかるが、具体的にはどういう仕事なのだろう。

 高齢者福祉援護局でさらに検索してみる。

 検索内容がいくつか出てくる。

 高齢者の収容施設の管理、その福祉の援護・支援。

「桃源塔なども含めた高齢者施設の担当局か……そういえば、桃源塔を取材していた時に案内してくれた人も、この局だったかも知れないな」

 援護部とはなんだろうか。

 検索を進めてみるが、局内の部署という説明しかない。第一援護課についても同様だ。

 厚生労働省か。

 コンパニオンのみるくちゃんに役人がしゃべった「計画」がM計画と同じだとすれば、M計画は厚生労働省の高齢者関係部門が関わっている計画だと言うことだ。

 高齢者とM計画……。

 なんだろう。

 なにか、胸の奥にもやもやとしたものが渦巻く。何か、わかりそうでわからない。

 あと少しでなにかわかるような気がするのだが。

 僕が画面をにらみながら考えていると、

 メール受信のサインが現れた。

 文章だけの通信だ。

「……?」

 電話もメールも通信自体は同じシステムだから普通は映像と音声が一般的だが、仕事上たまにメールも来る。それでも久しぶりだった。

 データを開いてみる。


『警告したはずだ。余計なことに首を突っ込むなと』


 その一文だけだった。

「え……?」

 僕は凍り付いた。

 なんだ、このメールは……。

 警告した?

 いつ警告されただろう。

 そういえば、なんとなく記憶にある。なんだろう。

 確かに、前に何かで警告を受けたような、そんな気がする。

 すると、またサインが現れた。別のメールだ。

『君の動きはすべて把握している。いまメールを開いたことも』

「……」

『我々を甘く見ない方がいい。警告はした。我々の警告が本気である証拠をいまから見せよう』

 文章はここで途切れていた。

 動きを把握している? 警告の証拠を見せる?

 僕は思わず窓の方を見た。

 それから、壁のフィルムモニターを見る。壁紙のままだ。カメラはオフになっているはずである。ネコドロイドのタマはベッドの上で丸くなって寝ていた。

 部屋の中を見回す。

 まさかどこかにカメラとかを仕掛けられているというのか?

 そうだ、目の前の電脳にもウェブカメラが付いている。

 僕はカメラがオンになっているか確認した。

 オフのままだ。

「把握って、一体……。それに証拠を見せるって、なにをする気だ?」

 と、突然、画面にファイルのダウンロードを示すサインが現れた。みるみる変化していく。

 何かがダウンロードされている……?

 なんの操作もしていないのに?

「あっ!」

 僕は事態に気付いた。慌てて回線を切ろうとした。が、普段、常時接続がデフォルトになっているため、回線切断プログラムはソフトの階層構造の中に収まったままである。急いで操作するが慌ててるためうまくいかない。

 が……。

 ダウンロードが完了する。

 自動的にプログラムが起動する。ランチャー付きプログラムだ。

 いやな予感は増幅した。

 画面上にモザイク状のドットが現れ、それがみるみる増えて画面全体覆っていった。色が統一されていく。

 濃紺一色に染まった直後、文字列が現れた。一文字ずつ表示されていく。

『データは消滅した。次はこれでは済まない』

 ぶつん、と、画面はブラックアウトした。

 机の表面に映し出されていた光キーボードも消えている。僕は机の中に入れてあったオプションの無線キーボードを引き出してキーを叩いてみた。無反応。コンソーラーも触ってみたが、なんの反応もなかった。電源も落ちている。電源ボタンを押すが起動すらしない。

 完全に壊れてしまっていた。力が抜ける。

「そうか……」

 動きを把握しているとは、僕の電脳のアクセスを監視していたのか。

 前の警告も、たぶん、調べている時に……。

 しかし、詳しくは思い出せなかった。

 しばらくの間、呆然を続けた後、僕は我に返って電脳をばらし始めた。

 データが本当に破壊されたのか、内蔵されてる記録用イオンケースを引き出して確認するのだ。

 2つのリングで固定されているケースには8本の棒のようなイオンドライブが差し込んである。

 それを外部接続用ユニットに差し込む。これをノート電脳につなげればいい。

 ユニットのケーブルをノートの端子に差し込もうとして、僕は手を止めた。

 どこの誰か知らないが、ネットを介してデスクトップ電脳をクラッシュさせたやつは、破壊的ウイルスを送信してきたようだった。そのウィルスがどうなったか。システムを破壊して自らも消滅したか、それともイオンドライブ内にプログラムとして残っているのか。

 残っていたら、これを他の電脳に差し込んだだけで感染してしまう。

 でも、データが無事かどうかは、電脳に接続しないとわからないし……。

 ハッとした。

 それどころじゃない。

 ノート電脳だって、無線LANでネットに繋がっているではないか。

 電脳を開いてみると、まだ無事らしい。

 僕は回線の切断操作をした。

 大きく息を付く。

 連中は、間違いなくアクセス状況を監視しているのだ。だから、検索した時に警告メールが送られてきたのだ。検索した内容を確認したからだ。しかし検索には使用していないノート型の方は今のところ無事である。

 これではっきりした。これまでの疑問である。

 グロスターは、依頼を受けた話をした時、僕にネットで検索をしたか、と聞いていた。

 僕がこれまでに調べたのは、M計画と09革命に関する構造改革のこと、そして和倉晶だ。構造改革のことは、サイト検索を中心にやったが、M計画と和倉晶は文字列検索から入った。

 M計画もさることながら、和倉晶で検索したことでグロスターに依頼をした何者かが反応したとしたら、いまの出来事と合わせて考えると、M計画、厚生労働省の課長、和倉晶は、すべて共通した背景があると言うことになる。何者かは、ネットを監視していて、このいずれかが検索されるのを警戒している。調べられるのを嫌がっている。

 すなわち、風俗の摘発も、M計画に関することだったのだ。おそらく秘密を守るためにしたと言うことだ。

 M計画は、間違いなく厚生労働省に関わる何かなのだ。

 それに、僕がM計画を調べていることもばれていると言うことになる。

 正体不明の何者かは、おそらく政府関係者だろうが、その連中は僕を監視対象と見なしたらしい。当然といえば当然だ。みるくちゃん殺害が、僕の取材の際に彼女が情報を漏らした可能性を危惧した結果だとしたら、僕はすでに警戒対象である。

 やはり、これまで僕やトウキョウ・サイバー・ポスト社に警察の手が入らなかったのは、単に警察を動かす理由がなかっただけでなく、僕らがどこまでM計画のことを知っているか、判断が付かなかったことと、へたに僕らを捕まえたり、あるいは殺害しても、その前に僕らが他に漏らしていたら、止められないし、特にジャーナリストを突っつけば、やぶ蛇になって、逆にM計画のことが漏れてしまうかも知れない。それで様子を見ていたのだ。ネットのアクセス状況を監視して、僕がどこまで知っているか、どういう事をするかを見ていたのだ。そして、連中の警戒レベルを超えた状況だとわかれば、関係者を一網打尽にする気なんだ。みるくちゃんのように暗殺もありうる。

「まずいな……」

 これで本当にまずいことになった。

 これまではまだ、何となく得体の知れない不安だけがあったが、今度はマジにやばい。相手が国家だったら、一エリンターの持つ能力ではどうしようもないではないか。

 リスクはあるが、僕を事故に見せかけて殺す、あるいは僕を何かの罪をでっち上げて逮捕する、この業界から追放するくらいのことは可能だろう。それは、僕だけじゃなく、トウキョウ・サイバー・ポスト社を潰すことだって出来る。スキャンダルなどをでっち上げて、それを他のメディアに流す。むしろその方がやりやすいのではないか?

 グロスターの意見じゃないが、情報化社会は民主的ではない。より高度な情報技術を持ったものによって支配されている。一番は国家だろう。

 国家を敵に回してしまったらしい。

 どうする?

 どうすればいい?

 僕のアクセス状況を監視しているだけじゃなく、もし僕自身を監視しているとしたら。

 窓際によって、カーテンをそっと開けてみた。

 駐車場が見える。周りは住宅街だ。右手の方に小さな公園もある。公園では母子連れが遊んでいた。

「他には誰もいないようだけど……」

 トウキョウ・サイバー・ポスト社のみんなに危険を知らせなければならないが……。

 携帯を見る。通信網が共通している以上、携帯も盗聴される危険が高いと言うことだ。

 やはり、直接行くしかない。

 グロスターとも連絡を取りたいが、これも難しい。

 さっき、珍しく向こうから連絡をもらったから、そこに返信すれば、連絡は付くだろう……。あれはグロスターがいつもいる秋葉原電脳都市の部屋じゃなく、たぶん、近いところにある公衆回線を利用した端末だと思われる。そこに送信すれば、グロスターのことだから、彼の所まで自動で転送するよう細工しているに違いないが……。

 もし、それも監視されていたら。

 グロスターは大丈夫だと言っていたが。

 直接行く方がいいだろうか。

 熊田のオッサンに連絡して、緊急を告げて取り次いでもらうか。いや、それはもっと危険だ。熊田のオッサンも巻き込んでしまう。彼はチップマニアだけど、ネットワークのプロじゃない。彼経由ではグロスターにも迷惑をかける。

 再度、窓の外を見る。僕が外出すれば、付けてくるやつがいるんじゃないか?

 とはいえ、ここでじっとしていても埒はあかない。

 回線が監視されている以上、サイバーポストの面々やグロスターからの連絡を受信することはしない方がいい。

 思案のしどころだ。

 出かけるしかないが……。

 もうひとつ、この部屋を荒らされる可能性が出てきた。出かけたあと、誰かがここに侵入して、僕の持っているデータの類を持って行ってしまうか破壊してしまう可能性もある。こういう事態になった以上、それくらいは想定しておかないとならない。

 出かけるなら、必要なデータは持ち出しておかねばならない。

 行き先がトウキョウ・サイバー・ポスト社でも、グロスターの所でも、とりあえず持っていくしかない。グロスターの方が、より安全だとは思うが。

 ふと、グロスターに依頼が行ったことを思った。

 相手は、グロスターと僕の関係を知っているのだろうか。知っていて依頼を持ちかけたのだろうか。そうだとすればこれは罠だ。もし知らないで、グロスターの能力を買って依頼をしたのなら、まだこっちにもやりようがある。

 部屋の中を見回し、とりあえず最低限これだけは取られたり破壊されたくないものを選んだ。

 取材の時のデータをバックアップしたリムーバブルカードは絶対だ。僕の人生の軌跡でもある。仕事にも必要だし、時には武器にもなるだろう。

 ノート電脳も必要だ。ネットにアクセスするかは別にして、データの処理には使える。セキュリティソフトの入ったカードもいる。ブレインカメラも持って行っておこう。

 携帯は言うまでもないとして、あとは……。

 僕は雑品が山のように積んである棚をあさった。その奥に封筒が入っていた。

 封筒を取りだし、中味を取り出す。

 3種類のフィルム紙幣が24枚。合計6万8千円。

 僕のカードやその他の決済システムが停止されたら、あとはこのお金だけが頼りだ。

 よもや現金に頼らざるをえなくなるとは思っても見なかった。何となく封筒に入れてここに放り込んでおいた自分の先見の明に感謝だ。

 寝ているネコドロイドのタマをなでてやる。タマは目を覚まして僕を見上げた。ロボットとはいえペットはペット。ネコそっくりの可愛いやつだ。

「俺もお前も無事だったら、今度はもちっと大事にしてやるからな」

 タマは首を傾げた。プログラムが僕の言葉を判断しかねている、とは思いたくない。

 ヘルメットとメモリーキーをつかみ、部屋を出た。一応部屋のロックをかけておく。

 EMMBにまたがり、タンクに荷物を放り込んだ。コントロールアームを降ろす。

 バイクは調子よく起動する。

 そのまま駐車場を出た。

 さて、これからどこへ行くべきか。

 トウキョウ・サイバー・ポストとグロスターに連絡を取らねばならないが。

 どうやって取ればいいんだ?

 進路をとりあえず新青梅バイパスにする。

 ネットを監視されているのに、連絡を取るなんて無理な話だ。

 トウキョウ・サイバー・ポストのみんなは心配してくれているようだし、監視されていることを早く知らせたいのだが。

 と、岩坂柳一郎の顔が浮かんで、僕は首を振った。

 いくら遺伝子上は女だとわかったからとは言え、あのオッサン顔でダブルセクシュアルという奇妙な性癖を持っている彼女は、申し訳ないが、あまりここで顔は浮かんで欲しくない。

「なんで弥生ちゃんの顔が浮かばんのだ」

 僕は毒づいて、ふと気付いた。

 そうだ、グロスターから緊急連絡法というのを教えてもらっていたな。

 オカマのサロンサイトに行って、イエローケーキという名のオカマに伝言を頼む方法だ。

 しかし、あれもネットだ。

 グロスターはセキュリティについて保証してくれたが、果たして、国家相手にどこまで出来るやら。

 新青梅バイパスの高架に上がる。

 オートドライブに切り替えて、僕は考え込んだ。

 このまま、トウキョウ・サイバー・ポスト社か、グロスターの所に行くか。直接行った方が、ネット監視を欺くことは出来ないか?

 その方が良さそうに思えた。デジタルに対抗するならアナログだ。

 アナログ紙幣も持ってきたし。

「よし、秋葉原にしよう」

 まだグロスターの所なら、いくらか安全である。

 目的地を決めて、何げにグリップをつかんだ時、バックミラーが目に入った。後続の車のガラスか何かが太陽の光を反射して光ったのだ。

 だが、次の瞬間、僕の目はミラーに釘付けになった。

 そして振り返る。

 乗用車一台をおいて、その後ろにバイクが走っていた。

 水素エンジン型のバイクだ。

 車種はドゥカティのシルバーモンスターHX。滅多にない代物。

 ライダーはフルフェイスのヘルメットで顔は見えない。

 が、その格好、乗っている時の姿勢には見覚えがあった。

「和倉晶……」

 まさか本人があとを付けてきているとは。

 しかも僕が振り返ったのを見ても、特に反応もしない。

 この時ばかりは、さすがにカチンと来た。紳士協定まで結んでおきながら、こうやって本人がつけ回すことまでするなんて、嫌がらせもいいところだ。

 とはいえ、このままグロスターの所へ行けば、そのまま迷惑を引き連れていくようなものじゃないか。

 振り切るしかない。

 少し自信がなかったが、そうも言ってられなかった。

 僕は、前を向くと、ドライブモードに切り替え、グリップを握りなおした。

 アクセルをひねる。

 EMMBはぐーんと加速し始めた。

 ミラーを見ると、向こうも加速を開始する。

 向こうはマニュアルギア車だ。ギアの変えるタイミングで一気にスピードを上げられる。こっちは電磁式なのでセミオートである。ただしソフトウェアのアップデートで出力の上げ方を変えてあった。

 あとは腕次第。

 時速はたちまち100kmを超える。前方から車が次々と近づいてくるが、それを避けながらさらに加速する。

『速度が上がってます、速度が上がってます、クルーズをお奨めします』

 僕は警報を無視した。

 ここは法定速度120km。オートドライブで走らなければいけない義務はないが、速度違反は捕まる。

 いや、どうせにらまれてるんだ。構うことはない。それに、警官ではなく、和倉本人が付けてきているというなら、向こうだって法律違反は出来まい。

 たちまち、速度は120kmを突破する。

『法定速度違反です、法定速度違反です、時速120km未満に下げてください』

 再度警報が鳴った。ご親切なマシンだ。警報を切り、電脳の介入機能も切った。これで速度を強制的に落とされることはなくなったが、捕まって電脳を調べられたら、余計罪が重くなる。介入機能の解除は恣意的速度違反と判断されるからだ。

 アクセルをひねり、ほとんどバーチャルゲームの無謀さで、バイクを飛ばした。

 ミラーを見ると、驚いたことに和倉も追いかけて来るではないか。

 速度違反で捕まることを気にしていない?

 すると、捕まっても上の方でうまくやってくれると言うことか?

 ますます腹が立った。

 時速150kmを超える。

 さすがに風圧を感じる。コントロールも段々難しくなってきた。

 昔、まだグロスターがその名を使わず、高校をやめてエリンターを始めた頃、僕はその高校なんぞに一応通っていたが、僕らふたりは結構バカなこともやった。

 人を傷つけるような犯罪こそしなかったけど、バイクで無茶をするくらいのことはしょっちゅうだった。

 爆音を鳴らして蛇行運転するような「族」ではなく、どちらかと言えば走り屋だ。

 首都高を競い合ったり、建設中の第2環状道や、湾岸高速を飛ばしたりした。

 高速以外にも一般道に降りて、立ち退きのあとの無人市街地を暴走したこともある。

 いま、そう言うことはやらない。

 大人になって、分別が付いたからだとか言うつもりはない。分別があったらエリンターなどしてないだろう。この辺りは姉貴の言うとおりである。

 いまやらないのは、単に体力が落ち反射神経が鈍ってきたからだ。

 同じ20代でも20歳と28歳ではまるで違う。

 まして10代後半といまではどうか。

 体力のないくせして、バイクをかっ飛ばすのは、無茶無謀と言うほかない。

 無茶なことをするには、無茶なことが出来る体力とテクニックがいる。出来ないならしない方がマシ。

 それに、無茶をするには、らしさ、が必要だ。若者らしさが消えたいま、バイクを暴走させてもみっともないだけだ。

 しかし、いまは理屈をこねている時ではなかった。

 しなければならない状況になっていた。

 僕は次々と車やバイクを追い抜き、あっという間に、第2環状都市群を通過した。

 ミラーを一瞬だけ見る。和倉はしつこく付いて来ていた。

 さすがに腕はいい。

 あの腕の良さ。

 どう考えても推定60前後の男の運転ではなかった。

 全くわけがわからない。

 28歳の僕が必死になっているのを、60くらいの男がモンスターマシンで平然と付いてくるのである。しかも振り切れそうにない。

 このままバイパスを突っ走って、首都高に出るか。首都高に出たあとはどうする? ぐるぐると高速を乗り継ぐか? バッテリーが切れるまで? 向こうの水素とどっちが保つだろう。

 前方に第1環状都市群の建設現場と、その向こうの超高層ビル群が見えてきた。

 巨大な都市基盤の上をクレーンが動いていた。

 僕はその風景を目にして、ひとつ思いついた。

 少し速度を落としてみる。みるみる130kmくらいまで落ちる。

 和倉は追いつくわけでもなく、合わせるように速度を落とした。捕まえられそうな場所まで追いかけて、追いつめる気だろう。

 よし。

 僕は電脳に地図を表示させた。

「第1環状都市群の詳細な地図を」

 バイザーに投影させる。オートドライブじゃないので、地図と風景と運転とで神経がどうかなりそうなくらい集中する。

 視線を使ってアイコンを選び地図を拡大させた。

 野方のランプが近づいてきている。

 そこに環状都市建設現場の工事用道路があった。この道は、都市が完成すれば、そのまま第1環状道という高速道路になるはず。第1環状道は環状都市の内部で、地上の環状八号線の上に建設されているのだ。

 ランプの地上出口の向こう側がその搬入道路の入り口だ。工事車両が通るために道はすでにできあがっている。ただバイパスからの一般車両を入れてないだけである。

 僕は再び速度を上げた。

 和倉も付いてくる。

 真ん中の車線を飛ばしながら、走行中の他車の間隔を計った。出来れば事故は起こしたくないし、無関係の人を巻き込みたくはない。

 野方ランプの看板が見えてきた。ランプへの変更車線が見えてくる。

 その向こうに、同じ高さの支道が、左へカーブしていた。可動式の安全柵が入り口にあった。あれが搬入道路だ。

 僕は1台追い抜いたあと、一気に加速した。和倉も付いてくるのがチラッとミラーに見えた。

 呼吸が荒くなる。心臓の鼓動も激しく鳴った。昔を思い出し、イメージを浮かべる。

 野方ランプを過ぎる。加速を続ける。当然、和倉も加速しているはずだ。

 あとは安全柵がどれくらいの頑丈さで取り付けてあるかだ。

 うまくいけ!

 僕は唐突にバイクを左側に倒した。足を路面につけ、急角度で左車線を横断し、搬入路へ斜めに突っ込んだ。後輪が滑っていくのがわかる。身体の中をなにかが通り抜けるようなヒヤッとした感じを味わう。カウルが路面にこすれて火花が散った。可動柵が目の前に来た。

 グリップを思わず握りしめる。

 バキッと言う音がして、衝撃が走る。

 EMMBのカウルが可動柵をはじき飛ばした。柵のバーの部分は支柱を中心に激しく回転した。危うくバランスを崩しかける。左足を路面に押しつけ、渾身の力を込めてなんとか維持する。車体が右の側面に衝突しかけた。こすれて火花が散る。

 車体を傾けたまま、ドリフトするように支道のカーブを走り抜け、工事用道路に入った。巨大な第1環状都市群の基盤が目の前に拡がる。内部はまだ骨組みでスカスカだった。延々とむき出しの構造が奥へと続いていた。オレンジ色のライトが輝き、大型のトレーラーや作業ロボット車両などが道端に止まっている。

 ブレーキをかける。

 急いでミラーを見た。

 和倉は付いてこない。

 とっさのことで、さすがに予想が付かなかったのだろう。そのままバイパスを行ってしまったはずだ。専用道路だからUターンは出来ない。

 大きなため息をつき、僕はそのまま、バイクを工事現場へ進めた。

 現場で動いているのはほとんどがロボットで、トレーラーや作業車も無人だ。さっさと通り抜ければ咎められることはないだろう。

 下へ降りる道を探すと、前方に道があった。その脇に詰所のようなものがある。誰かいて、通報されやしないかと思ったが、近づいてみると無人だった。

 その詰所に端末があるのが目に入った。

 とっさに、グロスターへの緊急連絡を思い出した。

 EMMBを止め、辺りを窺いながら詰所に入った。

 端末に近寄る。一般的な市販システム搭載の電脳だ。

 僕は椅子に腰掛け、コンソールに触った。ネットには接続してある。パスワードなどのセキュリティはかかっていなかった。こんなラッキーな話があるだろうか。だが公共事業というのは、民間ほど細かくない。いい加減なところがある。工事現場だからネットへのアクセス需要も殆どないのだろう。

 検索サイトからネットサロンを選び、「セカンドストリート4096」というサロンを探す。

 サイトが見つかる。

 入ってみると、フロアのような部屋が現れた。バーチャルの代理キャラクター「アバター」があちこちに腰掛けたりしている。やれやれ、カメラの動画をインポーズするタイプじゃなくて良かった。たくさんのオカマさんを生々しくみてしまうところだ。アバターはどれも凄い派手派手の格好をした微妙な美女達だった。

 キャラの1つが近づいてきた。僕がアクセスしたので、僕のアバターに気付いたらしい。

『こんにちわ。あら、あなたここは初めて?』

 それほど変な口調ではない。

『どうも。人に聞いて、来たもので。えーと、エイスケです』

『よろしくね。こう言うところははじめて?』

 と他のキャラもよってくる。次々と声をかけてくる。オカマっぽい人もいるが、意外に普通のしゃべり方をする人が多い。

 それぞれに挨拶したあと、

『すみません、MOX3という部屋は』

『こっちよ。イエローさんに会いに来たのね』

『俺が案内してやろう』

 と男っぽい別のキャラが言い、先導する。まるで大きな施設のように廊下が続き、部屋が点在している。

『ここだよ。ここはパスがいるが、あるのか?』

『ええ。ありがとうございます』

『イエローケーキさんは礼儀にうるさい人だから気を付けるんだよ』

『わかりました。ありがとうございます』

 部屋に呼びかけるかどうかのアイコンを選び、パスワード入力モードになった。

 パスワードを入れると、ドアが開く。

 中に、何とも形容しがたい人がいた。

 一応バーチャルのキャラクターだが、ここまでに出会った人たちのような出来合いのアバターとは違い、顔も服装も全部オリジナルのように見える。ガタイはしっかりしているが、着ている格好は、ピンク色のロリータファッションである。しかし、妙に似合っていた。

『いらっしゃい。あなたは誰?』

「私は、市来英介と言います。あなたがイエローケーキさんですか?」

『ああ、グロスターから聞いているわ。あなたが来ることがあるかも知れないって』

「はい。彼に伝言をお願いできますか?」

『いいわよ。どうぞ』

「あれから、俺の方はネットを監視されてます。警告も受けました。なんとか連絡方法を取り付けたい。それと、トウキョウ・サイバー・ポスト社に連絡を取りたい。……とりあえずいま言ったことをお願いします。グロスターにはすぐに連絡が付きますか? 急いで返事をもらいたいのですが」

『彼次第だけど、どこに返信をすればいい? 今いる場所? かなり変なところにいるみたいだけど』

 こっちの場所がわかるらしい。

「ここは、あまり長居できそうにないんですが……」

 と部屋の外を見る。工事現場には誰もいないが、この詰所はロボット用ではなく人間用だ。いつ現場主任みたいなのが入ってくるかわからない。

「そう。それじゃあ……、いい方法があるわ。その場所から出て、いまから指定する場所の公衆端末で待っててもらえる? そこに連絡するよう伝えるから」

「わかりました」

 画面に地図が表示される。地図に印が付けられている。僕はそれを一旦この端末にダウンロードし、

「じゃあ、この場所で待ってます。お手数をおかけしました」

「いいのよ。またいらっしゃい」

 とイエローケーキさんはあっさりしていた。これも彼(彼女?)の仕事、あるいは「役目」なのだろう。

 念のため、回線を切ってから、地図データを携帯に移した。

 そっと詰め所を出る。人はいない。和倉も追ってくる様子はない。

 EMMBの電脳に地図データをコピーし、ナビゲーションを任せる。さほど遠くはない場所だ。

 建設現場を出ると、一般道に出た。和倉が先回りしているような様子も見えない。しかし、こっちへ向かっているだろう。

 念には念を入れ、少し遠回りをするルートを電脳に選ばせる。

 指定の公衆端末は、雑居都市群の端に近い路地裏だった。コンクリート打ちっ放しの3階建てのビルの角にぽつんと立っていた。一応、ボックス付きだが、少し斜めになっている。地盤沈下でも起きているのか、歩道がややめり込んでいるのだ。タイルが一枚一枚微妙に浮き上がっていた。

「これか……」

 ネットダイバーはこういう公衆端末をよく利用するのだろうか。そう言えば、グロスターが連絡してきた時に背後に見えていたのも路地裏のようだった。

 人気はない。ひどく静かである。雑居都市群の奥からはにぎやかな声も聞こえてくるが、幹線道路に近いここは、なんだか見捨てられたような場所だ。

 あたりを気にしながら20分ほど待っていると、突然電話が鳴った。

 受話器を耳にしたら、グロスターの声が聞こえてきた。

『いよいよやばくなってきたな』

 彼はなんだかうれしそうだった。

「お気楽なことを。命がけになってきてるってのに。ここに来るまでに和倉晶らしきやつに追われたぞ」

『そうかそうか。ついにおまえさんも地下に潜る時が来たか』

「冗談抜きにしてくれ」

『OK、OK。付けられたとすると、おまえさん、監視されてるわけだ。バイクに発信器は付けられてないだろうな?』

 そう言えば、考えてなかった。可能性はある。

『お前の携帯に、専用のプログラムをインストールしてやろう。普通の発信器なら、携帯で探すことが出来るようになるぞ』

「ありがたい。しかしいろんな小道具を持ってるな」

『ネットで情報屋をやるからには、いろいろ用意しておかないとな』

 グロスターは、プログラムを送信してきた。そのまま、つないである携帯にインストールされる。

『ガリレオのコンテンツボックスにアップロードした。操作方法は同じだ。位置探知のところでメニューを開くと、発信器探索の項目が追加されてる。それを選んで、あとは指示通りにやればいい』

「助かるよ」

『ただし、今も言ったが、一般的なタイプだけだ。軍用などのものには対応してないから、たとえ見つからなくても安心するなよ』

「わかった」

 僕は、位置測定衛星群ガリレオ用のコンテンツのメニューで発信器探索の項目を動かした。指示通りに携帯をつかんでバイクにかざして、移動させていく。

 一通り調べてみたが、発信器はないようである。

「反応はなかった。少なくとも普通の奴はないわけだな」

『そうか。相手がどのくらいのレベルで活動しているかわからないから、何とも言えないが、今のところは無事のようだし、発信器は付けてないのかもしれんな』

「それで、和倉が付けてきたのか……」

 あの腕自慢男め。僕は内心で毒づいた。

『まずその和倉晶だがな。おもしろいことがいろいろわかってきたぞ』

「どんな?」

『この男はな、年齢ははっきりしないが、「企画会議」にいたようだ』

「企画会議って、09革命の?」

『そう。革命グループのメンバーのことだよ。ちょっと待ってろ、いまからそっちにコピーデータを送る』

「データ?」

『ああ、手に入れるのに苦労したぞ。極秘扱いの政府系データだ』

「へえ。じゃあ、いまからつなげるよ」

 携帯の端子を再度ジャックに差し込んだ。

『よし、認識した。データを送る。そのデータのまん中あたりに企画会議のメンバー表がある』

 データがダウンロードされているのが携帯の画面に見えた。すぐにコピー完了。データを開いてみる。企画会議の理念、目的、スケジュール、その他の様々な内容が表示される。読むと面白そうだが、とりあえず置いておき、どんどんスクロールすると、


 企画会議・構成メンバー

 村瀬敬一郎 企業経営者  企画会議首席代表     首相

 大友兼人  企業経営者  企画会議経済問題担当   経済相

 有馬 博  弁護士    企画会議法制問題担当   法務相

 北原直通  外資系社員  企画会議金融問題担当   金融庁長官

 須坂三智子 大学教授   企画会議物価問題担当   経済相

 大黒健一  大学教授   企画会議政治問題担当   電議民政院副議長

 荏原雄生  企業技術者  企画会議電脳技術担当   電政相

 中武準二郎 作 家    企画会議政策企画調整担当 企画党政務部長

 戸田 亘  大学教授   企画会議環境問題担当   環境相

 伊集院隼生 大学教授   企画会議防衛問題担当   国防総相

 田ノ浦悠一 佐賀県知事  企画会議地方自治問題担当 内務相

 ……

 ……

 と100人以上の名前が列挙されている。当時の肩書きと、その後の政治上の主な肩書きが並列に記されていた。そうそうたるメンバーだ。元々の肩書きは、大半が企業経営者と社員、大学教授、技術者などで、政治家はほんの数えるほどしかいない。

 その後ろの方に、


 和倉 晶  企業社員   企画会議情報委員会委員  ----


 企画会議時代の肩書きはあるが、その後の肩書きはない。つまり革命後の新政権ではポストに就かなかったと言うことになる。

「この企画会議の前の肩書きだけど、企業社員となってるな」

『はっきりとはわからないが、その後の経歴を見ると、マスコミ関係のようだ。テレビ局か、出版社か、当時のIT関係かも知れない。どのメンバーも経歴は革命前とおおむね一致しているから』

 従軍記者だったのはその関係か。

 僕はさらにリストをスクロールさせてみる。

『和倉の出自ははっきりしないものの、革命が始まってからの経歴は必ずしも隠している様子はないな。ただ、マスコミ関係を転々としているようだ』

「ということは、あれは和倉本人に間違いないわけか。奇妙だな……。さっき追いかけられた時も、かなり飛ばして逃げたのに平然と付いて来た。そんなに年な人間には見えない。何者なんだろう」

『おまえの腕も鈍ったかな』

 グロスターは含み笑いを浮かべつつ言った。彼もかつてはバイク仲間だ。

「ばかいえ、法定リミッター解除して150km以上は出したぞ。それに和倉のバイク、シルバーモンスターHXだ」

『ドカのか? へえ……』

 と感心したようにつぶやく。

『そんな怪物を乗りこなすのか……』

 とさすがにちょっと戸惑った感じだ。60前後の人間でも乗れないわけじゃないが、車体も重いし、あれだけの速度でコントロールするのは難しい。

「いくら高齢化対応の生体部品で整形しても近くで見れば実年齢は出てしまう。和倉はどう見ても30歳少しだ。それになにもかもが若々しいんだよ」

 僕はデータをスクロールしながら言った。

 ふと手を止める。携帯のデータに目が釘付けになる。グロスターは、

『和倉はサイボーグ化してるんじゃないか? 従軍記者だったこともあるんだし、あり得ない話じゃないだろう』

「……」

 僕はリストを凝視していた。

『ん? どうした?』

「おまえ、大公レルム3世と知り合いなんだよな」

『ああ。彼女とはネットダイバー同士だからな。それがどうした?』

「彼女の本名、知っているか?」

『残念ながら知らないな。会ったことも数えるほどだ。俺に感謝しろよ、彼女と直に会えたんだから』

「……岸谷量子だ」

『え?』

「レルム3世の本名だ。自分でそう言った」

『……まじかよ。おまえ、本名まで教えてもらったのか』

 はあ、とグロスターはため息をつき、

『やっぱ、おまえは不思議だ。みんなおまえになんでも話してしまう。まさにエリンター向きだな』

「そうじゃない。リストを見てみろよ」

『リスト?』

 グロスターはハッとした。頭のいい男だから、僕の言いたいことに気づいたのだ。

 すぐさま端末を操作する。

『おい、これは……』


 岸谷量子  大学助手  企画会議社会研究委員   党シミュレーション担当


『まさか、おまえ……。俺も彼女と会ったことあるが、どうみたっておまえ、』

「いっても30くらいだろう」

『信じられない。企画会議のメンバーだって言うのか。このリストは初期メンバーのだぞ。27、8年も前から参加している連中だ。この頃、大学助手って……仮に25歳だとしても……』

「50台前半だろう。実際はもっと上じゃないのか」

『なんてことだ。彼女は……、生体部品整形……じゃなかった。あの感じは』

「和倉晶と同じだよ。見た目と年齢が合わないなんて。それに、このリストの肩書き」

『ああ。社会研究委員。シミュレーション担当……』

「彼女は僕にM計画の話をした時言ったんだ。電脳国家は実験だった、いまも実験は続いている、そしてM計画に繋がるのだ、と」

『じゃあ、彼女がやってるレルム大公国ってのは、その計画の……、いや、社会的シミュレーション……』

「そういうことになる。なんのシミュレーションだろう……。いまの電議民政院とか電子政府を実現するためのシミュレーションだったのか……?」

 言いながら、僕は疑問に思った。そんな事じゃない。

『違うな。レルム大公国はもっと国家らしいシミュレーションだ。行政制度の部分的シミュレーションではない。そうだな……例えは変かもしれないが、スペースコロニーとか、惑星植民地とか……、閉鎖環境での国家体制・社会体制のシミュレーションのように思える』

「ああ、そうだよな。すると、もっと何かでかい計画なんだ。それも20何年も前から。それがM計画なんだ。レルム大公国は、M計画に必要なデータを取るための実験……」

 だから閉じこめられているのだ。あのホテルに。おそらく本人も納得済みで。

「なんで彼女は、M計画のことを話したのだろう……」

『おまえと話して、何か思うところがあったのかもな』

 そういえば、そんなことを言っていた。自分は外の人間と話す事なんて滅多にないとかなんとか。

「……それにしても、和倉も岸谷も一体何者なんだろう……」

『おまえ、マジで、とんでもないものに触れちまったかもしれんな。これは冗談抜きで命がけだぞ』

 僕は我に返った。

「頼みが2つある」

『なんだ?』

「1つは、俺が今持っている取材データの入ったリムーバブルメディアを何処かに預けておきたい。もし捕まったときのために。ネット上のクライアントベースじゃハッキングされるかもしれないから、物体を預かってくれる方が良いな」

『ああ、それならいいのがある。俺の知り合いに保管屋ってのをやってるやつがいる。大森にいるから、連絡しておこう。ついでに近くのジャンクホテルを紹介してもらえ。もうひとつは?』

「トウキョウ・サイバー・ポスト社に連絡を取ってくれないか。これじゃ彼らも危険だ。俺から連絡を取るとまずいだろう」

『まずい、だろうな。おそらくトウキョウ・サイバー・ポスト社も監視対象だろう』

「なんとか、彼らに危険だと言うことを伝えて欲しいんだ」

『わかった、どれかのルートで伝えておくよ。俺はつづけてM計画を調べてみる。何かわかったら連絡しよう。だが、おまえは頻繁に移動した方がいいな……。いまから、そこと同じようなセキュリティをかけた公衆端末のリストを送る。そのどれかに着いたら携帯をつなげるんだ。こっちで認識したところに連絡することにしよう。あとで隠れ場所も用意する。こっちも急なんで準備が出来てないから少し待ってくれ』

「すまない。そうするよ。じゃあいまから次の場所へ行く」

『わかった。それから……』

「なんだ?」

『死ぬなよ』

 グロスターはマジな顔で言った。

『おまえに死なれたら、俺のみっともないガキ時代のことを知っているやつがいなくなるからな』

 言ってから、少し戸惑ったような表情になった。

「ハハッ、伝説の男の意外な真実、ってやつか?」

『B級ネットマガジンのいいネタになるだろ』

 僕とグロスターは画面を通してにやっと笑い合った。



 グロスターが送ってきた地図を見ると、彼は都内の至る所にある公衆端末を自分の都合に使えるよう、手を加えているのがわかった。公衆端末は使い道もなく、防災時の連絡用として残しているだけだ。当局も、NNC(日本ネットワークコミュニケーションズ)も、注意を払ってはいない。それをいいことにどんどん自分の活動拠点を増やしているのだ。伝説の名に恥じぬ事はしているわけだ。

 僕はそれから、都内を点々とした。グロスターの定めた連絡拠点に立ち寄っては、定期的に連絡を入れるというやり方である。

 相手が相手だけに、公共施設などには寄らないようにした。公共施設ですぐに捕まるというわけでもないだろうが、監視カメラの情報はまず筒抜けと考えていいだろう。

 注意しながら、大森の雑居都市群の中にある保管屋というところを訪ねてみる。ごちゃごちゃと込み入った場所にある質屋だった。

 質屋に預けるのかよ。

 ちょっと躊躇したのは言うまでもない。

 店に入ると、無口で愛想のないオヤジがひとりいた。

「グロスターから、ここを紹介されたんだけど。ものを預かってくれるとか」

「話は聞いてる」

 オヤジはそれだけ言って頷いた。

 売ったりしねーだろうな、と思ったが、それを言うと信用に関わりそうなので、あえて我慢し、リムーバブルメディアをまとめて預けた。が、ノート端末は預けずにおいた。まだ使うかもしれないからだ。

 オヤジは無言のまま、預り証を出した。

「ところで、この近所に安いジャンクホテルとかある?」

 オヤジは黙って顎をしゃくった。

 店を出てみると、なるほど、通り向かいの並びに、それらしいのがある。

「ありがとう。近いうちに受け取りに来るから」

 オヤジは黙って頷いた。

 少し時間は早かったが、ジャンクホテルに泊まることにした。

 現金を支払うのは何年ぶりだろうか。我ながらぎこちなかった。それだけ現金を持ち歩かなくなったということになる。

 その日泊まった大森のジャンクホテルの受付は現金を受け取ると手慣れた手付きでそれを扱った。聞いてみると、こう言うところでは携帯なんかで支払うより、現金の方がありがたがられるのだという。携帯を認識する装置はあったが、支払い用の指認証端末とかは置いてない。

「支払えなくて困る、って言う人もいるんじゃないの?」

「そう言うやつは、こんな所には泊まりには来ないだろ? ここじゃほとんどが現金払いだよ」

 受付の男はぶっきらぼうな口調で言った。

「それもそうか」

「こんな所に泊まりに来る人間は、それなりに理由があってのことだ。あんただってそうだろ? あんないいバイク乗って、現金を持ち歩いてるんだからな」

「まあ、ね」

 ちょっとだけ、いい気分になった。男は誰しも「孤独な都会の一匹狼」ってのに、少しはあこがれるモノなのだ。でもまあ、僕はオオカミってほどでもないか。1匹ネコくらいだ。

「バイク、取られないだろうな」

「心配いらんよ。ここはここで、信用ってのがあるからな」

 それは信用することにして、部屋の鍵を渡された。電磁キーでも電脳キーでもない、ただのギザギザの金属で出来たひどくアナクロな鍵だ。細長い直方体の硬い何かで出来た、やや透明の濃い茶色のストラップが付いている。部屋番号が白く印刷されていたが、かすれている。

「これ、なに?」

 直方体を揺らしてみせると、

「飾りだよ。昔からの伝統でね。プラスチックで出来てるんだ」

「プラスチックって……、まさか石油系?」

「じゃないの? 知らないけど」

「はあ。こんなのがまだあるなんてね……」

 僕はまじまじと見てしまった。

 部屋は4階だった。

 ホテルと言うより、雑居ビルのフロアに仕切壁をいくつも付けて、宿泊用の部屋にしたらしく、廊下もビニル床材とでも言うのだろうか、光沢があって(でもほこりだらけ)、わずかに弾力がある。

 鍵をガチャガチャと開けて、中に入る。

 簡素なベッドと小さな机と椅子。壁には鏡。

 ネット端末もなにもない部屋だ。

 ユニットバスは、バスタブがなく、トイレとシャワーだけだった。天井のすみあたりにはクロカビが生えていて小さな穴もたくさん開いている。植物性ポリボードなんだろうけど、手入れしてないから、自然分解を始めているらしい。

「水がでるだけマシだなこりゃ」

 でも、直に飲むのは避けよう。

 窓を開けると、裏通りの狭い路地を挟んで似たような雑居ビルの壁が見えている。その正面の窓は閉じていて、古くさい磨りガラスの向こうにはなにか積み上げられていた。倉庫代わりのフロアなのだろうか。

 夜になると右の方からダイオードサインの明かりが漏れてくる。

 スプリングをぎしぎし言わせてベッドに横になった。

 こんな逃避行のようなことをする羽目になるとは思っても見なかったが、いまひとつ不安と恐怖は感じなかった。将来どうするかと言うことも考えてない。何となく、どうにかなりそうな気がしていた。

 どこかで痴話げんからしい男女の怒鳴り声が聞こえた。

 ふと、風俗街で話をしたみるくちゃんのことを思い出した。

 彼女はあっけなく殺されてしまった。

 心中と言うことにはなっているが、事実と違うのは明らかである。

 なんの悪いこともしていない。なにをしたかもわからないまま、あっさりと殺されてしまったのだ。思い出すたびに胸が焼かれるような怒りを感じるものの、その一方で、人生というもののむなしさも感じた。あっけなく殺された彼女は、どんな気持ちだったのだろう。人生を唐突に終わらされる時の気分って、どんな感じなのだろうか。未練を感じるのだろうか、それともただひたすらに恐怖だろうか。

 2日目、僕はジャンクホテルを出ると、一度、リスト指定の公衆端末に携帯を差し込んで連絡を待ったが、来たのは、「今のところ、新たな情報無し」というものだった。

『トウキョウ・サイバー・ポスト社には連絡を取っておいたよ』

「どうやって?」

『イエローケーキを経由してあそこの岩坂というオカマに連絡を取った。それなら疑われないだろ。おまえが無事だって事も伝えておいたぜ』

 どこからか、岩坂のことを調べてその方法を取ったのだろうけど、さすがのグロスターも、岩坂のことをオカマだと思っているらしい。本当は女なんだけど。遺伝子でも調べないと性別もわからない時代なんだ。

 五反田から白金台へ上がり、広大な自然公園にさしかかった。バイクを駐車場に止める。無料の駐車場だったので、セキュリティは弱いが、僕を捜しているであろう連中の目にはとまりにくい。バイクの電脳はネットを切断してあるし、位置測定も切ってある。あとは発信器が付いていなければ、だ。

 歩いて公園の中へ入る。

 震災前からある自然教育園の東側一帯を広大な公園に変えたもので、雑木林の間を道がめぐり、美術館などが点在している。昔、大学キャンパスのあったあとの北側に、政府省庁の寮や超高層マンションが並んでいるのが見える。

 公園の中では家族連れや学生らがうろうろしていた。風景画を描いている人もいる。電脳ボードに描いている人も見かけたが、紙のスケッチブックに水彩か何かの絵の具で描いている人も意外に多かった。

 木の根もとに腰をおろす。

 いつも電脳ネットワークに囲まれた生活をしていると、それが当たり前のように感じるが、ときにはこういう自然の中に身を置いてみると、電脳とネットワークは、天然世界とは相容れないもののように感じたりもする。

 しかし、人間が作り上げた文明は、まったく自然と別物だろうか。

 人間もまた自然に生まれたものである。その人間が作った文明は、機械化されようが、電子化されようが、人間よりももっと高度な何かから見れば、自然の一形態にしか見えないだろう。人間自身が見るから、自然とは異なるもののように見えているだけなのだ。

 とはいえ、なぜこうも、木とか草とか水とか風とかを気持ちいいと思えるのだろう。

 なま暖かい風が吹き抜ける。この風にも文明とは異なる自然の何かが感じられた。

 10月に入ったが、毎日気温は30度を超えている。

 地球温暖化は加速しているらしく、気象変動は年々ひどくなるばかりだ。

 この公園のように、とにかく至る所で緑化しまくっているが、地球規模ではまるで効果がないのか、それともいつか効果が出てくるようになるのか、よくわからない。緑化だけでなく、二酸化炭素の海底沈殿事業のようなより直接的な温暖化防止政策も行われていた。

 世界大戦の時、エネルギー・燃料用に原油に代わってメタンハイドレードが大量に採掘されたが、その時、きちんと密閉処理されずに行われたため、メタンガスが大量に大気中へ放出された。そのために、地球温暖化は加速したと言われている。

 同じ大戦で、その他のエネルギー技術と、環境技術も発達したのだから、皮肉な話だ。そうやって破壊と建設、汚染と浄化を繰り返しながら、人類はここまで来たわけだ。これからもこうやって歴史は進むのだろうか。

 ふと、09革命も、その背後に隠れているM計画も、なにかそのあたりに関わっているのではないか、と言う気がした。

 結局、人類の未来に関わる政策なのだろう。

 政治家個人の欲望だけで陰謀が行われているような感じではなかった。

 しかし、へたな正義感ほどやっかいなものはない。

 自分は正しいことをやっている、そう思うから、時にはそのために人も殺すのだ。それだけに対応するのが難しい。やめさせることが簡単ではないからだ。

 それとも、今度の一連の陰謀が、単に政治家個人個人の欲望のためだけに行われていたとしたら。

 僕は許さないだろうな。

 許さないが、その方が、これ以上問題を大きくせずに済む方法だってある。

 関係者を皆殺しにすればいいのだ。

「……!」

 急に我に返って身震いした。

 そうやって、テロリストはテロをするのだ。それを正義だと思いこむようになる。そして見境がなくなり、巻き込まれる市民が死ぬわけである。その点では、政治家もテロリストもよく似た心理状態にあるのだ。

 なんとか、メディアを駆使して陰謀を暴く方法を考えないといけない。

 2日目は、結局、この先のうまいアイデアが浮かばずに終わってしまった。

 渋谷近くの雑居都市群にあるジャンクホテルに入り、また現金で支払いを済ませた。

 3日目。

 さすがに僕の中にも、焦りといらだちがつのっていた。

 なにも出来ない状況に対する焦り、トウキョウ・サイバー・ポスト社の面々に対する心配、少しずつ強くなっていく不安。敵の正体が、まだ全然わからない。

 自分の無能さが腹立たしくなる。僕にも何かできることはないのだろうか。

 信濃町まで来たところで、公衆端末に携帯を差し込む。

 公園と超高層ビルの間の狭い路地の片隅にある端末で、よくまあ、これだけ目立たないものばかり選んで工作したものだと感心する。

 しばらくすると、電話が鳴った。

『待たせて済まない。おまえの隠れ場所を用意したよ』

「どこだ? 秋葉原か?」

『いや、いまからデータを送る。そこにしばらく居るといい』

「そこは、見つからないような場所なんだな?」

『場所もそうだし、回線もない』

「回線もない?」

『そうさ。回線がなければ探しようがないだろ。そこで状況が変わるまで隠れているといいさ』

「変わるまでって、いつまで?」

『それはわからないな。いま、データを集めているところだ。うまいネタを見つければ、あとはそれをメディアに流すなり、いろいろ方法はある』

「それでなにか新しいことはわかったか?」

『それが少し妙な感じなんだよな』

 グロスターは画面の向こうで首を傾げた。

「というと?」

『和倉って言うのは、電経新聞の社員は間違いなさそうだが、社内では特に何かのグループに属しているというわけでもないらしい。むしろ、外にいろいろつながりがあるようだな。電経はカムフラージュだろう。電経の連中も彼の正体を知っているとは思えない』

「そうか……」

 そのあたり、少し疑問だったのだ。

『それでな、和倉のつながりを調べていくと、興世会というのに関係があるらしい』

「興世会!」

『知っているのか?』

「最近政府内部に急速に勢力を広げている超党派のグループだ。義兄がそいつらと対立している」

『なるほど。こっちの調べでも、興世会というのがかなり力を持ち始めているようだが、政府内部で他のグループと対立しているようだな。おまえを追いかけているのは、その興世会と関わりがあるんじゃないかな』

「そうか。まさか義兄のこととは関係ないだろうけど」

 姉夫婦の家族にまで手出しされるようになると困る。新たな不安がわき上がった。だが、義兄は貿易省の審議官。高級官僚に何かあったら流石に目立つ。だから簡単には手出しできないはずだ。それに兄はまだM計画のことは何も知らないはずだ。知らない人間にまで手を出す真似はしないだろう。

 むしろ危ないのはトウキョウ・サイバー・ポストのみんなか。

『俺の所に、おまえの調査の依頼が来たと言ったよな』

「ああ。それどうなった?」

『依頼相手の代理人らしき男と会った。裏筋のものだが、そいつの動きをたどってみたら、間違いなく興世会と繋がっているな。依頼を断ると、えらい高飛車に色々言ってきたんで、仲介を取った奴に釘を差しておいたが、あの男、他の所にも調査を頼んでいる』

「やれやれ」

『俺が妙だと感じたのは、この興世会の動きが、どうも政府の動きとちぐはぐなことだ。やつら、なにか陰謀を企てているような、そんな感じなんだ。その関係で、おまえも狙われてるんじゃないか?』

「じゃあ、M計画ってのは、興世会が推進しているというのか?」

『いや、違うだろう。M計画の正体はまだはっきりしないが、確かに政府内部に極秘計画があるらしい。ここ数日、電脳を総動員して官僚の動線を1つ1つ追ってみて気付いたんだが、ごっそりと、何かの計画に動員されているのがわかる。すべての省庁に関わっている計画だ。ただ、内務省と科学省、厚生労働省の動きが特に盛んだな。これは、興世会も、それ以外の官僚もみな関わっている。つまり、興世会は独自にM計画というのをしているわけじゃないって事だ』

「つまり、計画は政府が密かに推進しているということか」

『だと思う』

「では、M計画の事じゃないんだろうか」

『どうかな。俺の勘だが、興世会はこのM計画ってのを利用して何かしようとたくらんでいるんじゃないか? それが政府に対してばれるのを恐れて、隠そうとしているとすれば』

「なるほど。M計画をかぎつけたものを次々と消しているということか……」

『おまえも標的だろう。警察の捜査対象データにはでてないが、一部の警官には、おまえを捜す命令が出されている』

「それは、つまり……」

『警察内部にも興世会に属している連中がいるって事だな。正式な捜査ではなく警官同士の間で伝えられている感じだ。実際にお前を逮捕すれば、今のままじゃ国家公安警察法に反する違法捜査だな。おまえ、謀殺されるかもしれんぞ』

「そこまでして……。しかし、M計画って一体なんなんだ?」

『これも俺の推測だが、調べた感じの雰囲気では、医科学関係のような気がするな』

「医科学……」

『メディカルのMじゃないのか?』

 そうだろうか……。もっとなにか、具体的な意味の頭文字のような気がするが。

「具体的な内容はわからないか?」

『まだわからない。だが、いま関係する研究機関、大学などを洗っている。どの分野の組織が動いているか、それによって推測できるだろう。うまくいけば、データを取り出せるかも知れない』

「わかった。たのむよ。手数をかけるようだけど」

『頼まれなくてもやるぜ。こんなおもしろいことないからな』

「じゃ、俺はこのデータの所に向かうから」

『気を付けろ』

 電話を切った。

 送られてきた隠れ家のデータは、赤羽の近くにある雑居都市の中のビルらしい。

 そこに老夫婦がいて、話は付けてあるとメモ書きされている。

 とりあえず隠れるしかないが、だいぶわかってきたこの時点で引っ込むのは、何ともやるせなかった。

 そこには回線はないという。その老夫婦は電話とかどうしてるんだろう。そういう状況ではこの先調べようがない。仮に携帯が使えたとしても、精細なデータほど、調べるのに技術が必要になってくるし、ちゃんとした電脳端末が必要になる。

 EMMBに乗り赤羽へ向かったが、左手に新宿の超高層ビル群が目に入った時、トウキョウ・サイバー・ポスト社に連絡を取りたくなった。

 みんな心配しているだろう。

 しばらくの間、身を潜めることを、ひと言だけでも連絡しておきたかった。それに危険も知らせておきたい。

 姉貴と義兄の顔も浮かんだが、僕は首を振った。こっちは連絡しないほうが良い。普段もさして連絡してるわけじゃないし、そのほうが安全だ。

 バイクを止め、端末を見る。

 グロスターが都内の至る所に設けた拠点。この公衆端末なら、短時間であれば発見される恐れはないのでは?

 仮に連絡を取っても、大した内容でなければ、それを口実にトウキョウ・サイバー・ポスト社が摘発されることはあるまい。そうであれば、もうとっくにやられているはずだ。興世会の連中も、相手がメディアだと思い切った手を打てないでいるはず。

 この先で都合の良さそうな場所はないだろうか。

 リストを見てて、1ついいところがあった。

 池袋だ。池袋のステーションセンターにある。ここからさほど遠くなく、赤羽に行く途中だ。人だかりの場所でもある。これなら、僕をこっそり捕まえようなんて真似は出来ないはず。しかも人混みに紛れて移動できるじゃないか。


 EMMBを地下駐車場に入れ、ステーションセンタービルの45階まで上がる。グロスターはこんな所の公衆端末にまで手を出しているのだ。

 人のたくさんいるところを選んだつもりだったが、予想と少し違っていた。非常階段の入り口付近で、人々が行き交うところからやや離れていた。それでも、ここで騒ぎになれば目立つことは間違いない。こんな所では襲ってこないだろう。

 4台並んだ端末の一番右端が「グロスター印」になってしまった端末だ。と言っても、普通に使うことも出来る。

 トウキョウ・サイバー・ポスト社の編集部にあるアドレスを入力した。

 呼び出しサインのあとすぐに画面が点く。画面に映ったのは、島田弥生だった。

 当然だ、彼女のデスクトップに電話をかけたのだから。

「よ、弥生さん」

『あ、市来さん。よかった……。心配したんですよ。急に連絡取れなくなったんで』

「心配かけたかな。ごめん」

 ちょっと気取った口調で言ったら、相手が変わった。

『あんまり心配かけないでよお』

 岩坂柳一郎の顔がアップになった。

「げっ」

『ゲッてなによ、ゲッて……』

 ますますアップになる。

「し、失礼。思わず……」

 心持ちのけぞりながら、ヒゲのそり跡も青い顔を見て、ほんとに遺伝子上の女なのだろうか、と改めて疑う。

『それより、英介君。大変なことになったわよ』

「そっちもですか? 僕も散々ですよ。電脳は壊されるわ、バイクで追いかけられるわ、ジャンクホテルに身を潜めるわ」

『それどころじゃないのよ』

 とかぶせるように言われて、十分それどころだぞ、と内心で文句を言う。

「どうかしたんですか? そっちにもなにか警告でも来たんじゃ……」

『うちの社も、今朝、サイバー攻撃を受けたの。幸い被害は一部の端末だけで済んだんだけど。それに、うちにはなんの情報も流れてこなくなった。普通、事件があれば、警察から契約メディアに自動的に情報が送られてくるのに。全く情報が来ないの。連合通信や協定を結んでいる他の社とも回線が繋がりにくくなっている。何か妨害されている感じなのよね。いま、うちのアーキテクチャーが調べてるけど。それに、それどころじゃないのよ。編集長と連絡が取れなくなってるのよ』

「編集長が?」

 不安がよぎる。連中はトウキョウ・サイバー・ポストにも手を出し始めているのか。

 岩坂の横から弥生が顔を出す。

『市来さん、何を調べているんです? 何日か前、何か言おうとしていたでしょう? なんとか計画がどうとか。グロスターさんって人から、ええと、イエローさんて人経由で、市来さんは無事だからって連絡も来たけど。なにがあったんですか?』

 僕は話すべきか迷った。いまはあまり時間もないし、彼女らを余計な目に遭わせたくない。

 だが……。

 みるくちゃんの顔が浮かんでくる。

 彼女はなにも知らずに殺されてしまったのだ。なにか知っていれば、対応策だってあるはず。これは伝えた方がいい。

「正直に言います。前にも少し言いましたが、僕はM計画ってのを調べているんです」

『M計画?』

「そうです。ある取材をしている時に偶然情報を得たんです。09革命は、実はM計画のためにあるんだって」

『それはどういう計画なんですか?』

 弥生が聞く。横で岩坂もうなずいた。

「わかりません。全く見当も付かない。ただかなり大がかりなものだというのだけわかる。どうも人類の未来に関することじゃないかと思うんだけど」

 岸谷量子のことは隠しておいた。

『人類の未来……』

 弥生と岩坂は顔を見合わせた。

「医科学関係じゃないかっていう所までは情報を得てるんですが」

 グロスターが調べていることも隠しておく。

「そのことを調べ始めてから、警告や邪魔が入るようになったんです。僕のネットアクセス状況を監視していたみたいで。いまは逃げ回っている所なんですよ。そっちも気を付けてください」

『でも、どうしてうちの社までが? 市来さんと契約しているから?』

 弥生が首を傾げる。と、岩坂が、

『もしかして、例の中目黒の風俗の……?』

『どういうことです?』

 と弥生が岩坂に尋ねる。

『わからない? あの死んだ役人が漏らした言葉が、いま英介君が言ったM計画ってのと関係があるとしたら、たぶん摘発も、この自殺……、こうなるとやはり擬装自殺ね、これもみんな、その計画を隠すためにしたことでしょう。私たちは、そんな計画のことには興味なかったけど、陰謀をたくらんでいる連中から見れば、少しでも知っている奴らって事になるじゃない』

「そういうことです」

『そんな。それで市来さんや編集長まで?』

 僕はうなずいた。

『英介君の話を総合して考えると、政府の進めている革命ってやつも、そのM計画ってのも、ろくなもんじゃないわね。人を追いかけ回したり、殺したり……』

「殺人に関しては、まだ政府が主体かどうかはわかりません。でも、そっちも気を付けてください。どうも、相手は僕らを本気で調べ始めてます。僕はしばらく場所を変えながら調査を進めるつもりでいますので。事情を知っていれば、逃げ道も作れますし、用心も出来ると思うんで。それを言いたかったんです」

『調べるって、どうするの?』

『相手が相手よ、危険じゃない?』

「もう後戻りできませんよ。それに方法はいろいろあります。とにかく、僕の持っているデータをそっちに送っておきます。参考にしてください。いざというときは、そっちに連絡をしてくれたグロスターって言う男に連絡を取ってください。彼なら力になってくれるでしょう」

 僕は端末に携帯を挿した。データの送信を開始する。

 グロスター、すまない、トウキョウ・サイバー・ポストの面々まで押しつけて、いろいろ迷惑をかけそうだ。

『あなたはどうするの?』

「しばらくは隠れます。有力な情報が手に入ったあと……たぶんどこかに発表することに」

 その時、画面向こうの弥生と岩坂の目が見開いた。2人は僕を見ていなかった。僕の後ろを見ていた。

 僕は振り向いた。

 そこにサングラスをかけスーツを着たごつい体の男が4人立っていた。やや間隔を開け、僕を包囲するようにじわじわと近づいてきていた。

 しまった。

 もうかぎつけていたとは。

『逃げてっ!』

 弥生の声が聞こえるのと同時に、僕は携帯を引っこ抜き、男達に向けて駆け出した。

 男達は、その動きを予想していなかったのか、一瞬、動きに連携さを欠いた。

 僕は正面の1人を突き飛ばし、そのまま走った。ビル内の客らが驚いたようにこっちを見る。

 こんな人の目のあるところでも捕らえようとするのか。

 こうなったら、なんとか逃げ延びなければならない。

 地下駐車場まで行ってEMMBに乗るか、電車を使うと言う手もある。

 老舗のファッション店の中をケースをぬうように駆ける。チラッと後ろを見ると、2人が真後ろを追いかけてくる。他の2人はどこだ?

 その疑問を感じた途端、左手の柱の陰から2人が現れた。

 1人が何かを構えている。

「銃かよ」

 空気の抜けるような音がして何か飛んできた。それは突然、十字に拡がった。

 一瞬のあと、それはすぐ横のケースの上に飾ってあったアクセサリーの小さな棚にぶつかって派手な音を立てる。ネックレスやら宝石やらが飛び散る。

 ゴムスタン弾。

 もう、まともな方法で処理する気がないようなやり方である。こんなに目撃者がいるって言うのに。

 柱の1つを曲がり、エスカレーターを駆け下りる。もう他のお客さんなんかに構ってられないから、押しのけ、文句を言われ、なんとか下の階へ駆け下りていく。さらに次のエスカレーター。

 連中は客を突き飛ばすように降りてくる。

「3流アクション映画じゃねえんだからさっ」

 さらに下のエスカレーター、さらに下の……。きりがない。

 なんとかエレベーターに乗れないものだろうか。しかしタイミングよく来てくれればいいが、待っていたり、扉が閉まる前に追いつかれたら。

 やっぱり、エスカレーターを駆け下りるしかない。しかないが、ここは何階だと思うよ。それに下からお仲間が上がってきたりしないだろうな。

 耐震構造のせいか、エスカレーターの位置が変わる。フロアを駆け抜ける。

 大きな窓から外が見える。

 東京都内でも1、2を争う超超高層ビル「サンシャイン256」の姿が見えた。

 そうだ、空中回廊がどこかにあったはずだ。

 それで他のビルへ移ろう。そこまでは予想してないだろう。

 素早くフロアの中に目を走らせる。柱の所に案内板があった。細かいところが読めないが、空中回廊の場所は、フロアの横から飛び出ている絵でわかる。

 35階にある。

 あと何階だ? 4階?

 エスカレーターを見つけ、ジャンプするように駆け下りていく。

 あと3階、あと2階、あと……、

 35階に出て、僕は床を転びそうになりながら、方向転換をする。

 ダイオンワークスビルへ通じる空中回廊だ。

 高さ100m以上もある場所の回廊である。見晴らしの良さにお客さんがいっぱいいる。駆け抜ける僕を驚いてみた。

 回廊を真ん中まで来た時、前方のダイオンビル入り口からスーツ姿の男がわらわらと出てきた。

 しまった。

 後ろから追いかけられているだけじゃなかったのか。もっと大勢繰り出してきていたんだ。

 僕は挟み撃ちになった。

 足を止める。周りにいたお客さんらが驚いたように離れていく。

 息が荒い。あまり運動していないからこんな事になるんだ。今さら言っても遅いが。

「僕になんの用だよ」

 男達はなにも言わない。黙って近づいてくる。へたに騒いだら撃ち殺されそうな、そんな雰囲気だった。

「こんな大騒ぎして大丈夫なのか? もう警察に通報されてる頃じゃないか?」

「心配はない。我々がその警察だ」

 その直後、僕は背中に衝撃を受けて倒れた。息がつまり、みるみる意識が遠くなった。




 何か、ぼんやりと見える。

 なんだろう。壁紙か?

 何かが動いているようだった。壁紙をモニターモードにしたままだったかな……。

 いや、僕は確か、アパートを出たはずだから、これはうちの壁じゃない?

 急に意識が戻ってきた。

 そうだ、僕は変な連中に追いかけられたあげく……。

 視界がはっきりしてくる。

 背中が痛かった。が、ガマンできないほどではない。

 意識がはっきりすると、そこが部屋の中だと言うことがわかった。

 何もない部屋だ。内装は何もない。壁がむき出しになっている。

 椅子があり、誰か座っていた。

 誰だ?

 その顔がはっきりしてくる。

 中年の男である。

 見たことのない顔だった。

 僕は動こうとして動けないことに気付いた。

 椅子のようなものに固定されているらしい。腕のあたりがしびれて感覚が麻痺している。気絶したまま縛られていたため、無理な姿勢になっていたらしい。

 動く範囲で体を動かし、血の巡りをよくする。

 中年の男は黙って僕を見ていた。

 部屋を見回す。

 むき出しの壁、天井、床。完成していないビルの中のようだ。警察に捕らえられたはずなのに、こんな所にいる。どうやら陰謀に巻き込まれつつあるらしい。

 それにしても、こう言う状況に選ばれる場所は相場が決まってるようだ。

 やっとしびれが取れてきたので、僕は口を開いた。

「あんた、誰だよ」

「……」

 男は黙って僕を見ている。

「俺にこんな事して、いいと思ってるのか? あんな大騒ぎして、目撃者も大勢いるぞ」

 男は少し顔をしかめた。

「あれは……、私も困ってる」

「困ってる?」

「もう少し穏便に出来ないものか、後始末が大変だ」

「だろうね。市民を拉致する現場を大騒ぎしてやったんだからな」

「言い訳は考えている」

「……なんとなくわかるな」

 男は興味を表情に出した。

「ほう、言ってみたまえ」

「俺を凶悪犯か何かに仕立てるんだろ?」

「ご名答」

 当たっても、全然うれしくない。

「ただ、少し正確に言えば、ドラッグユーザーに仕立てることだ。それなら仕方ないと思われる。君が逃げる時に突き飛ばした市民もそれを裏付けてくれるだろう」

 僕は顔をしかめた。

「自己紹介が遅れたな。私は許田という。首相首席補佐官をしている」

「へえ。それはまた、ずいぶんと偉い人だな。なんでこんなところにいるんだ?」

「君が困ったことをしてくれるからだよ。私が責任を持って処理するよう命じられたんだ」

「誰に?」

「私に命令できるのは、この世で何人もいないんだがね」

「冗談だろ」

 僕は言った。許田補佐官は少し首を傾げ、

「誰が命じたかわかったのかね?」

「首相だって言うんだろ」

「君は頭が良いな。それとも勘が鋭いのかな」

「あんたの言うことを考えただけだよ、首相首席補佐官」

「なるほど、もっともだ」

「首相が、なんで俺みたいなただのエリンターなんかに興味を示すんだよ。俺は首相とは面識もないし、取材したこともないぜ」

「首相だって、君みたいな雑事屋のことにいちいち興味はない。わたしもだ」

 雑事屋なんて久しぶりに聞いた。こんな事を言うのは田村編集長くらいだと思ってたが。

 そう言えば、田村編集長も行方不明だとか言ってたな。

「あんた、トウキョウ・サイバー・ポストの田村ドミニオンをどうした?」

「ああ、彼も監禁してある」

「なぜ? 俺がM計画のことを嗅ぎ回っているからか?」

 許田補佐官は顔をしかめた。

「君はほんとに、余計なことをいろいろ知ってるようだね」

「田村編集長はどうしてだって聞いてるんだけどな」

「君は、彼のことを知らないのかね」

「……?」

 僕が首を傾げると、

「彼はね、日本民主解放戦線のメンバーだよ」

「日本民主解放戦線……?」

「やれやれ、時代も変わったな。民主解放戦線と言えば君、いまや日本で唯一の反政府組織じゃないか」

「寡聞にして知らないな」

「そうかね。いまのジャーナリストはものを知らんな。ま、民主解放戦線が本格的に運動していたのは、大戦中とその後の2、3年だけどね」

「だったら知るわけないだろう。その頃俺はまだ10代だぜ」

「時代だな」

 許田補佐官は肩をすくめた。

「大体、いまは活動してないんだったら、どうでもいいじゃないか」

「そのどうでもいい連中が、政府の極秘計画を嗅ぎ回った」

「俺は、そんな連中は知らないって言ってるだろう」

「いや、まったくね」

 と許田補佐官は苦笑を浮かべた。

「偶然とは怖いものだ」

「偶然……?」

「偶然なんだよ。偶然が重なってしまった。たしかに田村と君は全く関係ないところで我々の計画の事を知ってしまったんだ。おそらくな。田村は独自にM計画のことをかぎつけていたようだ」

 あのタヌキめ。知らないような顔をして。だから協力しようかという岩坂さんらの話に渋っていたんだな。

「他にもいくつかの偶然があった。たとえば、君が横田の爆破事件にも遭遇するとは思ってもみなかった」

「爆破事件……。ちょっと待てよ、あれもあんたらの仕業なのか?」

「爆弾犯は『地球の緑の丘』とかいう環境過激派の人間だがね」

「だが、あの犯人には背後に誰かいるようだったぞ」

「そのようだね」

 許田補佐官は澄ましていたが、つまり自分たちだと言っているようなものだ。

「君が空港で和倉君と出会ったのは偶然だった。ところが、君はあの風俗店で聞いた話をしたものだから、和倉君は驚いたわけだ」

「じゃあ、和倉晶はやはり、おまえらの仲間だったんだな。企画会議の初期メンバーの中に名前があったからそうだとは思っていたが」

「ほう……。そんなことも調べてたのか。それは報告にはなかったな」

「報告?」

「君が何を調べているか、逐一監視させてもらったよ」

「やっぱり。あのメールはあんたらが出したのか」

「警告が遅すぎたのは、我々の失敗だった。もっと早くに脅しておくべきだったな。逃げられた時は、正直困ったよ」

「人の電脳壊しやがって」

 僕はにらみつけた。

「すまんね。ああそうそう、捕まえた時に持っていたノート型も破壊したからね」

「なんだと? あれは、高かったんだぞ」

 文句を言うと、補佐官は笑った。僕はため息をついて、

「よく、俺が池袋にいることに気付いたな」

「公衆端末は監視下に置いてあった。君が時々連絡に使っていたのは気付いていた。すぐに切られるんで包囲することが出来なかったんだ」

 グロスターめ、セキュリティは筒抜けになっているじゃないか。

 心の中で毒づいた。

「しかも、相手が誰か、さっぱりわからなかった。そこだけいい加減なデータが検出されてしまうし、盗聴も出来ない。なにか仕掛けがしてあるようだったな。そこはあとで調べさせてもらう」

 グロスターめ、そう言うところだけセキュリティをかけてたのか。

 再度毒づいて、

「それであとを追ってきたんだな」

「そういうことだ。信濃町の近くで反応があって、追跡をしたが、通信が途絶えた。また逃してしまうかと思ったが、君は池袋で使った。おかげで周囲にいた連中を集中的に配備させることができた」

 くそっ、連続して使ったのが間違いだったわけだ。グロスターに知られたら笑いもんだぜ。

「鬼ごっこは楽しめたか?」

 僕は言ってやった。

「君はおもしろい男だな。いろいろ調べさせてもらったよ。義理のお兄さんが貿易省の審議官だとは驚いたよ」

 冷たいものが背筋を降りる。

「姉とその家族に手を出してみろ、ゆるさねえぞ」

「その状態で許さないと言われてもね。まあ、心配はいらないよ。君のお姉さんと、義理のお兄さん、それにその娘さんは、計画のことをまるで知らない。知らない人間にちょっかいを出して問題を大きくする気はない。そう、やぶへび、と言うやつだ。まして貿易省の審議官では色々面倒だ。君とは違う」

「ほんとだろうな」

「それは約束しよう」

 安心は出来なかったが、少しホッとした。

「どうやら、お姉さんの家族のことを大事に思っているようだね」

「あたりまえだろうが」

「結構結構。家族というのはいいものだものな」

 そんなわけのわからないことを言う。脅しにも聞こえるので、またも不安が湧き上がってくる。

「ただ、ひとつだけ、君のことでわからないことがあった」

「……?」

「それで君に来てもらったわけだ。聞きたいことがあってね」

「招待された覚えはないが」

 我ながら気の利いた皮肉を言えたと思った。補佐官は軽く笑い、

「君は、どこでM計画のことを知ったのかな」

「……」

 僕は表情を抑えるのに苦労した。

「君はあの風俗店で取材をしていたね。我々は奥野の様子が変なことに気づき、奥野を内偵していた。だが、我々の調査範囲では、君はただ、奥野が余計なことを店の娘に言ったのを娘から聞いただけで、M計画の名前も、その関連のことも、何も聞いていないはずだ。少なくとも奥野は余計なことはしゃべってないと言っていた」

「そうだ。おまえ、あの風俗店のコンパニオンを殺したな。そうだろう」

「彼女は奥野と心中しただけだ」

「違う。彼女は奥野のことをよく知らなかった。殺す必要はなかった!」

「さてね、どうだろう。その後、親しくなったのかもしれないよ」

「てめえ」

 カーッと怒りが頭に上ってくる。

 ガタガタと椅子を揺らしたが、手ははずれない。なんで固定しているんだ。

「私の質問に答えてないよ。どうして君は、M計画の事やら、和倉のことを調べるようになったんだね」

「知るかっ」

 僕は腹を立てたフリをして(いや、実際腹は立っているのだが)、大事なことをごまかすことにした。

 すなわち、M計画を教えてくれたレルム大公こと岸谷量子のことだ。彼女はやはり、何か思うことがあって僕にしゃべったのだ。そのことをこの連中は知らない。あるいはうすうす気付いていても、確信が持てないでいるか、そのあたりだろう。だから僕を殺さず、リスクと手間をかけてここまで連れてきたんだ。

「なあ、話してくれないかな。M計画のことをなんで知ったんだね?」

「俺も質問があるんだが」

「ほう、なんだね?」

「M計画ってなんだ?」

「……」

 許田補佐官は黙り込んだ。僕の質問をどういう風に考えていいのか、判断が付きかねているところのようだ。

「……」

 じーっと僕を見る。

「教えろよ」

「君は、大体見当が付いてきているんじゃないのかね」

「さあね」

「……君は、和倉晶を調べていたじゃないか」

 やはりそこだ。あの正体がわかってるのに正体不明な和倉だ。そこにこの計画の鍵がある。

 あと少しで、僕もわかりそうな気がした。あと何かヒントが1つあればわかる。そんなところまで来ていた。胸のあたりがもやもやして、どうにも落ち着かない。

「いいところまで来ていた。どこでM計画に気づいたのか、さっぱりわからんが、なかなか優秀な雑事屋のようだな」

「お褒めにあずかり光栄だよ」

「だが、我々にとっては困るのだ」

 いやな言い方をする。まるで僕をどうするかすでに決めているような言い方じゃないか。だが、ここが押しどころだ。

「M計画ってのはなんなんだ? どうせ困りついでだ、最後まで教えてくれてもいいだろう」

「ふん、まあ、そうだな」

 許田補佐官は足を組んだ。

「君は、M計画のMが何の意味だと思うかね?」

 それは僕も思いつかなかった。正直に言うのもシャクなので黙っていると、

「Mはある単語の頭文字でね」

 僕が黙っていると、許田補佐官は肩をすくめた。

「ま、教えてやるか。M計画のMはな、」

 M,E,T,H,U,S,E,L,A,H

 と綴りを言った。わかるかな? そう言う表情だ。

 M,E,T,H,U,S,E,L,A,H

 もう一度繰り返す。

 綴りを頭に浮かべてみる。

「わかんないかな」

 許田は少しうれしそうに言った。バカにしてる。

「メトセラだよ。メトセラ」

「メトセラ……?」

「メトセラの意味がわかるかね?」

 メトセラ、どこかで聞いたことがあるぞ。メトセラ、メトセラ……。

 僕の中で、いままでのもやもやしたものが、急に1つの形を作った。爆殺された科学省の審議官。殺された厚生労働省課長。グロスターが言った言葉「医科学関係じゃないかな」。

 そして和倉の顔になった。さらにレルム大公岸谷量子の顔に変わった。

「……!」

 何もかも、氷解した。

 氷解したが、信じられなかった。

「まさか……嘘だろ」

「どうやらわかったようだね。M計画とは、メトセラ計画。正確には、メトセラ化計画というべきかな。すなわち、不老長寿化計画のことだ」

 そう。メトセラは長命を誇った旧約聖書に出てくる人物だ。長寿とか不老長寿の代名詞だ。しかし、そんな技術を……。

「不老長寿化に成功した、と……?」

「君だってもうわかるだろう。疑問に思ったから和倉を調べてたんじゃないかね」

「彼は、不老長寿の技術を施されたというのか」

 だから、年齢のわりにかなり若く見えたのか。

「やっとわかってくれて、少しだけうれしいかな」

 その声に僕は振り向いた。

 後ろのドアが開いて、和倉晶が入って来た。

「君とは不思議な縁があるなあ。バイクで逃げられた時のあれは、なかなか見事だったよ」

 いつもの雰囲気のまんまである。近くまで来た。

 これが、不老長寿化された人間。

「信じられない。こうして目の前に見ているのに」

「でも、現実であることは理解出来るだろう。僕は美容整形の生体組織移植では不可能なほど若返っている」

「実際の年齢は……」

「僕はね、1974年生まれなんだ。61歳だよ」

「どうして……若く見えるんだ? まさか若い時に?」

「いや、処置したのは最近だ。だが、若返る理由は、僕も良くわからない。新陳代謝が変わるからなのか、遺伝子レベルの処置だから、細胞や組織が活性化するのだろうね。すくなくとも30代前半くらいまでは下がった。見た目だけじゃない、体力も気力も、性欲もね」

 ニッと下品な笑みを浮かべる。

「……」

「もともと若くは見えてたんだけど、ここまでとは正直思わなかったね」

「一体、いつ……」

「2030年だよ。臨床実験をするからと言う話があったんだ。それで僕は自ら願い出た。もともとね、年を取るのがいやになっていたところでさ」

「リスクを考えなかったのか?」

「考えなかったね。どうせ失敗しても年を取ることには変わりはない。死ぬかも知れないが、年を取ってしまうくらいならそれもいい。うまくいけばそれにあまりあるだろう」

「本当に年は取らないのか?」

 僕はなぜか、いまの自分の身の危険よりも、エリンターとしての興味の方が勝っていた。

「まだわからないな。なにしろ不老長寿だよ。僕が処置を受けてまだ5年だからね。それでも、昔のように年々体力が落ちていったりするような感覚は全くない。気力もなにもみな充実したまんまだ。少なくとも若返る効果はあったと思うな。不老長寿かどうかはこれからだが、まあ、定期的に検査を受けてデータを取っているから、いずれわかるだろうけど」

「いつ……、いつ開発に成功したんだ。そんなニュースは全く聞いたことがない」

「そうだろうね、秘密にしてるから。開発に成功したのは、たしか2028年のことだが、理論上はもっと早くにわかってたらしいよ。ただ細胞の無限増殖化を抑制する方法の開発に時間がかかったらしい」

「どうやって、不老化を……?」

「遺伝子には、細胞の代謝を進めて活性化するテロメアっていう部分がある。これがある間は、常に細胞は新しく生まれ変わる。しかし、テロメアは徐々に失われていく。一定の長さまで短くなると細胞は分裂しなくなる。つまり組織の老化だ。そこでテロメアを伸ばすための方法を開発したそうだ。テロメアを伸ばすのに必要な酵素テロメラーゼを生成する特殊なアミノ酸複合体を合成する遺伝子を、がん治療法の研究から見つけたらしい。それを元に遺伝子の一部を改良し、それを組み込んだ人工ウイルスを体内に入れる。あらゆる細胞に入り込む特殊なウイルスさ。それを繰り返すと、一年ほどで身体が作り変わる。……とまあ、そのあたりくらいしかわかってないんだ。僕はどうも、生命科学は得意じゃないんだ。政治とか社会とか、あるいは機械の方は得意なんだがな」

 和倉は苦笑して見せた。

「ウイルスを体内に入れる?」

「興味があるみたいだな。簡単さ。改良したウイルスを腕に注射するんだ。それを何度か繰り返すだけだった。あとは体内で少しずつ造り変えられていくらしい。僕の時で12ヶ月くらいかかった。組織や臓器が徐々に変わっていく。神経系が一番時間がかかるようでね。しかもその間、リハビリのようなことをしなければいけない。途中しばしば発熱したり、出血したり、倦怠感に襲われたり、まあ、いろいろあったけど、半年くらいしたら以前と一変した感じになってね。実感がわかるんだよ。身体が変わってきたって」

 想像してみたがいまいちわからない。

「あんたらの中に、その処置を受けた人は何人くらいいるんだ。補佐官、あんたも……?」

「いや、私はまだだ」

 と補佐官は首を振った。和倉は、

「僕の知っている範囲では10人前後いるよ。僕も処置を受けた人間のすべては知らない。バラバラに受けたからね。中には失敗した例もあるのかもしれないな」

 上手く行った中に、おそらく岸谷量子もいるのだ。彼女があのホテルの一室に閉じこめられていること、彼女の運営する電脳国家レルム大公国の君主が3回代替わりしたように見せられているのも、不老長寿化のことを隠すためだったんだ。

 だが、彼女のことはここでは黙っておくことにした。たぶん、岸谷量子はこの連中を裏切って僕にM計画のことを言ったのだと思う。そうする心理的理由はわからないが。

 いや、何となくわかるような気もする。

 彼女は孤独だったのだろう。年を取らないのに、一人世の中から隔絶されている。これからもずっと。

「さて、大体わかったろう。君は余計なことを知りすぎたし、このままにしておくわけにもいかない」

「殺すというのか? コンパニオンのみるくちゃんのように。彼女はほとんど無関係だったじゃないか」

 僕がこいつに余計なことを言わなければ……。

 悔やんでも悔やみきれない。

「あの娘は計画のことを聞いていた。それで十分だ。ちょっとでも関わりそうな人間は処分する。太田原明もそうだった」

「太田原……、空港で爆死した審議官か。じゃあ、あんたがあそこにいたのは」

「そうだよ。僕はテロがうまくいくか監視するために現場に行ってたんだ。失敗した時に備えてね」

 なんてことだ。僕は黒幕のそばで現場の映像を撮っていたんだ。

「あの犯人の男は、佐山は一体……」

「あいつは軽犯罪で警察に一時勾留されていたことがあってね、環境保護団体を自称するテロリストだから、いい具合に利用させてもらった。で、薬漬けにした。ドラッグユーザーに催眠をかけるのは簡単なことだ。まあ、家族をネタに脅しもかけたけどね。もう少し多く死傷者が出ていれば、特例で死刑にもできたんだが。まあ、後催眠がかかっているから、彼がこの事をばらす恐れはない」

「なんということを。なぜそこまでする。あんたが不老長寿化したからと言って、そこまでして隠す意味があるのか? しかもあんた自身は社会の中に身を置いている。隠そうとしてないだろう」

「そうでもないさ。これでも職は転々としたんだよ。どれもメディア系だけどさ。昔ね、フリージャーナリストをやってたんでね」

「大戦に従軍したのもその時か」

「やっぱりバレてたか。うーん、エリンターになったのはちょっと安易だったかな。反省するよ」

「和倉くん、君は少し目立ちすぎるんだよ。すこしは慎み給え」

 許田が忠告した。和倉は苦笑を浮かべ、

「僕はね、他人のことはどうでもいいんだ。自分が楽しみたければそれでいい。世間から身を潜めるのは趣味じゃない。やりたいことをやってなんぼじゃないか。考えてもみるんだ。人間はなんのために生きる? 人類という種族のためか? そうじゃない。自分の遺伝子のために生きているんだよ。それに人間を人間たらしめてるのは、感情、快楽、目的、思考、ありとあらゆることだ。それを追求せずして、人間である必要があるだろうか。獣じゃないんだぜ」

 和倉はそう言って笑った。身振りが大げさになる。

「だが、人間には寿命がある。一生でやれることなど限られている。誰もが何かを犠牲にして、生きていかなければならなかった。この僕もだ。うちは貧乏だったからな。革命当初、新聞社で仕事をしていた僕は、ちょっとした偶然から、企画会議の人たちと出会った。そしてその考えを聞いた。メトセラ化のことも最初に聞いたのはその頃さ。その魅力にとりつかれた。なんというすごい計画だろう。人生を限りなく楽しめる、味わえる、そんなことを考えているなんて。だから僕は革命にも関わってきた。いつか、この技術は成功する。その時まで待とうとね」

 僕は気分が悪くなってきた。確かに不老長寿には魅力があるが、この和倉という男、あきらかに精神を病んでいる。他の連中はどうなんだ? 09革命を推進しているすべての人間がこうなのか?

「そんなすばらしい計画を誰にも邪魔はされたくない。技術が完成した時、僕は自ら志願して処置を受けたが、それはまだ世間に認められたわけじゃない。いまここでへたに知られたら、どんなことになるだろう。嫉妬や憎悪がこの計画を潰し、僕の未来を奪うだろう。そんなことは誰にもさせるわけにはいかないのだ」

 ほとんど舞台劇の主役のように、和倉は大げさに叫んだ。

 許田補佐官は顔をしかめた。

 どうやら和倉はあまり好かれているわけじゃないらしい。

 僕は許田補佐官に聞いた。

「いまの彼の話だと、09革命はM計画と関係あるという風に聞こえるが?」

 関係あるとは岸谷量子から聞いている。だが、彼女のことを考え、今気づいたように装った。

 そのことを知ってか知らずか、

「関係はある。だが、我々はいま、そのことで見直しを計画しているのだ」

「見直し?」

「一連の改革はM計画のために進められたと言ってもいい。人々が不老長寿化したあとの社会のためにね。だが、あえてM計画は限定したものとして、構造改革は現状の問題解決にのみすべきではないかと言うことだ」

 どういう意味だろう。

「ようするにね、我々がM計画を進める、それだけのことさ。みんなが不老長寿になったらおもしろくないじゃないか」

 和倉はそう言って笑みを浮かべた。嫌味も皮肉もない、ただうれしそうな笑みだった。

 そうか、こいつらは、この技術を独占したいんだ。

 だから、M計画を知った人間を次々と殺しているんだ。

 グロスターが、政府と興世会の間に食い違いがあるようなことを言っていたが、そう言うことか。

 和倉は、僕と目が合うと奇妙な笑みを浮かべた。

「さて、おしゃべりおしゃべりで時間を伸ばそうとしても無駄だよ。どうせ、君は助からない。君にはまだいろいろ謎めいたところがあって、それを知りたいところだけど、ま、もういいだろう。君には死んでもらうことにする」

「M計画のことをどうして知ったかはいいのかね」

 と許田補佐官。

「大体は検討ついてますよ。君はトウキョウ・サイバー・ポスト社に連絡を取っていた。あそこの編集長ももとは民主解放戦線。始まりは偶然だったかもしれないが、君らは同じ目的で繋がったのだから、あとはそれを1つ1つ潰していけばいいだけのこと」

「しかし田村はM計画のことをこいつほどは知らない。情報ルートは別だ」

「知らないフリをしているだけですよ。あいつはその方面じゃベテランだしね」

 僕は、こいつらがグロスターのことや、レルム大公岸谷量子のことに気付いていないのを改めて確信した。

 仮に僕がここで殺されても、グロスターらがあとを継いで動くだろう。むしろ彼の方が恐るべき脅威となるに違いない。

 とはいえ、僕はまだ死にたくはなかった。死ぬ怖さもあるが、自分が死んだら、姉貴が悲しむだろうな、と思った。その姿を想像すると胸が痛む。

 しかし、あまりにも唐突に命の危険にさらされるとは思わなかった。じわじわと追いつめられるよりはマシだが、正直、戸惑いも感じる。

 みるくちゃんも、この違和感を味わったのだろうか。

 この唐突さは、いろんな偶然が重なったとはいえ、僕のエリンター根性も原因の1つだったろう。

 思い返せば、知らなくてよかったこととは言っても、一度知ってしまえば、無視することの出来ない内容だった。

「さ、もういいじゃないですか。許田さんだって、彼を始末するよう命令を受けたわけでしょう」

「最終的にはそうだが、引き出せる情報は引き出しておきたいのだ。何しろ、こいつが死ねば、その情報はもう手に入らなくなるんだからな」

「心配性ですね。我々が注意すべきはむしろ、公開派がどう動くかでしょう。公開派が彼のような情報を握った在野の人間と手を結ぶことこそ問題なんですよ。公開派の動向に気を付けるべきじゃないですかね」

 公開派……?

 どういう事だ。興世会と対立している官僚グループのことを指しているのだろうか。

 岸谷量子の態度は、その対立が反映したと言うことか?

「たしかにそうだが……」

「時間の無駄です。どっちにしても結論は出ている。彼には死しかない」

 いやな言い方だ。自分の死刑執行を目の前で論議されるこっちの身にもなってくれ。

「ま、仕方あるまいか」

 と許田は不満げにうなずいた。

 うなずくなよ、と僕は思ったが、なにを言っても無駄な気がした。

 和倉が僕の顔を覗き込んだ。

「さてと、市来君。君には気の毒だが、許してくれよ。こんな事でなければ、君とはいい友人になれたと思う」

「なりたくないね」

「それは残念だ。残念だけど、まあ、どうでもいいか」

 あっさりと言いやがった。

 次生まれ変わったら、もう少し人を見る目を養おう。

「覚悟は出来たかな?」

「出来ない」

「苦しまずにあっさり死ぬようにやってあげよう。同じバイク仲間だしね」

「仲間ではない」

 和倉はふふんと笑うと、内ポケットから拳銃を取りだした。

 その銃口を見ると、さすがに恐怖がわき上がってきた。顔の筋肉が引きつる。

 銃口が僕のこめかみの近くに据えられた。

「じゃあね」

 僕は目をつむった。



 バーン、と言う大きな音がして、僕は思わず心臓が止まるかと思った。体がびくっとなる。

 だが、それは銃声ではなく、部屋のドアが尋常ではない開き方をした音だった。

 そっと目を半開きにして、そっちを見ると、迷彩服を着た兵士たちがわらわらと入って来た。今度は何だ?

 和倉は兵士らを見回す。許田補佐官は腰を浮かしかけたところで止まっていた。

 入って来た兵士らは、自動小銃を2人に向けて構えた。

 兵士らの後ろから士官服の男が入って来た。

「大佐……」

 和倉がつぶやく。

 入って来たのは、横須賀港で紹介された相良陸軍大佐だ。体のあちこちをサイボーグ化しているごつい軍人だ。

「どういうことですか、これは」

 和倉が抗議した。

「君こそ、これはなんの真似だ」

「……」

「我々の理想を汚す行為を見逃すわけにはいかんな」

 大佐の言葉に許田補佐官がよろめきながら立ち上がった。

「こ、こんなことをして、許されると思っているのか。私は首相首席補佐官の……」

「あなたは解任されましたよ、許田さん」

「な、なんだと?」

「電議民政院にも提出され、今しがた承認されました。情報化社会は迅速を重視しますからな」

「ばかな、私は首相の内命を受けて」

「首相は否定しておりますが」

 くっ、と許田補佐官、いや前補佐官は声をつまらせた。

「やりすぎましたな。秘密を独占したいからと言っても、ここまでやる必要はなかった。政府部内でも問題になっているんですよ」

「……」

 許田は青くなっている。

「わ、わたしのことを、逮捕したら、しゅ、首相のことも、M計画のことも、なにもかもばらすぞ」

「さて、あなた方が裁判にかけられることはありますかね。陰謀には陰謀で、って言うでしょう。首相も汚職を理由に辞職に追い込まれるでしょうな。不祥事の情報はこういう時のためにキープしておくものだ。政府に傷は付きません。まあ、頃合いを見て、首相や興世会の面々には公けに責任を取ってもらいます。そうすれば、我々としても国民に対しやりやすくなる。ただし、あんたらは別に処理させてもらうが」

 許田はガタガタとふるえだした。

 興世会。

 やはりこれは興世会の陰謀だったのだ。

「大佐、あなただって我々に共感していたではないですか」

 和倉はまだ銃を構えたまま言った。

「ほう、私がいつ共感すると言ったかな」

 そう反論されて和倉はキレた。

「くそっ。どういうつもりだ。スパイだったのか。それとも一万田らに籠絡されたか」

「私は最初から旗幟鮮明だ。自分に都合のよい話を簡単に信用する方が問題なのだよ」

「くっ……」

 和倉は銃を大佐の方に向けた。兵士らが彼に狙いを定める。

 僕は青くなった。

 ま、まて、撃ち合いをするなら、まずこの僕を解放してからにしてくれ。

 声が出ない。

 兵士らはおそらく同士討ちにならぬようにだろう、和倉らを半包囲の状態で並んでいるから、こっちに流れ弾が飛んできそうな位置関係だ。

 大佐は銃を向けられても平然とした様子だ。あるいはサイボーグゆえに少々の怪我は平気なのかも知れない。

 和倉は大佐の顔に銃口を向けていたが、無駄だと思ったのか、腕を降ろした。大きく息を吐く。兵士の1人が素早く腕を抑え銃を奪う。

 大佐が和倉の前に立ち、

「太田原審議官暗殺、奥野課長暗殺、および市民殺傷、拉致略取の容疑で逮捕する。連れて行け」

 ついで許田の方を見た。許田はがっくりと腰を落とした。

「許田、情報保安法違反、反乱教唆、市民殺害教唆の容疑で逮捕する。連れて行け」

 許田も兵士に連れられていった。

 大佐は僕を見下ろした。口の端に笑みを浮かべる。

「また会ったな。……彼の手錠をはずしてやれ」

 兵士に命じ、やっと解放された。

「助かりました。なんとお礼を言っていいやら」

 しかし、まだ大佐が僕の味方かどうかは判断付かなかった。

「いや。私は命令を受けてきただけだ。感謝するなら、おまえの変わった友人に言うんだな」

「変わった友人?」

「おまえのために、政府を脅迫した男だ。グロスターと言ったな」

 あいつが?

「おまえが連行されるところ、田村という新聞社ドミニオンを拘束しているところ、この部屋の映像をコピーして送りつけてきて、これをネットに流してもいいか、と聞いてきた。まったく、素早く見つけたもんだな、ここで起こっていることを。その上、各大臣や企画党の関係者、軍の情報機関にまで直接送りつけてくるとは。恐ろしいやつだ」

 フンと鼻をならし、

「ま、その前から、興世会の動きはつかんでいた。許田のあとも付けていたしな。グロスターなる男の脅しだけで動いたわけじゃない」

 グロスターは至る所にあるカメラを乗っ取ることが出来る。しかし、どうやってここに連れ込まれたことを知ったのだろう。

 僕は気付いた。

 池袋で携帯を公衆端末に挿した。

 あれでグロスターは僕が拉致されたところを見たんだ。あとは動きを追っていったのだろう。

 これでグロスターに借りが出来てしまった。あとで色々嫌味を言われそうだ。

「そういえば、田村編集長は無事ですか」

「ああ。ついさっき、病院へ運ばせた。もっともあの男、叩けばほこりの出てきそうなやつだな。病院は陸軍病院にさせてもらった。たっぷり話が聞けそうだ」

 そう言ってにやりとし、

「君は怪我はないか」

「ないようです。心臓はまだどきどき言ってますが」

「君も我が軍の病院で診察を受けるかね」

「遠慮申し上げます」

 ハハハと大佐は笑った。

「まあ、君は放免としよう。だが、その前にどうだ? 知りたくはないかね」

「え?」

「M計画の真相と、09革命の目的を」

「大体は聞きました」

「いや、連中の話はほんの一部でしかない。本当のことを知りたくないか。エリンターとして興味はないかね」

「……それを聞いて、いよいよ抜け出せなくなる、なんて事はないでしょうね」

「その点についても、聞くといい」

「誰にですか?」

「一万田企画院総裁だ。彼は君が来るのを待っている。君が望めば、私が同行して総裁の所まで案内しよう」

 大佐同伴はちょっと遠慮したかったが、有無を言わせない雰囲気だった。それにエリンターとしての興味も確かにあった。

「わかりました。是非、お願いします」



 企画院は霞ヶ関の総合庁舎3号館の60階にあった。内務省、電政省などが入っている庁舎である。75階建てだが、その中の多くのフロアが、電脳関係設備と通信施設で埋まっている。

 企画院そのものは上下3フロアだけの小規模の役所だが、政府の中枢でもあった。2010年5月に設置され、09革命と称される構造改革の基本計画を研究し、まとめ、各省庁と連携して推進するといわれている。

 相良大佐の案内で、企画院の総裁室を訪れた。

 全く今日という日は、僕の人生でもっとも情報量の多い日となることだろう。

 一万田総裁は、立ち上がって迎えてくれた。

 握手をすると、相良大佐が敬礼して出て行く。ちょっとホッとした。悪い男ではないようだが、軍部というのを見たまんま表しているような大佐はちょっと近寄りがたい。

 ソファを勧められた。

 すぐに秘書らしき女性がお茶を持ってきてくれた。

 彼女が出て行くと、改めて総裁は挨拶した。

「私が企画院総裁、一万田紀彦だ。市来英介君だね。君のお兄さん高階秀紀審議官にはいろいろ手伝ってもらってるよ」

「私も、兄からお噂はかねがね伺っております」

「どんなことを噂されてるか冷や冷やものだね」

 それから少し義兄や家族の話になったあと、

「ところで、君にはずいぶん危険な目に遭わせてしまったようだ。済まないと思っている」

 ひどい目にあったと文句を言いたいところだが、ここは抑えて、09革命とは何か、なぜM計画というのが推進されているのか、それを聞かねばならない。僕はあえて携帯をテーブルの上に置いた。録音することを暗に示したのだ。総裁はそれを一瞥すると、軽くうなずいた。

「君にもいろいろ疑問があるだろう。君が監禁されているところの映像は見せてもらった。君の友人のおかげだな。あんなカメラの映像までハッキングされるとはあの連中も予想していなかっただろう」

 造りかけのビルの防犯カメラだ、油断もする。

「グロスターのことはお見逃しいただきたいのですが。彼のおかげで命を助けられましたし、昔からの友人なんです」

「わかってるよ。我々も、余計なことを知られずに済んだ。彼も相応のリスクを覚悟の上で君を助けようとしたわけだ。だから君の友人のことは、特に何もしないつもりだ。今回に限ってはね」

「ありがとうございます」

 と一応お礼を言っておいて、

「どういう事かご説明いただけますか。M計画のことは聞きました。まさか不老長寿化技術が確立しているなんて想像もしてませんでしたが、それと一連の改革とはどういう関係があるんです。そして、なぜ殺人までして隠そうとしたのか」

 総裁は、ふう、とため息をついた。

「あの連中があそこまでしているとは想像もしなかった。我々も考えが甘かったのだ」

「どういうことですか?」

「君を監禁し、何人かの人間の殺害に関与した和倉晶などは、興世会のメンバーなんだ」

「そう言ってました。興世会のことは兄からも少し聞いていますが、政官界にメンバーを持つ超党派のグループだそうですね」

「そうだ。比較的若い連中が多い。だが、実はあのグループは、もともと旧勢力が作ったものなんだよ。それがどこかで変質してしまったらしい」

「旧勢力?」

「我々が革命の中で追放した昔の政治家連中だ。連中は我々が政治の実権を握ったあとに権力を取り戻そうと、少しずつ入り込んできたのだ。だが、我々の改革は進み、連中の入る余地はほとんどなかった。そのうち、世代が交代し、いつの間にか、理想論ばかりを振りかざす改革派が主流を占めるようになった。守旧派が一転してもっとも改革にうるさい連中に変わってしまったのだよ。ただし、どっちも表面的なもので中味はないのだがな」

 そう言う現象があることはわからないでもない。極左が極右になるようなものだ。いや逆か?

「でも、それがなぜ、人を殺してまで……」

「連中はM計画のことを独占しようともくろんだのだ。欲望にとりつかれたのだ。自分たちだけが不老長寿化すれば、圧倒的な立場になれるだろう。生きる欲望と政治的欲望の両方にね」

 やはりそうだったか。

「我々も連中の変貌には気付いていたが、まさかあそこまで暴走するとは思ってもいなかったのだ。だが科学省審議官爆殺事件で疑問を抱いた。太田原はもともと興世会のメンバーだが、我々に接近していたからな。しかも彼は興世会の中心部に異様な動きが見られることを告げていた。我々ははじめて興世会に危険なものを感じた。それから内偵を進めた」

「なぜすぐに手を下さなかったのです」

「いつの間にか興世会が巨大化していたからだ。へたに手を出して政治を混乱させるわけにはいかなかった。そこで足場を固め、外堀を埋め、万全の準備が出来るまで本格的な動きにでられなかった。なにしろ、首相まで取り込まれていたのだ」

「その間に2人の人間が殺されてますよ。しかも1人は無辜の一般市民だ。なんにも知らない20歳の女の子ですよ」

「そう。我々もその事は残念に思う」

 残念だとか遺憾だとか政治家の常套句だ。そんなもの百万言並べても彼女は生き返らない。

 だがいまはそのことを言っても仕方がない。

「そこまでして守ろうとしたM計画ですが、あなた方はどうなのです?」

「我々?」

「そうですよ。あなた方もまた、不老長寿化技術を独占する気なんじゃないですか?」

「いや、そのあたりを君に知ってもらいたくて、こうして呼んだのだ。我々がどういう計画を立てているか、M計画が実はいまの09革命と呼ばれている一連の構造改革の目的であることを君に理解してもらいたいのだ」

「そのことは私も気になってました。一体どういう事ですか?」

「改めて説明させてもらうが、M計画とは、メトセラ計画。すなわち人類を不老長寿化する計画だ」

「ええ。驚きました。そんな技術が確立されていたなんて」

「確立したのは2028年のことだが、実は早くから研究はされていた。大戦前、前世紀末にはすでに様々な研究が進んでいた。遺伝子にある寿命回数券テロメアのこともわかっていた。だが、遺伝子技術は今世紀初頭でもやっと解読が終わり、個々の研究が始まる段階でしかなかった」

「それが2028年には不老長寿化を?」

「そう。研究が加速したのは、世界大戦の時だ。全く皮肉なことだが、人が死ぬことが問題になる時、そうしないための研究は進む。戦時中、あらゆる殺人技術と人を守る技術が研究された。その中には、いまや当たり前となった生体部品製造技術もある。クローンもあるし、サイボーグ技術もある。そして不老長寿化技術も研究は進んだ。いや、進めた、と言うべきかな」

「進めた? まるであなた方が進めさせたような言い方ですが」

「その通り、我々が研究を推進したのだ。それが我々の目的であったからだ。すなわち、09革命はそのために推進していたのだからな」

「つまり、一連の政治改革、科学振興、移住政策、高齢化対策、それらもみな、M計画のためにあったというのですか」

「そう。より安定した体制の転換を進めるためにね。M計画が公開された時に、人々がそれをすんなり受け入れられるような社会を作る必要があった。そのためには、政治システム、教育、社会体制をきちっとまとめておく必要があったのだ。もちろん、不老長寿化がうまくいかなかった時のことも考えてのことだが。なぜ、そうなったか、頭から説明しようか」

 僕はうなずいた。

「我々が最初に改革の必要性を感じたのは、2001年のことだ。あの年は大変な年となった。同時多発テロがあり、世界は急速に戦争とテロの時代へと落ち始めた。日本はやっと長い不況から立ち直ろうとしている時だった。しかし、解決しない問題は山のようにあり、それはあとからあとから出てきた。

 企業の不祥事、莫大な国債発行、年金問題。日々凶悪な事件が起こり、自殺者が相次ぎ、信じられないようなお粗末な理由から大事故が起こったりもした。なのに政治はそれを解決するどころか、政治家同士の足の引っ張り合い、内輪もめ、野党は与党の批判に明け暮れ、国民の苦境を見ようともしない。政治に対する失望感は、選挙での投票率の低さにも表れていた。投票結果ではなく、投票しなかった人の数を深刻に受け止めるべきだったのに、当時の政治家らは、それを単に無党派層だとして、自分の党に引き込める浮動票のようにしか見ていなかった。そうではない。投票しない人々は、政治家に愛想を尽かしていたのだ。民主主義その物が崩壊しかかっていた。

 我々はまだグループを作ってはいなかったが、若手の経営者らでしばしば会合を持つようにはなっていた。我々にとってもっとも深刻だったのは、少子化だ。市場が縮小し、生産力が低下し、年金等の負担は限界に達する。もし、このまま進行すればこの国は崩壊してしまう。まだその頃、少子化問題は単なる社会的構造の矛盾が出た結果という見方だけで、言われてるほどには深刻に受け止められてなかった。だが、人間が生まれない、というのは、それは恐るべき事実だったのだ。考えてもみたまえ。街中に老人ばかりがあふれ、子供は数えるほどしかいないような未来を。それは単に少子高齢化などという言葉でまとめられるような未来か。SFでも書かないような不気味な未来じゃないか。

 我々が勉強会を作り、最初に話し合ったのは、そのことだった。少子化に何か原因があるのじゃないか。本当にただ社会制度の不備という問題だけなのか? 我々はいろんな専門家を呼んで意見を聞いた。女性の社会進出に伴い、出産や育児の負担を解消すべき制度が出来てないことで、子供を作らない夫婦が増えたことに原因があるという人もいた。それは正しいだろう。不況で収入が少ない男女は子供を作りたくても作れない。そういう問題もあった。核家族化が進んでいるという現実も、子育てへの負担を増大させた。幼児虐待や児童への暴力、通り魔などの事件も頻発した。いまの君には想像できないかも知れないが、あの頃、毎日のように子供が殺されるニュースが流れていたのだ。戦争もなにもないこの国でだ。まるで日常の出来事のように、日々どこかで子供が刺殺され、撲殺され、焼き殺され、ひき殺され、水死し、餓死していた。子供同士の殺人も相次いだ。

 大人も狂っていた。

 幼児虐待をする親を白い目で非難し、子供を襲い殺す犯人をきちがい扱いし、子供同士の事件を異常なものと断定して原因に目を向けなかった。根本的原因は大人の方にあるのに。当時、大人自身が、自分以外の人間を貶めることで自分の存在価値を確かめるような所があった。それは知的なものはなく、単なる動物だ。動物の生存と遺伝子を残す本能でしか無い。そんな大人達だから、自分だけは正常だと思っていながら、ある時、ふとしたきっかけで人を殺す。

 当時の大人達の中には、モラルのないものが多かった。

 我々は、少子化や子供が犠牲になる事件の多くは、モラル教育に問題があるのではないかと考えた。たとえば、当時の大人達は、学生時代に共産革命を目指して暴動を起こしたり大学に籠もったりしたあげく、テロリスト化した一部を除いて、何事もなかったように社会に出て行った世代である。彼らは革命騒ぎを起こしたあげくに、きちんと責任を果たさずして社会に戻ってしまった。自分にけじめを付けられなかったのではないか。だからモラルが保てず、自分自身を形成できず、安易なバブル経済に踊り、不況になると責任を回避し、自分の存在維持に必死となり、他人を貶め、若者の成長に手を貸さず、むしろその芽をつみ取るようなことをするから、下の世代に暴力や犯罪が横行するようになったのではないか?

 そう言う議論があった。

 企業の不祥事も、大事件や大事故の時も、責任を逃れるような言動がしばしば見られたのは事実だ。そしてその多くは団塊の世代と呼ばれていた世代を頂点に、その下の数世代によく見られた。

 そして後継者育成に動かず、ただ自分たちの責任回避に必死になるような世代が膨大な数に上って社会を支配しているから、若者に行き場がなく、それはひいては未来に夢を持てなくなり、自殺の多発や少子化にも繋がっているのではないか、と言う意見が出てきた。実際、当時、自殺する人間の多くが若者だった。まるで流行だったよ。ちょっと田舎の路肩に止めてある車の中で若い男女が何人も死んでいるのだ。そんなことがしょっちゅうあった。ひどいものだった。

 我々の勉強会は、やがて、1つの計画を立てるようになった。

 2007年から徐々に団塊の世代の引退が始まる。

 世間では彼らの引退が社会で培ってきた多くのものを失わせてしまうのではないか、と言う危惧があり、定年の延長、再就職などの体制を作ったり、団塊の世代を応援する書籍などが多く出たりした。

 しかし我々は逆のことを考えたのだ。

 団塊の世代にはこの際、きっぱりと引退してもらい、能力のあるものには顧問という形で社会には残ってもらうとしても、あとは若者にすべて譲るべきじゃないか。団塊の世代だけでなく、その何歳か下まで、全部いなくなってもらった方が、むしろ若者の成長を期待でき、停滞した社会を活性化できるのではないか?

 皮肉なことだが、団塊の世代やその前後の世代が日本社会を発展させた時、多くの無理だと言われた計画が先にあった。それを無理だからと諦めずに克服してきたのだ。それを今一度、若者らにやらせるべきじゃないか、と我々は考えた。若者と言っても、10代後半から30代くらいまでのことだがね。

 若者に任せて大丈夫か、と言う意見もあったが、前例があった。

 なんだと思う?」

「なんですか?」

「明治維新だよ。明治維新は当時20代から40代の人々によって推進された。単なる革命騒ぎではなく、本当の改革を若い人々が行ったんだ。その結果には賛否両論があるだろう。でも、若さが決して間違いだったわけじゃない。しかし、その後、日本は改革を怠ってきた。太平洋戦争の敗戦もそうだ。敗戦後の制度改革、憲法制定などは、いわば言われてやっただけのことで、自分からやったわけじゃない。たとえいいものが出来ても、自分でやってないから身に付かない。日本国憲法は、自分たちがこれだと納得してはじめて、本当の理想的憲法になったのに、それだけの中味を持っていたのに、それを押しつけられたと感じ、あるいは手のひらに包み込むのではなく、神棚に飾るような理想にされたがために、実質なものを伴わなかった。護憲派も改憲派もその点は同じだ。他の改革も皆そうだ。もちろん。戦後の情勢が理想社会を作るだけの余裕がなかったのも事実だが、自分たちの手で改革をしていれば、もう少しマシな方向へ持って行けただろうと思った」

「それで、あなた達は、自分たちで革命をしようと思ったわけですか」

 総裁はうなずいた。

「その通りだ。いま、自らの手で革命をしなければならない。でなければ、日本は滅びる。しかし、安易な暴力革命や、軍事に頼るような社会は作れなかった。あの頃、すでに右翼も、軍事勢力も台頭していたからな。言っておくが、私は軍事を否定するつもりはない。が、なにも考えずそこに頼れば、いずれ自国を滅ぼすことになる。もとより、強硬なことを言うやつほど、自分ではやろうとしないものだからな。

 我々は、自分の手でやらなければならないと思った。理屈をこねるのではなく、実際にやるのだ。

 実際に計画として進めるにはどうすればいいのか。選挙に出て政治家になるのか? 政治家に献金して、こちらの主張を実現させるよう働きかけるのか?

 だが、当時の政府の構造改革は部分的なもので終わった。内部抗争が激化して、改革どころじゃなくなっていた。野党もそうだ。政権交代しても、理想論と現実は齟齬をきたすだけで、何の解決ももたらさなかった。

 もう政治に任せてはおけない。

 我々が可能なところから手を付けていこう。

 勉強会は、規模が大きくなっていった。

 最初は若手経営者らで集まっていたのを、考えに賛同した大学教授や、弁護士、技術者、地方の政治家らも加わった。年齢も我々が半ば敵視した団塊の世代からも参加者があった。下は18、9の大学生から、上はすでに引退した7、80代まで。

 この計画の時、特に問題だったのが少子化だ。

 少子化について、大きく3つの原因がまとめられていた。

 3つというのは、そのどれが本当なのか、あるいはそのどれもが原因なのか、判断が付かず、それ故に、対策も絞れなかったからだ。

 具体的には次の3つだ。


1、制度の不備、子育てへの不理解などによって子育てに不便な社会であるために、子供を作らない夫婦や独身者が増加しているため。

2、情報化や社会の安定化が、社会全体で子供を必要としない状態になり、全体的に自然と少子化が進んでいる。

3、人類の種が終わりに近づいている。


 1の場合、社会制度がより不備で女性差別のひどい途上国の方が多産な事の説明が付かない、制度が不備なほど子供を作ろうとすることになるじゃないかと言う意見があり、それに対し思想や体制の問題で女性の人権が低いから避妊思想が出来てないのだ、と言う反論が起こり、ならば避妊が人口減少の原因なのか、と言う再反論が出るなど、大論争となった。答えはなかなか出なかったな。ただ、子育ての苦労の部分だけが強調され、子を生むことを忌避するようになったのはあったと思う。

 2の根拠は、先進国、準先進国では、制度の不備や習慣に関係なくどこも少子化が加速しており、制度だけに問題があるのではなく、もっと生物学的な原因があるのではないか、という意見から出たものだった。人類は動物の種として考えれば、生存が厳しいほど、子孫を残さなければならない。しかし社会が安定し、情報化が進めば、種としての死から遠ざかり、次世代を必ずしも求めなくて良くなる。社会生物として、そういう切迫感が人類から希薄になっていったのではないか、ということだ。

 3はより進んだ考え方だな。つまり、もはや人類は種としての力を失い、遺伝子を残そうという本能すら失われつつあるのではないか、というようなことだ。

 その3の考え方は極端だという意見もあったが、否定する科学的根拠もなかった。少なくとも、遺伝子レベルで調査が終わるまでは残すべき内容だった。


 我々は、この3つの問題で、それぞれの対策を取ることになった。

 1に対しては、社会制度の確立、考え方の刷新を目標とする。休暇制度、賃金制度の見直し、教育のあり方、教育費の補助、街ぐるみで子供を守り育てるような社会体制の確立、そう言ったものを検討し、法整備、啓蒙活動などを推進する。まずは企業が率先してやることで模範を示す。

 2に対しては、より人が人を必要とする社会の建設。つまり動的な社会を生み出すこと。新たな都市建設、社会の大改革、大規模な環境保護政策、海洋進出や宇宙進出による「辺境」の創設。これによって、人を増やそうとする集団心理的な雰囲気を創り出す。

 3に対しては、遺伝子の研究を進め、もし人類という種に問題があるならば、遺伝子レベルでの改良、処置、クローンなどの手段を検討する。そしてそれが受け入れられるような社会を作る。


 そして、この3つの問題に対する解決法を模索してもうまくいかない場合を想定して、我々は1つの、いわば強制的な解決法を考えた。

 それが、遺伝子工学による不老長寿化である。

 子供が生まれないのならば、生きている人間を死なないようにし、社会をとりあえず維持し、将来に問題の解決を図る」

 一万田総裁は、一息ついた。

 21世紀初頭の、彼らがまだ若かった頃の社会問題が、生々しく感じられた。

「この問題は、高齢化問題などとは関連することだが、環境問題などは一見すると無関係のように思えるだろう」

「ええ、まあ」

「だが、環境問題に取り組むというのは、我々にとって都合がよかった。環境悪化は現実のもので、将来的により大きな危機が起こることは想定された。当然環境対策はしなければならない課題だ。そして、そのためには人類の居住環境を制限し、保護区域を広げねばならなかった。その代わり、人を都市へ移住させる。当然、都市を大きく改造しなければならない。新たな都市設計は、人々に刺激となり、また大きな雇用を生み出す。それが若者に活力を与え、あるいは夢を生み、少子化に歯止めをかけるのではないか。心理学で言うシンクロニシティが働き、つまり人類社会全体で同時に多産へとシフトしていくのではないか、と言う考えだ。シンクロニシティでなくとも、社会の活性化が経済的にも多産を支える環境に変わる可能性はあった。いずれにしても我々にとって重要な課題だった」

「それが都市移住政策だったわけですか」

 総裁はうなずいた。

「仮にその学説を採ったとしても、当初はまだ楽観的だった。あえて不老長寿化する必要はないという意見が強かった。社会の大構造改革は、何も不老長寿化のためだけでしているわけじゃない。だから不老長寿化研究をせずとも、構造改革は無駄ではない。09革命は、M計画のためにあったが、まだ絶対的にそうだというわけでもなかった」

「ではなぜ、不老長寿化を?」

「我々の楽観的な考えは打ち砕かれたからだ」

 総裁はわずかに顔をしかめた。

「我々が改革計画を始めた直後、まだ民間レベルでやっていた頃に、大震災が起こった。一度は計画を中断するしかないと見られたが、むしろこれはチャンスだと考えるようになった。被害が予想以上に深刻だったため、逆にこれまでの様々に溜まったものを一掃できるようになった。社会を改革できるまたとない機会ではないか。そうすれば、社会の活性化は進み、少子化問題も改善するのではないか」

「それで震災直後に政変を」

「そうだ。すでに政界への工作も進んでいた。改革に賛同していた若手政治家のグループを動かした。復興事業には莫大な金がかかる。もはや財政は破綻寸前だったところにそれだ。これ以上国債発行などすれば、その返済だけで国家は破産してしまう。しかし、当時の政治家らは具体的な財政対策を立てられなかった。そこで我々は、あえて破綻するような政策を政治家らに行わせ、野党をあおって政権に責任を取らせる形で総辞職に追い込んだ。その前から様々な形で人々に我々の運動をアピールしていたので、そのあとの選挙では大々的に候補者を出した。与野党は全く予想していなかったらしい。時には既存の政党を露骨に批判し、時には具体的な政策を掲げ、我々の『企画党』は一気に政権を奪取した。そして改革を実行に移した。最低限必要な政策だけを残して、すべての国家計画を一旦停止し予算を一から細部に至るまで見なおした。本来は禁じ手だが国債の管理を日銀に移した上で償還も停止した。未曾有の震災という経済上の異常事態が逆に政策の金融面への波及を避けるいい動機になった。通常であれば我々の政策は世界中の金融市場から反発を買っただろう。そして、あらかじめ代替組織を用意した上で、強制的に官僚機構の再編に踏み切った。官僚全員のクビを切り、必要な人材だけ再雇用した。我々がそれをやれたのは、これも大震災と言う未曾有の状況があったことと、政権を取る前から、行政やその他の国家に関する様々なことを研究し尽くしていたからだ。何が必要で、何が無駄か、問題を解決するにはどういう事をすればいいのか、それらを徹底的に調べ、方法を検討し、筑波と横浜、神戸にあった巨大なコンピュータ群に疑似政府の様なものを作ってシミュレートしていた。単に評論家的に政治を云々したのではないし、批判のための批判をしたわけでもない。何をすればいいかを研究したから、政権を取ったあと、強硬手段に打って出られたのだ。もちろん、震災の想像を絶する被害が、国民と世界にショックを与えたことも、我々に有利に働いた。適当な政策では日本はもはや立て直せない、そう言う感覚が国民の中にあったからこそ、我々の強硬手段は受け入れられたのだ」

「それが09革命と呼ばれるようになったわけですね」

「あの呼び方は我々の言い出したことではない。自然に出来たんだ。それだけ衝撃が大きかったのだろう。あの頃、本当に危機的状況だったからな。一時は国連で、日本に国際監視団を派遣し、管理下に置いて複数国による信託統治という案も出されたくらいだからね。中国や韓国は日本を占領支配できると大乗り気だったよ。我々だって国家の法人破産まで検討した。当時の国民の深刻さは推して計るべしだ」

「それで、不老長寿化に踏み切ったというのは?」

「そうそう。話がそれたな。我々は改革を始めた。日本は一時、大きく没落し、世界経済も大きなダメージを受けた。やがて大陸で環球同盟が誕生する。戦争が勃発し、対抗する世界海洋連合が成立、そして大戦となった。こう言ってはなんだが、戦争は我々の改革を後押しした。世界大戦であれば様々な制限も仕方がない、と言う風潮が生まれた。技術革新も進む。それに、日本は連合側に付いたものの、大戦末期を除いてほとんど参戦しなかった。しかも、地政学的に言えば、大陸諸国と沿岸諸国との大戦だったから日本は物資生産、補給の拠点の1つになった。特需が生まれ、我々はその資金を元に、改革を推し進めた」

 ところが、と総裁は息を付いて言った。

「構造改革を推し進めても、新しい都市建設を開始しても、産業を興しても、少子化は止まらなかった。震災も、世界大戦も、人類の危機感にはなんの効果もなかったのか、日本だけじゃなく、各国とも少子化が進んだ。アメリカは膨大な移民で人口が増加したが、出産数は低下していた。移民と元の住民との対立も生む。移民は最終的な解決にはならないんだよ。戦場では兵士が減り、自動化と機械化が進んだ。国内でも若者の人口は減り続け、産業や社会制度を維持するために、戦争難民や、大量のロボットを導入せざるをえなくなった。我々は大きな失望と共に、最終的な計画、すなわちM計画を本格的に進める必要に迫られた」

「それで不老長寿化ですか。震災でも戦争でも、社会の大構造改革ですら少子化の歯止めにはならなかった。制度的問題でも、社会的問題でもない、少子化には何か根本的な問題がある。もはや不老長寿化で人口減少を食い止め、若い世代を維持するしかない、と考えた」

「そうだ。これで労働力を確保し、高齢化問題を解決し、社会保障制度も、それで解決する。一石何鳥もの効果があると思った」

「では、高齢者を収容施設に収容している制度も」

「不老化による若返り効果で、彼らを社会に戻すための予備施設となる。団塊の世代の強制引退という考えからは矛盾しているが、若返れば彼らの考え方も変わるだろう」

 そういうことだったわけか。

「あなた方はいま、少子化の原因をなんだと思っているのですか」

「大きく2つの意見にまとまりつつある。ひとつは、社会の情報化や安定化が進みすぎて、種としての人類が、少々の活力政策では影響を受けにくくなっていると言うこと。もっと生活が大変なほどの環境を、しかも新しく生み出さなければ、出産数は増えないのではないか、と考える派だ」

「それはどうするつもりですか? そんな生活が大変な環境なんて」

「ひとつある」

「それは?」

「宇宙だ。宇宙に新天地を建設する。とりあえず月面の都市建設は計画が進んでいるが、スペースコロニーや火星も視野に入っている。そこに移住する人間は、いろいろと苦労もするだろう。異なる環境下で一から社会を作らねばならない。そうすることで、人類という種に活力を与えられるのではないかという考えだ」

 義兄が宇宙植民地の経済も話し合うよう一万田総裁に言われたのは、この事があったのだ。

「もうひとつが、人類という生物種が、もう終わりに近づいているのではないかという悲観的な考え方だ」

「……その場合はどういう対策を?」

「遺伝子改造しかあるまい。メトセラ化の技術を一般に公開して、いま生きている人間の生命を維持しておき、その間に生命工学を発展させて、さらなる改造を施す。あるいは子供を、精子と卵子を集めて受精卵から作り、人工子宮などで増産するという方法も考えられる。技術で人類という種を維持するという考えだ。育児出産に対する思想も、親子関係の考え方も大きく変わるだろうし、社会制度もだいぶ変わる」

「そこまで考えているわけですか。M計画は」

「M計画のMはメトセラのことだが、様々なライフサイエンスも視野に入れているんだ。あくまで人類という種を維持するためのことだからな」

「なるほど」

「仮に人工出産システムに移行しなくても、不老長寿技術そのものが社会を大きく変える要素になるだろう」

「たとえば?」

「考えてもみたまえ。老化で死ぬことがないのだ。我々の技術は体の活性化によってある程度若返ってしまう。若者だらけの社会というと一見良さそうだが、年齢に関係なくみな若いのだからな」

 僕は想像してみた。確かに老人がいないというのは、それはそれで奇妙な感じもする。

「これまでの人間関係も壊れてしまうのではないか。家族制度も崩壊してしまうのではないか。そういう懸念もある。結婚制度だってそうだ。たとえば、私には長年連れ添った女房がいるが、いまここで私と妻が若返ったら、また新婚当時のように愛情豊かな家庭を築けると思うか? たとえ肉体的には若返ったとしてもだ、お互い慣れきってしまった関係より、新しい相手を探そうとするのではないか?」

「それは……、本人たち次第だと思いますけど」

「君は結婚してないだろう」

「ええ」

「ならわからんよ」

 と総裁は苦笑した。

「あるいは、こういう例だって考えられる。不老長寿化後に好きな人が出来た。付き合って、結婚も考えた。ふと、相手の年齢を聞いてみた。75歳だと答えられたら、君はショックかね? たとえば25歳の男が、75歳の女相手に結婚できるかね。見た目も肉体も若いままだとしても、50年も長く生きてきた相手の人生を受け止められるかな? 見た目の年齢は関係なくなる。でも人生はついてくる。ただそれだけでも、我々は考え方を大きく変えなければならない」

「……」

「親子関係だって変わる。子供が幼いうちは、若々しい両親でいいだろう。だが、子供が成長したらどうなる? ある程度のところで不老長寿化の処置を施すだろうから、子供が親を追い抜くことはないにしても、親子が同じ年頃のままなのだ。親や、あるいは先生にしても、上司にしても、年を取っているからこそ敬意を感じるというものがあるだろう。だが、みんな見た目が同じだったら、尊敬を勝ち取るには、本当に何をするかで決まってしまう。能力的には正当な評価だと言えるだろうが、それがよい社会になるかどうかと言うとどうかね」

「確かに、まあ……」

「さらに個人的な問題もある。たとえば和倉のような男は、自分さえ楽しめればよいから、不老長寿もすんなり受け入れられるだろう。好きなことをやり続けられる。だが、人生が永遠に続くのだぞ。しかも、生活はしていかなければならない。生きることに永遠に縛られることなのだ。楽しい時はそれでいいと思うだろう。だが、もし何かつらいことや、悲しいことがあった時、その人は永遠の人生をどう思うだろう。いつかは良いこともあるだろう、そう考える人は立ち直れるが、人はそう強くはない。死を考えるんじゃないかね?」

「そう、ですね」

 そう言われれば、永遠の人生というものは、残酷な感じもする。

「永遠の人生と言うこと、そのものが、ストレスとなっていくのではないか、そう考える学者もいる。……君は、いま行われている国際戦争シミュレーション大会を知っているかね」

「ええ。出発式を取材しましたよ」

「あれは、戦争に代わるものとして、考え出されたものだが、実のところ、あんなアナログ的なことをする必要はないはずだ」

「ええ、そう思いました。データがほしいなら、電脳ネットワークでバーチャル戦争をすれば済むことですし」

「なのに、なぜあんな事をすると思う? 戦争に共通のルールを作るため? それもあるだろう。しかし、少なくとも、我々があれに参加を決めた理由はなんだと思う?」

「なぜですか?」

「もし不老長寿化し、人が永遠の生命を負担に感じるようになった時、あのシミュレーションに参加する兵士を、ロボットから人に変え、公式に死ぬことを認められた限定戦争にすると言うことも想定に入っているからだ」

「は……?」

 僕は唖然となった。不老長寿化した上で、あえて戦争を起こして死ぬと?

「そこまで行けば、戦争は、国際的問題の解決手段ではなく、死なない人間を死なせるための、それも英雄的に死なせるための手段となる。戦争すら国際管理のもとでやろうということだな」

「……しかし、あのイベントは日本が考えたわけではないのでしょう」

「表向きはね」

 と一万田はうなずいた。

「表向き? それってつまり……」

「実は欧米などの主要国でも上層部では不老長寿化技術が完成していることを知っているものは多い。技術の核心部分はこっちで抑えているが、情報は少しずつ漏らすようにしている。もちろん、それだけで戦争管理を考えたわけではないが」

「でもそれは、主要国ではもう、不老長寿化は既定方針になりつつある、ってことですか」

「世の中が大きく変わるからといって、出来上がった技術を放棄するほど、不老長寿化技術は単純なものではない。むしろ積極的に活用できる方を考えるだろうな」

 だが……、と、一万田は軽く息を付いた。

「本来、生命とは、限りがあるからこそ貴重なものだ。若い内だから出来ること、年を取ることの重要さ、そして死によって失われるもの。それらがあるから、生命は重いのであって、生きているうちに、人は人から何かを学び、人に何かを伝えていくのではないか? それがあるから、人は人と出会い、結婚もし、子供も作る」

「でも、その子供が生まれないから、不老長寿に……」

「皮肉にもね。我々は、このままでは少子化が加速して人類は遠からず破滅してしまうと思ったから、不老長寿研究を推進した。しかし、その結果、ますます人類はおかしな方向に行ってしまうとしたら……」

「でも、いつかはこの技術を公開するつもりなのでしょう?」

「公開する。隠す気はない。首相や和倉などは、この技術を独占しようとした。彼らはいつしか欲望にとりつかれて、本来の人類を救おうという考えが失われていったのだろう。だが、我々は元々M計画を推進するために、様々な改革を行い、人々がこの技術を受けいられるよう地盤を作っているのだ。それでもまだ……、我々はこの技術を全面公開できないでいる。各国との調整というのもあるが、人々の関係が壊れてしまうのが怖いからなんだよ。少なくとも、人類社会が変貌するのは間違いない。だが、どう変貌するのか。コンピュータを駆使し、電脳国家でシミュレートしてもわからない。パンドラの箱を開ける前のような状況だ……いや、もう開けてしまった、ということかな」

「そういうことだったわけですか」

 僕は大きく息を付いた。聞いているだけでも、ひどく疲れてしまう内容だ。

 僕の想像を超える問題が政府の中で渦巻いていたのだとは。汚職とか、腐敗とか、そういうレベルではない。

 岸谷量子が言っていた。人類の未来に関わることだと。

 こういうことだったのだ。

「我々は、正しいことをしているのか、間違っているのか。自分でも判断が付かない。我々に、人々の未来を決める権利があるのだろうか。いくら人類という種族のためだとしても」

 総裁は窓の方を見た。

「時々、この部屋にいることが苦痛になることもある。ここから見える風景を見たくないこともね。あの風景は、人の営みを表しているからな」

 窓の外には超高層ビルの林立する都市と、その間に大きく拡がる森がコントラストに見えていた。

「私が聞いてもらいたかったことは、こう言うことなんだ。M計画は、我々の苦悩から生まれた。すべてのことが、M計画の元へ向かって進んでいる。09革命はM計画のためにあったと言っても過言じゃないだろう」

 総裁は一息ついた。

 室内に沈黙が漂う。僕は落ち着かなかった。

「あと1つだけ、教えてもらいますか」

「なんだね」

「なぜ、僕……いや、私に、こんな話をしたのですか? 私がこの事をメディアに提供したら……」

「それはそれで構わないと思っているんだ。もしかすると、強制的にアクションを起こした方が、うまくいくのではないかとね。多くの人が知ることで、我々には思いつかなかったアイデアが出てくるかもしれない。我々が内に籠ってあれこれ議論するよりも、リスクも回避しやすくなるのではないかと。それに君は、興世会の陰謀に巻き込まれた。興世会を悪者にすれば、我々の立場もよくなる」

「では、公開する役目を私に? 私にあなた方の方針を手伝えと?」

「いや、その判断は君に任せるよ。君が我々に従いたくない、しばらく隠しておくというのなら、それでも構わない。我々が頃合いを見て公開するだろう」

「私に……、今後の方針の判断をゆだねる、と、そういうわけですか? 責任を負わせると?」

「そんなつもりはないが……、あるいはそう言う願望はあるのかも知れないな」

「そんな……」

 総裁は窓の外を遠い目をして眺めた。これ以上語ることはもう無い、そう言っているようにも思えた。あとは答えを出すだけだ。

 僕は、サイの目になったのだ。運命を司るキーパーソンになったのだ。

 なぜ?

 たぶん、偶然が重なったせいだろう。

 和倉にしても、総裁にしても、目の前に僕が現れただけなのだ。和倉は僕を殺そうとし、総裁は僕に判断の責任を負わせようとしている。

 でも。僕はどうすればいいんだ?

 こんな、1人じゃ支え切れそうにもない重いテーマを背負わされて……。



 総裁室を出ると、相良大佐が立っていた。後ろ手に組んで、背筋を伸ばしている。軍服がよく似合う、いかにも軍人という男だ。

「見送らせてもらおうか。なんなら、家まで送ろうか?」

「遠慮します。それにバイクを池袋に起きっぱなしにしてますから」

「池袋へ送っても構わないぞ」

 僕は大佐をじろっと見た。あんな話を聞かされたあとでは、サイボーグ大佐も怖くはないさ。

「わかったよ。玄関までにしておこう」

 穏やかに言った。

 エレベーターで下りながら、大佐に聞いてみた。

「大佐は、不老長寿化を望みますか?」

 彼はちらっと僕を見たが、すぐに視線を、上へと伸びていくビル群の風景に向け、

「どうだろうな。理想を掲げていなければ、そして、こんな職業でなければ、私は、普通の人間でいたいかも知れんな」

 大佐の言うとおりかもしれない。

 案外、人は限られた寿命しかない生き方を望むものなんだろう。

 その方が人生に重みを感じられる。それにスリルもあり、夢もあり、人生を楽しめそうだもんな。

 3階の、人々の行き交うロビーを抜け、広い玄関に出る。

「じゃあ、僕はこれで」

「君の友人の、グロスターなる男、ぜひ軍に欲しいところだ。君から聞いてみてくれ。地位と給与は保障すると私が言っていたとね」

 本気かどうか。でも、大佐は生真面目な表情だった。

「わかりました、伝えておきます」

 外階段を下り、他の省庁と繋がるスカイウォークへ出る。

 と、向こうの方から駆けてくる数人が目に入った。

 島田弥生と岩坂柳一郎の2人が先頭で、その後ろを高木さんらが歩いてきた。経理の四方田さんもいる。

 弥生が目の前に立った。

「よかった。心配したんです」

 彼女はすっかり涙目になっていた。

 おやおや、これは脈がありそうだぞ。

「まったく、どうなるかと思ったわよ」

 と岩坂も少しうるうるしていた。こっちは脈はなくてもいいけど、心配してもらうというのは、結構うれしいもんだ。

 高木さんらもそばに来た。

「編集長は陸軍病院に収容されたそうですよ」

「ああ、さっき軍から連絡が入った。まあ、無事のようだから、あとで見舞いにいくよ」

 高木が半笑いの表情で言った。彼にはいい薬だ、とでも言わんばかりの表情である。編集長が民主解放戦線のメンバーだったことを知っているのだろう。

「それでわざわざ僕の方に来てくれたんですか?」

「当然じゃないの」

 と岩坂。弥生もうなずいている。

「グロスターから、君がここに連れてこられたって連絡があってね」

「心配して、みんなで駆けつけてきたのよ」

 僕はちょっとばかり、感動してしまった。目頭が熱くなる、とはこのことだ。涙を出さないように苦労する。

「なにか、話でもあったのか? グロスターの話では、企画院の一万田総裁と会っているようだって聞いたが」

 高木が興味津々の様子で聞いてきた。ここに来たのはそれもあるようだ。

 グロスターのやろう、あの捕らえられた部屋での大佐との話をこっそり見てたな。もしかすると、総裁室の様子も見ていたかも。あいつならそれくらいする。

 でもまあ、命が助かったのは彼のおかげだ。何かで埋め合わせするしかないな。

「総裁との話は、いずれ皆さんにもお聞かせすると思います。でもいまは、ちょっと一息入れたいな。何せ今日は、わけのわからないことで大変だったから」

「もちろんだ。家まで送っていくよ。ついでだ、立川で生還祝いをやろうじゃないか」

 わーっと盛り上がる。

 一息入れたいって言ったばかりなのに……。

 まあいいか。

「ああ、その前に池袋に寄っていいですか」

「どうして?」

「あそこにバイクを置いたままなんで」

「よし行こう、ついでだ、まず池袋で一次会するか」

「いやいや、聞いてました? 僕バイク乗るんですよ」

 そんなことお構い無しでみんな盛り上がっている。

 その姿を見ながら、仲間がいると言うことの幸せをかみしめた。総裁にゆだねられたM計画を公表するか否かの選択も、その重さがどこか軽くなっていく気がする。

 ビルを振り返る。60階を見上げるが、もちろん、企画院総裁室は見えない。でも、たぶん総裁も僕を見下ろしているだろう。

 僕の手で公表すべきかどうか。

 まだ結論は出てない。

 いずれ結論は出るだろう。どっちにしても、そう遠くない将来には。

 でもいまはただ、みんなと騒いで、この瞬間瞬間を楽しむんだ。そうすることに決めた。

 不老長寿化をしようがしまいが、それくらいの時間はたっぷりあるのだから。

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2035 青浦 英 @aoura

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