第7話:謎

 取材のあと、僕は、義兄に連絡を取り、グロスターとの話で出たいくつかの調査方法、すなわち、アンダーネットで、これを調べるにはどうすればいいか、グロスターに依頼するためにはいくらかかるかと言ったことを伝えた。

 義兄は、その中からデータ採取に必要なものだけを選び出し、グロスターに依頼できるものは僕を介して頼むことにした。もちろん、お金は出すという。

 この調査がうまく行けば、跡見大臣や経済調査部の連中が参加しているという興世会の連中を出し抜けると義兄は珍しく興奮した様子だった。いろいろあるのだろう。

 そんな義兄を見ていて、僕はどうしても、思い出してしまう。

 電脳大公レルム3世を名乗っている謎の女性、岸谷量子から聞かされた謎の言葉。

 政府が密かに行っている計画。M計画。

 義兄もまた政府の人間だが、そう言う計画があることを知っているのだろうか。

 M計画。

 いかにもうさんくさい名前にもかかわらず、彼女が、あれほど真剣に、どこか皮肉っぽいなにかを浮かべてまで放った言葉に、異様な真実感があった。

 09革命も、そのM計画のために存在しているという。

 09革命とはなんなのか。

 僕が知っているのは、世間一般の認識程度である。

 2009年の大震災の直後から、民間主導で行われた大規模な構造改革のことだ。当時誕生した政治システムは今も受け継がれ、改革も続けられている。

 だけど深刻に受け止めるほどの重要なものではなかった。言われてみれば、重要で必要な改革だということがわかる、その程度の認識であった。

 それを指摘したのがレルム3世だ。

 実はもっと大きく、そして深刻で重要な計画であるかのような口ぶりであった。

 09革命とはなんなのか。

 そしてM計画とはどういう計画なのか。

 少なくとも、09革命とは関係があるはずである。

 やはり09革命について知る必要があるだろう。

 世間で言われているようなことから、真の目的に至るまで。

 僕は、まず自分で調べてみることにした。

 誰にも頼まれたわけではない、自分の疑問のためにだけやる調査だ。考えてみれば、好きでやっている仕事とはいえ、ちょっとした疑問を調べるのではない本格的な調査を、自分のためにやろうと言うことはこれまでなかった。これはまさに自分のための仕事であった。

 まず、09革命について、特に秘密になっているわけではないデータをまとめてみた。

 09革命でもっとも変わったのは、政治体制だろう。その次が、土地の利用法だ。

 政治から見てみる。

 日本は現在三権分立が必ずしも確立しているわけじゃない。司法は独立しているが、立法と行政は政府が担当し、一院制の議会に当たる電議民政院(電子議会民政院)は行政(電政省)に組み込まれ、電脳ネットワークで地域国民代議員を選び、政府の政策に対し、意見を言う組織だ。国民による政府監視制度が電議民政院である。立法機能はない。

 構造改革は、政府が担当する。

 政府機関の中で構造改革を実施している組織は、実は、どの省庁も該当する。

 改革の必要な分野は多岐にわたるからだ。

 政府には次の省庁がある。

 独立した機関としては、

 内務省、電政省、外務省、法務省、財務省、経済省、貿易省、農林水産省、環境省、国土省、厚生労働省、教育省、科学省、文化省、防衛総省、人事院、企画院、会計検査院。

 これらの省はかなりの人員を擁するものもあるが、コンパクトなものもあった。

 この省の下にいくつかの庁や院があるが、それは省くとして、それぞれの省に構造改革の計画がある。


 法務省は改革に必要な法整備を他の省と共に研究するが、既存施行法律そのものにも不備がないかを再検討している。法務省法整備研究局では日本の法律を過去から今に至るまで、世の状況と比較しながら再検討し(いわゆる法制史研究)、また現状で何が必要で何が必要ないか、その問題も調査していた。世界大戦で一度は壊れたグローバル体制も再度出来つつある。人や物の移動は世界規模になり、電脳ネットワークは社会に根深く浸透し、これまでになかった新しい問題も増えている。

 たとえば、ロボット関連法は40以上もあるようだが、これは自律式コンピュータおよびロボットの導入の拡大と、活動領域の拡大に伴って整備されたものだろう。法務省と厚生労働省が担当省だ。

 人口が減少し、特に若い世代の大幅な減少で社会維持と産業の衰退が現実のものとなりつつある今、単純な仕事や生命に関わる危険な仕事にロボットを導入する動きは加速しているのだ。すでに街を見ても、警備、受付・案内、店舗の店員、輸送・配達、清掃・ゴミ回収などは、ロボットがかなり普及している。人型ロボットだけじゃなく、たとえば輸送用トラックなどは無人化されているし、鉄道などもそうだ。もっともこれらはヒューマンエラーによる事故の多さを回避するための意味もあるだろう。

 原子炉業務や高所作業、大深度地下工事、海上都市建設、ゴミ再処理、金属精錬工場、電脳センター管理などもロボットの導入が進んでいる分野だ。いずれも命の危険があるか、システム構造上、人がいない方がスムーズに進められる仕事だ。人がいるとその人のための安全装置や部屋などが必要になり、無駄が多くなると言うわけである。当然、これに宇宙開発が加わってくるであろうことは間違いない。

 あとは、風俗産業や個人用ダッチワイフの役目を担う性交用アンドロイドである。前に取材をしてどういうふうに使うかも大体わかったが、これも法律上はかなりうるさく設定されている。それこそ直接人体と触れるものだからだ。この法律を検討した人たちは、どんな顔をして論議したのだろう。法務省と厚生労働省のお役人達だろうけど。

 人型、非人型を含め、ロボットは至る所で採用され、社会体制の維持に貢献している。その雇用や使用についての、条件や規制、犯罪防止などに関連する法律が最も多い。

 人口減少にともなって導入されたそれらロボットだが、不思議にも、人間のホームレスの数は減るどころか増えている。雇用がないわけじゃないのに、どういうことだろうか。09革命で地位を失った高齢者世代の行き場を失った人たち、と言うのもないわけじゃないが、むしろ高齢者は政府が責任を持って収容している。良いものでは超豪華な国立桃源塔などもあるが、普通の施設だって数多いのだ。

 ホームレスについて調べてみる。

 すると驚いたことに、ホームレスは中年から若手で増えていた。彼らは様々な理由から社会を脱落し、あるいは気力を失ったのであって、そう言う人々に仕事を斡旋しても長続きはしないし、経験上専門知識に乏しいため、雇う側もそれならロボットの方がマシ、と言うことになる。

 実のところ、人間関係の破綻によるものが多いという。

 ロボットなら文句も言わないし、仕事のやり方も覚えさせやすい。お客とのトラブルも、人間だとこじれるが、ロボットだと、しょうがない、と言うことで、あとは弁償さえすれば済む。ロボットは人に危害を加えはしないし、人がロボットに危害を加えようとしても無理というものだ。仮にロボットを攻撃して人間が怪我をしても、器物破損の罪が適用されるため、弁償の必要はない。

 電脳化社会、情報化社会に適応できなくなるインフォビア症候群のことは、同じアパートの住人のことを調べてはじめて知ったけれど、それもホームレスの増加の理由の1つらしい。そう言う人たちは、環境保護区域の縁にテントを張って暮らしている。さすがに環境保護地区内で生活するのは難しいのだ。

 そこまで行かずとも、雑居都市群には、人間とロボットの社会からあぶれかけている人たちはいっぱいいた。考えてみれば、いつ頃から、人間はこうもコミュニケーションがへたになってしまったのか。おかげでロボット雇用はますます増えるばかりである。

 しかしそう言う人たちのための政策も、法律も乏しいのが実情だ。ロボットの法律は増える一方なのに。

 産業用だけではない。ペットロボットは今やどの家にもある。うちにも電話番と家電機器操作と暇つぶしの相手を兼ねたネコ型ドロイドがうろうろしている。産業用だけでなく、それらのペットロボットと人間との関係を定めた法律もいくつかあった。

 電脳ネットワークに関する法整備も進められている。変わったところでは、光学ドラッグソフトウェア規制法などがそうだ。視覚や聴覚を通して脳に刺激を与えることでトリップさせる光学ドラッグプログラムをネット上で配布したり売ったりすることを禁止する法律だが、一方でその取り締まりにはネット全体を監視しなければならないため、ほとんど効果がないと言われていた。

 法務省が他の省と共にやるそれらの法整備の検討、規制と規制緩和は、世の実情に追われるようにして行うものだから、必ずしも率先して構造改革を行おうとして整備されているわけではない。だが、改革によって導入される様々なことが問題を引き起こすことも多いため、結局は法律の多くが革命の副産物と言えよう。


 経済省は新たな経済市場の開拓研究を行っている。新たな技術の誕生で生まれる新製品の市場、国際競争力を高めるために必要な技術の研究、重点的に推進する経済分野の研究などで、科学省や貿易省と共に協議する。

 こういう方針は商工省、通商産業省、経済産業省時代を経て変わっていない。ただ、昔と違うのは、国際協調のために自国の産業を抑制するようなことがないと言うことだ。外圧に屈するようなやり方、すなわち政治家の圧力に屈しなくなったと言うことだ。明治維新以来、政治家と官僚の体制は長らく続いたが、今ほど政治家に力がない時代もないだろう。その責任は、前世紀末から今世紀初頭の政治家らにあるのだから仕方ないが。

 現在、経済省で重要視されているのは、科学技術の発展によって市場を切り開くことである。過去にない技術を他国に先駆けて開発すれば、その市場を独占できるのである。09革命以来、日本はそれで国家を立て直してきた。

 ナノテクノロジーは、精密機械工業を発展させ、小型化とバッテリー性能の向上により電脳ネットワークを拡大した。医療技術にも応用され、また新しい物質の開発にも貢献している。

 コンピュータとロボットは少子高齢化の中で、社会基盤の維持に必要な存在となり、その市場は拡大の一方である。もはやロボットは日常の風景となっている。

 世界大戦を契機に発達した航空宇宙産業、石油依存からの脱却で開発された核融合発電も大戦の産物と言っていい。これらは今後、市場が大きく拡大するのは間違いない。

 生体部品産業も、医療方針の変化から大きくなっている分野だ。従来の手術と投薬による治療から細胞を培養して組織や臓器を作り、問題のある部位と交換したり注入したりして治す方法は、確実な市場を生み出し、医療産業を支えている。一方で旧来あった投薬と手術を基盤とする医療産業は大きく衰退した。

 農業技術も、新たな経済市場をもたらした。環境対策と自給率の向上を目指して、農業の工場化が進み、それに伴う技術も研究が進んだ。いまや、日本の農産物と、それを生み出す農業プラントは重要な輸出品目にもなりつつある。

 これらはみな、経済省が重点政策として選んだ分野で、予算の配分、支援制度の拡充によって発展に貢献した。日本復興の一翼を担ったのは言うまでもない。その陰では、衰退した多くの産業があり、そこに従事していた人々の多くは失業した。若い人は新しい産業に移り、高齢者の一部は経験を生かして顧問となったものの、多くの高齢者は、高齢者対策によって施設に収容されて、社会の一線から退いた。桃源塔の取材で感じた、あの切ない気持ちは忘れられない。


 貿易省は世界の新貿易体制の成立にともなう研究を進めている。我が義兄の勤める省である。元々は経済省貿易局だったのだが、世界大戦終結後、再び動き出した国際的経済活動に対応するため、独立機関となったのである。とはいえ、規模はやはり小さい。39歳の義兄が審議官クラスなのは、義兄の才能と、現在の政府が比較的若い人が多いことを考えても若すぎるだろう。それだけ職員の数は少ないのだ。あとから作られた機関であるため、興世会などという政官界の組織が食い込みやすかったらしい。

 興世会は他の省庁にも食い込んでいるらしいが、貿易省の場合、興世会グループと元からの構造改革派とがいる。そう言う分け方をすると、興世会は構造改革を否定する派閥かというとそうではないようだ。彼らは改革推進派ではあるのだ。ただし、現実を見る目がない。理想論を語り、そこに自分たちの出世欲が絡んでいて、少なくとも改革を実行する能力はないというのが、義兄の分析である。それが事実なら国民にとっていいことはない。一方で従来からの改革派は義兄が極秘に参加した国際会議の内容でもわかるように、電脳ネットワークや宇宙市場を視野に入れた問題に取り組み始めている。

 経済省共々改革の推進機関であることは間違いない。


 農林水産省は国内自給率のアップとその技術を中心に研究している。自給率の拡大は古くからの国の方針であった。しかし科学的根拠に乏しい国土開発を招いた上に、経済のグローバル化は、外国の安い農産物の輸入を促進し、その結果、国内では農産業は衰退し環境は悪化した。

 その状況が大きく変わったのは、日本の農産物が外国でも売れることがわかったこと、農業技術の発達でビルの中などでも作物を育てられるようになったこと、失業者対策に農業が注目されたこと、環境の激変で中国をはじめ世界中の農業が衰退したこと、そして世界大戦により輸入が激減したことにある。

 特に中国での環境悪化の加速と農業の急速な衰退は、世界大戦の原因の1つともなり、その大戦でも、多数の水爆を使用し、地上戦も各地で行われた結果、中国をはじめ、アメリカやオーストラリアなど主な農業大国からの農産物の輸入はほぼストップした。長いこと飽食に慣れた日本人に、いきなり食糧危機が発生したのである。食品価格は高騰、と言うより暴騰し、飲食業や小売産業は壊滅的な打撃を受けた。そこで農水省は国内の農業生産力の拡大を推進することになるのだが、従来の地方における農地開発ではなく、都市部での農作物工場建設が主眼となった。

 農作物工場には利点がいくつかあった。

 まず光や養分、水の調整で作物の生育が早くなり、短期間に大量の生産が可能となったこと。生産すればするほどコストが下がること。土壌の休養が必要なく、消費エネルギーも少ないこと。農薬を使わなくても害虫や病気を防御できるため、安全なこと。需要に合わせて生産する作物を変えやすいこと。機械化が容易なこと。そして何より、消費地に近いことが最大の利点だった。外国の安い人件費で作られた農作物を輸入するよりもはるかに安くで出来、輸送コストがかからない。そしてもうひとつ、環境破壊を伴わないため、環境保護対策にも有効だった。

 本来、農業は工場や巨大土木工事に比べれば環境破壊は少ないし、自然の河川の水をそのまま利用した水田などはむしろ環境再生に利用できるが、それでも農地は自然の状態とは言えない。大増産を行えば当然環境破壊を伴い、農薬の散布は土壌も水系も汚染する。

 それに対して、もともと自然が残っていない都市部での屋内農業であれば、環境悪化を懸念せずに済むし、場合によっては大気浄化にも繋がる。生産システムのコンパクト化で、場所の問題をかなり解消できる。ビルの地下でも、空きフロアでも、屋上でも、スーパーや病院といった消費施設の地下でもいい。人口減少で閉鎖された学校などは地域教育としても有効だった。

 特に農水省が目を付けたのは、東京周辺に建設が始まった環状都市である。麓の幅が1km、高さが平均100mの台形上の基盤の上に住宅地を作る立体都市計画だが、全体では80km~250kmの長さがある。それを3つ作るのだ。内部の空間には発電所や工場、処理場なども作られるし、商店街も設置されるものの、まだまだ広大な空間が使われないままになる。そこを農作物工場にすればいい。輸送網は都市建設時点で織り込み済み、需要地はすぐそばにあり、エネルギー供給も隣り合わせのようなものだ。

 立体都市計画は東京だけでなく、地方でも行われていた。必ずしも環状都市になるわけじゃないが、環境対策による移住政策が推進されているため、当然、都市は過密になり、立体高層化しなければならなくなる。内部に広大な空間が生まれる。そこを農地にすればいいという発想はどこも同じであった。

 もちろん、輸入が激減した世界大戦勃発時で、すぐに農作物工場が一斉に作られ稼働したわけじゃない。しばらくの間は、地方の農地の増産も併用して進められた。そのため、農作物工場へシフトしていく過程で、地方農場の縮小が進むことになる。当然、農業従事者は収入が減っていく。もともと規模を大きくすればするほど農作物工場はコストが下がる。一方露地栽培の農業では、一部の農作物を除いてコストは高いままだ。大戦前に中国からの輸入に押された原因もそこにあった。まして農作物工場にはとうてい勝てない。

 さらに、環境対策で地方の居住制限が進むと、反発も生まれる。

 そこで政府は、特に農業従事者で、古くからの居住者を優先して、今後の進路の選択権を選ばせることにした。進路の選択権とは、農地を政府に売却して都市部に移住し、優先的に住む場所を選ぶという権利と、地元に残って環境保護事業に従事する保護官に職を変える、と言う選択である。保護官と言っても自然水系を利用した水田や、里山と言った自然回復に役立つ農業・林業技術は必要である。それらを行う仕事だ。地元に愛着のある人は多く、保護官へ転職する農業従事者が相次いだ。そのうちの半数は森林回復事業の方へ移り、荒廃が深刻になっていた山間部の再生が始まる。これもまた農林水産省の大規模な事業計画の1つであった。

 陸上だけではない。

 海の資源も、例えば水産資源は、地球温暖化のために塩分濃度と海流の流れが大きく変わって激減したため、資源回復のためにも、消費需要に対する供給維持のためにも、魚の養殖研究を中心に進めている。水の環境悪化は山の森林減少とも関連しているため、山林回復事業、河川の自然化も進めなければならなかった。コンクリート護岸を壊し、ダムを壊し、元に戻すのだ。河川の砂州、後背湿地帯、樹岸帯などは、氾濫防止にも応用ができるし、そこに人が住んでいなければさほど問題ではない。また山林回復も流量調節に役立ち、洪水防止につながる。海と陸の境目にあたる汽水域や、干潟の復活も推進された。この水域は水質浄化の要でもあるからだ。中には、干潟の水を抜いて陸地化したものの、なんの産業の発展にも繋がらず、結局、干潟化という正反対の事業に莫大なお金をかけなければならなくなるところもでた。

 従来の政策を180度転換する自然回復事業は、当初、各地で反発を招いたが、それによる雇用創出や優先投資の話が出ると、そもそも移住政策を推進していることもあって、やむなし、という気運が高まった。

 贅沢な時代には産業界と地方の抵抗で改革は困難だっただろうが、震災による経済悪化、世界大戦、環境悪化という条件が、あっけなく抵抗力を消してしまい、むしろ推進する後押しとなったわけである。追いつめられないと、先を見通すことが出来ない、いかにも人間的な出来事であった。

 こうして農水省は、環境省と手を組んで進める自然回復事業と、自給率を上げる都市農業を二大柱として機能していくことになる、09革命の中心に位置する役所へと発展した。


 環境省は一連の自然回復事業を推進し、関係する各省と調整する機関として機能した。

 農水省が担当する農地移動と農業・林業技術を応用した環境再生事業、国土省と共に国土のどこを自然保護区域にするかの検討、河川、湖沼、海洋の環境回復事業。絶滅危惧種の保護とその復活のための研究と、復活後に安定して棲息できるための環境整備。

 さらに気象庁を移管して環境省下に置き、気象観測を行った。なぜ気象庁が環境省に移されたかというと、地球温暖化による地球規模の環境変動が深刻になってきたからである。

 地球温暖化というと、単に平均気温が上がるだけだと思っている人が多かった。学者の中にすらそう考える人が多い。かつて平均気温が上がれば、農業が拡大し、流通にも都合が良いため、経済は良くなるなどと言う学説を発表する学者がいたというのだから、驚きだ。もちろん、それらの学者でも、海面の上昇、感染症の拡大などのリスクは理解していただろうが、その程度であった。

 だが、実際に目に見えるような変化が現れた時、それはもはや人間の力でどうにかなるようなレベルを超えていた。

 海面の上昇はもちろん、マラリアなどの感染症の拡大、植物相の遷移、森林の減少、さらに複雑化する気象、砂漠化。

 むしろ国家を越えた規模で進む異常に人間の対応は後手に回り、経済効果どころか、対策費で莫大な支出を余儀なくされる羽目になった。農業の衰退は地球規模のものとなり、かつての農業生産国も、ことごとく自給率が低下した。

 アメリカでは、都合のいい学説を発表した学者の言うことを信じて環境対策を怠ったために、毎年何兆ドルもの支出をせざるをえなくなり、そうなると手のひらを返したように温暖化による経済効果を謳った学者や政治家らを非難する声が上がり、議会に呼び出されて厳しく諮問を受けたあげく、すでに一線を退いていた老学者が自殺するという事件まで起こったという。説を唱えた責任はあるにしても、それを採用した政治家ら、その政治家を選んだ国民らの責任回避のためのスケープゴートになったとも言える。

 経済が衰退する今のアメリカの原因を作ったのはそれら学者と政治家なのだから、無理もないが。

 地球規模の変動は気象予測を困難にしたため、気象庁は気象予報だけでなく、環境省の研究機関として機能することとなり、莫大な予算が割り当てられた。同時に防災関係部署も国土交通省の解体に伴って移された。環境変動が気象変動を引き起こし、それが災害に繋がっているのは当然のことだったからだ。防災事業が、国土開発よりも、環境問題の方に近いという見方が出来たのは、それだけ環境悪化が深刻であることを物語っている。

 平均気温が上がると言うことは、実は降雨だけでなく、冬になると降雪も増えることになる。ドカ雪が毎年のように北海道から東北、北陸、山陰、九州北部を襲うようになると、経済と市民生活に深刻な打撃を与えることになる。また、大陸では砂漠化が進み、大戦の時、環球同盟の盟主中国が、首都を成都に移したのも、防衛上の理由だけではなく、北京の周囲が砂漠化し、黄河が干上がって水の確保に問題が生じたためであった。わずか数年で農業生産量は40%以上も低下し、無理に農生産量を上げようとして農薬を大量に使用したため、ますます土地が使えなくなり、植物が育たなくなって砂漠化が進行した。そこに戦争だ。戦争前半での水爆戦の放射性物質による汚染、爆撃や地上戦による破壊。その結果、飢餓は深刻な問題となった。同盟が戦争に負けた理由の一つである。砂漠化の影響は日本に及び、単に農産物の輸入が止まっただけでなく、酸性化した土壌が砂漠化したため、酸性雨ならぬ酸性黄砂が海を越えて大量に降るようになったのである。

 問題は他にもあった。

 シベリアやカナダ北部では、温暖化によって永久凍土や氷河が溶けて海に流れ込み、海水の塩分濃度が減少したために、まず漁業資源が深刻な打撃を受け、次に海流の流れが弱くなって、寒暖の変動が激しくなり、カナダとヨーロッパ北部では平均気温が5度も下がって小氷期が到来していた。ベーリング海やオホーツク海の流れも変わり、どういう仕組みか、流氷が11月から5月まで大量に押し寄せる年と、全く来ない年が交互に来るようになり、それに合わせるように北洋海産資源は壊滅した。ホッキョクグマ、アザラシやトド、ラッコなどが天然絶滅種になったのは言うまでもない。暖流の流れも途中で大きく変わったため、回遊魚も捕れる時期が変わってしまい、日本人にとって切り離すことの出来ない魚の多くが食卓に上がらなくなってしまった。一般的な魚だった鮭もカツオもマグロもサンマも鰯もすべて貴重品となったのだ。

 農林水産省と共同で水産資源の回復と養殖技術の確立を進める一方、世界中に研究者と技官を派遣して、砂漠化の防止と温暖化進行を止めるための計画を各国の関係者と共に進めている。09革命は環境問題が主眼におかれているため、農水省と共にその中心役所となって、改革前と比べると、省庁の中でももっとも巨大化した。


 国土省は環境省の計画と連動して国土再開発と国民居住域の再編成を実施する機関である。

 前の国土交通省は、一旦解体された後、交通管理関係の部署は科学省へ、物流関係部署は一部を経済省へ、防災担当部署は気象庁へ、自然保護関係部署は環境省へ、生活基盤関係部署と地方振興関係部署は内務省へ、海上保安庁は沿岸防衛部門と海難救助部門を担う規定をはっきりさせた上で防衛総省へ移され(新設海軍との対立があったのだ)、有事対策部署と海難審判庁も同時に防衛総省へ移された。これは世界大戦の影響もある。

 残されたのは、国土再開発、建設事業などの具体的な業務を行う部署だけで、国土交通省にいた官僚で、他に移ったものを除くほとんどが解雇された。解雇された官僚の多くは、巨大化した環境省に再雇用され、国土再編事業に移されたが、以前の様な権限はなく、あえて権限を振りかざしたり、大きな態度で住民に臨んだりして批判が出ると、即座に解雇されるという厳しいものだった。

 国土交通省はもっとも縮小された部署である。莫大な予算が削られ、政治家の利権は消滅し、その利権で生きてきた議員は、総選挙でも当選することはなかった。国民に見放されたのだ。落選した政治家達がどうなったかは調べてない。

 新たに設置された国土省は、国土交通省に比べてかなり小さい機関となったが、環境省と共に行う国土利用再編事業という、09革命の中心部署の1つとなった。すなわち、環境対策に伴い、住民の居住域の再編を行うのである。この計画は、有り体に言えば、人の住むところから人を追い出し、自然に戻す事業である。その際に、農業従事者を環境再生事業保護官に任じると言ったことは先にまとめたとおりだ。国土省の担当は、旧居住地区の解体を行い、新居住地区の設計を行い、その建設を請け負い、完成後は内務省に移管する。同様に交通網も再設計を行い、建設を請け負い、その後は経済省に移管する。住民を退去させる事業を行ったあとの自然保護区域は環境省に移管され、河川工事なども終了後は環境省に移管する。国土省は進行中のプロジェクトの現場を担当する事業体となり、管理権限は縮小した。

 この業務には、2020年で解体された復興省(震災の罹災地域復興を担当)の事業も移っているため、国土省創設時より、少し規模が大きくなっているが、いまもコンパクトな省庁である。


 厚生労働省は環境や国土再編とは全く別のところで、09革命の主役となった省庁だ。それは、高齢者問題、労働確保問題、最新医療問題を扱う部署だからである。

 組織構造は、基本的に革命前と同じ機構になっているが、担当する官僚は大きく入れ替えられた。高齢者問題は環境問題と並ぶ深刻なテーマだった。前世紀末にはすでに大問題となっていた、出生率の低下と平均寿命の延長で、社会は高齢化が進んでいた。様々な対策を取ったにもかかわらず、その後も出生率は低下を続け、一方、平均寿命は延び続けている。平均寿命が延びること自体悪いことではないが、子供が生まれないのだから結果的に高齢化は進んでしまう。

 人口動態統計を見ると、合計特殊出生率は、2033年で1.07。人口を維持するためには2.08以上必要なので、この数値の低さは尋常じゃない。しかも、女性の再生産年齢(子供を産む年齢)の上限をあげて、15歳~55歳にしても、この数字なのである。

 死亡率は人口1000人比で7%前後。

 人口減少は2007年頃から目立ちはじめて、大戦を経て、さらに減り続け、現在の総人口は1億1380万人。うち65歳以上が占める割合は43.5%と高齢化は進んでいた。

 平均寿命は女性が96.7歳、男性が82.9歳で、大震災の年を除き、もう何十年も、世界一のままである。なぜか男性の平均寿命はあまり変わっていない。

 就業人口は4820万人、今世紀初頭から2000万人以上減っている。そこでその足りない分をロボットと電脳で補っているのだ。海外からの移民は、大戦中の戦争難民以外、導入していない。難民も一時200万人以上になったが、多くは帰国している。移民で労働力減少を補う、と言う発想は将来の人口回復という根本的解決には繋がっていない上、移民政策の予算の確保、文化の維持、治安の確保に障害が多いという考えだったと言われる。

 国内で就業中のロボットの数は1890万体。ここ3年は毎年50万体以上増加しているという。

 しかし失業率も大戦後4.5%前後のままで推移している。

 厚生労働省には、ロボット就業支援局があった。労働者としてのロボット担当ではなく、ロボット導入を検討している企業支援のための部署である。

 高齢社会問題は、労働だけでなく、年金や医療保険と言った社会制度に関わる問題もある。

 09革命では、団塊の世代とその前後の世代をほとんど一掃するという大きなことをやった。その埋め合わせをその下の世代に担わせたのだ。国立桃源寮はその時、引退を強制された人々の救済機関として作られたもので、単なる姥捨山ではなく、使える能力も引き出すという、考え方によっては残酷なほど冷静なシステムであった。本当に使える人は、顧問として役所でも企業でも採用されたが、大半の人は一線を退かざるをえなかった。しかも彼らは年金受給も大幅に減らされた。

 現在の年金制度は、高齢者収容施設を保険として残しておき、あとは、準備金制度などで補っているが、年金そのものが民間主導となっている。そのため、社会保険援護局の機能は、医療や労働部門に比べて小さい。

 この高齢化社会の理由の1つが、医療技術の発達だ。

 投薬と外科手術治療が衰退したのに代わって発達したのが、先にも挙げた生体活性化医療と生体部品交換医療である。細胞バンクに自分の細胞を預けておき、病気や怪我を負った時、その部分の細胞や臓器を預けておいた細胞から分化製造して、移植を行うという医療だ。

 自分の細胞を元に作るため、拒絶反応もなく、再生も速い。細胞バンク以外にも、再生に必要な化学物質の開発、損傷部位の再生促進、再生系体細胞の生育技術、クローン開発などバイオ医療企業のシェアは大きくなった。

 医療体系が投薬から再生医療に変わったため、厚生労働省の役目も変化した。

 新たにその知識と技術を持つ人間が雇用されたほか、医薬品の承認制度も大幅に変更された。特に生体再生医療が認められて以降は、その技術的監査を行うのが主要な仕事になっている。臓器工場で検査を行い、細胞の保管が厳密に行われているかを確認する。個人情報が漏れると、悪用されるどころかバイオハザードの危険に繋がるため、この種の監査は特に厳しい。

 再生医療と並んで発達したのがゲノム医療だ。

 個人の遺伝子を元に、個人単位の病気の差異を特定して治療を施す。このため、厚生労働省には、ゲノム管理部門がある。個人情報に関わる問題であると同時に、ゲノム医療が他国の機関や企業に牛耳られると、国家体制の基礎を揺るがす事態に発展しかねないからだ。

 しかし、医療技術の発達が死亡率を下げれば、高齢化も進むのだから、出生率を上げる研究をより進めなければならないという課題が急務である。しかし出産は男女間の関係から生まれる。技術や理屈でもって簡単に増やせるような種類のものではない。


 科学省は科学技術の振興と研究のための整備、技術に関する制度の管理、国内の諸システムの監視などが主な仕事の省で、文部科学省を解体して創設した。文部科学省は、教育省、科学省、文化省に分かれ、教育省は教育行政と教育研究、教育施設の充実などを、文化省は文化財保護や伝統文化の保護・育成を担当する。それに対し、科学省はまさに09革命の政策の要であり、単なる科学技術振興行政だけでなく、様々な公共機関や施設が電脳化されているためその管理も行っている。研究と行政が一体になった巨大な役所だ。それにくわえて、環境保護のための研究、海洋や宇宙開発も担当しているから、環境省と並ぶ権限を持っている。


 内務省は、内政全般の統括的な役所だが、こと09革命の関係では、各省庁が行う改革を全体的に見て政策の監視を行う。当然、国民からの苦情を受付てそれを各省庁へ伝え、改革に伴う問題の解決や、補償の検討も行うので、総合的調整機能を持っている。

 地方自治の管轄も内務省が担当する。自治は高度に行われているものの、大規模な土地利用の再編と居住地の移動は地方自治体だけでは対応しきれないからだ。

 これらの役割から、電政省管轄の国民議会「電議民政院」とも連携している。


 電議民政院は、ネットワークによって維持される国民議会で、昔のように選挙で当選した議員が国会議事堂に集まって政府の政策や法案を検討し合うというような組織ではない。旧議会が立法機関としての機能をまったく果たさず、それどころか政党間の争いや派閥抗争で政策審議は遅々として進まず、党利党略のために国民にとって重要な法案が審議未了による廃案になると言う事態もしばしば起こり、にもかかわらず議員の給与も含めて莫大な予算を使って維持されていた事への反省から、2010年の総選挙で大勝利を収めた「企画党」は、新内閣を樹立すると、すぐに憲法改正に乗り出し、9条の平和条項よりも先に、行政制度の改革を進めて暫定新憲法への国民投票に踏み切り、戦時中の2012年、衆議院と参議院を廃止した。

 そしてネットワーク技術を導入し、政府政策監視機関としての役割を持つ国民機関として、電子議会民政院、略して電議民政院という一院の議会が成立したのである。ここには代議員制度はまだ存在しているが、これは国民がすべて参加するのは実際上困難だからで、地域選挙で選ばれた代議員は民政院に籍を置き、政府の政策について討議を行う。ただし、旧議会と異なり、民政院の多数政党が内閣を作ることはない。政府内閣は、政府官僚から編成され、天皇が裁可するシステムである。民政院には国民投票によって政府内閣をリコールする権限が与えられているため、システム上電政省管轄とはいえ、半ば独立機関である(電政省は政治システムの「技術」を統括する行政機関なので、電子議会も属している)。もちろん、政府の政策を支持する政党、批判する政党が存在し、民政院の議員の多くは政党に属している。

 現在の日本は、司法・立法・行政という三権分立ではないが、司法・立法行政・国民監視という三権分立なのである。


 そして、これらの改革政策は、実は各省庁だけでやっているのではなく、各省庁とリンクした企画院が担当しているのだ。企画院は改革の全体構想を立て、それを具体的にどうするか、各省庁と検討しているという。ただ、企画院の実体はかなり不明で、世間でそう言われているだけで、実際、どういう事をしているのか、良くわからない。各省庁の陰に隠れた謎の機関なのだ。

 その公式サイトを見ても、どうでもいいようなことしか書かれていない。どうでもいい、というのは、改革のこれまでの実績だの、改革の必要性を説いた啓蒙文だの、企画院の表向きの機構だのと言った内容だ。公式サイトだけを比較してみれば、ここが一番やる気のなさそうな内容であるが、それだけに不気味なところもある。しかも、ここが実は改革の本丸である、と言う認識は、国民の誰もが持っていて、それを変にも思っていない。いつの間にか、そう言うものだと誰もが思うようになってしまったのである。



 僕は公式サイトや、政治評論家のサイトを見て、そのデータをまとめた。誰に対して提供するわけでもない、ただ自分が気になったから作ったデータベースである。

 改革の要点はいろいろつかめた。省庁の役割、なにをしているかも、これまで真剣に調べたことはなかったが、より詳しくわかったと思う。

 企画院を除いて。

 もっと詳細な内容については、それぞれの省庁が行っている事業を中心に検索していけばいい。公開されているデータだけでも、相当なものが出てくるだろう。

 ただ、このデータを見回しても、この中にM計画というようなものはなかった。

 直接的な名称もないが、それに関係しそうな内容のものもない。ない、というより、見当が付かない、と言うべきか。もしかするとこれらの総称をM計画というのかも知れないけど、それならば、あの「大公」岸谷量子が、力説したほどのことではあるまいし、隠す必要もない。自然と、その名称が使われているだろう。

 しかし、僕はその計画のことを一切聞いたことがなかった。それだけ隠さなければならない何かがあるのだ。

 もっと何か、具体的な意味を持つ計画だと思えた。

 僕はデータを映していたタブレットを放り出し、ベッドに寝転がった。

 M計画。

 一体、どういう計画なのだろう。

 そもそも、このMというのは何を指しているのだろうか。

 人名だろうか。組織名だろうか。それとも何か目標のようなものを指しているのだろうか。理想や思想を掲げたものなのだろうか。

 寝転がったまま、Mで始まる単語を考えてみる。

 思いつく単語はたくさんあるが、どう考えても、これは違うだろう、と言う単語ばかりだ。

 僕の乏しい語学力ではこんなものだ。大体語学力などなくても、携帯の翻訳機能でイヤホンマイクを付ければ主要な言語は日本語になって聞こえるし、喋った言葉は選択した言語に翻訳して自分の声そっくりに発音してくれるんだから問題はない。

 もしかすると英語ではないかも知れなかった。

 英語以外も考え出すときりがなかったが、仮に英語だとすれば、一番思いつくのは、マッドか。マッドプロジェクト。気違いじみた計画と言うことならありそうである。意外に公式な計画の裏コード名にはそんな遊び心が付くものだ。

 ほかにもモラトリアムなんてのはありそうな名前だ。だけど意味がわからない。最終目標の中間点のような意味合いを感じなくもないが、そう言う曖昧な意味の単語ではなく、もっと何か具体性のある単語の頭文字じゃなかろうか。

 しばらく考えていたが、わけがわからなくなってしまった。そもそも、Mで始まる文字は、これで全部というわけじゃない。それこそ、何千とあるだろう。

 単語を思い浮かべてもしょうがないか。

 根を詰めると、どんどん思考がにぶくなってくるらしい。

 僕はそのまま眠ってしまった。



 目の前に、延々と端末があった。

 モニターが何百何千とあり、そこにはあらゆるデータが映し出されていた。

 僕はそれらの前を歩いていく。

 あれ?

 ここ、どこだっけ?

 僕は周りを見回した。

 どこかの屋内だろうか。天井がとてつもなく高いところにあり、壁中、モニターが並んでいる。

 前も後ろも延々と道が続き、その両脇には同じようにモニターが並んでいる。

 いろんな、映像や、音声や、文字データが次々と流れていく。

 なんとなく息が苦しくなってきた。

 なぜだろう。

 ここがどこかわからないけど、何となく、それでいいのだ、と言う考えが頭の中に浮かぶ。僕はエリンターだから、調べものをすることが僕の仕事だ。ここは、僕の仕事場なのだ。

 でも、なにか変だ。

 そうそう、僕は確か、謎の計画を調べていたんだっけ。

 M計画というやつだ。

 電脳大公レルム3世を名乗っている岸谷量子から教えられた、政府の極秘計画。

 09革命にも関わる重大な計画らしい。

 そうだ、僕はそれで、09革命のことを調べていたんだ。

 そのことを思い出した途端、周りのモニターに、関連する情報が次々と映し出された。

 僕はそれを1つ1つ見ていく。

 各省庁の計画、最新の技術、僕のEMMB、桃源塔で見た光景、電脳化した風俗産業、にこっとほほえむゴシックロリータのアンドロイド、巨大な環状都市とその内部を貫く高速道路、埠頭に停泊している巨大な潜水戦艦、行進するロボット兵……。

 いつの間にかモニターの群は消滅し、僕はどこかわからない暗い場所に取り残されていた。

 次々とわからないことがあふれてきて、考えがまとまらない。

 頭の中で、情報がいっぱいになり、しかも、どれが僕の探している情報なのか、わからないのだ。

 いろんな人が立っている。

 うちの生意気な姉貴、いつも真面目な義兄、かわいい姪のエリナ。

 トウキョウ・サイバー・ポスト社の面々。

 女なのにオカマみたいな岩坂柳一郎、ベテラン記者でいつもよれよれの服を着ている高木一真、経理の四方田さんの請求書を見る冷たい顔、今時珍しく真性ウブの島田弥生、仕事はくれるけど心のこもったことは言ったことがないドミニオン兼編集長の田村恭。

 取材した人、話を聞いた人、見かけた人。

 横須賀軍港にいたサイボーグの大佐、おしゃべり好きの大家さん、桃源塔で見かけた寂しげな顔をした老女。

 そして和倉晶。

 和倉晶……?

 そう言えば、何か思い出さなければいけないことがあるような。

 なんだろう。

 彼のあとに、若い女性が現れた。

 中目黒の風俗店にいたコンパニオン、みるくちゃんだ。

 彼女は死んでしまった。

 僕に相談してきた彼女。

 大したことではない相談だったが、何の役にも立てずに終わった。

 あの大きな目で僕を見た表情が目の前にある。

『今度来た時はサービスしますね』

 その声がこだました。

 ごめんよ。

 僕はなにもしてやれなかったな。

 ふと、どこかで音楽が鳴る。

 聴いたことのある音楽だ。

 これは確か……。

 声が聞こえてきた。

 よく聞こえない。

『……、余計な……』

「え?」

『これ以上、余計なことに……』

「聞こえないんだよ」

『これ以上、余計なことに首を……まない方が……ぞ』

「なんだって?」

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

「……!?」

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

「だ、だれだ」

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

『これ以上、余計なことに首を突っ込まない方が身のためだぞ』

 突然、世界は静まった。

 

 僕は目を覚ました。

「……?」

 天井が見える。

 ふと見ると、お腹の上でタマが寝ている。

「おまえな、本物のネコみたいに、人の上で寝るなよ」

 タマは薄く目を開けて僕を見た。

「おはようございます、ご主人様」

 これだからネコドロイドは……。

「なあ、いま電話かかってきたか?」

「着信履歴はございません」

 電話じゃなかったんだろうか。

 でも、音楽が鳴って、誰かの声が聞こえていたような気がするが。

 僕は起きあがった。タマが慌てて飛び降りる。

「おまえね、おまえが上に乗っていたんで、変な夢を見ただろ」

 にゃー、とこう言う時だけ、猫語をしゃべるのだ。

 やれやれ。

 僕は意識がはっきりしてきた。

 いや、あれは夢……だったのか?

 どんな、夢だったろう。

 僕は思い出そうとした。

 そう、確かM計画のことで悩んでいるような、そんな夢だったな。

 やれやれ、夢の中にまで出てくるとは。

 そんなに僕はこの事を気にしているのか。

 ベッドの端に腰掛け、はあ、とため息をついて、壁を見る。

 いま何時だろう。

 アナログ時計の針は午後4時5分を指している。夕方だ。

 今日は朝からネットを調べて回っていたからなあ。

 そういえば……、夢の中でみるくちゃんの顔が浮かんだような……。

 彼女のことを思い出して、ちょっと暗鬱な気分になった。あれからろくに調べてもいない。編集長には調べると言ったくせして。

 みるくちゃんには、何か捜査情報とかがあったら連絡すると言っておいたのに、何の役にも立たなかった。それを考えると、彼女の死のことも調べないと、申し訳ない気がする。

 そういえば、彼女のいた店が摘発されたこと、僕と岩坂さんが取材した店が軒並みやられていたんだよな。そのあとに彼女は厚生労働省の役人と心中を……。

 やっぱり、僕らが取材したことが当局に知られていた、と言うのだろうか?

 だとしても、なにが問題なんだろう。

 僕はぼんやりと考えた。

 それがわかれば、みるくちゃんの死のことだって、なにかわかるんじゃないか?

 大体、どこから僕らの取材のことが?

 あの案内をしたやくざ風の男が、警察になにかしゃべったのか?

 いや、自主的に訴えたところで、なんの得もないし、そもそもなにを訴えるのかわからない。

 となると、どこか別のところで、僕らの取材を知った当局があの案内の男に聞いた、と言うことだろう。

 でも、一体僕らの取材のなにをそんなに……。

 みるくちゃんのあの時の会話が思い浮かぶ。

『お役所の方で、何か大きな計画があって、それに振り回されて大変だとかなんとか』

 大きな計画……?

「計画ってまさか……」

 そうだよ。

 なんで、いままでこの事に気付かなかったのだろう。

 みるくちゃんが聞いた、役人の計画。

 頭のなかに、M計画という言葉が浮かぶ。

 まさか、とは思うが、摘発も、みるくちゃんの不審な死も、M計画と関係があるのではないか、という気がした。具体的にどういう内容かはわからないが。

 計画が漏れていると知った政府が、それを隠すために摘発して、さらにみるくちゃんと、あの役人を殺した。

 そうしたらつじつまが合うんじゃないか?

 いや……。

 こじつけっぽい感じも否めないか。

「ミステリーだったら安直すぎて興ざめかな」

 そんなことを思ったが、どうしても、M計画のことが気になる。いや、M計画じゃなくても、なにか国家が国民に秘密にしている計画があるのだ。厚生労働省の役人はそれに関わっていて、みるくちゃんに漏らしてしまい、それが取材に来た僕らの耳に入った。

 マスコミに漏れたと知った政府の誰かが、役人とみるくちゃんを殺した。

「でも、僕らの取材のこと、政府の関係者に漏れるだろうか……」

 あの取材のことは、サイバーポストの面々と取材を受けた人しか知らない。ましてみるくちゃんが漏らした話はなおさらだ。

「他に誰かに話したっけか……?」

 そう考えて、一人の人間の顔が浮かんだ。

 そういえば、僕はあの話を、和倉さんに話した。

 あの時、僕は、みるくちゃんが役人から聞いた話をして。

 それで和倉さんから、当局に伝わり、当局が情報漏れに気付いて……。

「まさか……?」

 そんな僅かな情報から、そこまで行くだろうか。

 でも、そうだとしたら。

 僕だ。

 僕が、あの話をしたから、みるくちゃんは……。

 僕は唇を噛んだ。

 推測だ。あくまで推測だ。しかし、一旦そう思うと、どうしてもそこから他へと考えが行かなくなる。

 もし和倉さんに話をしたことが摘発とみるくちゃんの死につながっていたとしたら。

 こんな事になるなら、和倉さんなんかに話するんじゃなかった。だんだん怒りが沸き上がってくる。

 なにが紳士協定だよ。よりにもよって政府関係者に漏らすなんて。マスコミ人のすることじゃ……。

 いや、待てよ……。

 和倉さんは誰に漏らしたのだろう。

「……」

 顔をゴシゴシとこすった。

 落ち着け。落ち着くんだ。

 たまたま知り合いの警察関係者にしゃべって、それが伝わったのだろうか。取材の一環で?

 もしかして、和倉さん自身が、政府のスパイだとしたら。

「いやいや、スパイって……」

 どうもそんなふうには見えない。エリンターとしてのプライドだってあるはずだ。

 横須賀で大佐と会話していた彼を思い出す。

 政府関係者とも知り合いはいるわけか……。

 しかも軍部だ。

 あの大佐が摘発の裏で動いている?

 では、やはり和倉さんが……?

 僕は、そこで、ふと気になることを思い出した。

 壁紙をモニターに切り替え、カメラをオンにして、携帯でトウキョウ・サイバー・ポスト社に電話をかける。

 画面が切り替わった。

「おまえか。どうかしたのか?」

 編集長が言った。

「高木さんはおられますか?」

「ああ、いるぞ」

 編集長は振り返り、高木の姿を探す。席にはいないようだ。見つけたのか大声で呼びかける。こいこい、と手を振った。このあたりが、ドミニオンというには少し威厳がない。やはり編集長が似合っている。

 高木がやってきた。

「よお。なにか、用件か?」

「先日、高木さんはおっしゃってましたよね」

「ん? なにをだ?」

「和倉晶という人物を知っていると」

「ああ、知ってるよ。とはいえ、あの時も言ったように、大戦の時に取材団の中で見かけた程度だけどな」

「その、和倉さんという人は、どんな感じの人でした?」

「どんなって、お前、和倉さんを知ってるんだろう」

「そうなんですが、念のため、おっしゃってくれませんか?」

「まあ、いいけど」

 高木は少し考えるように上を向き、それから特徴をしゃべった。

 年のわりには若々しい感じで、行動力があり、明るくよくしゃべる。髪は短くて、顔はやや面長だがかなりの男前、鼻筋も通って、歯並びも良かった。連合軍の女性兵士(ウェイブ)の間でも人気があったようだ。身長は自分より少し高かったので、175cmくらいだろうか。太ってはいなかった。やや斜めの姿勢で立つ癖があったな。

 話を聞きながら、僕はその内容が、どんどん僕の知っている和倉のイメージに繋がっていく。確かに和倉はちょっと右寄りに重心をかけて立つ癖がある。

「他に何か癖のようなものはありましたか? 立つ姿勢以外に」

「癖ねえ。そうそう、喋るとき無意識にあごを指先でよく掻いていたな」

 和倉晶だ。

 間違いないように思える。本人は父親だろうと言っていたが、親子でそこまで似るとは思えない。

「和倉さんは、いくつくらいの人だと思われます?」

「それ、前も聞かなかったか? お前の知っている和倉さんていくつくらいだよ」

「はあ、それがどうもわからないので」

「そうか? そうだなあ、俺より年上だったと思うけどなあ。今なら50代後半か、60くらいじゃないかな。若く見えたが、それくらいか、あるいはもっと上かもしれない」

 どういうことだ?

 僕が知っている和倉は、どう見ても30を少し過ぎたくらいだ。その若々しい行動力も、しゃべり方も、流行に詳しい所なども若い人らしい。それに、僕は近くで見ている。皮膚感は若いし、しわなどもほとんどない。あれで60前後とはとうてい思えなかった。

 じゃあ、あれは誰なのだ?

 高木さんの知っている和倉に似た若い何者かがいるのだ。

「おい、どうかしたのか?」

 高木が不安げに聞いてきた。様子に気づいたのか、岩坂や島田弥生もやってきて、画面を覗き込んだ。

「いや、いいんです。ありがとうござます」

 そこで僕は、もう1つ疑念になっていることを聞いてみた。

「みなさんは、M計画って聞いたことありませんか」

「M計画? なんだいそれは?」

 と高木。

「なんの話だ?」

 と編集長も聞いた。

「いえ……、別に知らなければいいんですけど」

 権力に関することだ。それにまだどんなものかわからないうちは、他人を関わらせたくもないし、巻き込みたくもなかった。

 画面の向こうで編集員らが顔を見合わせる。

「おまえ、なんか様子が変だな。なにか妙なことに首を突っ込んでいるのではないか?」

 高木はやや心配げに言った。

「いえ……、そうではないんですけど」

「もし、何かを調べているんだったら、俺たちも手伝おうか?」

「いえ、大丈夫です」

「そうか? 1人では大変なことも、何人かでやればうまくいくことはあるぞ」

「そうよ、私たちだって、それなりにジャーナリストなんだから」

 と岩坂は高木に続けていった。それなりに、と言うところが、彼女らしい。横で弥生さんもうなずく。

「ねえ、編集長もそう思うでしょう」

「ん? まあ、そうだな……」

 と乗り気じゃない。

「なによ、英介君が心配じゃないの? 彼は私たちの仲間でしょう」

「そんなことは、言われんでもわかっとる」

 と編集長は言い返した。

「編集長は、会社の経営の方が大事なんでしょ」

 と岩坂は嫌味を言ったので、編集長は憮然とした。

「で、どうなんだ? 何が気になっているんだ? M計画とか言ったが、なんの話なんだ? 和倉と関係あるのか?」

「それは……」

 画面の向こうでみなが僕を見た。

「いや、まあ、とにかくもう少しわかったら、皆さんにもご協力願いますので」

「……」

「済みません、大したことじゃないんですよ。ただちょっと気になることを耳にしただけなんで。おいおいわかってきたら、記事のネタにでも提供します」

 そんなつもりはないのだが、ここはリップサービスでごまかすしかない。

「そーお?」

 と岩坂は不満げだ。

「ほんと、気になることがあれば、なんでも相談してよ。1人で抱え込まないで」

「ありがとうございます」

 僕は電話を切った。

 彼らはいい人達だけど、それゆえに巻き込みたくはなかった。事は明らかに権力の問題だ。「大公」レルム3世の口ぶりでは、かなり極秘のことらしい。へたに首を突っ込んで、余計なことを招きかねない。

 あの風俗の摘発、コンパニオンのみるくちゃんが言っていた例の役人の話と関係があるとすれば、取材元だから、トウキョウ・サイバー・ポスト社にも手が回るはず。だが、現実にはそこまでは行っていない。

 なぜか。

 マスコミを摘発すれば、そこから話が広がるからだ。役人と風俗嬢は殺しても心中でごまかせるかもしれないが、ローカルでも新聞社を潰せば、政府の意図を探られることになりかねない。

 つまり、取材が原因でみるくちゃんが殺されたのだとしたら、こっちになにもしてこないことこそが、裏に何かあるという証拠にもなる。

 ……あくまで想像だ。

 証拠があっての話ではない。

 だが、そのことを僕がしゃべった和倉晶が、どうも正体不明の人間なのだ。

 まとめてみよう。

 フレッシュ・ヘルスに客としてきていた役人が言っていた「計画」というのが、M計画だとする。それは、みるくちゃんを経て僕に伝わった。僕はそれを和倉に話す。和倉は政府につながりがある人間で、計画の情報が何処かで漏れてないかを常に探っている。僕の話を聞いて漏洩に気づき、そのことを関係者、例えばあのサイボーグ大佐に伝える。大佐は政府の関係部署にその話をする。

 警察は政府内部の意向で、計画のことが漏れ始めているのを少しでもなくすために、無関係の摘発を装って調査に乗り出す。そして情報を知っている関係者の口を封じる。だが、それ自体がさらなる疑惑を招かない程度に抑えておかなければならない。

 一応、繋がる。

 もし、僕やサイバーポスト社の方にまで手が及ぶときは、それらしい理由をひねり出すだろう。その隙が今のところ、僕らにはないということだ。少なくとも、サイバーポスト社の方にはない。

 僕だけなら、事故にでも見せかけて謀殺することはあるだろうな。ただ、見せかけるだけでも簡単ではない。そうそうは出来ないだろう。

 そして……。

 もし和倉が政府とつながりがあるとすれば、M計画にも何か関わりがあるのかも知れない。

 計画を調べる上で、和倉は意外な突破点かもしれないと思った。

 僕は調べる対象を絞ることにした。

 とりあえずM計画のことはおいておくとして、

 まずは、和倉が何者か。

 このことである。

 和倉を調べるには、彼が籍を置いているという電経新聞と、高木の話にあった大戦中の従軍記者のことを調べるしかない。

 考えてみれば、僕は和倉が電経新聞のエリンターだというのは本人からしか聞いていないのだ。メディア関係であるのは、警察の会見や横須賀でのサイボーグの大佐の話でもわかるが、電経新聞だと示したところを見たこともない。

 電経新聞関係で調べるとすれば、社員録、彼の関わった記事、エリンター仲間に彼のことを知っている人間がいるか、と言ったところから当たるしかない。

 グロスターがやるように、電経新聞社内のカメラやマイクの採取データをこっそりアクセスしてコピーするという方法は、僕には無理だ。グロスターに頼みたいところではあるが、個人的なことで金がかかるし、何より今は貿易省の依頼を頼んでいるところなので、無理はさせたくなかった。

 電経新聞社に様子を見に行くという、かなりアナログな方法もある。

 あるいは、何食わぬ顔で和倉に会いに行くという手もあった。しかし、和倉が僕のことを警戒しているとすれば、会いに行くのはやぶ蛇になるかも知れなかった。

「……」

 そこまで考えて、やはりどうも、人を疑いすぎているように思えてきた。

 疑い出せば、和倉どころか、M計画のことを口にしたレルム大公の岸谷量子は一番に疑わなければならない。僕を罠にはめようとして言ったも思えるし、M計画の話そのものがウソと言うこともあり得る。

 でも……。

 あの時の彼女は、ウソを言っているようには思えなかった。罠にはめようという感じでもなかった。誰にも言えなかったことを思わず口にしてしまったような、そんな雰囲気を感じたのだ。

 大体、彼女が僕になんの罠を仕掛けるというのか。僕が秘密の計画を知って危険だと思ったのなら、むしろM計画の話なんてするはずはないし、そもそも面会も断っただろう。

 M計画、という名称の胡散臭さもそうだ。

 もしこれが、何でもない相手から聞いたのなら、もうちょっとひねろよ、とでも思うだろう。

 だが、相手が相手なだけに、逆にリアルさも感じられる。

 と言っても岸谷量子への取材はもう無理だ。

 やはり、攻めどころは和倉だろう。

 電経新聞社の近くで様子を見るというずいぶんと消極的な方法も考えてみる。

 電経新聞社は千代田区神田橋の近くに立つ大手町メディアタワーの中にある。サイトのデータで見ると、電経新聞のオフィスは15階から40階までを占めるらしい。

 このビルは付近の超高層ビルと空中回廊で繋がっている上に、地下鉄大手町駅、JR神田駅やLRTの停留所とも接続しているのだ。和倉がたとえここの社員で出勤してきても、どこからやって来るかわからない。

 ビルの中に入って、様子を見るわけにも行かなかった。他のメディア企業も入っている。目立たないかも知れないが、逆に警備が厳しいとも考えられる。サイバーポスト社のように無警戒のあけっぴろげな所ではないだろうし。

 電経新聞の社員録データがないか、ネット上の図書館にアクセスしてみた。

 名士録レベルでは電経新聞社の役員も見つかるが、流石に社員のことは載っていない。専属エリンター程度だからだろうか。

 次に電経新聞の記事を調べてみる。

 和倉晶で検索してみると、十数件ヒットした。

 記事のほとんどは事件記事であった。意見を述べる署名記事ではなく、単に取材者として名前がある程度だ。事件も国家を揺るがすような大事件や大事故などではなく、僕が横田空港で遭遇した爆弾事件はマシな方と言えるような市井の記事が多い。横田事件の記事はもちろんあった。いずれもここ何年かのものばかりである。古いデータは削除されたのか、それとも近年になって電経新聞で働くようになったのか。

 確か、ネット上のデータをひたすら保存している企業サービスがあったよな。そこのデータバンクに照会してみようか。有料だったはずだが著作権法に引っかからなければ見つかるかもしれない。

 こうしてみると、和倉が電経新聞のエリンターであることは間違いなさそうである。僕の知っている男が本人ならば。

 だが、取材対象がささやかすぎる。

 横須賀のウォーシミュレーション大会出発式の記事を探してみる。

 記事はあったが、取材者は別の名前になっている。

 試しに、その人物を調べてみると、これは明らかに別人だとわかった。

 どういうことだろう。

 あの時彼は、取材に来ていたはずである。

 それとも、僕の前では取材しているように見せていたが、実は別の目的出来ていたとしたら……?

 彼は、陸軍の大佐と親しげであった。大佐は彼がエリンターであることは知っていた。

 それほどの高官と知り合いなのに、彼の担当している取材は市井の事件である。

 どういうことだろう。

 エリンターの場合、取材しても、記事は別の人が書くのが一般的だから、専属とは言っても名前が出ない記事もあるだろう。しかし、名前の出るのがどれもこれも大した事件じゃないのは変と言えば変である。

 どれもこれも、ちぐはぐな感じが否めない。

 調べれば調べるほど、和倉晶という人物のことがわけわからなくなっていく。

 僕は、電経新聞の調査を一旦置いて、大戦中の従軍記者のことを調べてみた。

 第3次世界大戦は2011年から16年まで続いたが、メディア時代の戦争だから記録は豊富だ。

 ネットで検索すると、様々なメディアの記事から、戦場カメラマン、軍人、一般市民の記録までざくざく出てくる。

 いままで気にもとめていなかった歴史が目の前に現れたようで、改めて興味を惹かれた。

 従軍記者だったという高木の話から、僕は、画像検索を中心にやってみた。

 従軍記者なら、当然写真を撮っているだろうし、それが自分のものであることを示すために、画像データに個人データのステガノグラフコードくらい埋め込んでいるはずだ。また、画像比較検索もできる。和倉の今の画像があれば、それを元に検索は可能だ。

 ブラウザよりも詳細に検索できる専用ソフトで、世界大戦、中国、連合軍、従軍記者、取材、和倉晶などを選択し、画像検索を開始してみる。

 その結果は、ほんのゼロコンマ何秒で出る。世界中の電脳ネットワークの中から導き出される。

 膨大な量の不分明な検索結果の一覧が出る。流石に多い。

 従軍記者ならどういう写真を撮るだろうか。

 あるいはどういうふうに行動するだろうか。

 それを考えて更に絞っていく。

 表示数はだいぶ減ったが、それでも多数の写真が出て来る。ひとつひとつ見ていく。

 中には、キャッシュデータとして残された記録の残滓のようなものもあるため、実際に見ることはできないものもかなりあった。

 戦争関連の画像は様々だ。

 海上を進む艦艇、爆撃機の編隊、激しい市街戦の様子、逃げ惑う民衆、泣きわめく子供、黒煙のたなびく中国や中央アジアの都市部、農村部ののどかな風景、連合軍の陣地や基地の写真もある。青空に引かれた白いミサイルの航跡、そして、都心から撮影したのだろう。厚木基地付近に立ち上る、赤茶色と白に彩られた不気味で巨大なきのこ雲の写真もあった。

 2時間位調べただろうか。

「これは……」

 僕は、一つの写真を見つけて沈黙した。

 それは、連合軍の兵士らが、笑いながら、多砲塔戦車の前面に腰掛け、あるいはもたれかかって写っている集合写真である。記念撮影でもしたのだろうか。兵士だけじゃなく、住民なのか、女性と子供、そして記者らしき人物も一緒に映っていた。

 和倉晶だ。

 日焼けして、ヘルメットをかぶってはいたが、あきらかにあの和倉晶だった。少し老けて見えるが、間違いなく僕の知っている彼だった。「父親」とやらとは思えなかった。それほどまでに、僕の知っている彼の顔であった。

 高木の言っていることは、これで裏付けられた。

 しかし、この時点でもまだ、僕の中には、これが僕の知っている和倉本人ではなく、和倉晶が言っていた「父親」のデータかも知れない、と言う気持ちがあった。和倉がウソを言っていない、さらには、僕の話を政府に密告するような人ではない、と信じたい気持ちがあったからだ。また、大戦中の和倉という人物と、今の和倉とが、まったく無関係の同姓の別人という可能性だってないとはいえない。

 画像の記録は2016年5月15日とあった。

 今から約19年前のものだ。

 僕はまだ10歳の時だ。

 今の和倉より少しだけ年を取ったような彼の写る19年前の画像。

「彼は、若く見えたが、僕より少し年上じゃないかな」

 高木の言葉が思い出された。

 もっと詳細に彼のことを調べよう。

 迷惑かも知れないが、グロスターに頼むしかない。あいつなら、かなりのことを調べてくれるだろう。

 僕が、まじまじとその画像を見つめた時、突然音楽が鳴りだした。電話だ。僕はドキッとしてしまった。

「誰からだ?」

「送信者のデータはありません」

 タマが答える。

 僕は心臓が冷え込むような気分を味わった。データがない、だと? 匿名なら匿名と言うはずだ。一体、誰だ?

「メッセージが入りました」

「なんと?」

「『すぐに電話にでろ、グロスター』というメッセージです。電話にでられますか?」

 なんだよ、あいつか。おどかしやがる。

「でる。モニターに映せ」

 壁紙がモニターに変わり、見かけない場所にグロスターの姿が映った。両方を壁に挟まれた、やけに狭い場所だ。背後にゴミ箱が見えた。

「珍しいな。おまえのところに行こうかと思っていた所なんだよ」

「英介、お前、何かやばいことに首を突っ込んでいないか?」

「いきなりなんだよ」

 ますますドキッとするじゃないか。

「おまえのことを調べたいという依頼があったぞ」

 なんだって?

「誰から?」

「まだわからん。連絡網の1つを経由して入った。依頼を仲介してきたのは裏の人間だ」

「俺のようなただの一般人を、あんたに調べるよう依頼が来るなんて事があるのか?」

「あるわけないだろう。大体そんなこと、そこら辺の興信所に頼めばいい」

「そうだよな」

「ただ、俺に依頼を仲介してきたやつの話では、単にお前の経歴とかなんとかだけでなく、お前がやってきたこと、いまやっていること、人間関係などを徹底的に知りたいのだそうだ」

「……」

「たぶん、お前がエリンターだと言うことはすでに知っているんだと思う」

 気味が悪い話じゃないか。まさか、M計画のことで、僕を?

「なあ、お前、いま何を調べているんだ?」

「……実はそのことで、あんたに頼みたいことがあったんだ」

「なんだ?」

「この通信で大丈夫か?」

「ここは大丈夫だ。わざわざここに移動したんだ。お前に連絡するために」

 僕を気にかけているのではなく、僕の端末を経由して逆探されるのを警戒しているのだろう。むしろ好都合だ。

「じゃあ言うよ、俺はM計画というのを調べてるんだ」

「M計画?」

「あんたから紹介された大公レルム3世から聞いたんだ。政府の中に極秘の計画がある。M計画という名前の」

「それを調べているのか?」

「まだ調べてない」

「どっちなんだよ」

「名前をちょっと検索した程度だ。いま調べているのは、電経新聞社のエリンター和倉晶という人物のことだ」

「待て、それはそのM計画ってのに関係があるのか?」

「あるような気がする。どうも得体の知れない人物なんだ。調べれば調べるほどね」

「どういう意味だ?」

「和倉は世界大戦の時、従軍記者として参加している。それはネット上の記録で見つけたし、トウキョウ・サイバー・ポストの高木って言う元従軍記者からも聞いている」

「それで?」

「俺は和倉晶という電経新聞のエリンターと知り合いになった」

「意味がわからない。わかるように言え」

「俺の知っている和倉は、若い。俺と2、3歳くらいの差しかない。それはどう見てもそうなんだ。だが、高木記者の話では全然違っている。彼より年上だという。60歳前後だとね」

 グロスターは眉をひそめた。

「それは、同一人物、なのか?」

「19年前の画像に写っている人物も同じ人だ。少し老けて見えるが」

「父親とかじゃないのか?」

「和倉もそう言った。でも、本人だと思う。あまりにもよく似ているんだ。高木さんから聞いた話でも、俺の知っている和倉晶と特徴や癖が同じだ」

「整形をしているとは考えなかったのか?」

「考えないでもないが……、生体細胞移植でもああも若返るだろうか?」

「俺に聞かれてもな。で、その人物のことを調べていたわけだな?」

「そうだ。画像とか電経新聞の社員録、その他いろいろね」

「ネットで検索したんだな?」

「そう」

「通常のブラウザか?」

「ロクサムのエクサネットサーチャーを使った」

「スパイダーサーチか。検索したのは画像とテキストだけか?」

「いまのところは。バイナリーコードも、ステガノコードもまだ調べてない」

「……」

 グロスターは視線をそらして、何か考え込んだ。

「わかった。その人物を調べてやろう。お前のことを調べる依頼を持ってきた人間とはまだ会っていないが、会って話を聞いてみることにする。たぶん、俺が断れば、他にも依頼するだろう。いや、あちこちに依頼している可能性もある。そのあたりも探ってみよう。何かわかったら連絡するよ」

「大丈夫か?」

 少し心配になって聞くと、グロスターははじめて笑みを浮かべた。

「おい、誰にむかって言ってるんだ?」

 笑いながら彼は電話を切った。

 映像は消え、壁紙に戻った。

 僕はしばらく壁紙を見つめた。

 誰かが僕を調べている。

 もしそれが、M計画とか、和倉のことを調べているからだとしたら。

 あるいは、大公レルム3世と会ったことが、政府のどこかに筒抜けになっていたとしたら。

 僕はなにかとんでもないことに足を踏み入れた予感がして、どうにも落ち着かなかった。

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