第3話:バーチャライズド・セクストピア
トウキョウ・サイバー・ポスト社から、新たな仕事の依頼が来た。
取材である。
僕の持っているいろんな情報には見向きもしないくせして、取材仕事はしょっちゅう持ち込んでくる。いいのか悪いのか。
今度の取材はちょっと変わっていた。
「風俗、ですか?」
「そう、風俗」
編集長はうなずいた。
僕はちょっと編集室内を見回した。弥生さんはいない。
「どうした?」
「あ、いや……。その、つかぬ事を聞きますが、風俗というのは、あの風俗ですか?」
「あの風俗だ。どの風俗だと思ったんだ?」
「たとえば、夏祭りの山車とか、大凧上げ、とか」
「そう言うのを風俗というのか?」
「言いませんか?」
「どうだろう……」
編集長は首をひねった。
「ようするに、風俗産業の風俗なわけですね」
編集長は顔を上げ、
「そういうことだ。性風俗だよ」
「そういうのをトウキョウ・サイバー・ポスト社が記事にするわけですか?」
「いかんか?」
「そうじゃないですけど、そんな風俗情報サイトのようなことをするとは」
「ん?」
「そんなに経営せっぱ詰まってるわけですか」
「なんの話だ?」
「そりゃまあ、この雑居都市群にはそう言う風俗街もありますけど、いくら経営不振だからと言って、ポリシーを捨ててまで、タイアップ記事をやろうなんて、トウキョウ・サイバー・ポストの名が廃りますよ」
「お前、なにを言ってるんだ?」
編集長はまじまじと僕を見た。僕もまじまじと見返して、
「風俗産業からお金をもらおうという企画じゃないんですか?」
「おまえなあ。そんなこと言うか?」
呆れたようにため息をついて、編集長は続ける。
「風俗の取材とは言っても、ただエロネタをやれって言うんじゃないんだよ。だいたいおまえ、そんなもんエロサイトに勝てるわけないだろうが」
「というと、違うんですか?」
「あのなあ。そうじゃなくて、科学と絡めたネタでやるんだ」
「科学?」
僕は性病とかそう言うことの特集なのかと思った。性病も深刻な問題ではある。
「生体部品とかサイボーグとか、そういうことだよ。それだけじゃない。最新電脳技術も応用した風俗ネタも絡めたい」
「ああ、そういうことですか」
「そういうことだよ。科学技術の発展を見るには、研究所の開発中の製品を特集するだけではなく、庶民レベルでの普及も見なければならんよな」
「なるほど、それで風俗を取材するというわけですか」
「やっとわかったか」
「ああ、よかったですよ。いくら経営がへただとはいえ、硬派な記事を載せることで知られたトウキョウ・サイバー・ポストが、とうとうB級デイペーパーに成り下がったのかと心配しました」
「経営がへたなのは余計だ」
ドミニオンでもある田村編集長は不機嫌に言った。
「ところでお前、風俗には行ったことあるのか?」
「そりゃあ、もちろ……」
と言いかけて振り返る。いつのまにか、島田弥生がじーっと見ている。
「あ、あるわけないじゃないですか」
沈黙が漂う。弥生さんも編集長も黙って僕を見た。
なんで黙る?
「あるんだな?」
「え、いや、その……」
「あるんだろう?」
「それは、まあ……」
「正常で健全な成人男性なんだから、当然だなっ」
編集長は明るく言った。
弥生は何か不潔なものでも見るような目で見ていた。勘弁してくれ。
「あ、あの、まさか弥生さんと取材に行けとか言うんじゃないでしょうねえ……」
僕は小声で編集長に聞いた。
「当然だっ」
と編集長は大声で言ったので、僕は慌てたが、
「と、言いたいところだが、あやつにはちょっと刺激が強すぎる」
「そうですよ」
「そこで、別のものと行ってもらうことにした」
ホッと息を付く。
「いっとくが、体験料はださんぞ」
「体験料?」
「取材にかこつけてあそんだからと言って、その代金は出さないと言ってるのだ。な、四方田君」
「当然ですっ」
「うわっ」
いつの間にか、経理の四方田さんもそばに立っていた。ダテメガネの下の目がこっちをにらむ。同じダテメガネの美女でも、四方田さんは弥生さんと違い、冷静で怖い。でも今日は弥生さんの視線の方が怖かった。
「まあ、話を聞くだけにしとけ」
「わかってますよ。当たり前じゃないですか」
僕はわざとらしく大声で言った。
「で、誰と行けばいいんです」
編集長は顔を上げた。斜め後ろを見て、うなずいた。
僕がそっちを振り向く前に、何者かの手が僕の肩に掛かった。
「英介君と一緒だなんて、うれしいわあ」
さ、最悪だ……。
ぞわぞわという寒気がチャクラを登っていく。僕は頬を引きつらせて、
「ま、待ってください、編集長」
「なんだ?」
「よりにもよって、性風俗の取材の同行者がなんで岩坂さんなんですか?」
「一番の適任者だからじゃないか」
何を当たり前のことを聞く、と言う顔だ。
「そうよー、私が、穴場を教えてあげるわよー」
そんなことを言いながら岩坂柳一郎はしなだれかかってきた。こらやめろ。
肩を動かして彼の手を除けながら、
「あんたが穴場とか言うな」
「あらっ、なんでよぉ」
「詳しいなら、この人に取材させればいいじゃないですか。僕は遠慮します」
「こいつは、文章は書けるが、話を聞くのはへただ」
「じゃあ、なんで連れて行かなきゃならんのです」
「理由は3つだな」
「3つ?」
「1つめ、こういうキャラだから、警戒されにくい。2つめ、文章を書くのに参考になる。3つめ、お前が仕事せずにあそばないか監視役に適任。こいつに監視されればあそびにくかろう」
「……」
なんか反論できないのが悔しい。
「わかったな。行って来い」
雑居都市群で風俗街と言えば、要町と東長崎、大久保、中目黒、この4ヶ所に集中している。かつて風俗が盛んだった場所というと、池袋、高田馬場、新宿歌舞伎町、渋谷円山町、五反田、新吉原などだそうだが、これら歓楽街やホテル街は大震災で壊滅した。本来なら、復興の過程でまたそこに新しく歓楽街が作られたかも知れないが、復興がなかなか進まなかったために、避難民が集まってできあがった山手線の外側一帯の雑居都市群の中に、自然と風俗街が生まれたのである。そのため、かつての歓楽街はほとんど復活しなかった。
僕が岩坂編集員と訪れたのは、中目黒風俗街だ。中目黒駅から北へ、目黒川沿いに目黒橋まで続く街だ。かつては閑静な住宅街も広がっていた場所だ。震災の時、この辺りも壊滅的な打撃を受け、瓦礫の山と化した。その後、周辺の公園などの避難所にいた避難民がこの辺りに集まってバラックなどを建て始めたのだが、いつの頃からか、ソープランド、ヘルス、イメクラなどの店ができはじめた。最初からそこに集まったわけじゃなく、2、3店が出来たあとに、その雰囲気に便乗するように店舗が増えたわけである。
迷惑したのは、他の避難民や、元々の土地所有者だろう。なにしろ震災後の混乱でいつの間にかそう言うのが土地を占拠して勝手に店を始めたわけだから。
いくつかの裁判などもあったようだが、中には店側がお金を出して土地を買うような事例も出てきた。震災不況下である。周りも風俗店ばかりだ。地権者は仕方なく土地を売った。早めに取引があったところではそれなりの額を払ったようだが、あとでその手があったかと乗り出した業者は、安くで土地を買いたたいたり、暴力団が介入して大変なことになった。
その後、ヤクザと戦争難民系中国マフィア組織がしのぎを削るようになり、暴力騒ぎが相次いだあげく、町は衰退した。自分で自分の首を絞めた犯罪組織の多くが撤退し、寂れた風景がしばらく続いた。
ちょうどその頃から、震災復興計画も本格化し、また世界大戦も終わりに近づき、日本が属する連合軍が優勢になったこともあって、日本経済も戦争特需で上向きになってきた。付近の住民や、警察の協力などもあって、出来るだけ犯罪組織の介入を排除する形で、街は再建され始めたが、もちろん風俗街であることをなくすことは出来ず、むしろ他の地域の再建が進めば進むほど、この町はまた風俗街としての意味を強めていき、再度一大歓楽街へと発展していった。今度は前の轍をふまないよう、ヤクザ組織も、ルールを決めて、抗争を避けることに努力したらしい。
暴力騒ぎがなくなり、ぼったくり店も減ったことから、客も増えて、にぎやかな街になった。川を挟んで、両岸にきらびやかなダイオードサインが並び、眠らない街が毎夜出現する。
と、ここまでは、いろんなデータベースやサイトで調べてわかった。
中目黒高架駅を降り、そのまま空中回廊を川の方まで行くと、そこにゲートがある。
どうしてこう言う構造になったのかわからないが、目黒川両岸の歓楽街は、通りが2階にあるのだ。店の入り口はすべて2階にある。通路の下は物置みたいになっているのが、対岸を見るとわかる。空中回廊になっているため、両岸をつなぐ橋も造りやすかったのだろう。たくさんの橋が幅10mほどの目黒川を横断していた。
入り口から少し入ったところに風俗情報案内所があった。
そこで話を聞くことにした。
出迎えたのは、ゴシックロリータの格好をした、どう見てもアンドロイドの女性だったが、取材の話をすると、
「しばらくお待ちください」
と可愛らしく言って、あとはじーっとしていた。その凍り付いたままの笑顔が少し怖かった。人間そっくりなだけに怖い。
どうやら無線LANかなにかで人間の関係者を呼び出しているようだ。まだ昼間なので、この街は機能していないのだろう。通路も閑散としている。
しばらくして、鼻ヒゲを生やした5分刈りの男が出てきた。
「えーと、なに? 取材だって?」
「どうも、はじめまして。エリンターの市来英介と言います。こちらは、トウキョウ・サイバー・ポストの編集員で」
「こんにちわ、岩坂柳一郎といいます」
男はまじまじと彼を見て、ほほお、と言った。
「きみはゲイかね」
「いやですわ、のっけからそんなことを」
と岩坂は体をくねらせて笑った。
「そうかそうか」
と男は勝手にうなずいて、
「で、なんの取材?」
「失礼ですが、あなたは?」
「おお、わしか? わしは中目黒川岸街管理組合の理事をやっとる片倉というものだ」
「よろしくお願いします。実はですね、最近の風俗の実体、と言うか、どういうサービスがあるのか、お話を伺いたくて」
「ふーん」
説明する僕をじろじろと見る。いやな視線だ。まさか、このオッサンまで、そっち系じゃなかろうな。
「サービスと言っても、たとえば最新の技術を応用したものとか、そういうのについてだと特にいいのですが」
「最新技術か。ふん。まあ、そう言う取材ならいいだろう」
そう言ってから苦笑を浮かべて、
「最近、警察がうるさくてねえ。私服もいるんで、気を付けてるわけよ」
「警察が?」
「なんかまた点数稼ぎとかをしたいんだろうよ。俺らは悪者あつかいさ。人のためにやってるのになあ」
「はあ……」
「都心もだいぶ再建されたろ。それで、今度は雑居都市を更地にして新しく街でも作る気なんじゃねえか。まあ、そんなんで法律に違反するようなことや、治安の悪さをあら探しして、俺らを追い出そうとか考えてるんじゃないかね」
「なるほど」
片倉は先に立って案内所から出た。受付のゴスロリアンドロイドはぺこっと頭を下げた。
「それで、わしらも注意しておるわけですわ。さて、どれから案内しましょうかねえ」
歩きながら店を眺めて、
「どんなジャンルがいいの?」
「どんなと言われると、どんなのがあるわけですか」
「大きく分けると3種類だな」
「3種類?」
「そう。人、人形、バーチャルだ。あんたはどれだ?」
一瞬、なんのことかわからなかったが、
「それはつまり、相手にするのが……」
「そう。人間相手がいいという客はその店に、お人形がいいという客はその店に、バーチャルを楽しみたい客もいるからそっちもね」
「それらを大まかで結構ですから、全部教えてもらえますか」
「全部?」
片倉はまたも僕をじろじろ見て、
「というと、体験していくわけじゃあないわけ?」
「はあ。一応、お目付もいますし、話を聞いて、どんなシステムかを見せてもらえれば……」
「お目付ねえ。ふーん」
と岩坂と僕を交互に見比べる。片倉は僕に近づき、
「あんた、もしかして、そっちのお兄ちゃんのコレか何か? 弱みでも握られてんの?」
「なな、なんちゅうことを。新聞社のお目付で来てるんですよ。経費をケチってるんです」
「ああ、そういうこと」
まったくなんなんだ。
片倉はまず人形の店を案内してくれた。
「人形と言っても、高性能だからな。人そっくりよ。案内所の所にいただろう」
「はい、ゴスロリの」
「そう。ああ言うやつだ。これが意外に人気でねえ。お姉ちゃん相手より、お人形の方がいいらしい」
「そんなに人気なんですか」
そうよ、と言いつつ一軒の店に入る。
いらっしゃいませ、と入り口近くにいた女の子達が一斉に頭を下げた。壁や天井はピンクで彩られ、丸いライトで目がちかちかする。
ここも女の子達は、ロリータファッションだ。それもメイド系ばかりである。流行りなのか?
「こいつらもお人形。良く出来てるだろ」
片倉氏がそう言うので、近寄ってまじまじと見てみたら、確かにアンドロイドである。皮膚感は人間そっくりだ。ほとんど区別は付かないと言っていい。軽く化粧が施してあった。ただ、何となく人の感じがしない。なんでだろう。
「どうかしましたか?」
アンドロイドの娘はにこっと笑って首を傾げた。
その表情にちょっとドキッとして、僕は後ずさった。表情は異様にリアルである。
香料の匂いがした。ただ、女性独特の体臭はしない。
岩坂もまじまじと見ていた。
「リアルですね」
「感触的には人間と変わらないよ。肌触りも、体温もあるし、弾力や湿り気もある。締まり具合も良い。愛撫にもちゃんと反応するしな。作り物という感じはしない」
片倉氏はしみじみと言ったが、このおっさん、自分で試してみたのか?
「この娘達も客の相手を?」
「客が気に入ったらね」
「御指名というわけですか」
「そうそう」
店は縦長で、真ん中が通路。左右に部屋が並んでいる。
「プレイはここで。時間制で、この店では最長2時間までだね」
「なぜ時間制限を」
「そりゃあ、あんた。回転を良くするためだよ。それだけ客を取れるだろう」
「なるほど」
店舗商売の基本である。
「もっともな、時間イコール1プレイというわけじゃないから、それは客次第だろう」
「といいますと?」
「さっさとイッちまって、何度もプレイするやつだっているわけだしな。逆にじっくりと楽しむやつだっている」
「そうか。その時間もあるわけか」
「あまり長いと、こっちも迷惑する。プレイ終了後には各部分の洗浄も必要だからなあ。衛生を保たなければならないからね。法律もうるさいんだよ、そこら辺」
「次のお客さんも嫌がりますしね」
「そうそう。わかってるね、君」
「え、いや別に……」
「まあ、最新のものって言うんだったら、最新のお人形は、自動洗浄機能付きだからなあ」
「それはどういう?」
「膣の奥の部分から洗浄液が出てきて、中に溜まったものを流すわけ。中に風呂があるだろう。客が出ていったあとそこでね」
「へえ。でもそれ、お客さんが見たらびっくりしませんか」
「帰る時には別の娘が案内するんで、普通は見ることはないんだが、たまに忘れ物を取りに行ったりしてその場面を見てね。ひどくガッカリしたような顔をしていることがあるよ」
「ははは……」
「やっぱり、人形だとは言っても、そういう機能は見たくないんだろうなあ。そういうのが好きだという物好きもいるけどね」
「でも、それではなぜアンドロイドを相手にしようと思うんでしょうか」
「そうだなあ。やっぱあれだろう」
「あれ?」
「自分の都合のいい女の子を相手にしたいんじゃねえか。人間の女はいろいろわがままを言うだろう」
「まあ、それは人ですから」
「それが面倒だったり、いやだったりするわけさ。俺だって、うちのやつがヒスを起こした時なんか、お人形の方がマシだぜって思うこともあるけどね」
そう言って片倉は下品に笑った。こういう場合、愛想笑いしていいものやら。
「この娘達は、お客さんの言うとおりにするわけですか」
「ああ、逆らわないよ。言われたことをやってくれる。そういうプログラムっての? そういうふうに作られてるんだよ」
なるほど、肉体(ハード)は人間そっくりだが、性格(ソフト)は都合良く作られているということだ。
「ここなんかそうだけど、みなメイドの格好だろう」
「そうですね」
「自分だけのメイドが欲しいわけさ。なんでも言うことを聞いてくれる。まあ、それがおもしろくないって言うのもいるけどさ」
「ははあ」
「でもね、案外、そういう客ってのは、わがままじゃないんだよ」
「といいますと?」
「自分の言うことを聞いてくれる娘に甘えたい、そしてやさしく守ってやりたい、って心情なんだろ」
「はあ」
「だから、乱暴に扱ったりすることはない。むしろ、客としてはいい部類だよな」
「そういうもんですか」
「もっとも、人形系の場合、細かいシチュエーションって言うの、それは違うのもある。数軒向こうにも人形系の店があるがよ、そこは少し違う」
「といいますと?」
「行ってみようか」
ロリータアンドロイドの店を出て、別の店に入る。
今度は一転、壁の色も落ち着いていて、清潔な感じだ。
「ここは?」
「奥の部屋を覗いてみたらわかるよ」
構造は先の店とよく似ていて、通路の左右に部屋がいくつもある。
覗いてみると、そこには奇妙なものがあった。
「これは……、電車?」
「その通り。隣の部屋を見てみな」
隣の小部屋を覗くと、机に椅子が数脚並び黒板がある。
「ここは学校だ」
「わかったかい」
「シチュエーションがちがいますね。イメージプレイですか」
「そうそう。お人形さんに」と片倉氏はあくまでアンドロイドをお人形と言い、「いろんな格好をさせるわけだ、OLだの、女教師だの、女性警官だのとね。で、いろんなシチュエーションで楽しむわけよ。痴漢とか、教室プレイとかな」
「なるほどねえ」
「そう言うのに興味あるようね」
と岩坂は唐突に言ったのでちょっと驚いた。表情を観察してるのか?
「いきなりびっくりするでしょうが」
僕らの様子を見て、片倉がにやっと笑った。まったく。
「ここはさっきのとすこし違いますね。同じアンドロイドでも。プログラミングの違いとかあるわけですか」
「そうよ。さすがいいとこ見てるな。さっきのはただ一方的に命令に従うよう作られているが、こっちのは少しばかり抵抗するようになっている。まあ、最後には言うこと聞くんだけどね」
「さっきは、やさしく接すると言っておられましたけど、こちらの場合だと、シチュエーションですよね。気に入らなくてお客さんが腹を立てて暴力をふるったり、アンドロイドを壊すようなことはないわけですか?」
「ないこともないが、さっきと同じで、案外そこらへんはまじめなんだな。怒ったりする客はほとんどいない。最初からそのつもりで来ているということだろう。シチュエーションを楽しむと言う意味でもそうだろうが。それに、アンドロイドは簡単には壊れないよ、頑丈だし。一見軟そうに見えるが骨格などはしっかりしているしな。暴力振るっても、ヘタすると客のほうが怪我しちまう。それにこれ、結構するんだよ」
「おいくらくらいするんですか?」
「いくらだったかな」
片倉は店の支配人を呼んだ。
「ここの人形、いくらするんだ?」
金田と名乗った支配人は生真面目そうな若者だった。
「基本パーツで15万です。髪や皮膚の色、その他の部品の替えパーツと、洗浄システム、疑似体液、声のサンプリングなどのオプション合わせて50万くらいします。プログラム料は、人格とシチュエーションにもよりますが、2~30万くらいですかね。プログラムは細部を客に合わせてフレキシブルに対応するように組んでいるんです。それをオンラインで調整してますから、その分が高いんですよね。あとは服や靴ですか」
すると一体100万円くらいかかっているわけか。こういうのを開発運用するソフトウェア会社とかも取材すると面白そうだ。
「身長の違いとかはどうするんですか」
「いくつかのバリエーションで揃えますよ。元々基本パーツには体格の条件が入ってますから」
「その体格ですが、ちょっと変なことを聞きますけど」
「はい」
「たとえば、若い人や年増、太った人とか、あるいはもっと子供なのとか、この人みたいなのとか」
と岩坂を指さす。
「そういう細かい設定とかもあるんですか」
「この人みたいってのは失礼よね」
岩坂がぶつくさ言った。金田はチラッと彼を見て、
「そう言う設定もありますが、幼い子供だけはありません。他の体格や年齢のオプションはありますよ。人の好みは多種多様ですから。ただうちの店ではやってませんけど。そう言う店は別にありますし、お客さんだって最初から好みのものがある店へ行けばトラブルもないでしょう」
「なるほど。でもなぜ、子供はないんです。技術的なものとか?」
「いえ、技術的には難しくないですけど、法律的にまずいんですよ。子供のアンドロイドを性行為の対象にすると、本物の子供を襲うようになる可能性があると言うんで、規制の対象なんです。どこまでほんとか知りませんけどね。それにその理屈を言えば、大人の方は規制がないのも変ですしね。女子高生くらいのはあるわけですから」
「見た目のイメージも悪いんだろう。時々、市民委員会のおばちゃんとか来るけど、人形とはいえ、子供がいたら、ヒステリーを起こして脳の血管切れるぜ」
片倉も言った。
「じゃあ、そういうのはないわけですか」
「非合法では作ってますよ。そう言うのを買う金持向けに。秘密倶楽部もあると聞いてます」
「金持でロリコンのひひじじい相手なら、いい商売だよな」
と片倉。
「オカマちゃんもあるのかしら?」
岩坂が聞いた。
「オカマというか、男性型のアンドロイドはありますよ。でも、メーカーのカタログでしか見たことないですね。この街の店にも置いているところはないですよ。ゲイの方向けなのか、年増の女性向けなのか、そこらへんはわかりませんが」
店を出ると、
「お人形系は他にもあるけど、どう? まだ行く?」
「他の種類のお店も教えてもらえますか」
「わかった。じゃあ……、バーチャル系行きますかね」
「お願いします」
川沿いの空中回廊を進む。左手の店にはいろんなものがあり、4階5階建ての店もあった。川の対岸もそう言う店が並んでいる。みな震災後に作られたものだが、ブロック工法のような簡易建築を基本に建て増ししたのだろう。まるで前衛芸術か現代アートのような不思議なデザインになってしまった建物もあった。どれもこれも薄汚れているのは共通しているが、夜の明かりの下では目立たないだろう。
街区の形から、店はどれも間口は狭く、奥行きの長い構造にならざるをえない。店の中が似たような構造になってるのはそれもあるわけだ。
「これらの店は、オーナーがいて、経営者に店舗を貸し出す形なわけですか?」
「大体はね」
「オーナーはどういう方が?」
片倉はチラッと僕を見て、無言で肩をすくめた。そういったあたりは言えないらしい。たぶん組織的なものが絡んでいるのだろう。この片倉という人物もその構成員なのかも知れない。
「ここがわかりやすいかな」
彼が導いたのは、『アイドリンク』という名前の店だった。エンジンのアイドリングじゃないらしい。リンクするということか。どういう意味だろう。隣には『電脳麗香』というやはりバーチャル系の店があった。いかにも的でやや意味不明の名前だ。風俗のネーミングセンスというカテゴリで調べてみるのも面白そうだ。
入り口を入ると、受付らしきカウンターがあった。が、そこには端末のタッチパネルだけがあった。画面は消えている。横のドアが開いてあごひげで耳にピアスの金髪頭の若者が出てきた。
「あ、片倉さんすか。お、おはようございます」
「おう」
と片倉は片手を挙げ、
「こちらは新聞社の方だ。どんなサービスがあるかを取材に来たんだ。ちょっと見せてもらうけどいいな」
「もちろんです。どうぞどうぞ」
とえらく低姿勢だ。さっきの店の店長も若かったが、あっちはまだ堂々としていた。この店長とはどういう差があるのだろう。新人なのだろうか。
「このタッチパネルは受付ですか?」
僕が聞くと、店長は片倉を見た。片倉がうなずくと、店長はあたふたとモニターを点ける。ポンという感じでメニュー画面が現れた。『新規/会員』とか『Aコース/Bコース/Cコース』とか『時間設定』とかある。
「コースがあるわけですか。どう違うのです?」
と聞くと、店長はまたも片倉の顔を見た。片倉は面倒くさげにあごを動かした。
「コースはですね、」
と若い店長は、パネルに触る。メニューが切り替わる。
「このように、視聴覚モード、全身モード、全身アクションモードとありまして」
「具体的にどう違うわけ?」
「視聴覚モードはですね、ヘルメットみたいなバーチャル装置をかぶるだけです。視聴覚だけで楽しむもので、一番安いコースです。全身モードはカプセルに入って反応ゲル化剤に浸かって楽しむんです。バーチャルの女の子が奉仕してくれまして、それに合わせてゲル化剤が体に刺激を与えるようになってるわけで……」
店長はまた片倉をチラッと見た。何をそんなに怯えているのやら。片倉はそっぽを向いている。
「アクションモードって言うのは?」
「あ、それはですね、お客さんがバーチャルの女の子に触れるんです。ゲル化剤をつかんだりすることで」
「ゲル化剤って、人の形してるの?」
「いえ、でも視聴覚はバーチャルなので、体験する人は人を触っているような感覚になるんですよ」
「へー不思議だ」
「あと本番もありです」
「本番? ってバーチャルの子と?」
「そういう感覚を味わえるんです」
「今見てると、全身モードとアクションモードは基本は同じなようだけど、その刺激の与え方とかは、プログラムの違いか何かなわけ?」
「はい。そういうことです」
おずおずな感じで店長はうなずいた。
「たとえば、全身モードで物足りなくなって、途中からアクションモードに替えるとかも出来るのかな?」
「ずいぶん詳しく聞くじゃないのよ」
と岩坂が後ろから言った。
「うるさいなあ。取材でしょ、取材」
「あとで来ようと思ってたりして」
含み笑いで言った。僕は無視して、店長を見た。
「モード変更は出来ます。料金は差額分加算となりまして」
「ふーん。そのバーチャルの子ってどんなのがいるのかな」
「は、はい……」
と店長はチラチラ片倉を見ながら、おずおず奥へ案内してくれる。どうも片倉のことを怖がっている。
奥の方に1坪くらいの小部屋とやや大きめの部屋とがあった。小部屋の方は備え付けの台と椅子があり、台の上にコードの付いたヘッドギアに似たものがあった。バーチャル用ヘッド端末だ。よこにティッシュの箱が無造作に置かれている。なるほど、そういうことか。そこは自分で処理しなければならないわけだ。
やや大きい方の部屋はベッドくらいの大きさのカプセルがあり、蓋が開いていた。この中に入るのだろう。カプセルの蓋の内側にモニターが付いている。フィルムモニターを貼り付けたものだ。店長はまずカプセルの端にあるスイッチに触って起動すると、次にモニターに触った。画面が点いて、案内の女の子が映し出される。
『いらっしゃいませ。どの子をお選びいたしましょうか?』
と可愛い声で言った。
店長は無言でピッピッと触り、画面を変えていく。やがてずらーっとアニメキャラ風の女の子の顔が並んだ。横に次の画面への矢印もある。
「これがアニメ風の女の子です。1つに触るとですね」
と触ってみる。画面が変わり、女の子の水着を着た全身像が現れ、横にBWHや趣味などのプロフィールが表示される。出身地とか性格とか、ちょっとしたエピソードもあったりする。それ自体はバーチャルでも設定はリアルさを追求しているわけだ。
「ははあ、なるほど」
「中に入って蓋を閉めると、モニターが目の前に来ます。女の子を選んだあと、プレイメニューを選びます。スタートを押して、頭の所にある装置をかぶります。あとは反応ゲルが出てきてカプセルの中を満たしてくれます」
「そのゲルがプログラムに合わせて体に刺激を与えてくれるわけですね」
「そうです。これで結構リアルに体験できるんです」
「終わったあとは?」
「ゲルが吸い出されてシャワーになります。そのあと外に出て終わりです」
「そのゲルって高いの?」
店長は片倉の方をチラッと見てから、
「いえ、プログラムに合わせて反応する誘電化剤とか言うのが混ざってるんですけど、大量生産品なんでそれ自体は安いんです」
「プログラムのほうが高いんじゃねーかな。詳しくはしらねーけど」
片倉が言った。
「そういえば、プレイメニューとおっしゃいましたけど、それは?」
「ある程度ゲーム性を持たせてあるんですよ。メイドキャラだといろいろ命じたり、妹キャラだと兄妹設定で会話したり」
結局は、そういうパターンになるらしい。アンドロイド相手がリアルなのに対して、バーチャルはアニメキャラ風など嗜好にもやや二次元的な要素がある分、幅は広いわけだ。
「前のバーチャルは、こういうのじゃなかったんだけどさ、今度のはちょっとおもしろいものだったんで入れたらしいよ」
片倉が言った。
「なあ」
「は、はい、そうです」
と店長。
「このゲルのやつですか」
「そう。試したやつが気持ちいいって言うんでね。前のタイプを置いてある店もある」
「前のやつってのはどんな?」
「ウェットスーツみたいなのを着るんだ。それでバーチャルに合わせて刺激するんだよ」
「それをゲルに」
「ゲル風呂の方が面倒があまりないし、清潔を保てるからな」
店を出ると、何となく青空がまぶしく感じられた。
「あとは人間のサービスですか」
「そうだね。今の時間だと一部の店しか動いてないから、その店に案内しようか」
「ここは夜の方が多いわけですか」
「昼間っからのサービスは少ないよ。ただ、高齢者用とSMの店舗はどれも昼間っから夜までやってるけど」
「それはまたどうして?」
「高齢者は相手の事情にあわせているのだろうけど、SMの方は時間がかかるからだな」
「なるほど。それ以外は夜からと」
「大体はそうだね」
まあ、人間がサービスするのが一番普通のサービスであろう。昔から変わらない。
そう思って、案内されていった店は『目黒マリオン』という名前だった。「フレッシュ・ヘルス」という業種で、まあ、言うなれば、アンドロイドやバーチャルじゃなく、生の人間がやってるヘルスですよ、と言う意味らしい。
まだコンパニオンの女の子たちはほとんどは来てなかったが、来ている女の子もいた。早めのローテーションなんだそうである。
まだ着替えていなかったので、控え室みたいなところで話を聞いてみると、意外なことがわかってきた。
「エッチしない人がいるんですか」
うん、とみるくと名乗った20歳くらいの女の子はうなずいた。
「お話だけして帰る人とか、結構多いですよ」
「それで満足してるんですか?」
「してるみたい。うれしそうな顔して、また来るよーとか言ったりして」
それから思い出すような表情をして、
「結構、会社とかでつらいこととかあるんじゃないのかなあ。人間関係うまくいってなかったりするんじゃないかと思うことありますよ。もちろん、エッチしていく人もいますけど、ただ抱きついているだけの人とか、膝枕でなでなでだけとか、そういう人見ると逆にこっちもサービスしてあげようって気になるんですよねー。まあ、生尺くらいは、いいかなーって」
母性本能でもくすぐられるのだろうか。
疲れ切ったサラリーマンなんかにとっては、女神さまみたいなものなのかも知れない。
「最近はアンドロイドとか、バーチャルとか増えてるけど、どう思う?」
「んー、人それぞれって言うやつかな」
「そう言う趣味の人を変だとか思わない?」
「思わないですね。うちに来ないのは残念だけど、もしかすると、人を相手にするのが苦手なのかなって思うし」
「そうかあ。みるくちゃん、けっこう優しいんだね」
「へへへ」
「口説いてるつもりかしら」
岩坂が耳元で言ったのでまたもびっくりしてしまった。ささやくように、
「英介くん、お仕事」
「意見を聞いただけですよ、もう」
みるくちゃんは、岩坂を興味深げに見ている。
ここはあまり最新技術はないかな、と思っていると、片倉から意外な話が出た。
「店によってもサービスはいろいろだけど、本番中出しありの店だと、避妊薬とか避妊用ゼリーを使ったりする店はあるね」
「えっ、そこまで。子供が出来てしまったりなんてことあるんですかね」
「まずないね。避妊のための薬や器具は完備している。避妊技術は完璧だよ。それに、ここは全体で契約している病院があるんで、定期検診もしているし、衛生的にも問題はないわけさ。妊娠よりもむしろ、感染症のほうが怖いな。感染者が出ると一発アウトだからさ」
そこを強調して言った。政府ににらまれるのを警戒しているらしい。
「それに生体医療の分野で、彼女たちの再生治療も行っているから、お客さんにも評判はいい。あまり使い込んじゃうと、その部分も、ほら、変わっちゃうじゃない」
何となくぼかした言い方をしたが、大体は想像付く。
「その再生治療を行っている病院とか教えてもらいますか」
片倉はちょっと警戒のそぶりを見せる。
「いいけど、取材するの?」
「まあ、ちょっと話を聞くだけです。それに再生医学の分野は他の方面も絡んでますからね。そっちのネタも聞きたいし」
「うーん……」
「名前は伏せておきます。もちろん、こちらのことも」
「そう? ……ならまあ、教えてもいいけど」
としぶしぶという感じで病院を教えてくれた。ヤミ医者というわけではなさそうだ。
その他の女の子にも何人か話を聞いたが、それは新しい技術とか言うのとは関係なく、至極普通の風俗逸話であった。これはこれでおもしろいので、また別の機会にどこかに売り込むかしよう。
取材も一通り終わり、片倉とも別れて帰ろうかと目黒橋とは反対の方へ曲がった時、さっき話を聞いたコンパニオンの女の子みるくちゃんが追いかけてきた。
「あのお、ちょっと聞いてもいいですか?」
「なに?」
「警察とかがこの街の一斉摘発とかやるって話聞いてませんか?」
「一斉摘発?」
僕らが新聞社から来たと言うので、そっち方面の情報に詳しいのかと思っているらしい。
「聞いてないけど、なにか気になることでも?」
「うーん……」
とみるくちゃんは、辺りを見回して、
「実は、わたしの所に来たお客さんで、お役人さんだと思うんだけど、変な話したんです」
「話? どんな話?」
「その人、40代半ばくらいかなあ。なんかいろいろあったらしくて、すごい疲れているって言うか、ふさぎ込んでる感じだったんだけど、いろいろサービスしたら元気になってきて、あ、元気って、アレのことじゃないですよ」
「わかってるよ、それで?」
苦笑しながら聞く。
「それで、その、独り言みたいな、わたしに言っているような、よくわからない口調だったんだけど」
「うん」
「働いている職場で、何か大きな計画があって、それに振り回されて大変だとかなんとか」
「大きな計画……」
「それが、わたしたちとも関係があるとかそんなこと言ってたんですよね」
「君たちのお仕事と?」
たぶん、とみるくちゃんはうなずいた。
「それって、警察とかの関係じゃないんですか? わたし、この仕事好きなんです。世間から見ると変かも知れないけど、男の人たちが安らいでいくのを見ると、なんかうれしいんです。エッチなことも好きだし。だからわたし、この仕事やめたくないんです。それにあまり警察のやっかいにもなりたくないし」
「大きな計画か……」
風俗に関わる計画だったら、一斉摘発とかかも知れないが……。
何か少し違う気もする。摘発なら、計画とかいう言い方はしないんじゃないか。
「そんな話は聞いてないけど、その人の名前とか、肩書きとかは覚えている?」
「んー」
とみるくちゃんは考え込んで、
「オクノさん、だったかな。オクなんとかだったと思うけど……」
「お役人だというのは、どこのお役人?」
「えーとねえ、たしか厚生労働省……」
「厚生労働省?」
「だったとおもうな。課長さんだとか言ってたよ」
うん、たぶんまちがいない、とみるくちゃんは言った。
課長か。会社の課長ではなく、省庁の課長なら、かなり偉い人間だとみていい。すると、何か省庁に大きな計画があると言うことになる。
「内務省や警察庁じゃないのなら、風俗の摘発だとかじゃないと思うけどな」
「でも、その……厚生労働省って、私たちの仕事もみているんでしょ?」
「そうだね」
「だったら、やっぱり摘発とかじゃ……」
「わかった。もし何か耳に挟んだら、君に連絡してあげるよ」
「ほんとですか?」
みるくちゃんはパッと顔を輝かした。
「君のメールか携帯のアドレス教えてくれる?」
「はいっ」
彼女は携帯を出してアドレスデータを対向リンクしてきた。お互いに登録し合う。
「それじゃあ、お願いします。もし今度うちの店に来る時があったら、わたしを指名してください。うんとサービスしますね」
そう言って彼女は手を振りながら駆けていった。
見送っていると、
「よかったじゃない。サービスしてくれるってー」
岩坂が顔を近づけて言った。
「ちょっと、耳に息を吹きかけないでくださいよ」
「アラ、照れちゃって」
「誰が照れとるかっ」
僕らは歩き出した。
歩きながら、少し考え込んだ。
バーチャルだのアンドロイド相手だのの風俗はずいぶんと盛んなようだが、その一方で普通の女性が相手してくれる風俗の方は、性行為もないまま帰る客もいるというのだ。単に性欲を処理するという意味と、人間関係という意味で、風俗には存在意義があるのだろうが、いずれにしても、通常の人間関係ではない。生身の女性が相手をする風俗ですら、彼女たちは一種の女神さまであって、ある意味母親代わりなのだ。男女関係というのとは明らかに違っている気がする。その意味ではバーチャルと同じだ。
「子孫繁栄」という意味で、元々風俗というのはそこからかけ離れたものだけど、それを頼ってくる男の数の多さを考えれば、普通の男女関係すら、成立しなくなっているのだろう。女性の方はこう言う実態をどう思っているのだろうか。
子供の数はますます減っている。出生率は1.1を割っていると聞いているが、人口も減少し始めていた。09革命の主題も、実はそこに大きな比重があると言われている。高齢化社会を支える財源や社会制度、雇用体制などをどうするか、その問題が構造改革の必要性を高めている。
僕自身がそうだが、周りにも独身の人は多い。子供のいない夫婦も多い。政府も、いろんな機関も、様々な団体も、出生率を高めるための方策をいろいろためしているが、ほとんど効果がないようだ。人々の間で、子供を作りたい、という気持ちがわかなくなってきているように思える。
その一方で盛んな性風俗。これは単に一端であって、自宅でネットメディアの映像だのを見ながら自慰にふけるのだって、男女関係をなくしたバーチャルセックスの一種だろう。
アンドロイドもあの値段なら、一般にかなり出回っているのではないか?
それがどれだけの規模で行われているのか。
これまでの何万年か続いた、結婚して、子供を産んで、と言う男女の関係は終わりに近づいているように感じてしまう。
人間関係が崩壊しつつあるような、人類の未来に対し、ちょっと切ない感じがした。
人類はもう、黄昏の時代に入り始めているんじゃないだろうな。
このテーマ、もう少し突っ込んで調べてみてもいいかも知れない。
「あら、ミカコじゃない?」
僕の思考を突き破るように、明るい声が聞こえてきた。
向こうから歩いてきた赤い髪の綺麗な女性が驚いたようにこっちを見ている。その視線は岩坂の方に向いていた。
「あらー、エリ? ひさしぶりー」
とハスキーボイスで名前を呼び、岩坂はその女性に近づいた。動きは女性らしいのだが、声と見た目が合ってない……。
それにしても、
「ミカコ?」
僕は首を傾げた。ミカコとはなんだ?
2人はなにやら盛り上がっている。
エリとか言う赤毛の女性は僕を見た。
「そちらは、どなた?」
「彼はエリンターの市来英介君」
「可愛い子じゃない。あなたの新しいお相手?」
相手だって? 僕は慌てて首を振った。
「やだあ、違うわよ。悪いけど彼はノーマル。私の相手は無理よ」
「そうか。そうよね。じゃ、今日はなに?」
「取材なのよ。この街のね」
「そっか。新聞社にいるんだったね」
「あのお、そちらは?」
僕は声をかけた。
「ああ、紹介するわ。彼女は白井エリ。私の高校時代の同級生なのよ」
「どうも、はじめまして」
「よろしくね」
片手を肩の上あたりまで挙げて軽く挨拶した。
「彼女はアンドロイドのモデルよ」
「モデル? 顔の?」
くすっとエリさんは笑った。
「顔もだけど、基本的には体格ね。体のスキャンを取ってそのまま製造ラインにデータを送るの」
「アンドロイドって、オリジナルに設計しているわけじゃないのですか」
「そう言うのもあるんだけど、マヌカン用も、風俗のも、人間モデルの方が評判いいのよね。なぜかわかんないんだけど」
「へえ」
「にしても、ミカコ、変わってないわねえ」
「努力してるからよ」
と岩坂はポーズを付けた。
「すみません。その、ミカコってのは?」
「あら、彼女の名前じゃない」
「名前? えーと、源氏名ですか?」
一瞬きょとんとなったあとで、エリさんはぷっと吹き出した。
「やだ源氏名って、ミカコ、あんたお店とかでてるわけ?」
「そんなわけないでしょ。私は素人よ」
「いや、彼、岩坂柳一郎って名前ですよね」
僕が聞くと、
「それは彼女のタチネームでしょ」
「タチネーム??」
岩坂は僕をちらっと見て、それから困った表情になった。
「彼には言ってないのよ」
「あ、そうなんだ。それじゃわかんないか」
「なんのことです?」
「彼女はね……」
エリさんは教えようとして、ちょっと口をつぐみ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「彼女と私、同級生って言ったでしょ」
「ええ」
「高校の同級生なんだけど、その高校はね、秀華女学院高等部なの」
「へえ、お嬢様学校じゃないですか……、って……え?」
エリさんは、ふふん、とおもしろそうに笑った。
「あの、え? 女子高出身って……」
僕は岩坂を見た。女子高出身?!
「わかった? ミカコは本名。岩坂ミカコ。彼女は女性よ」
「じょ、女性って……」
どう見てもオカマじゃないか。声だってハスキーだし。
「ど、どういうことです……?」
岩坂はため息をついた。
「あまり言いたくなかったんだけど。英介君には変な目で見られたくなかったし」
「まずかった?」
とエリさんが言った。
「いいわよ。どうせいつかはばれるだろうし。わたしね、ダブルなのよ」
「ダブル?」
「両性具有なの」
「りょ……、それって」
「元は女よ。でも今は両方付いてるの。整形でバイオ部品を付けたわけ」
「じゃ、じゃあ、えーと、性転換? い、いや、タチって言ってたから、あれ? レズビアン?」
「違うわよ。ダブルって言ったでしょ。ダブルセクシュアル」
「知らないの?」
とエリさん。
「しりません。なんの話ですか」
「両性具有同士の関係よ。レズでもなくバイでもない。両性具有同士でセックスすることよ」
僕はあんぐりと口を開けた。
「ただ、私の場合、ちょっとタチ役のケがあってね。ダブルでもキャラとしてはタチ役とネコ役があるから。ほら、ダブルの性格上、元が女の場合が多いし、私もともと男っぽいからね」
「高校の時も下級生から人気あったのよねえ。バレンタインとか山のようにチョコが」
やめてよ、と言いつつ岩坂はかっこよくポーズを作った。確かに、岩坂は太っているわけではないし、よく見ると顔立ちもそんなに悪くはない。髭を剃り、髪を整え、スーツを着て、黙って立ってれば、そこそこ見栄えもするだろう。
「で、でも、どうしてそんなオカマキャラで」
「失礼ねえ。これも演出なのよ。私も気に入っているんだけど」
男性ホルモンだって飲んでいるのよ、と岩坂柳……いや、ミカコ嬢は笑った。
「そ、その、両性具有ってことは、男性の方のものも付けたわけですよね」
「そうよ。見てみる?」
とベルトに手をやった。
「やだーミカコ、ここで見せる気ー? 変態ー」
とエリさんは笑い転げる。僕は丁重に遠慮して、
「それって、き、機能するんですか? その、ぼ……」
何となく言いにくい。岩坂ミカコ嬢はあっさりと、
「勃起ならするわよ。神経もつなげてあるし。大体ダブルはお互いの膣に入れあうわけだから、立たないと意味無いし」
頭がくらくらした。昼間の街角でする会話じゃねえ、と思った。
「まさか、射精もするんじゃないでしょうね」
「精子は作れないわよ。睾丸無いもの」
「で、ですよね」
「ただオプションで、無害な液を溜めておく疑似睾丸を付けることは出来るわ。液は外から注入しないと行けないけどね。神経をつなげて、ちゃんと機能するようにするの。射精感がある方が、より気持ちいいって言う人多いのよ、ダブルには」
「そ、そうですか……」
なにを言っていいのやら見当も付かなかった。
用事があるというエリさんと別れて、雑居都市群を結んでいるライトレールの停留所へ向かう。
「編集長とかご存じなんですか?」
「ダブルだってこと? 知ってるわよ。四方田さんと高木さんもね。でも、弥生ちゃんは知らないわね」
「でしょう。知ったら気絶しますよ」
「あら、意外と共感してくれるかもよ」
僕は彼女がオカマっぽくなるのを想像して身震いした。
「冗談はよしてください」
「私、冗談言ったつもりないけど」
じろりと僕をにらみ、それから、可笑しそうに笑う。確かに、こうしてみると、どこか女性っぽい、姉御肌で明るい性格の女性って感じがしないでもないが……。
いや、それにしても、この見た目はヒゲ跡の残るオカマさんが、実は遺伝子的には女性で、整形でフタナリになって、ダブルとか言う特殊な性癖を持ってて、しかもなぜかオッサン風に自分を変えているタチ役だという、こんなややこしい人だとは、想像も付かなかった。人は見た目では全く判断できない。
「どお? 安心したでしょう?」
彼……、いや、彼女が、僕の肩に腕を乗せて言った。
「な、なにがですか?」
「わたしのことよ。わたし、同じダブルの人でないと駄目なわけ。露骨な言い方すれば、入れるのも入れられるのも両方ないとダメなのよ。だから、英介君にちょっかいは出さないから大丈夫」
「は、はあ……」
「でも、ちょっと惜しいかな。英介くん、好みの顔立ちだし」
「いっ」
彼女は楽しそうにハスキーボイスで笑った。
「それで、あの、これから岩坂さんのこと、なんと呼べばいいんですか?」
「今まで通りでいいわよ。岩坂さんでも柳一郎でも。その名前で通しているし」
「はあ……」
とにかく、この人のことが、本日最大の驚きかも知れなかった。
そのため僕は、ついいままでの人類の未来に感じていた切ない気分が吹っ飛んでしまった。
いや、むしろ未来はどうなるのだろう。
しかも、驚きながら、それを絶対に否定する気持ちがわかなかった。僕も、こう言うなんでもありを受け入れる基礎ができあがってるのだ。
それが一番ショックだった。
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