第83話
「ルーフェン・シュア。そいつが、このお話の黒幕だ」
一つ、ふうとティアフが息を吐く。
昔話は、それで終わりのようだった。一言一句ヴィントの明かした通りではないのだろうが、彼とアルモニカとの関係はおおよそ掴める内容だった。
が、晴れていない疑問も多い。しかもここに来てルーフェン・シュアの名前が出てきた。ベリオール・ベル唯一の医者にして、ゴングを裏で操っていたとされる人物である。
「ルーフェンはヴィントに、こう言ったそうだ」
曰く。
おまえは同僚殺しとして光聖に追われている。この街に潜む光聖は、潜んでいるから手を出してこないだけで、引き渡してしまえばそういうわけにもいかなくなるだろう。約束を果たしたいのなら協力しろ。あの忌々しいシスターを殺せるのなら、おまえの好きにしてくれて構わない。
「ヴィントは、それを呑んだのか?」
「ああ。何でも、セイバーとしての力ってのは不思議なもので、光聖の内にいて、“セイバーとして正しく活動していなければ失われていく”んだそうだ。何年と光聖を抜け出ていれば、鬼とまで称されたヴィントでも現役のセイバー数人とまともにやり合っては勝てるかどうか。ヴィントはやつに協力するしかなかったんだよ。ゴングと組んで、“よりにもよって野に下ったセイバーに守られている”シスター・アルモニカの略取を請け負うのが、一番に確実だった」
魚心あれば水心。ヴィントを取り込もうとしたルーフェンの思惑も、まさにそこにあった。手足であるゴングの力量を計った上で、たった一人のセイバー・アールエンを突破できない可能性を考慮したのである。敵は規格外の戦力足るセイバーだ、相手にするのなら同じだけの
「引いちまった」
図ったような来訪。土壇場での強い引き。ルーフェンにしてみれば天恵にして天啓だった。吸い込まれるようにして必勝の手札が揃う、シスターを排除する時がとうとうやってきたのだ、と。
その強運が幸いしたのか、ゴングはシスターの略取を無事に成功させてしまった。アールエンを消耗させるのみで終わるはずだった最初の作戦、ヴィントへと繋ぐだけの捨て身の奇襲で、“あろうことかアールエンを倒せてしまった”のは完全な誤算だった。
「でも、嬉しい誤算だろ? 何の問題もない」
「だから欲が出たんだろうと、ヴィントは言っていたよ。今の手駒ならセイバーを倒せる、それを立証できれば、ルーフェンは世界で初めて“セイバーに匹敵する戦力を保持する”ことになる。街医者には過ぎた名誉、この世の誰もが成し得なかった偉業が目の前にあったんだ」
「あいつら、だからヴィントを裏切ったのか。セイバー二人を殺したとなれば札付きになる」
「ただ、誤算はもう一つあった。
俺がベリオール・ベルに滞在し、シスターの側についていたのは全くの偶然。それも、人類の仇敵であるマイナーが徒党を組んでいるだなんて、相手からすれば通り魔に遭うような想定外である、防ぎようがない。
それでもあえてルーフェンの非をあげつらうとすれば、自身が切り札を手中に収めたのなら、相手もまた同等の切り札をうっかり手中に収めていた可能性を考慮しても良かった、という詰めの甘さだろう。自分だけが強運に恵まれたと考えるのではなく、故に同等の強運が相手にも起こっていると仮定した上で作戦を立案していれば、今回の事件はもっとルーフェン側に傾いた結果で終わっていてもおかしくなかった。
例えば、俺がマイナーであると披露するまでにゴングとヴィントが協力関係にあったなら、力を合わせて俺を無力化した後に、ゴングがヴィントとアールエンを始末してしまう漁夫の利展開だって有り得たのだ。これなら、ルーフェンたちはセイバー殺しの称号を得られる上、セイバーよりもたちの悪いマイナーとの直接戦闘も避けられたはずである。
復活した俺の振る舞い次第では、結局“
……まあ、どれもこれもが過ぎた話。
しかし、欲をかくことがなければもう少しマシな結末を迎えられたかも知れないという意味で、この一件は教訓めいてもいた。人間は神妙であるべきらしい……とは言うものの。
「最後にはやつの思い通りに事が運んでる。皮肉なもんだな」
ルーフェンの当初の狙いはシスター・アルモニカの抹殺だった。その役割を、巡り巡って俺が請け負う形となっている。謀略を巡らせていた当の彼奴にだって、こんな終わり方は想定できていなかったに違いない。アルモニカがスケアリーランスであることを知っていたにせよ知らなかったにせよ、それが俺に歯向かって返り討ちに遭うところまでを計算に入れていたとは考えにくいのだ。
仮にそこまで読み切っていたのだとすれば、なぜ、ゴングが壊滅するほどの犠牲を払ってまで俺たちの逃走を阻止しようとしたのか。スケアリーランスを俺に殺させる算段なら、その俺を取り逃がしてしまうまでが作戦の内だったはず。あそこで全戦力を切る意味はどこにもないし、その行為自体が“俺たちを逃がすつもりなど毛頭なかった”ことの証左ではないか。
だから、その後に起こる全て……俺たちを逃がした後の全部がルーフェンとゴングの手を既に離れていた。今この時は偶然の産物。あまりに大きく全容の知れない運命の輪によって、だれそれの思惑とは全く関係のないところで事象が積み重なり、勝手に収斂していった。
これが結果だ。分岐点はいくつもあったが、もはや覆しようがない。
「で、おまえはどうするんだ」
その結果を前にして、アールエン・セイルグリュンは立ち尽くしていた。マイナーと手を組んでまで助けた
不可思議な反応だ。まさか、その命が血となってどくどくと漏れ出ていることに気付いていないわけでもあるまい。放っておけば確実に死ぬ、その現実に気付いていないわけでもあるまい。彼女の“アル”に対する熱の上げ方からすれば、その身を刺し貫く俺には問答無用で食って掛かってきても何らおかしくはないのに。
「なぜ、止めない」
アールエンは応えなかった。彫刻にでもなってしまったようである。答えるか否か、何を話して、何を語らないのか。アールエンの沈黙は、それらの整理に必要な時間であるように思われた。催促は無駄だと分かる、待つ他にない。
「……わたしを見て言ったよ」
唐突に。
「“ヴィントはどこ”って」
アールエンはそんなことを言った。一瞬、何のことかと困惑させられたが、ここで口にする言葉の主として考えられるのは一人しかいなかった。
「スケアリーランスがそう言ったのか?」
「ああ。叩き起こされたような気分だった」
しっかと地を踏んでいるのとは打って変わって、漏れ出る言葉は夢のように浮ついて不確かだ。叩き起こされる、という比喩も要領を得ず、無暗に霧の深くへと分け入るかのようである。
「こいつ、喋れたのか」
「確かに聞いたんだ」
「……どうも、信じられないな。どうなんだ、ティアフ」
心播とは何かと聞くよりも前にティアフが話を進めてしまったので、とりあえず、会話の続きを待つことにした。聞いていれば、自ずとその言葉の意味も知れるだろう。促されて、逆らわず、アールエンが語り出す。
「一つ、謎が解けたんだ」
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