第81話
「ふざけるな」
「ふざけてないよ。ほんと、どうしてだか」
アールエンが顔をしかめる。身体が存分に動くのなら、その腰に剣が無事で提がっていたのなら、今頃は俺の首を撥ねていてもおかしくはない、そんな剣幕だった。
生憎、彼女の剣はヴィントに砕かれて今はなく、盾も吹き飛ばされてそのまま町にあるはずだった。鎧は、その時の戦闘で壊されている。今のアールエンには装備らしい装備がなく、ただ、岩のように大きく厚い身体だけがあった。十分に威圧的かつ、
「わたしを殺すためか?」
「違うな。理由がない」
確かに、魔者を殺すためのセイバー足るアールエンと、俺たちに牙を剥いて襲い掛かって来るスケアリーランスの存在は、言わば旅の障害、降りかかって来る火の粉であり、立ち塞がる壁である。安心して旅を続けようとするのなら、払い、壊さなくてはならないし、なれば二人ともが疲弊し、弱っている今こそが千歳一隅の機であるには違いなかった。
だが彼女らは、目くじらを立て、執拗に狙い、命まで奪わなければならないような障害足り得ているだろうか? 理性のないスケアリーランスはともかくとして、セイバーのくせに俺を見逃したアールエンは事情が特殊、おそらくは放っておいても害にならない。
無害なものをわざわざ殺す必要はどこにもなかった。むろん、食って掛かって来るというのなら別だが。
「おまえは、それをしない」
「……」
スケアリーランスを横目に見ながら、アールエンが沈黙をもって答える。俺は、そのアールエンの応答にこそ……否定しない態度にこそ自らの心の内を見出したように思えた。
「そうだ、それをしないから、俺はおまえを待ってたんだ」
「何?」
「聞きたいことが山ほどある。そうだよな、ティアフ」
油断なく、ティアフはアールエンを睨んでいた。すっかり腰を下ろしてあぐらをかいているが、何かあれば即座に動けるよう気を張っている。相手はセイバーだ、手負いだろうと疲れていようと、
ティアフはその姿勢のまま、俺の話が聞こえていなかったかのように押し黙っていた。切り出す言葉を選んでいるのか、ただタイミングを計っているだけなのか。深謀遠慮、難しい表情をして固まっているティアフの手の内はとても読めたものではない。
俺もアールエンも、その沈黙に水を差すような真似をしなかった。そうして、たっぷりと時間を使い、ティアフはこう問うのだった。
「ヴィントはなぜ、死んだと思う?」
「……ヴィント? あの、セイバーの男が、何だ?」
「おまえと同じ思いで死んでいったと思うか?」
唐突だった。
面食らったアールエンが質問に質問を返してしまったのも頷ける。直接問われたわけではない俺ですら、おそらくは間の抜けた顔をしてティアフの方を見たことだろう。
俺はてっきり、ベリオール・ベルのセイバーが魔者を見逃す異常事態について問いただすのだとばかり思っていたから、ヴィントの名前が出てくるなんて露ほどにも考えていなかったのだ。
様子を伺う限りは、アールエンも同じだったようである。ティアフがなぜ“あの男”の名前を出したのか、その意図を把握しかねて、答えに迷いが映った。
ティアフは続ける。
「答えろ。おまえから見て、ヴィントの死に様はどう見えた?」
「……そんなの、どうでも良いじゃないか。大体、それがどうしたって言うんだ? 仮にわたしと同じだったとしても、多分、……多分、それはおかしなことじゃ……」
あの二人が自分たちと似たような関係であったと認めたくはないのか、アールエンの回答は歯切れが悪かった。代わりにティアフが、“そう、おかしなことじゃなかったんだ”と、後を引き継いで言葉を補った。
「ヴィント・エーナス。元々は光聖できちんと働いていたセイバーらしい。中じゃそれなりに名も売れていたようだよ。おまえ、知らなかったのか?」
「聞いたこともない」
「ふーん。他人に興味がなかったのか、それとも、“その頃からアルモニカにぞっこん”で周りが見えてなかったのか?」
「……どこで聞いた? どうしてそれを知っている?」
「はは。今わの際の人間はお喋りなんだよ」
名前を出さないだけで、誰のことを示しているのかは明白だった。アールエンが知らないということは、彼女が追いついて来るまでの間に聞きだした話、ということなのだろう。
「シスター・アルモニカ。本名をアルモニカ・ヤナシン。光聖の中じゃ音に聞こえた英傑、セイバーの中のセイバーであり、聖女の内の片翼だ。名前ぐらいは聞いたことがあったけど、まさかこんな場所に転がり込んでいるなんて思いもしなかった。全く、結びつかなかったよ」
自然、全員の視線がスケアリーランスへと注がれる。死は着々と迫り、逆転の目が薄くなっていく、その存在が滅ぶまでにはまだ時間がかかりそうだった。その、二つある顔の内の一つが、口の端から血を漏らして青ざめるシスター・アルモニカのそれであった。
今や変わり果てた姿だが、しかし、そうであればなおさらティアフの言葉は信じ難いものだった。
「このシスターが、……セイバーだって?」
「ああ。戦乙女とも呼ばれてる。槍の達人にして治癒魔法の熟練者。最前線に立ち、攻撃と回復を同時にこなす稀有な才能をもって、対魔者との戦闘において多大な貢献をしたセイバーだよ。彼女の舞う戦場では、セイバーは誰一人倒れることなく、敵を殲滅するまで戦い続けるのだとか。半分ぐらいは眉唾だと思っていたけれど、ヴィントによれば全部本当なんだって。なあ、アールエン?」
目を伏せ、ぴくりとも動かず、アールエンが返したのは沈黙だった。
「ヴィントは、そのアルモニカと恋仲だったそうだ。アルモニカの願いから秘密にされていたが、それはセイバー全体の志気を落とさないため。聖女と謳われたアルモニカは、言ってみれば“
「そんなすごいセイバーが、どうしてシスターなんてやってるんだ? それも、あんな廃れた場所で」
「ヴィントにもそれが分かっていなかった。ただ、あいつは自分のせいでアルモニカがこんなことになってしまったんだと、そう思っていたようだ」
「何かしたのか」
「いいや、“何もしなかった”のさ。ヴィントはアルモニカの願いに背いたんだ」
「願い……」
黙って聞いていたアールエンが、願いの言葉に反応して声を漏らす。
「内容は単純、アルモニカは死を願った。愛するヴィントと共に死ぬことを願ったんだ」
それは、こうなるより以前の柔和で、慈悲に満ちたシスター・アルモニカの様子からは想像もできない嘆願だった。死にたいなどと口にすれば、きっと彼女は説教を始めるだろう。よほど、そっちの方がお似合いである。だから。
「アルが、そんなことを願うわけ……」
と、アールエンが否定する気持ちも良く分かった。
「そうだな。これはヴィントが言っているだけだ、今や確認のしようもない」
「肝心のヴィントが死んでいるんじゃあな。……いや、けど、ここでスケアリーランスを殺さずに生かしておけば、いずれシスターに戻るんじゃないか? だったら、その時に聞けば……」
「無駄だろう。おそらく、シスターは記憶を失ってる。違うか、アールエン」
特別に否定するような素振りは見せなかったものの、頷くこともなかった。質問が質問である、否定しなければ肯定したのと同じことになってしまうのを分かっていて、彼女は口を開かなかったのだ。答え難い事情でもあるのか、それには何となく察する部分もあった。
ヴィントとアルモニカは恋仲だった。しかし今、ベリオール・ベルで一緒に暮らしていたのはアールエンである。その変化にはシスターの記憶喪失が関わっていると考えるのが自然だろう。記憶の有無を境にして、アルモニカには二つの顔があるわけだ。セイバーであったアルモニカと、シスターであったアルモニカ。時系列で言えば彼女は元々ヴィントの手元に収まっていたのが、何かのきっかけでアールエンと寝食を共にするようになった。アールエンは二人目だ。それも、アルモニカ本人は記憶喪失を起こしていた上に、ヴィントがセイバーとしての立場をまるで無視して奪いに来たところを見る限り、その別れも決して円満であったとは考え難い。
ということは、アールエンとアルモニカの関係も、おそらくはまともなものじゃないのだ。この際、入れ込んでいるのが異性ではなく同性だという異常はどうだって良い。大切なのは、少なくともヴィントにとっては関係の終わった人間ではないはずのアルモニカが、記憶を失ってアールエンと仲睦まじく居た、ということ。
まるで、“記憶喪失につけこんでアルモニカを奪取したかのよう”に見える、その異常さ。
「これを紐解こうにも、話が飛び過ぎててちっともわけが分からない。肝心要、そもそもとして、腕利きのセイバーが記憶を失くし、その上“光聖の手を離れている”ってのがどうも解せない。こんな魔者へと姿を変えるに至った経緯にも興味はあるが」
傍目にはもう、その
多分、アルモニカのこれまでの変遷、その数奇な人生を知るに欠かせないのは、そんな
不明瞭なことが多すぎるのだ。
なぜ、アルモニカはこんなことになってしまったのか。
なぜ、ヴィントはアルモニカを追いかけていたのか。
なぜ、アールエンはアルモニカと一緒にいたのか。
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