第80話

【――――――――――――――――――――…………………………………………………………】

 爆発も明滅もなく、しゅんと、風が吹いてろうそくの火が消えるように、スケアリーランスの放っていた光が歌と共に失われた。

 今か今か、やつの肉体を穴だらけにしてやろうと迫っていた触手の群れが、砂糖菓子に群がるアリのごとくに殺到する。

 まさに決壊。堤防を超え、砕き、雪崩れ込む触手の大波が、槍を持った兵隊が一人の敵を囲んで次々に突き出すように、スケアリーランスの身体を四方八方から串刺しにする。

 いくら相手が異形の化け物だと言っても、無数の触手で中空に磔にされる様は痛々しく、おぞましかった。

「終わった……のか?」

 歌が終わり、役割を果たした触手がとうとう動きを止めると、夜から音がなくなった。

 いつの間にやら近くまで戻っていたティアフが、その静寂に気を遣うように密やかに、悪魔的な光景を眺めながら呟く。実体がなくとも、俺がその辺りにいて、話せば聞こえると分かった上での問いかけだった。

「ああ。押し切った」

 答えながら、ティアフの側に自分の身体を再生する。

「押し切ったが、まだ死んじゃいない」

 触れている俺には良く分かった。死にかけだが、その肉体は未だに脈動し、生き長らえようとしていた。というよりも、“これでは死ねない”から生命活動を続けるしかなく、スケアリーランスの肉体は否応なく生き長らえようとしている、と言った方が正しいのかも知れなかった。

「これで死んでない?」

「根本的なつくりが俺と同じなのさ。致命傷って概念がない」

「なんだよそれ、斃せないってことか?」

「いや、怪我が死に直結しないってだけだよ。そいつの存在を保ってる生命力みたいなものがあって、それを全部吐き出すまでは死ぬことができないんだ」

「ああ……脳や心臓が止まったから死ぬとか、出血によるショックで死ぬとか、そういう死に方はできない、ってことか」

「そう。ここまで来ると、それはもう見かけとして生物っぽい形をしているだけの、まさに化け物さ。普通の生物なら一発アウトの脳や心臓の破壊に耐え、再生できるってことは、それらの存在そのものに器官としての……肉体を生かしておくためにある部分としての意味がないってことになる。それは、身体全部が脳や心臓の役割を果たしているとも言えるし、そういう一部の器官に生命維持を頼っている不完全な状態を止めた“肉”、“命”、要するに“生命力”の塊があるだけとも言える。どっちだろう、なんて話にも意味はないけどな」

「それが不死の概念、ってわけ。……で、スケアリーランスは死ぬのか?」

「このままじっとしていれば」

 ということは、厳密に言うのなら、こうして死に向かっている現在のスケアリーランスは結果として不死ではなかった。極端に死に難かっただけ。“肉体の大半を失ったのダメージで生命を維持できなくなる”のでは不死には程遠い。それぐらいの破壊を行う事象など、俺を含めてこの世にはいくらでもあるのだ。

 例えば、単純な破壊力ならカナタやヴィントの方が上だし、落雷や溶岩といった自然現象だって余裕で俺を上回るだろう。俺に殺されるということは、それらにも耐えられないということ。ありふれた死因を跳ね除けられなくて、一体何のための不死なのか。

「その点、おまえはきちんと耐えてきた」

「まあ、耐えるっていうのも少し違うんだけど。格好良く言うのなら、俺の不死は、“死の先に既に俺がいることが確定しているから、それが死には当たらなくなる”、って感じで」

「……何?」

「だからさ、俺は自分の意識の断絶を二度、経験してるんだよ。あれは多分、“死んだ”っていう感覚なんだと思う。でも、その後に生が待っているのなら、……目を覚ますのなら、その断絶は“眠りに落ちた”のと何ら変わりないだろ? 俺にとって今のところの死ってのは、その程度のものなんだ」

「うーん、分かるような分からないような。……でもその理屈、スケアリーランスには当てはまらないのか? もし当てはまるなら、まだ不死じゃないとは言えないんじゃ」

「あ」

 そりゃそうだ。

「あ、って、おまえなあ」

「復活するかどうかを確認する必要があるか。いや、それで復活されたら面倒だな。この場から離れることを優先するなら、死んだ段階でさっさと逃げるが勝ちか」

「追いかけて来るぜ、それ」

「不死に追いかけられたんじゃどうしようもない。見届けても見届けてなくても一緒だろ」

「そりゃ、まあ」

 不死に勝つ方法は一つだけ。斃すのではなく封じる。動けなくなってしまえば何百年生きていたって関係ないし、何の害も成せない。

 しかし今の俺たちには、スケアリーランスを封じる手段がなかった。正確に言えばあるにはあったが、とても現実的ではない。

「この磔を維持して殺さずにいれば封印と同じことになる。でも、それは磔のスケアリーランスを連れて歩くってことだからなあ」

 触手の攻撃力とスケアリーランスの回復力を均衡させれば良いだけの話だ。生かさず殺さず。不可能ではないし、決して難しいわけでもない。ただし、俺の意識の展開範囲に限界がある以上、もしその封印を施すのなら、スケアリーランスと俺とは一定内の距離にいなければならなかった。俺が移動すれば封印も移動する。磔にしたスケアリーランスをこれ見よがしに持って歩かなくてはならなくなる。

 目立つとか目立たないとか、そういうレベルの話ではなかった。どんなに趣味の悪い光景か、化け物の俺にだって理解できる。

 はっきり言ってドン引きだ。

「まあ、威圧感はあるな」

 気楽な感想である。その隣を歩くが自分だって、分かって言っているのだろうか?

「もちろん。だからこいつは置いていくのが正解。大体そんなの、光聖に探してくれって頼んでるようなもんだし」

 ただでさえ追われる身でありながら、これ以上に自分を喧伝して回ったって良いことなど一つもない。

 それもこれも、スケアリーランスが不死でなければ無用な心配なのだから、俺たちにできることは“不死でありませんように”と祈ることぐらいだった。祈り届かず不死だったとしても、追いかけてくるかどうかはまた別のお話。今回のことで懲りて、もう俺たちに関わることを止めてしまう可能性だってあった。確率は三分の一、決して大きくはない。

「ともかく、こいつが死ぬまでは動きようが――……おい、あれ」

「うん?」

 死に行くスケアリーランスを見守っていた俺の視界に、ふと動くものが映った。目の前のそれは暖かな血を延々と流すだけでぴくりとも動いていなかったから、俺が思わず声を上げてしまった何かは、もっとずっと遠くにあった。

 俺の視線を追って森の方に目をやったティアフも、それにはすぐに気づいた様だった。

「あれって」

「……アールエン」

 のし、のし、と歩いて来る一人分の人影。遠目にも、その女性らしい長髪と、女性ならざる巨体のシルエットが誰のものかは瞭然としていた。

 追いつかれれば厄介なことになる。分かっていながら、俺もティアフもその場を動こうとはしなかった。スケアリーランスを放せないから離れられない……なんて言い訳にもなっていない。スケアリーランスを連れて逃げることなどいくらでもできる、撒いてから殺してしまえば後の旅にも影響しない。彼女を待つよりもずっと善い案が脳裏をかすめるのを、けれど、二人ともが黙して、努めて見過ごした。

 全身を穴だらけにされ、宙に磔にされ、声の一つも上げることのない死に損ないオブジェが夜空を仰いでいる。その隣に、アールエンが並んだ。

 しゃんとした佇まいだった。だらりと力なく下がった右腕は内側から食い破られたかのように無残に破壊され、多量の血を流していたものの、怪我と言えばそれぐらい。気にもしていないようにしゃんとしているのに、無理をしている風ではなかった。俺が助けた時にそんな傷はなかったから、おそらくは俺たちが森を離れた後につけられたものなのだろう。

 誰に、とは名を挙げるまでもない。

「なぜ逃げなかった」

 問う言葉は重く、射貫く視線は鋭い。ただ、驚くほどではないにせよ意外な台詞だった。

「さあ、何でだろうな」

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