第79話

 閃きを呑み込む間に、スケアリーランスの再生は終わっていた。死なない魔者と死なない魔者。不毛な争いに再突入するかと思われたが、その気付き、閃きは、一向に次へ進みそうにない停滞を打破する鍵と成り得るのだった。

 それを確かめるために、俺はまたスケアリーランスに深手を負わせてやる。状況の再現リピート。双頭のハルピュイアは二つの口で全く同じ音を奏でながら、治癒術を発動して全身の傷を癒し始める。

 ……そうだ、やっぱり、“観察するだけの余裕がある”。鍵の見つからなかった錠前に合うそれを、やっとのことで手に入れた思いだった。

 “傷の治りが遅くなっている”のだ。言い換えるなら、魔法の威力が弱まっている。

 致命傷を難なく乗り越えてくる異常な生命力はいまだ健在だ。しかし、俺が行う再生のような……森の中でスケアリーランスが見せていた再生のような、一瞬の出来事ではなくなっている。普通なら死んでいるはずの状況を克服する非常識の範疇に留まりながら、それでも、常識の側に一歩近づいた超常。完治までの時間にして二秒程度だったが、“一瞬”に比べれば何倍も遅くなっていた。

 明らかな弱体。理由は不明だが、この気持ちの悪い変異に伴って聖属性の力を少しだけ失っている。

 まさしく僥倖だった。このまま決着のつけようがない戦いが始まれば、またアールエンの横槍に期待しなければならないところだった。しかし、彼女に抑えつけられていたスケアリーランスが、その束縛を解いてここにいるという事実を考えた時、先のように都合良くアールエンが駆けつけてくる展開は望み薄と言わざるを得なかった。アールエンを見逃してこちらに直行して来た可能性は、そんなに期待値の高い話ではない。

「ともかく、これで正面突破を挑む価値が出て来た」

 “魔法の威力が弱まっている”ということは、同時に機能していた“盾としての側面”も弱くなっている、ということ。つまりは、手出しのできなかった回復の妨害が可能になっているかも知れない。

 チャンスだ。回復と防御を同時に行う聖属性の治癒術を打ち砕く絶好のチャンス。妨害する隙も間もなく治ってしまう先の戦況では断念するしかなかった“物量に任せての全体破壊”を、今こそ試みる時である。標的はついに水中より出で、火が届くようになったのだ。

 スケアリーランスの回復が終わる。同時に、こちらの準備も終わる。自らの肉体を再生することなく、敵を中心にして囲むように展開された俺の意識。半球、ドーム状の意識は目視こそできないものの、ベールのようにスケアリーランスを包んでいる。そこからは肉が再生され、再生された肉からは触手が生まれる。全方位から繰り出される触手の怒涛がスケアリーランスの盾としての治癒術を貫き、薬としての治癒術よりも速く肉体を壊せればこちらの勝ち。逆に、いくら弱まったとは言っても、結局は聖なる属性の前に手が届かなければこちらの負け。

 自分の姿を再生しなかったのは、そのわずかな余裕さえも攻撃に向けるため。

 触手、つまりは点ではなく、壁のように面で肉を展開し押し潰す作戦を採らなかったのは、ただでさえ属性的に不利な状況では、薄い面よりも厚い点による集中攻撃でなければ突破できないと考えたため。

 風俗店の地下で、同じ聖属性による箱の魔法を“喰った”時とは、このスケアリーランスが使う治癒術とでは規模が違い過ぎる。同じ手が通用するとはとても思えなかった。

 ひるがえって、あの経験があったからこそ、スケアリーランスの治癒魔法は同じ手では破れないと事前に推し量ることができたのだ。

 一つ大きく、深呼吸。

 実体がないのでは“呼吸”など不可能だが、意識こころの中で思い描いて真似てみれば不思議と精神こころが落ち着いた。こればっかりは習慣だ、肉体をもって日々を生活している以上、気を落ち着かせるに最も有効な手段を、俺はこれ以外に知らなかった。

「さあ、行くぜ」

 スケアリーランスを囲んで中空に肉が生まれ、触手が生まれる。外から見えないほどに覆い隠すような量の肉ではないものの、そこから生まれた触手は、意識の内側、ドーム状の中の空間をスケアリーランスごと埋め尽くさんとする物量であった。

【リ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】

 周りの、何もないように見える空間から突如として触手が襲い掛かって来る。その異様にもスケアリーランスは四つもあるのに眉一つ動かさなかった。

 ただいて、ただ壊す。

 やつから発せられる光は、立ち向かう触手をいとも容易く粉砕していった。鉄の壁に向かって果物を投げつけているように無力な光景だ。どんな硬度を誇っていても、所詮は果物の皮が鉄に勝るなんてバカな話は有り得ない。俺の触手とスケアリーランスの聖属性の治癒術は、言わばそういう関係性にあったから、こちらの攻撃が赤子の手を捻るように防がれていくのは当然だった。

 当然だが、それだけでは終わらない。

 鉄の壁には寿命があり、投げつける果物は無限にある。鉄の壁の同じ箇所に無限に果物をぶつけていれば、果物のつける小さな傷の積み重ねか、あるいは単純な時間の経過による鉄の壁の劣化か、いずれにしろ果物が鉄の壁を突破することになるだろう。俺が賭けたのは、そういう可能性だった。スケアリーランスの魔法は鉄の壁、その強度が元々は無限に維持されそうだったのが、俺の知らない何らかをきっかけにして寿命げんかいをあらわにした。小さな差だが、しかし目に見えてスケアリーランスの魔法が劣化したことで、仰いでもてっぺんの見えない絶望的な回復力が失われたのだ。

 劣化するのなら、失われる類のものであるなら、それは無限ではない。聖魔の間にある一方的な属性差も、圧倒的な物量の前になら屈服させられる。

 この理論立てにおそらく間違いはなかった。それでも、藁を掴むような話には違いなかった。そもそもの前提、スケアリーランスの魔法の劣化が、もし俺が思っているよりもずっと小さなもので、“ほとんど無限”という絶望的な枠内での上下であったのなら、俺が攻めに転じた判断は誤っていたことになる。無限対無限。あるいは、ほとんど無限対ほとんど無限。俺は自身の限界を知らなかったし、スケアリーランスの限界もいまだ見えなかったから、俺たちの争いが本当に無意味かどうかは終わってみなければ分からない。が、無限と約無限は、終わりが見えないという意味では同じであって、それを事前に察知できたなら始めるべきですらない戦いなのだ。

 だから、俺の見立てが甘かったなら、この戦いから意味はなくなる。

【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】

 スケアリーランスはき続けた。息継ぎブレスを挟むことなく、聖なる楽音を奏で続けた。寸分も狂うことのない精密な詠唱うたは、杭のように重い触手も糸のように細い触手も通すことがなかった。割れず、入れず。何百、何千の俺にも相当する量の肉が何分とかからず死んでいく。

 無残なものだ。血液さえ蒸発し、後には欠片も残らない。

 けれど、手応えはあった。

【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】

 き止まないのが良い証拠である。もしスケアリーランスの防御が勝るのなら、その光は俺の意識をたちまちに呑み込んで、消し去らないまでも動きを止め、空間に縛り付けるぐらいの効果を発揮するだろう。攻撃を封じられた俺を尻目にスケアリーランスは全快し、悠々と、戦況を振り出しに戻す。

 そうならないことにこそ、意味があった。触手は次々にやられているが、それも末端での話。大元足る俺の意識、触手の苗床は無傷で維持されている。スケアリーランスの魔法は、全方位から襲い掛かってくる触手を弾くのに精一杯で、その範囲を更に外側まで広げられていないのだ。

 圧倒的だった差が埋まっている。どころか、天秤がこちらに傾きつつあるのを有りもしない肌が感じていた。崩れる時は一瞬だろうか、それともじわじわと追い落としていくのだろうか。どちらにせよ、時間はそれほどかからないように思えた。

 おそらくは、十分ほどの攻防。長いとも短いとも言い難い。

 次第に優劣がはっきりとし、一本の触手が、光の波を超え、その緑の羽毛に触れ、隠された生身にまで迫る。どちらにも大きく傾くことを拒否していた天秤が、ついぞ限界を向かえて雌雄を決したのは、その瞬間であった。

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