第77話
「アルマリクを出てから立ち寄った宿屋、覚えてるな。あそこで一緒になった冒険者が“
しかも、よりにもよって魔者に関係のある情報に。
自信を持って、答えはノー。アルマリクの外れまでミノタウロス退治にやって来た、あの二人組のセイバーを見たって分かることだ。彼らは決して、身近に魔者が跋扈することを良しとしない。有象無象の雑魚全てに構ってる暇はないにせよ、それなりに危惧され、準備する時間があって、対策できる情報があったなら、確たる勝算をもって殺しに行く。
光聖の内にくつくつと煮えたぎる、世界に仇成す魔者への敵愾心はそれだけ激しいのだ。親を殺されたような、などと生易しい話ではなく、セイバー個々に至っては家族や友人を殺されている者も実際には大勢いるだろう。だからこその抵抗。魔者を討って世界の平和を実現するためならば進んで礎となれる、信仰とも言うべき理が彼らを支配している。
その力は特権的だが、その身には人権がないのだ。余さず、光聖という全体主義によって統制されている。
……はずなのに。
件の魔者には知らんぷりなのが、ベリオール・ベルのセイバーだった。単なるマカイにしては強すぎる戦闘能力もあって、これまでにどれだけの人間が犠牲になったかは計り知れない。ティアフだって、その内の一つに数えられるところだった。
明らかに、光聖によって討伐されているべき危険。そんな魔者を、彼らは“二週間以上も”放置している。
「なぜだ?」
本当であれば、血眼になって探し出し、灰の一粒も残さぬよう消し飛ばすのが光聖の……世界がそうあって欲しいと望んでいる正義の在り方である。だから、これに沿わないベリオール・ベルのセイバーの行動は不可解極まりなかった。ティアフの疑問は当然だ。
「仮にも世界の正義を標榜するやつらが魔者一匹でも放置しておくことに何の正当性がある? 俗っぽく言えば、そこには何の“得”があるって言うんだ?」
正義とは、相対的なモノの見方に過ぎない。一方に悪があり、これを叩いてこそ正義は成り立つ。裏を返せば、悪を叩かない正義になど何の価値もないのだ。悪に対する
「そう。光聖には、魔者を遊ばせておいて得をすることなんて何もないんだよ。
でも。
現実はひっくり返っている。
スケアリーランスは今日も元気に槍を振り回し、一人のセイバーを殺し、一人のセイバーを殺し損ね、一人の少女を殺し損ねていた。ちょっとボタンを掛け違えていれば、三人ともが命を落とす最悪の事態も有り得たのだ。
「もし、それほどの魔者がいなければ、ベリオール・ベルにセイバーが潜んでいた理由なんて考えもしなかったんだろうな。けど、そうじゃなかった。そうじゃなかったってことは、何かあるんだ」
「何か……」
「そう。そして、その“何か”があるから、天下御免のセイバー様が“目の前に現れたマイナーを無視してまで”都に潜んでいるんだ。表向きは“セイバーがいないから魔者がいる”ってことにしておかなきゃ、光聖の沽券に関わるからな。この上、ベリオール・ベルはその特性上、光聖を排して運営されているから、魔者が出ようともセイバーを派遣する“義理”が光聖にはない。世界の正義は慈善事業じゃないんだ。そう考えると、なるほど、ベリオール・ベルってのは“魔者を無視してセイバーを伏せておくには絶好の環境にある”と分かる」
「けど、そこに来ると、“何の意味があるんだ”って疑問に立ち返るぜ? 環境があるからって、セイバーを隠しておく意味なんてどこにもないじゃないか」
「普通はな。でも、それも何となく当たりがつけられる。疑念の始点がそれさ」
「始点、話のそもそも? そりゃ、俺を見逃した……じゃなくて、“スケアリーランスが生きている”こと……か?」
「イエス。正確には、“セイバーがスケアリーランスを生かしている”という不思議。それ自体が目的でなけりゃ、マカイを生かし、マイナーを見逃す説明がつけられない」
「じゃあ、ベリオール・ベルのセイバーにとっての最優先は、“スケアリーランスを見逃し続ける”こと? ……うーん、何だかややこしくなってきた。こんなこと言いたかないが」
嫌な予感がしてきたぞ。
ティアフのこれまでの話は、いくつかの事実を基にして広げた風呂敷、妄想に近い推察である。一から十まで正しいかどうかはもちろん不明だし、肝心の、“セイバーがそんな不可思議を行っている理由”に辿り着いていない時点で、根も葉もない言いがかりのようなものだった。
だが、俺としては一点、
ギイイイイイイイイイイイイイイエエエエエエエエエエエエエエ――――――――――――。
鳥の声か、女の悲鳴か。どちらともつかぬ不気味な音色が、風のない月夜の草原をつんざくように渡って来た。
「はは。言霊、ってやつかな」
俺が彼女を降ろし、地面に座らせる間に、ティアフはそんなことを言って笑った。口にすれば本当になる。話をすれば寄って来る。魔法を使う際、
言葉だって事象だ。全ての事象がマナからできているのなら、言葉にだってマナが宿るのだ。そして、マナが宿る以上は、そこに何らかの魔法効果が乗っかって来てもおかしくはない。
極論、たった一言の悪口が他人を傷つけ自殺に追い込むようなことがあったなら、それは人体を焼き尽くす炎の魔法と何の違いがあるのか、そういう話なのだ。首を吊るか、炎上するかの経過は違っても、死に至ったという結果は同じ。
「じゃあ、話さなければ……口にしなければ結果は違ったのか?」
ティアフに背を向け、森を見る。空気は凄然とし、景色は静ひつであった。月と星とが瞬きながら、俺たちを見下ろしている。さっきの声は幻聴であったか。できればそうであって欲しいと願う楽観が、耳に残る余韻にはっきりと否定される。
「そうだな。無駄話をしなければ、もっと速く歩いていて、森からは離れていたかも知れない。でもどうだろう」
どうせ答えは一緒だったんじゃないかな。ティアフは最初から諦めた風で。
「逃げられるってつもりで、あたしたちは話していなかったもん」
と、肩をすくめるのだった。
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