第76話

「ティアフ。一つ、言っておくんだが」

「何だ?」

「ベリオール・ベルにセイバーはいるぞ。身を潜めているだけで」

「は?」

 森を抜けた辺りで、俺はティアフの勘違いを訂正してやった。もっとも、俺だってアールエンに聞くまでは知らなかったことだ。ティアフがこれを知らないのは当然で、むろん、俺には彼女を責めるつもりなど毛ほどもなかった。言ってみれば、事が済んだ後の余談である。

 俺に横抱きにされ、眠っているのだか黙っているだけなのだか分かりにくい様子だった彼女は、そのことを聞くと目を真ん丸に開いて俺の顔を見てくるのだった。思っていた以上の食い付きである。

「そうか、いたのか。……でも、何で?」

「そういえば、理由までは聞けなかったな。考えられるとすれば、ベリオール・ベルがいくら光聖に頼らないと言っても放っておけなかった、とか?」

「そりゃないな。普通は逆。身を隠すほどの面倒をかけてまで守る価値がベリオール・ベルにあるとは思えない」

 おおよそ分かっていたことだが、ティアフは俺の推論をばっさり切り捨てた。

 彼女の言う通り、光聖は面倒を嫌う。ただでさえ人員リソースが足りていないのに、光聖の庇護下に置かれることを拒否しているような都市にまで手を回している余裕はないのだ。世界を守る、その理想を現実のレベルにまで落とし込めば、犠牲を払わなければならない場面を避けては通れない。

 しかし一方で、そうした事情をおしてでも人を配する場合もあった。セイバーがいなければ持たない激戦区、戦略上どうしても占有しておかなければならない地域、これらに比肩する特別な事情があるなら、光聖は是が非でもセイバーを留めておこうとするに違いない。

 それこそ、隠してでも、である。

「けど、ベリオール・ベルにそれだけの価値は……」

 ない、というわけだ。ズィモア大陸北方最大の都市、世界的に見ても特殊な体裁を取っている都市だが、抑えておかなければ世界を守護する光聖の使命に支障が出るというような、重要な事情は抱えていない。

「まあ、魔者の脅威でもあれば別だが」

「スケアリーランスとか?」

「そうだな、スケアリーランスなら……――」

 あの、自分を殺しかけ、今はアールエンに封じられている魔者。俺に近い再生能力を有するあの化け物は、マイナーではなくマカイだとは言っても、世界にとっての脅威であると断言してしまっても過言ではないだろう。セイバーが出てくるだけの価値がある。……きっと、そんな風に後に続くはずだった言葉は、しかし紡がれることはなかった。直前に忘れてしまったように、ぽかんと口を開けてティアフの動きが止まってしまったのである。

「ティアフ?」

「違う、そうじゃない。それじゃ順序がおかしくなる。だって、どうして今まで生きていられたんだ?」

「なんだよ、順序って」

「だからさ、“ベリオール・ベルにいるセイバーは、どうしてスケアリーランスを斃していない”んだよ」

「それは……」

 ……――あれ? 何でだ?

 ティアフの顔が難しくなるのと同時に、余談のつもりで振った話のタネが明後日の方へと芽吹き始めた。

「もし本当にセイバーが潜んでいるのだとして、さっきまでマイナーが堂々と街中で騒いでいたのに、やつらはこれを見逃してる。カナタを見たろう。アルマリクの腐敗はリノンなしじゃ解決しなかっただろうに、それでもカナタはおまえを殺すために戦った。光聖と魔者、セイバーとマイナーってのは元来そういう関係だ。何か、密命のようなものを帯びたセイバーが人知れず都に潜む。それぐらいのことはあってもおかしくないよ。けど、目の前でマイナーが暴れて人間を殺している、その何百単位の虐殺の阻止さえせずに潜伏を優先するか、普通? その“密命”が、マイナーの殺害よりも“上”だなんてこと……」

 “ここでマイナーを見逃せば、今は良くても、世界が滅びるかも知れない”。

 “光聖の正義は、これを許さない”。

 どちらもカナタが俺に放った言葉だ。燃ゆる決意であり、背負う使命であり、光聖が大切に履行する絶対の“理”の復唱でもある。セイバーと呼ばれる人間は例外なく、この理を叩き込まれているのだ。そうでなければ、アルマリクにいたセイバーたちは俺に向かってなど来なかっただろう。その不死性を目にして勝てるなどとは考えない。仲間が簡単にくびり殺されていく埋めようのない力量差を前にして、なお突撃してくるような愚は犯さなかったに違いない。

 だが、彼らは意思のない操り人形のように真っ直ぐ、恐れず、俺を殺しに来た。飛び越えようのない崖を飛び越えようとするように、その足を止めなかった。

 それが行動原理の“理”、だったからだ。

 彼らにとって、マイナーと戦った結果として積み重なった死は愚かなものではなく、また無駄なものでもない。例え数百人が散ろうとも、その一太刀一太刀が敵の体力を削り、防御を崩し、いずれ誰かの刃が命に届けば良い。全体で勝利を収められたなら、それは必要な犠牲だったと彼らは納得できるのだ。

 無限に深いのでなければ、詰み重なっていく死体はいずれ崖を埋め尽くす。十分な成果じゃないか。

「その光聖がおまえを見逃した。きっと、それよりずっと以前から“同じように”、スケアリーランスも見逃していたんだ」

「なるほど、順序ね」

「そう。“スケアリーランスがいるからセイバーが潜んでいる”ってことと、そうであるなら“スケアリーランスを見逃していたから”ってこと」

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