第72話

【キアアアアアアアアアア!!!!!!!!!】

 くさびとして打ち込んだ触手が、まるで乾いた砂の塊であったかのようにぱらぱらと崩れていく。封を解いたスケアリーランスの次の行動が、自分を串刺しにした怨敵を狙っての突進だったのは幸いだった。俺はまたしても、この特別なハルピュイアに不意打ちを喰らって、一瞬でも動揺していたからである。その隙にティアフを狙われていたら、最初にこいつと戦った際の二の舞だった。生を拾ったティアフはぺたんと腰を下ろし、もう一ミリだって動けないという風だったのである。

 ともかく、やつは俺を狙って来た。槍を振り上げ、わずかに滑空しながら真っ直ぐに突っ込んで来る。真黒の目を見開き、刃めいた牙を剥く。その形相は鳥でも人でもなく、憤怒にひん曲がった異形、魔者そのものであった。怒りに任せた小細工なしの正面突破、その無策に身を委ねる心理が俺には良く分かる。

 既に懐に入られていたから、伸ばした触手は使い物にならない。全部を切り離して、拳一本での迎撃を試みる。これもまた無策、その心理は非常に単純にして、慢心であった。

【ギイイイギギアアアアア!!!!!!!!!】

「まずはそいつだああ!!」

 放たれる鉄の刃に、俺は迷わず右の拳を合わせた。鉄でも何でもない拳はいとも容易く貫かれ、刃が腕を通って肩に抜けていく。そのまま腕に力を込め、全体で槍を掴むと、柄の中程から槍をへし折ってやった。

 スケアリーランスは、この捨て身の武器折りをどう見たのか。折られる直前に槍が光ったかと思えば、その光は折られてなお失われず、残った部分で俺の右腕を消し飛ばした。

「くそ、むちゃくちゃだ」

 腕一本で槍一本。単純な破壊ではなく、魔である事実を否定しにくる滅却。スケアリーランスが“魔者ながらにして聖なる魔法を扱える”という事実は認めざるを得なかった。それが分かっただけでも、このトレードには意味がある。

 もっとも、実質はイーブンですらなかった。俺の腕は再生するし、“スケアリーランスの槍も肉体同様にたちまちに再生する”のだから、プラスにもマイナスにも転じていない。そうでなければ、道中に何本も槍が転がっていた経緯を説明できなかった。俺が肉体の再生と一緒に、衣服を肉体の一部として扱い“そういう風に見せかけて”再生するのと同じ、スケアリーランスもまた“槍を自分の肉体の一部として”再生できる。

 ……ではないか。スケアリーランスの再生は俺が使っているようなものではなく、“聖属性の光によって起こされている治癒魔法か何かの効果”という方が正しいように思えた。それなら、回復と発光が同時に起こっているのも理解できる。スケアリーランスの振るう槍だって、見掛けは木と鉄だが、その本質は“”の塊に近い。単なる魔者マイナーの俺と聖属性を扱える特殊な魔者スケアリ―ランスとでは、存在の仕方が根本から違っているように感じられた。

 そもそも、魔に連なる者のくせに聖属性の魔法で回復している時点で、何かがおかしいのだ。魔を一方的に滅ぼすために人類が得た切り札こそが聖属性。この関係、法則を超克してしまっては、魔とも人とも同じ土俵に立っていないことになる。

 そんなふざけたモノが本当にいるものか? 今は考えても仕方がないが、何にせよ、を扱うという事実は厄介だった。触れる分だけこちらが一方的に不利なのである。

「かといって、……!!」

 槍を無視してスケアリーランスの肉体に傷を付けても、たちまちに回復されてしまう。最悪だったのは、脳や心臓を握り潰しても無意味であったことと、最初に全身を回復して見せたように、スケアリーランスがかなり自在に聖属性の魔法を扱えたことである。

 ピンポイントな破壊が効かない以上、こちらに残された選択肢は“物量に任せての全体破壊”のみだった。だが、全身のみならず全方位に向かって聖なる魔法を放てるスケアリーランスが相手では、究極的にはこちらの攻撃の通りようがない。

 水中にいる敵を燃やしてやろうと、水面に向かって火を吹き付けているようなものである。どうやったって、火は水面を超えっこないのだ。

「さて、どうする……」

 あれやこれやと手を尽くしている内に、俺とスケアリーランスの位置が入れ替わっていた。俺はティアフを背に、かばう形でスケアリーランスに対峙している。一方のスケアリーランスはと言えば、怒涛であった攻撃の手をしばし休め、低く飛びながらも沈黙し、こちらを睨み付けるだけとなっていた。

 学習したのだろう。手詰まりなのはこちらだけではない。スケアリーランスにも、俺を消滅させ得るだけの攻撃手段がないのだ。

 それは、殺し合いの最中に訪れたわずかな休息であった。

「助かったよ、……リノン」

 ティアフのかすれた声が背中にかかる。誘拐され、衣服を剥がされ、ゴングの連中に追いかけられ、ヴィントの魔法に曝され、最後には自分を殺しかけた魔者に追いかけられる。ツイていないでは済まされない、修羅場の連続だった。

「まだ早いだろ」

「ああ。……手立ては?」

「ないな。俺はそもそも、まともにセイバーに……聖属性に勝てるようにはできてないんだ。カナタもそう、ヴィントもそう、どっちも搦め手、正攻法じゃなかった」

 カナタを倒した時は息切れを待っただけ。ヴィントに致命傷を与えられたのも、事前に消耗させていた上で、アールエンが攻撃を入れたのに合わせて全力を傾けられたからだ。

「打つ手なし、か」

 もし、スケアリーランスの再生が本当に魔法によるものなら、いずれは魔力を扱う精神が底をついて息を切らすだろう。だが全身も、頭も、心臓も、スケアリーランスはここまでに何度も、何食わぬ顔で回復している。疲労のひの字も見せないで致命傷を治すのだ、底はまるで見えていない。そんな、いつになるとも分からない息切れを待って延々と戦い、ティアフを守り続ける自信が俺にはなかった。この身は死なないが、しかし、無限に立ちはだかる盾とは成り得ないのだ。聖なる魔法が相手ではなおさらである。どこかでいずれ突破され、その槍はティアフに至るだろう。

「ところで、その管は、何だ?」

「人助けさ。アールエンを蘇生してる」

「アールエンを? ……そうか。リノン、シスターのことだけど」

「そうだ、どこに置いてきたんだ? 死んじまったか?」

「生きてるよ。置いてきてもいない」

「じゃあ、どこに」

「いるだろう、目の前に」

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