第71話
アールエンの身体と自分とを、背中に伸ばした一本の触手で繋いだまま、俺は彼女から離れて森へと急いだ。アールエンが示してくれた方角。何の痕跡もなく、本当に従って良かったのか、走っていると不安になるほど静かな夜。森に入って少し進んだ辺りで、その疑念は払拭された。
「槍……」
アールエンとヴィントに刺さっていたものと同じ。飾り気のない木と鉄の槍が、立ち並ぶ木々の一本に突き刺さっている。注意深く眺めてみると、そこかしこに槍による切り傷と思しき跡が見つかった。戦闘があったのだ。槍を扱う何者かと、おそらくは追いかけられているティアフとシスターの二人との間で。
急がなくては。死に掛けていたとは言え、セイバー二人を手にかけた槍の使い手である、生半ではないだろう。ろくに武器も持っていないティアフと気絶していたシスターでは、逃げの一手を打ち続けてもどれだけ長らえるか。
同時に、この生々しい切り傷を目にしてようやく、俺は“槍を使う何者か”が一体何者であるのか、その正体に気付きつつあった。それに今まで思い至らなかったのはうかつとしか言い様がない。ベリオール・ベルのセイバーとゴングには確かに、槍の使い手はいなかった。が、俺は槍の使い手とは一度、戦っていたのである。
樹木や地面を抉る傷、捨て置かれた何本かの槍は、目印のようにして一定方向へと続いていた。ティアフたちは相当の距離を逃げ回っているらしいが、幸い、傷と槍を追いかけても二人の死体は見当たらず、大怪我に繋がりそうな血痕もなかった。うまく立ち回っているのだ。意識を取り戻しているにせよいないにせよ、戦闘においては足手まといになりそうなシスターを連れての逃走劇。ティアフはよほど頑張っている……いや、何だって?
「それって、可能なのか?」
シスターが意識を取り戻し、自分の足で逃げているならいざ知らず。もし彼女が熱にうなされ朦朧としたままなのだとすれば、ティアフは大人の女性一人を抱えて逃げていることになる。身軽だが、決して力の強い方ではないティアフにとって、その荷物は致命的だ。怪我の一つも負わずに逃げ切れているなんてこと、考えにくい。
どこかに隠したか、でなければ追っ手に殺されてしまっているか? ともかく、追いついて状況を確かめなくてはならなかった。やがて、ティアフの姿が見える。その状況を目にし、俺は思わず叫んでいた。
「ティアフ!」
空も見えないほどに木々の密集する森の中にぽつりと、開けた広場があった。たまたま、そこにだけ木が生えてこなかったのか。月明かりが地面にまで届き、きらきらと闇を切り取る神秘的な空間である。
そこに、ティアフがいた。木の幹に身体を預け、かろうじて立っているという様子の彼女が、ちらりとこちらに向いた。ぱっと見る限り、シスター・アルモニカの姿はない。代わりに、思い描いていた通りの異様をした槍の使い手が、ティアフの正面にわずかに浮いて立ち、槍を振り上げていた。
「
俺がこれまでに出逢った中で、唯一槍を使って戦っていた者。それは人間ではなく魔者であった。全身緑の毛に覆われた、大きな翼を生やした人間。人間と言っても姿は鳥の方に近く、人間の女の顔に胴体を持ち、そこから鳥の翼と足が伸びている、そんな化け物。
一対の翼とは別に、人間のものに良く似た腕が一本生えて、その手に槍を握っているのだ。それはむろん、ヴィントとアールエンに突き立てられ、ここまでの道中にも何本か見掛けた槍と同じデザインであった。
間違いない。槍を使っていたのはやつだ。その化け物が今、まさに、ティアフを串刺しにしようとしている。
「くそ、間に合え!!」
走っていては追いつかない。足を止め、両手を砕き、触手を展開する。血液を撒き散らしながら、それよりも素早く伸びる肉の槍が数多、木々を縫い、あるいは突き通って奔った。数にしておよそ五十近い触手を急がせるのはオーバーワークのようで、こめかみにびりと奔った痛みが後頭部にまで突き抜けていき、意識を焼き切ろうとする。だが数を減らしての攻撃では、“あの”スケアリーランスが動きを止めるかは分からないから妥協はできなかった。
やり直しが効かないのだ、この数が、最高速を出せる最善にして全力。後は間に合わせるだけ。木の柄、鉄の刃先がティアフに向かう。もはや、ティアフに避ける気力はないようで、ただ、目を見開いて迫る槍を見つめていた。怪我は見当たらないが、もはや疲労困憊なのだろう。ここまでに何度、その攻撃を避けて来たのか。
ざく。
刺さる。
――――ざくざくざくざくざくざく……。
一番槍はスケアリーランス、槍を持つその右腕に至った触手であった。これを皮切りに、追いついた触手が次々とスケアリーランスの全身に突撃していく。もはや隙間もないほどに右腕を貫いて縛り、それ以外の触手が翼や胴体にも穴を開けた。悲鳴もなく、スケアリーランスの身が痛みに仰け反って、噴き出した緑色の血がティアフに降りかかる。
だが、それだけだ。凶槍がティアフに届くことは寸でのところで防げた。コンマの差、その切っ先がティアフのこめかみを突く直前。
「はぁ……ざまあみろ」
攻撃が成せば後は簡単だった。聖なる属性を鎧のようにまとっていたヴィントの時とは違う。アレは貫けなくとも、同じ魔者、それもマイナーの下位に当たるマカイ程度になら、俺の攻撃が防がれる心配などどこにもなかった。串刺しのまま、ともかくティアフから放すように他所へ叩き付けてやる。そう思ってぐいと力を込めたのと同時に、スケアリーランスの全身が光った。
【キイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!】
鷹のように甲高い鳴き声、しかしあれほどに澄んではおらず、鬼気迫る女性の悲鳴のようにも聞こえたのは見掛けのせいだろうか。スケアリーランスの発した光を俺は見たことがあった。潰した腕を即座に元通りにする白光、俺の能力にも似た超再生が実現される合図である。全身に空いた穴を修復しようというのだ。確かに、腕の一本を丸々再生できるだけの力があれば可能だろうが、“俺の触手が刺さったまま再生すれば”元通りとはいかない。
所詮は獣じみたマカイか。俺の触手を払う知恵も余裕なく、反射的に再生を始めてしまった。俺の一部が欠片でもやつの体内に残ろうものなら、そこから増殖して内側から破壊してやれる。そう算段した目論見が、次の瞬間にはもろくも崩れ去った。
スケアリーランスに触れていたはずの触手が突然、消失したのである。感覚としてはヴィントに破壊されたものに近かったが、俺は即座にその感覚を否定していた。
「だって……」
……やつは、“
分かった上で、“ヴィントに破壊されたものに近かった”という感覚は、拭って捨て去るにはあまりに鮮烈だった。自身が魔者であるからこそ、天敵にして正反対のそれを間違えようはずがない。
今、俺の触手を破壊した力、その忌々しき白は確かに、“
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