第68話 - 1

 ヴィントは信じていた。同じ女性ひとを愛する者として、この同業セイバーの彼女に対する愛は本物だと確信していた。彼は男で、同業は女、つまりこの同業は同性愛者とうさくしゃということになるが、彼の信じるところによれば、その事実は彼女の愛を疑う理由には到底成り得なかった。性別なんて些末な問題がどうして愛を遮れようか。我々は性別に恋するのではない、我々はその女性ひとを愛するのである。

 きっと、愛なんてものは一様に、倒錯以外の何者でもないのだ。正常な愛も異常な愛も有りっこない。全部が同じ、等しく愛である。

 彼は、彼の前に倒れる自身よりも大柄な同業者とうさくしゃのすぐ向こうに目をやった。愛しい人が倒れている。その脇に、裸の少女が立っている。彼の周囲、大通りの終端に位置する一角の有り様にあって、彼女が守った者はこれこの通り、無傷であった。石畳はなくなって下の地面が剥き出しになり、街灯のあった場所には名残の穴ばかりが開き、並んでいた商店は今や瓦礫よりも小さな屑となって跡形もない。ここにだけ巨大な台風が降りて来て、散々好き勝手に荒らしていった挙句、全部を吸い上げて帰っていたかのようだ。

 きれいさっぱり、彼の周りから物がなくなっている。

 その異常事態から、彼女は彼女の守るべきものを無傷のまま、しっかりと守り通したのだ。得意な分野の違い、習得した技術の違いと言えばそれまでだったが、この芸当は彼には到底不可能だった。セイバーとしての格なら彼の方が上である。直接戦えば殺すことなど造作もない。しかし、セイバーとして鍛錬を積み、どれだけ極めていったところで、万能な神になれるわけではないのだ。彼は壊すことが得意で、彼女は守ることが得意だった。

 彼が近づいても、金髪の少女はどかなかった。敗れたマントを一枚羽織ってはいるものの、裸一貫に変わりはない。そんな頼りのない様子で、気丈にも、倒れて動かないアルを庇って立ちはだかっているのだ。そうした勇気、健気さに感銘を受けたわけではなく、彼には少女を傷つけようという気が起こらなかった。先のマイナーやセイバー・アールエンは、倒しておかなければアルを奪還する邪魔になった。しかし、この少女では泣かれようが喚かれようが邪魔にならない。酷な現実だ。華奢な身体が震えている。亜人属の証である大きな耳がぺたとしおれ、尻尾が垂れ下がっている。彼が脇を通っても、少女は吼えることさえしなかった。

 手を出せばどうなるかを理解している。いくらヴィントが血だらけで、身体中に石の破片が突き刺さり、見かけだけなら今にも死んでしまいそうな酷い有り様だったとしても、無傷でぴんぴんしている人間の子どもがどうにかできる相手ではなかった。

 アルの側にかがんで、安否を確認する。やはり傷は見当たらない、きれいなものだが、熱があるようで、意識ももうろうとしているようだった。同業のセイバーが側にいた以上、彼女たちがアルに何かしたという線はない。とすれば、この騒動で無理をさせたせいだろうか。ヤワな女性ではなかったはずだが、シスターなんてやっていたぐらいである、きっと実戦からは遠のいていたのだろう。それで急に、こんな戦いに巻き込まれては体調を崩しても仕方がない。

 そうなる前に、全ての決着をつけられるはずだったのだが、見通しが甘かった。彼女の愛を疑い、ゴングという組織の底力を見抜けず、あまつさえマイナーに出遭う不運までが重なってきた。

 不運だが、運命だ。これは罰。廻り廻って姿を現し立ちはだかった、過去の過ちのツケ。

「礼を言っておいてくれ。君の愛は本物だった。僕みたいな紛い物の愛なんかよりもずっと本物だった、と」

 もろい宝石を扱うように慎重に、大切に、アルを抱えて立ち上がる。彼は壊すことが得意で、彼女は守ることが得意だった。彼は壊すことができなくて、彼女は守ることができた。それは、彼女の愛の方が何段にも格上だったという確かな証拠である。けれど、今倒れているのは彼女で、アルに触れているのは彼だった。理不尽だ。愛と現実は比例しない。熱情は現実に干渉しない。もし、この世界が愛に対してもっと真摯であったなら、熱情に対してもっと素直であったなら、彼は彼女に指の一本も触れられず、埃を払うように追い返されていたことだろう。

 本来であれば、アルに触れることなど叶うはずもなかった。それでも天秤がヴィントの方へと傾いて来たのは、神の情け、慈悲だろうか? いや、と彼は否定する。その身には、神の施しに与れるだけの資格がなかった。祈りを捨て、徒を止めていた。彼はとうに、聖刃セイバーとしての信仰を失っていたのだ。

 彼の行いは真逆。神に反抗し、欺くことで、強引に結果を手繰り寄せた。いずれは気づかれる。もう気づかれているのかも知れない。信仰を失っても、その全知全能の存在を疑えはしなかった。セイバーと成った者は皆、そうなのだ。神を信じ、同時に畏れるようになる。

 天罰の時は近い。目前にまで迫っているのが彼には良く分かった。お目こぼしはここまでだ、お為ごかしも通用しない。もはや避けられはしないし、また免れるわけにもいかないだろうと覚悟していた。約束を果たすための時間は少ないが、約束さえ果たしたのなら、この命は喜んで神に返そう。

 それがせめてもの償いになる。神に請うて得た力を神の意に反して使った報いだ。

 彼は、その選択を悔いてはいなかった。神よりも愛すべき者を見つけたのだから仕方がない。そうだろう、気高き同業者よ。不公平で理不尽な世界をどれだけ憎んだところで、神様にはなれないのだから。

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