第67話
――――いいいいいいいいいい――――
俯瞰する俺にはそれが良く分かったが、真正面に立つヴィントには知る由もなかった秘策が、彼女の手の内で成り立ちつつあったのだ。
その大きな盾は防御力もさることながら、それだけで相対する敵の視界を遮り、“盾の向こうで何をしているのかを隠す効果”を同時に持つ。だが、“盾は片手を使って持つものである”という常識から、盾が前面に出ていれば、その向こうが見えていなくとも、その盾によって使用者は片手を塞がれている、と盾に対峙した者は考える。実際に見えているわけではないのに、そうに違いないと無意識に決め付けてしまうのである。これは、全く自然な成り行き。もう片方の手でアルモニカを抱えているアールエンは、盾を構えた段階で両手が塞がっており、それ以上の展開は望むべくもない、こういう順序で理論を展開するのは全く無理からぬ話。
――――いいいいいいいいいい――――
ヴィントもまさか、この先入観、前提を疑ってはいなかっただろう。盾を突いた時に少しでも反動があれば、アールエンが盾を持っていることを改めて確認し、“最後に残された防御の要である盾を何としてでも維持しようとする”と納得し、自身の身の振り方を決める。例え一度負けていようとも、それしかないのであれば……それを生業にして生きてきたのであれば、土壇場ですがってしまうのは仕方のない人情。アールエンの生業は防御魔法であり、ヴィントは、“アールエンは愚かにも盾での防御を続ける”と踏んでいたはずだ。
だが、アールエンは盾の裏で、このヴィントの予想を裏切っていた。レイピアが盾に触れた瞬間、アールエンは盾から手を離して、その手を腰の剣の柄へと伸ばしていたのだ。攻撃が成立するまでのコンマ何秒の空白。アールエンはこれを逆手に取っていた。コンマでも時間があれば攻撃に移れる。コンマしか時間がなければ盾は目立つほど落下しない。そして、これらの準備動作は宙に留まった盾に遮られて、ヴィントからは物理的に確認できない。
一秒にも満たない攻防、駆け引きだった。
――――いいいいいいいいいいいいいいいん――――バコン!!!
盾が吹き飛んだ。支えられていない鉄の塊は明後日の方へ弾かれ、脇の商店の壁を突き破って中へ転がり込んだ。アールエンが盾を握り締めていたなら有り得ない軌道、ヴィントは思わずそちらに気を取られ、切っ先を前方へ向けたまま、後方へと目いっぱいに剣を引いたアールエンに気付くのが遅れた。
「何っ!?」
「てえやあああ!!!」
わずかな隙と、わずかな緩み。無意識下に積み上げられたコンマの空白が、錯誤という名の実を結ぶ。突き出された大振りの剣は、ついにヴィントを捉えた。しかし、致命には至らない。頭部を狙った一撃必殺の突きを、ヴィントは体勢を崩しながらも避けたのだ。じゃく、と剣が肩口を貫通する。
とっさとは思えぬ的確な判断、そのむりやりな回避についてはヴィントを褒めるべきだろう。だが、そのセイバー・ヴィントをして、完全に回避することは困難な不意打ちだった。身体を犠牲にせねば致命傷を避けられなかった。アールエンの秘策は功を奏し、またこの成功は、俺にとっても最良の結果であった。
「お返しだ!!!」
ぎりぎり
「ぐあああ!?!?」
顔に、肩に、腕に、胸に、腰に、足に、全身をくまなく刺して打つ連撃。ヴィントが初めて悲鳴をあげた。だが、ゴングどもの肉体をあれだけ容易く引き裂いていた触手の連撃も、ヴィントに対してはやはり、致命傷には至らない。肉体に触手が通らないのだ。針のように尖鋭でも、杭のように重厚でも、刺さりはするし食い込みもするが、内側へ進んで貫通する触手は一本もなかった。冗談みたいな防御力、触れてみれば、聖なる力が膜のようになって全身を覆っているのが分かった。
「――ああ、が……」
しかし、ダメージは通した。例え貫通しなくとも、ゴングの化け物が放つ拳打よりずっと重いはずの攻撃を何十何百と喰らって平気なはずがなかった。がく、とヴィントが膝をついて項垂れる。全身を蜂に取りつかれて一度に刺されたようなものだ。毒はないが、代わりに、わ、と全身から血が溢れた。
普通の人間ならとっくに死んでいる。ちょっと強い人間でも戦意を失って然るべき。だが、セイバーなら“これぐらい”の攻勢はもろともせず、一手にひっくり返してきてもおかしくない。
「逃げろ、ティアフ、アールエン!!」
ここでは殺せない、今すぐには止めを刺せない。俺の意図を汲んでくれたのか、こく、と二人が頷いた。
この“木の根状”の攻撃の利点は、敵に対して満遍なく攻撃を仕掛けつつ、その動きを封じる拘束力を同時に持ち合わせている点にあった。全身に触手を打ち込んで、ぐいと力をかけるのだ。言ってみれば、張り付けにするようなもの。この上、周囲にも触手を張り巡らせて檻とする、鎖と格子の同時展開。普通の人間はすぐに死んでしまうので周りに巡らせる触手は無駄になるが、ヴィントのように頑丈な相手であれば、この余分に展開された触手が更なる拘束具としての役割を持つ。
姑息な時間稼ぎだ、長くは保たない、……だというのに、確かに頷いたはずの二人が、まだその場から動いていなかった。いや、正確には、アールエンが動けていなかったのだ。ヴィントの肩口を切り裂いた大剣の柄を握ったまま、立ち尽くしている。
「剣が……」
ささやくような、驚嘆。俺はそれで初めて、ヴィントが自身の右肩に刺さったアールエンの刃を左手で掴んでいることに気付いた。この化け物は、肩から先を切り落とされる寸前まで刃を入れられ、全身を滅多打ちにされてなお、やはり抵抗する気でいたのだ。ちっとも負けを認めていない。
「バカ! 剣なんて放っていけ!」
は、としたようにアールエンが柄から手を離す。ヴィントに一撃を加えた、その事実がアールエンの気を緩ませたのか、剣を捨てて逃げるという採って当然の選択肢が頭からすっぽり抜けていたらしい。
逡巡だ。それでも、足を止めた時間は決して長くはなかった。
ぴいいいいいいいいい――――。
けれど、忠告は遅かった。 「エル・バーンズの御手をここに」 ヴィントが顔を上げる。その瞳には未だ意志が揺らめく。 「ラ・リカウス・ラデ・ィカン・メ・アル」 彼自身から光が迸って、彼に触れる全てのモノに光の筋が奔った。 「臨む者よ・食い尽くす枝を執れ・其は
「消ゆ者。
自身の中を
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