第66話
ひゅん。触手が伸びてわずか四人の残党を襲う。刺されば死は免れない。かすっただけでも死に至りかねない。何百の前例を目の当たりにしてきた彼らだからこそ、十分な余裕を持って触手を避けようとする。あるいは斧、あるいは剣、獲物で切り払うことさえためらう有り様だった。マイナー自体には怖気づかないくせに、変なところで冷静だ。命は惜しくなくとも、それは命を無駄に散らすことと同義ではないと理解している。たった一発でも拳が届けば良い、剣が髪の毛の一本でも切り落とし、斧が指の一本にでも至れば良い。そうしてやっと死ぬ権利が与えられる。……彼らの必死の回避は、そんな勝利への渇望、心の叫びでもあるように思えた。
至らなければ殺せない。当たり前の話である。しかしわずかにでも手が届いてしまえば、あるいは、うっかり、ひょっとして、もしかすると、何かの間違いで、相手に致命傷を与えられるかも知れない。その淡い希望に、彼らは使い切りの命を精一杯に燃やしていた。火をつけられた花火が燃え尽きずに生き残る可能性を信じているみたいに、健気で、おかしな話だった。
光栄だ。それだけの価値を、彼らはこの戦いに見出している。だが、おもしろくはない。
戦意や戦闘が純粋であることと、戦闘そのものに心が躍るかどうかは別問題なのだ。一方的な蹂躙となれば、その戦いは決して楽しいものでは有り得なかった。アルマリクでのカナタのように超常的な実力者が全身全霊で刃向かってきてこそ、ようやく蹂躙が戦闘へと昇華され、意味が生まれる。数も狂気も健気さも、結局はカナタ一人、エストっちとリエッタの二人の足元にも及ばなかった。ただ一点、彼我が対等でないから、というだけの理由で。
不幸な話だ。触手を放射状に展開すると、逃げ回る彼らをあっさりと捉えて殺してしまった。言ってみれば、数が違う。一人に対して何十という肉の筋が襲いかかるのだ。中空を自在に駆け無数にも思える分裂を繰り返す腕にして指。ちょっと人間を超えたぐらいでは逃れられるものではない。
せめて、その範疇でないなら。
「それで全員か」
「呆気なかった、な」
「このまま廃棄区画に入って、少し様子を……」
「待て、何か来る」
ひとまずの危機を抜けてほっと一息、安全を確保し今後の話をしようという段になって、俺は真っ直ぐに伸びる大通りの向こうの闇に点を見た気がした。闇の内に浮かぶのだから、それは光なのだろう。店の灯りでも、増してや、誰か見知らぬ人の装飾品が灯りを反射して煌いているのでもない。こちらは走っているのに、その光は遠ざかるどころか急速に近づいてきているのだ。
速すぎる。先のチンピラどもとは比べ物にならない速度だ。嫌な予感がして、俺は闇に目を凝らしながら迎撃の態勢を取った。それから、ぐわ、と暗闇から飛び出してきた追撃者の姿を見て、迎え撃つよりも先に叫ぶのだった。
「避けろ、アールエン!!!」
遅すぎる。視界に捉えた、その瞬間にはもう、光は俺たちに肉薄していた。ただの人間の身体能力では到底出せっこない速度、全力で投げられたナイフのように地を滑るソレを相手に、悠長に迎撃の態勢など取っていてはいけなかったのだ。早くに気付くべきだった。チンピラどもを薙ぎ倒した後にやってくる追撃者、その正体として最も確率の高い者は……。
「っくそ――!」
ぴいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん。
箱型の防御魔法、その背面を
先手を打たれてしまった、魔法を割られる未来はもはや避けられないだろう。全員がそう直感し、懐深くに入られる事態を阻止するための行動を起こした。アールエンは足を止め、脇に抱えたアルモニカを庇うように半身に構え、盾を前面に持ち、防御魔法の中に新たな防御魔法となる光の壁を生成する。ティアフは壁の内側でアルモニカを守れる位置に立つ。俺は、箱を割って入り込んでくる追撃者……レイピア使いのセイバー、ヴィントに対して、壁の前で迎撃できるように準備する。
ばりん、とガラスを割ったような音。箱の魔法がばらばらの破片となって砕けていく。ヴィントの狙いはアルモニカただ一人、だから一直線にアールエンの光の壁を狙うはず。俺が採るべきは、その間に立って追い返すか、あるいは光の壁を壊す一瞬の隙に邪魔を入れるか、そのどちらかだった。
ヴィントが使う“触れたという事実が何倍にも膨れ上がって爆発する魔法”は、触れれば良いというだけの労力に見合わぬ威力を発揮する恐るべき攻撃である。が、万能ではなく、そこには欠点もあった。着剣と発破との間に発生するタイムラグこそが弱点。一秒にも満たないとはいえ、おそらくは省略することの出来ない確かな隙。ここを攻めれば勝ち筋のない相手ではない。
大事なのは、その隙を見逃さないことである。目を見張ってヴィントの一挙手一投足、その前動作から把握していなくてはいけない。だが、それだけ気を張って注意していてもすり抜けてくる、それがセイバーという正義の象徴の本気だった。
意表を衝かれたことも確かである。ヴィントの矛先はアールエンに向かわず、割れた箱から落下してヴィントを迎え撃とうとしていた俺の方へと一直線に向かってきた。嘘だろ、と見事に予想を外した自分を心中で罵るよりも速く、何の防御もできないまま、剣は俺の身体を股から頭へ逆袈裟に通り抜けて行った。止水を切るよりも抵抗なく、切られた俺でさえ“切られた”という感覚を持つのにためらうほどの、なめらかな一刀両断。本当はそこに切れ目があって、ただそれに沿って刃を入れただけのよう。ケーキのスポンジだってもっと抵抗するだろう。
ぴいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん。
肉体の中央からぱくりと、意識が二つに分断された。ステレオに金切り声を聞く。自らの真中から鳴る死刑宣告、ギロチンが風を切って振ってくる音。逃れられぬ運命を報せる鐘。破裂よりも速く再生すれば身体の消滅は避けられたのだろうが、その回避策さえヴィントはきちんと封じていた。セイバーの使う魔法の属性は“
「リノン!」
アールエンの悲痛な声も空しく、肉体は破裂した。点として剣先が触れただけで人間を木っ端微塵にできる魔法が、線として俺の中央に切り口となって刻まれたのだ。今まで“点”でしか発動していなかった破壊が、何十倍、何百倍という規模の“線”となった。その威力は想像を絶し、肉の一片、血の一滴の飛び散ることさえ許さなかった。破裂した断片を破裂する、破裂した断片を破裂する、この徹底的な破壊が一瞬の内に何重にも行われ、俺の肉体は認識できない細かな粒子となって空間に消えた。
それでも死にはしない。だが、動きを封じられてしまった。死に体、同じ空間に留まる意識をよりどころにしてまずは自らを再生しなくては、この死に体は脱せられない。俺を排除し、衛兵のいなくなったアールエンの光の壁にヴィントのレイピアが突き立てられると、一秒もせずに魔法が割れた。
順を追って説明するのもバカらしくなるぐらい、一方的な展開である。最初から台本に沿って演技しているみたいに淀みなく、ヴィントの剣先がとうとうアールエンの重厚な盾を捉えた。二枚の防御魔法をこうも容易く突破されての、チェックメイト。既に盾ごと吹き飛ばされているアールエンが、同じ攻撃を何の対策も講じる暇がなかった状況で耐えられるはずがない。
ぴいいいいいいいいいいい――――
故に。
アールエンはこの時既に、“耐える”という選択肢を捨てていた。
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