第65話

「どういう意味だ?」

「逃げながら、あいつらを殺せるだろ?」

「だからって、敵を自由にする意味は……」

「トンネルに捕まって動けないやつがいたら、俺たちに追いつけなくなる。ってことは、俺が攻撃できなくなるってことだ。生き残りが出ちまう。それじゃだめだ」

 足を解放して全力で追いかけさせなきゃ、全滅させられない。

「話は分かるけど、それじゃ、どうして今まではそうしなかった? あの店の中にいる連中だって見逃して来たじゃないか」

「おまえたちが危険に曝されている状態で戦えば、そっちまで気が回らないかも知れない。俺が勝っても、おまえたちが死んだんじゃどうしようもないだろう」

「あたしたちが心配だから、戦わなかったって?」

「そうだ。でも、今は違う。逃げながらなら、追っ手だけに気を配って戦える。逃げる役と戦う役、二人だから両立できる“ずるい戦い”さ」

 チンピラどもはこちらよりも足が速い。その上、アールエンのシールドを足場にして見渡してみると実感するが、やつらは本当に大勢だった。数百という人間の数、対してこちらは四人。袋叩きにされれば確かに一溜りもなかっただろう。しかし、距離を離し、今すぐに追いついて来るわけでなければ何の脅威でもなかった。最初から袋叩きにしてやるプランしかなかったのか、連中の中に何らかの遠距離攻撃の手段を用意している者がいなかったのも幸いした。手持ちの剣だの斧だのを苦し紛れに投げつけて来る姿はあるし、常識外れの膂力で投擲される刃物は立派な脅威足りえたが、しかし、それだけだ。ただ剣を投げつけられただけで割れるほどアールエンのシールドはやわではないし、俺に至っては顔面に斧が突き刺さっても問題なかった。今や、彼らは一切の有効な攻撃手段を失って、ただただ追いかけっこに興じるだけの子どものようなものだった。

 だが、こちらはそうではない。遠距離攻撃の手段がある。すると、それはもう一方的な蹂躙と姿を変えるのだ。戦いではなく的当てゲーム、命を射って遊ぶ狩りごっこ。

「殺すならちゃんとやれよ。中途半端に残すと怒りを買う。ギャングってのは執念深いんだ」

「分かってるよ。ちゃんとやる」

 アールエンの忠告は、もはや俺の蛮行を止めるものではなかった。ティアフも既にそれ以上の抗議をしてこない。このままアールエンには走り続けてもらって、餌に目が眩んで追いすがるかのごとき駄犬どもの相手を俺がする。

ついでに、自分の性能を把握するためのテストもしておくつもりだった。現状、刻一刻と自分が移動するために、攻撃の開始地点を固定すれば自然、自分と攻撃地点との間に距離ができる。それは、己の身体を切り離して空間的な距離を取った時、その制御がどこまで及ぶかの実験には最適な環境だった。

 今のところ、やつらの先頭を走る集団とは十メートルほど離れている。今ここで空間に肉の“芽”を放てば、一秒もしないでやつらに着弾する。十メートル、自分から伸ばした触手なら細かい制御は不可能でも、大体の感覚はこちらにフィードバックされる距離。おそらくは制御の範囲内だ。

「それ!」

 中空に肉の芽を放る。肉体の先を細かく分解して、目に見えないほどの小さな粒が夜の大通りに散乱する。その下をやつらが通る直前に、肉の芽を起動する。イメージは、真下の空間を広く制圧する幾本もの槍。想像を具現する魔法の使い方と原理は同じだ。自分の肉体をいかに展開させるのか、いかに炸裂し、いかに伸縮し、いかに硬化し、いかに形成されるのか。そのイメージをできるだけ正確に行って、肉体へと指令する。イメージは、真下の空間を広く制圧する幾本もの槍。いや、もっと多く、細やかに、大樹が地中に張る根のごとく、指向性なく枝分かれしていく川のごとく、絡み合って“まと”の身体を四方八方から穴だらけにする複雑怪奇な折れ曲がる槍の雨。振り上げた右手をそのまま、背後の友軍に突撃を報せる司令のように、ぶんと振り下ろす。

「――!」

 展開は一瞬。チンピラどもの先頭から奥へ、およそ丸く区切った範囲に肉の槍の奇襲。冷えた夜の空気から突如、ワープでもしてきたみたいに前触れもなく触手が伸びて、枝分かれし、怒号を上げながら走っていた彼らを頭から串刺しにしていった。植物が根を張る様を早送りにして一秒にも満たない間に圧縮したような攻撃である。ぐしゃ、と肉体を穿つ音。がこ、と舗装された道路に刺さる音。それらが無数に重なって雷のように轟き、一瞬の内に悲鳴を上げる間もなく二十に近い人間が無残な死を遂げた。

 重畳、おおよそは想像通りの威力である。瞬間的には百か千かという数にまで膨れ上がっているはずの枝分かれの仕方にまでは干渉できないが、しかし、そこまで徹底的に制御する必要はどこにもないので問題ない。俺が気を配るべきだったのは、枝分かれの結果としてどんなに先端が細く頼りなくなっても、その一本一本がやつらの鋼めいた肉体を確実に貫通し、止まらないような硬度を保つように意識することだった。そうして敵の身体に届けば、体内でも続く分流によって触手が内臓を駆け巡り、掻き混ぜる。最初の一槍、触手の接触は致命傷でなくて良い。その制御も完璧でなくて良い。ただ、貫通さえすれば内から外からハチの巣にできるだけの“分流”と“硬度”さえ守らせれば、細かな命令などなくても人体を破壊するだけの効果は自然と得られる。

 あるいは中空から。あるいは足元から。既に発生した攻撃からも。物理的に切り離された空間への間接的な接触、自分の肉体の遠隔操作を、俺はいろいろなパターンで試した。

 先頭を走るのは光り輝く魔法の箱、その後を追って何百という人間が詰めかけている。普段なら人でごった返すだろうベリオール・ベルの中央通りも、今や騒ぎを聞きつけて外に出ている人間など見当たらない。そんながらんとして煌びやかなコースを走る俺たちの後には、蜘蛛の巣のごとく触手が張り巡らされ、これに絡め取られた哀れな虫めいたチンピラどもの死体が転がっている。

 凄惨だった。触手は俺が距離を取るにつれ自然と自壊したが、人の跡ばかりはそうもいかない。肉と骨と血に塗れたレースの跡地は放って置くわけにもいかないから、きっと誰かが掃除をするのだろう。その誰かさんの気持ちを慮れば、俺でもうんざりする。何百にもなる人だか人でないんだか分からないぐらいに破壊された骨肉を片付ける作業なんて、陰鬱な気分にならないわけがない。

 気の毒である。非常に。そうは思いながら、俺は着々と連中の数を減らしていた。もうそろそろ、触手の遠隔操作のパターンも出尽くしただろうか。ほとんどは目新しいものではなく、既存の形から発展させたバリエーションに過ぎなかったようにも思えるが、成果が出ているのだから良し。

 大した成果だ。振り向けば大通りの終わりが見えている。廃棄区画と寂れた教会の鐘楼。向き直って見ると、もはや追いかけてくる影は四つしなかった。まともに数えられる規模ではなかった追撃部隊が、ものの数分の内に片手の指に収まるだけに減っている。だというのに、……仲間を何百も殺されているというのに、彼らは覇気を失わない。常軌を逸している。化け物の俺が言うのも何だが、まるで何か憑かれ、狂気に侵されているかのようだった。

 いや、……“よう”、ではないのか。ヴィントに向かっていくやつらが服用してみせた錠剤を、彼らも服用していたとするのなら? 死を恐れずセイバーに突っ込んでいくだけの勇敢さを手に入れたやつらと同じ、マイナーを前にしてなお萎えず奮い立つ彼らの異常な高揚にも説明がつく。身体能力を爆発的に向上させ、死への恐怖まで拭ってしまう悪魔の薬が、彼らを狂わせている。

「それなら、殺してやるのも慈悲、なのかも知れない」

 アールエンは目を向けもせず、しかし悼むように静かに、そんなことを口にした。でまかせである。本当に慈悲を与えようというのなら、狂気の元を断ってやるべきだ。その努力もせず原因の解明もせず短絡的に殺してしまえだなんて、確かに狂気からは逃がすことができても、後に何も残らないのでは何の意味もない。

 そんな救いは、自己満足以外の何者でもない。

「不純だよ。そんな理由で命を奪うのは」

「不純?」

「理由なんていらない。邪魔だから殺す。それで十分だ」

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