第43話

 アールエンは、朝の襲撃者は今までと様子が違ったと言って、しきりに気にしていた。これまでにも襲撃は繰り返しあったが、アールエンが怪我をしたのは今回が初めてだったという。しかも、その初めての怪我が一歩間違えれば致命傷になっていたような大怪我だった。ネズミを追い払っていたところに巨大な猪が突っ込んで来たような変わり様で、そうなると放任しておくわけにも行かず、俺たちは昼夜を問わず、ずっと気を張っていなくてはならなかった。

 というのも、俺とティアフはそのまま、教会の世話になることを決めたからだ。ティアフの傷がちゃんと治らないことには旅の続きができないし、それまで休ませてもらう当てもなかったから、シスターとアールエンの親切はありがたかった。見返りに、俺は用心棒を気取って、教会に何かがあれば力を貸すつもりでいた。ティアフの身を守ろうと思えば教会ごと守ってしまうのが手っ取り早い。アールエンもあからさまに俺を戦力として数えていたし、シスターも直接口には出さなかったが、アールエンと同じ気持ちなのだろうということは容易に察せられた。

 まあ、シスターの場合は本当に親切なのだ。そういう打算的な考えは多分、あったとしても多くを占めるものではない。代わりにアールエンが現実に即してモノを考えるので、二人で一つ、性善的善意と現実的善意によって教会のバランスは絶妙に保たれている、という具合だった。

 四日も経つと、ティアフも歩き回るぐらいの元気を取り戻していた。まだ傷が塞がったわけではなく、熱も引いていなかったが、峠は越していた。完治するまでは世話をするとシスターがよほど張り切っていたので、俺たちは言われるがまま教会に置いてもらうことになった。

 すると、あれだけ懸念していた襲撃も、結局四日の間には一度も起きなかった。怪しいやつが側まで姿を見せたということさえなく、至って平穏に、日々は過ぎて行った。平和は良い。が、しかし、教会という場所は退屈を押し込めたような空間で、ふとすれば時間の流れが止まってしまうのではと錯覚するほどに静謐だったために、俺は次第に居心地の悪さを感じ始めていた。生まれてすぐ様、戦いの中に身を投じていたアルマリクでの日々を思い返せば、こんなにゆっくりと時間を過ごすのは初めての経験だったのだ。

 感想としては、否、である。代え難く良いものには違いないが、さりとて耐え難く好いものでもない。特筆すべきことが何にも起きようのない時間とは、何だか精神を少しずつ、端の角の方からやすりで削られていくみたいに摩耗していく、そんな自覚に乏しい拷問のように不快であった。

 自分が化け物だと思い知る。

 ただの一時もじっとしていられない、平和を謳歌し感謝の一つも捧げられない、しつけのなっていない子どものような化け物。

 人類を絶滅せんとするマイナーの宿命が俺にあるとするならば、こんな安穏とした時間を宿命が許すわけのないことは、考えるまでもなかった。

 これとは違う理由で、ティアフも少し苛立ちを見せ始めていた。彼女は化け物ではないが、猫の仮面の殺し屋を追って街を出てきた身である。こんなところで足止めを喰らっている場合ではないと焦る気持ちがあったのだ。しかし一方で、手負いのまま旅をする危険は冒せないという冷静な彼女もいて、ままならない現実は彼女を余計に逆撫でた。

 だが、そういう自分勝手な理由からシスターの親切を無碍にしてやろうという気は少しも起きなかったし、ティアフもしゅんと大人しくして世話になっていた。シスター・アルモニカの無償の愛を跳ね退けて捨てる権利など、きっとこの地上の誰にも持ち得ないのである。

 俺はそのことを、暇潰しのために雑事を手伝おうとシスターに申し出た際、お客様にそんなことはさせられません、といやに強く断られた折にようやく悟ったのだった。有り体に言えば、良い人を率先して殴る趣味は俺にだってない。ならばこの教会は守られるべきだ。さながら開かずの鉄扉のごとくアールエンがそうするように。

 四日目の昼頃、全員が昼食を終えてから、アールエンが外に買い出しに出かけた。教会周辺、廃棄区画には当然ながら商店など一店舗も開いていない。食糧にせよ日用品にせよ、ものを買おうとすれば中心街、中央区へと出向かなくてはならなかった。あの襲撃からこっち、教会を離れることはいかにも恐ろしくて、買い出しはおろかちょっとの外出さえ渋っていたのである。が、生きるためには物資が減るのは仕方がない、背に腹は代えられぬ、と意を固めて、中央区への買い出しが敢行された。

 出るのは当然、俺かアールエンのどちらかだった。外でいるところを襲撃される恐れを考えれば、戦える二人が行くしかないのは自明である。そして、ベリオール・ベルについてちっとも知らない俺が繰り出しても役には立たないだろうということで、アールエンに白羽の矢が立った。

 もっとも、俺たちが来る前から、買い出しはアールエンの役割だったようである。アールエンが教会を空ける際には必ず、教会に盾を置き、結界を張って全面を封鎖してから出歩いた。非力で美人で教会ごと目を付けられているシスターが街に出て行けばどんな目に遭うかも分からないし、一人残ってもどんな目に遭うか分からない以上、その人選と選択は至極真っ当である。

「じゃあ、行ってくる」

 盾を背負って教会を後にする姿は、およそお買い物という雰囲気ではなく、戦場に赴くもののふのそれであった。実際、戦闘がないとは限らない。アールエンを襲った連中は、一度とはいえアールエンを斃しかけているのだ。俺がいなければ殺せていた、その勢いのままアールエンが一人のところを狙われる可能性は十分に考えられた。

 だから、アールエンには万全を期す必要があったのだが、彼女は直前まで教会に盾を置いていくと言い張って聞かなかった。彼女の魔法は盾を触媒にしている。教会の心配をして結界を張ろうとすれば、本人の代わりに盾がなくては、本人が離れた後の維持が成されない仕組みだ。が、これを気にして盾を置いて行けば、彼女本人の守りが薄くなる。あくまで触媒、なくとも魔法は使えるが、盾有りの状態でも勝てなかった敵の出現を想定していながら、盾を持たずにほっつき歩くというのはあまりに無謀であった。最後には笑顔のシスター・アルモニカが押し切って、俺が教会の守りを一手に担い、アールエンは盾を持っていくことを渋々了承した。

 ありがちな話だが、この手の善い人は頑固なのだ。何にも曲げられず染められない強い意志がなくては善人などやっていけない。その心根が、自分よりもずっと力の強い人さえも、言葉と想いだけで突き動かしてしまう。

 二、三時間ほどでアールエンが帰って来た。傷一つなく、戦った跡もない。俺たちがどれだけ気を揉んだところで、世は案外と平和で、優しさに溢れているよう……でもなかった。

 両手いっぱいの買い物袋を提げたアールエンは、ひどく落ち込んだ様子で、こう告げたのだ。

「ウィンドチャイムの残党が残らず殺された。一年前よりも酷い、虐殺だったそうだ」

「そんな……!」

 シスター・アルモニカが口元に手を当てて、小さな悲鳴をあげた。

 中心街の一角が血塗れだったとか。ウィンドチャイムとかいう連中の使っていたアジトは更地になっていて、まるで、空よりも高い巨人が現れて、踏み潰していったみたいに。

 四日の内にすっかり緩んでいた緊張の糸が再び張り詰めたのを、その場の誰もが実感していた。襲撃がなかったのは、照準が俺たちに向いていなかっただけ。もし、その標的が俺たちだったなら、緩み始めていた緊張の中でどれだけ適切に対処できただろうか。

 アールエンは短い仮眠を取って、夜戦に備えていた。シスターやティアフもちょくちょく眠ってはいたようだが、深く休まることはなく、少し疲れた様子だった。俺は、教会の屋根の上から風見鶏のように周囲を見渡しながら、寝ずの番をしているのだった。

 帳が降り、やがて日が変わる。闇が更ければ更けるほど、ベリオール・ベルの中心、うずたかい摩天楼の群れはこうこうと灯り、その目を覚ましていく。このまま何もなく一日が始まり、また終わっていくのだろうか。そういう展望が脳裏をかすめた矢先に、敷地に入って来る人影を見つけた。

 数は一つ。闇に紛れるように色の暗い服を着て、きょろきょろとしきりに辺りを警戒している。

 襲撃者、……にしては妙な素振りだった。差し迫った危機を感じさせるようでもない。しかし“何もないかも”などという心の緩みを振り払うには十分な来訪者イベントであった。

 観察していると、襲撃者(?)は真っ直ぐに教会へ向かってきた。その点で言えば、迷って紛れ込んでしまったという風ではなく、確かな目的があって協会を訪ねてきたのだろうと分かった。

 どうにも暴れ出すような人間には見えない。だが、このまま放って置いては番の意味がない。わざと脅かすように、俺は屋根から降りて彼の行く先を塞いだ。

「ひっ」

 と、男が悲鳴を上げる。風貌はいかついが、気の毒なくらいに怯え、縮こまっていた。捨てられ、雨に濡れた子犬のようだ。大の大人に庇護欲なんぞくすぐられはしないが、弱く、哀れに思わずにはいられない。

「何かあったのか、リノン」

 扉の向こうから、アールエンの声がした。開けて姿を見せないのは念のため。俺が応えるよりも前に、震えた男が飛びつくように返した。

「アールエン! あんただろう、頼む、話を聞いてくれ!」

「……誰だ、おまえは」

 懐疑を隠さぬアールエンの声に、男は小さく、ハンドベル、とだけ名乗った。

「ハンドベル? ……リノン。人数は?」

「一人。後は誰もいない」

 どう対応したものか。それを迷ったような間が少しあって、結局、アールエンは教会の門を開けた。彼を招き入れるアールエンの表情は、大怪我をしていた時にも見せなかったほどに暗く、悲観的で、こうなることが分かっていたような、あるいは瞬時に全てを悟ったようだった。

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