第41話

 男たちが軽々と、戦いを始めた位置よりもずっと遠くに吹き飛んで行った。どさあ、と教会の敷地を超えて通りの方まで転がっていく者もいたが、この辺りはほとんど人が通らないのだ。方々に放ったって誰かを巻き込む危険はなく、戦いの余波についてはあまり気に病むこともなかった。

「いつまでも倒れているな」

 命令口調の台詞とは裏腹に、男の声には余裕が滲んでいる。わたしの防御魔法に弾かれることを全く、何の失敗とも思っていない、そういう調子だった。実際、男たちは惰眠をむさぼった昼寝から起きるみたいに何の気なく立ち上がって来る。それで、馬鹿の一つ覚えのように変わり映えのしない突撃をかましてくるのだ。何度やっても同じ。言葉の代わりに、わたしの防御魔法がこれを防いだ。

「……?」

 けれど、さっきのようには弾かなかった。ばんばんばんばん。男たちは表面が炸裂する防壁を殴り続けた。ダメージは確かに負わせている。炸裂する衝撃が男たちの皮膚を切り、肉を抉り、血を荒ぶ。傷は深くなっていく一方なのに、男たちの攻撃は止むどころか一層激しくなっていった。全員、笑っている。声を上げて笑う者までいた。スリルを楽しむアトラクションに歓声を上げる子どものように、それは一種の狂気を孕んでいる。

 なるほど、余裕の意味はこれか。確かに今までとは違う。こうまでわたしの攻性防御に対抗してきたことは一度だってなかったのだ。だが、わたしは少しも焦っていなかった。この程度の何の工夫もない打撃なら丸一日も続いたって、わたしの防壁は破られはしない。傷の一つもつかないし、ひびの一つだって入らない。なので耐え続ける、という選択肢は当然としてあったが、わたしはしかし、それを採用する愚を犯さなかった。一日も外で戦闘が続けば、アルにいらぬ心配をさせる。無意味な気苦労をかける。何よりもわたしは、それを回避しなければならないという使命感に駆られ、この使命を果たすために最善の行いを選択しないことは何にも勝る愚なのだと知っていた。必要なのは勝利ではなく防衛。教会と、シスター・アルモニカの心身を健全の内に守り抜くこと。

 盾を構えたまま、わたしはひっそりと剣を抜く。半身を覆う大きな盾は、単純に相手の視界を遮って、わたしの身体の一部を陰に隠してしまう効果がある。盾のこちら側でわたしがどんな手を用意しているのか、正面切って向かい合った敵には窺い知れないようになっているのだ。見計らって、さ、と盾を上げると、わたしは陰から剣を突き出した。殴ることに夢中になっているやつらには到底反応えはしまい不意打ち。こちらからの攻撃も通さないため、自身の防御魔法は一瞬だけ解かねばならなかったが、このまま一人を無力化して、他の三人も立て続けに倒してやれば関係なかった。わたしの得意分野は防御だが、とはいえ攻勢に転じれば、力が強いばかりの素人などあっという間だ。剣はあっさりと、わたしの正面にいた一番がたいの良い男の首に刺さった。ぶしゅ、と血が噴き出て返って来るが、構っている暇はない。わたしは次の相手に……。

「……え?」

 斬りかかろうとしたのに、剣が動かなかった。両腕で振るう型、いわゆるバスターソードなんて呼ばれる幅広の剣が、それよりも更に大きな手によってがっしりと握られている。あろうことか、首を刺された男が、今も大量の血を噴いているその男が、いやにしっかりと生気を宿した小さな目でこちらを見て、自分の首を突き刺す剣を掴んで離さない。氷のように揺らぎなく、男の瞳はすわって、笑っていなかった。

「ふん!」

 ぞっとした次の瞬間、わたしは自分の身体が大きく揺さ振られるのを感じた。剣から手を離そう、と思う間もなく、わたしは剣ごと脇に投げ飛ばされたのだ。まるで、父親が小さな子どもの両手を取って、くるくるとスイングしている最中に手を離すように簡単に。

 わたしの身体は教会の敷地を囲む古ぼけた堀に激突して、これを粉砕しながら地面に転がった。

「が、げほっ!」

 ただ投げ飛ばされただけ、鉄鎧の上から石堀にぶつかっただけなのに、負ったダメージは相当のものがあった。よほどの勢いで放られたのだ。が、立ち上がれないほどではない。わたしは剣を杖にして何とか身体を起こし、状況の把握に努めた。最も最初に危惧したのは、わたしが教会の正面からどかされたことで、男たちが教会に突撃しアルに害を成してしまう展開だったが、その心配がいらぬことをわたしはすぐに悟った。三人の男が、門番のいなくなったがら空きの教会には目もくれず、のっしのっしとわざとらしくゆったりとした歩調でこちらに向かってきているのが見えたからだ。指示を出すばかりだった男も、いまだ参戦する気配がなく状況を静かに見守っている。それから、わたしを放り投げた男はとうに倒れていた。噴き出す血の勢いも収まっており、もはや絶命しているらしかった。それはそうだ、首を掻っ切られて死なない生物など存在しない。あの超常の塊みたいなマイナーだって、例外なく頭部が弱点だと言われているのだから。

 わたしは盾と剣を構え、男三人がどう出てきても良いように準備した。目を光らせてやつらの一挙手一投足を見逃さぬようにし、またこの状況で有用ないくつかの魔法のイメージを頭の中に先んじて描いておく。わたしの魔法、戦法は、こういう時にこそ輝くようにできているのだ。その本分はたった一人でも戦場に在り続け、人数の差をもろともせずに受け切り、壁のように障害となって立ちはだかり、後続のための時間を稼ぐことにある。もう二度と油断はしまいと誓って、迎撃の体勢を取り続けた側から一転、わたしは先手を打った。

「ツレア」

 盾から小さな光の塊が生まれる。それは少しだけ高いところに飛んで、きーん、と弾けた。突如として太陽が落ちてきたかのように猛烈な発光と、何千という蝙蝠が一度に鳴いたかのような音の炸裂弾。これをもろに喰らって、男三人が目や耳を抑えてよろめいた。すかさず肉薄、まずは一人の首を斬って落とす。

「く、そが!!!」

 獣じみた雄叫びを上げながら、残った二人の内の片方が殴りかかって来た。目も耳もろくに効いていないはずだが、それでもこちらの位置の当たりをつけて攻撃してきている。ばかげた戦闘力だ。並みの人間なら、さっきの魔法で二つの感覚を潰され、すっかり戦意を失っているはずなのに、こいつらにはまるで関係ないようだった。不利や有利の区別なく敵は何としてでも打ち倒す、そんな獣にも劣る単純な行動原理が透けて見える。退くことを知らないモノは、もはや生き物ですらない。哀れに思わないでもなかったが、けれど剣を握る手が緩むことはなく、大振りのパンチを繰り出して隙を晒した男の身体を、わたしはバスターソードで薙ぎ払った。

 とん。と、男は軽く地面を後ろに跳び、紙一重でこれをかわす。……かわす? 前のめりになって足がほとんど地面から離れてしまっていた体勢から、バックステップだと? かろうじて残していた片足のつま先だけで、全体重を後ろへ逃がしたと言うのか? 確実に殺すつもりで放った一撃だったから、外れてしまうと込めた力の逃げ場所がなく、自然と引き戻すのに時間がかかってしまう。もう一人の男が、いつの間にかわたしの横合いに回り込んでいた。もうかく乱から回復したっていうのか? 技術もへったくれもない乱暴な蹴りが見えて、わたしはとっさに、自分と敵との間に盾を挟んで入れた。

 がん!

 防御魔法が間に合って衝撃を受け切ったわたしは、何とかその場に身体を残すことができた。しかし、本当に人間なのか……昨日までのやつらと同じ人間なのかと疑いたくなるほど、男の単なる蹴りは強力で、衝撃を“逃がす”までには至らなかった。防御魔法越しに、ぐらりと足元を揺らされる。油断をしているつもりは本当になかったのだが、立て続けに異常な身体能力を見せつけられて小さなパニックを起こしていたわたしは、一つ前の攻防でわたしの剣をかわしていた男が、もう次の攻撃態勢に移っているのを見逃していた。

 顎を下から思いきり突き上げられる衝撃。がつ、と鈍い音が骨を伝って脳を叩いた。男に顔面を蹴り上げられたのだ。わたしは決して軽装備ではないし、小柄でもない。この大きな盾だけでも人間の子どもぐらいの重さがあり、わたし自身も普通の人間の女性とはかけ離れた体格と体重をしている。それが足一本で軽々と持ち上げられ、蹴り飛ばされた。ぽーんと、それこそボールのように、わたしは自分の身体が放物線を描いて宙に舞ったのを感じた。それを自覚できる程度の意識が残っていたのが、ほとんど奇跡のような幸いだった。時を置かず重力に捕まって落ちていく、持ち上がった時間からして、多分これぐらいで地面に激突するんだろうという計算は瞬時にできたが、それに応じて受け身を取る体制に移行できるほど意識は回復していなかった。まあ、今、頭部に重くのしかかっているダメージに比べれば、地面にぶつかるぐらいのダメージなど計算の内にも入らない、些細なものに違いない。

 どさ。わたしは確かにぶつかって、落下が止まったのを感じた。けれど、わたしは背面を強く打ちつけるものだと思っていたが、そうはならなかった。身体も伏せっていない。都合良く石垣か何かに寄りかかる形で着地したのか。留めるだけで精一杯の意識では確認のしようがなかったが、しかし、それは“向こうから”自らの正体を明かしてくれた。

「よお。おまえ、シスターか?」

 声。年頃はそう行っていないと思われるものの、正確なところは分からなかった。ただ、性は男に違いない。声変わりをしているのかしていないのか、低いとも高いとも取れないそれほど特徴のある声色ではなかったが、驚くほどにのんきな調子であったのは易々と理解できた。

「って、いうか、生きてるか? そっちの男どもにやられたのか?」

 少年らしき声の主は、わたしが虫の息であることに少し遅れて気付いたようだった。ということは、今この状況に立ち会ったばかりなのだろう。それなら、のんきなのも頷けた。この都がどんなに無法地帯だとはいえ、まさか、白昼堂々殺し合いが行われているなんて夢にも思っていなかったはずだ。逃げろ、とわたしは忠告しなくてはいけなかったが、口は全く指示通りに動いてくれなかった。顎が外れているわけでもないので、さっき頭を蹴られて脳に伝った衝撃がまだ残って、全身を麻痺させているのだろう。意識が回復はっきりするまでは、わたしは鉄を着込んだ大柄のぽんこつでしかなかった。

「おい、ここにシスター・アル……アルナントカってのはいるか? いないなら場所を間違えた。帰るから、後は好きにしてくれ」

 殺し合いの内に踏み込んでしまったことが分かっているのか、それとも分かっていて無視しているのか。少年はやはり緊張感の欠片もなく、その場にいる全員に聞こえるように声を張って問うた。弱っているわたしを置いてすぐ様に追撃が来ないのは、この闖入者の扱いに男たちもまた困っているからだろう。少しだけ沈黙を挟んで、参戦せずに後ろで見ていた男の声がした。

「ここにはいない。黙って去るなら見逃してやる」

「あ、そう。なら、どこにいるのか知ってるか? 教会ってのは、ここにしかないんだろ?」

「知るか。これ以上は待たんぞ」

 苛立ちを隠さず、脅すように男が言った。少年らしき何者かは、これにも臆した様子がなく、そっか、と短く応えた。聞いても無駄だと悟ったのだろう、わたしを支えていた彼の身体が離れていく。倒れそうになるのを何とかこらえてから、思わず、わたしは彼の腕を掴んでいた。意識がきりきりと悲鳴を上げている。目の奥が焼けるように熱い。たったそれだけの行為でさえ、わたしにはひどく重労働だった。

「――――」

 声が出ない。ただ、わたしは何者かの顔を見た。どういうわけか上半身裸の、やはり少年だ。引き締まった肉体だが、極端に鍛えているという風でもなく、痩身。表情はつまらなそうで、瞳からは何の感情も読み取れない。そういう掴みどころのない印象のくせに、髪色だけがやたらに鮮やかな桃色で、何だかちぐはぐな見た目だった。

 少年は、黙ってわたしを見ていた。腕を振り払うこともせず、じいとしている。わたしは、必死にあることを伝えるために喋ろうとしていたが、声帯は一向に応えてはくれなかった。少年は自身の手首をつかむわたしの手を振り払って、背中に背負っていた何か、大きなものを地面に下ろした。いかにも能天気でぶっきらぼうという印象の強い少年だったが、その荷物? を地面に下ろす手つきは、まるで宝物を扱うように慎重で、優しかった。

「いるんだな、シスターは」

 わたしは頷いた。

「おーけー。剣を借りるぜ。嘘つきは殺す」

 その言葉を全部聞く前に、わたしは気を失っていた。何とか離さずに握っていた剣が、するりと手から抜けていく。それが、わたしが最後に覚えていた感触で、その体格では両手で持っても扱えまいから剣を持つのはよしておけ、と届きもしない忠告を口の中で言葉にしたのが、わたしの最後の思考であった。

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