第39話
「あんた、戦いの最中に気を抜いたね?」
がんがん。追加で二度叩かれた。俺が痛みを感じなければ怪我もしないと知ってはいないだろうが、それにしては結構本気で叩いている。声は苛烈だし、眉をひそめて睨む目も恐ろしい。真正面から見ると、目元に険はあるが思った以上に美麗な女性であった。しかしその整った顔立ちが、今はかえって感情の厳しさ、激しさを物語り、また増しているように感じられた。言うまでもなく、彼女は俺に怒っているのだ。
「答えな」
「……抜いたよ。悪かった」
「ふん。素直なだけマシだね」
女の顔から少しだけ険が取れる。そうしてもう一度、今度は柔らかく俺の頭を鞘で小突いた。
「男の子なら、女の子を守ろうって時にふざけた真似をするんじゃないよ」
もちろん、ふざけた気分でなどいないし、軽い気持ちで剣を振ってもいない。だが、緊張感に欠けていたのは事実だろう。俺にはそもそも生死の問題に直面しているという意識が、事に至っても強くあるわけではないのだ。どうしても無関心なところが拭えない。当然、それは“死なない”という自らの特性から来る無頓着さ、抗えない性格であった。
もし間近でティアフが死にそうになっていれば、もう少し気を張っていられるのだろうとは思う。しかし、これは何の言い訳にもならなかった。そうではない、……ちょっと視界から外れているだけで、彼女の言うように気を抜いてしまうのだ。これは決して良いことではない。
自省しつつ、俺がそうやって女からびしびし小突かれていると、側で笑って見ているだけだった男が不意に口を挟んだ。
「おまえが言えた義理じゃないけどな」
「何でよ!」
「だって、マカイ連れてきたのおまえじゃん」
威勢良く食って掛かったまでは良いが、男はこれを見事に切って落として見せる。
……そういえば、そうだった。
不意打ち気味に叱られた勢いで納得していたが、そもそもこいつがマカイを連れて来なかったら、さっきの戦いだって起こらなかったはずである。図星だったのか、女は、うっ、と言葉を詰まらせると、数秒もフリーズした。何か、うまい言い訳を考えているのだろう。
「そんなの関係ないわ!」
思いつかなかったようだが。
「だって、あたしたちは守ってもらう側だもの!」
ねー、だなんて同性のティアフに同意を求めている。わざとらしく可愛い子振った仕草は、綺麗な大人の女性といった風の彼女には不釣り合いだったが、そこに生まれる色気のせいで妙に艶やかに見える振る舞いだ。これに話を振られたティアフはと言うと、うんともすんとも返しに困って、愛想にもなっていない苦笑いを浮かべてながら。
「いやあ、ていうか……あたしのせい、だったし」
と、バツが悪そうに告白した。
「は? そうだったのか?」
「目の前に変な虫が落ちて来て、声を上げちゃったんだよ。そうしたら、大量のマカイが出てきちゃって」
言うことを聞かないとなれば人の首をあっさり斬って串刺しにし、恨みがあれば人の足にナイフを突き立ててぐりぐり捻じ回すような女が、虫に悲鳴だって? そりゃ、年の頃十余りの少女としてはまともな反応なのかも知れないが……。
「何だよ、何か文句あるか」
「そうよ、女の子だったら悲鳴の一つくらい!」
気恥ずかしいのをごまかすみたいに、ティアフが俺を睨みつけた。すると、女が乗っかって牙を剥く。まだ非難を始めていない俺を責めるのだ、きっとティアフにも“虫で悲鳴を上げるのがいかにも自分らしくなかった”という自覚があるのだろう。増してや、初対面で首を掻っ切る
笑ってやろうかとも思ったが、あまりに意外だったので、俺は呆然とする他になかった。何がおもしろいのか、男は輪から一人抜けたような格好でにやにやと楽しそうにしている。大体、あんな大きくて気持ち悪い虫を見つけたら悲鳴だってあげるわよ、と女がフォローしているが、それも結局悲鳴をあげた事実を肯定しているだけなので大した意味はない。
この、魔者と戦っていた時よりも騒がしいような状況をひとしきり楽しんで満足したのか、男が、何にしても、と話を続ける。
「あいつの言うことは正しい。どんな時だって、男は女を守るもんだ。嫌われようが、叩かれようが、自分勝手で盾になる。それで、相手には好きにしてもらうのさ。そっちの方が、人生はきっと恰好良い」
だから、たくさん救ってやれ。
むかつくしたり顔だったが、そのどこかで聞いてきたような薄っぺらいまとめで場は収まり、俺たちは持ち帰れるだけの薪を編みに放り込んで、せっせと宿屋へ帰ったのだった。何がおもしろかったのか、不揃いな薪を見た宿の主人は大笑いして、気前良く
駄賃を二組で分けると、一緒に朝食を採って、いよいよお別れとなった。惜しむような仲でもなく、その際は非常にあっさりしたものである。ただ男の方が、そうだそうだ、と最後に言い残していった言葉は少しだけ不穏だった。
「ベリオール・ベルの方じゃ“鳥の化け物が出る”ってもっぱらの噂だ。気を付けろよ」
マリーエルルを後にし、ランツロイ川にかかる大きな橋を渡る。
東大陸最大の河川、ランツロイ川。橋の上から見渡す川の様子は、幅が広い代わりに泳いで渡れそうなほど流れが遅く、一体として穏やかである、というのが最初の印象だった。水は澄んで底の様子までもが分かり、魚の泳ぐ姿もはっきり確認できる。からと晴れ渡った空から降りてくる日光は、その水面を照らし、宝石の粒でも浮かべているように煌めかせていた。
ティアフは、この見る者に自らのちっぽけさを自覚させるが如く雄大な自然には大して目もくれず、すたすたと橋を先へと進んでいくのだった。風流もクソもない。さすがは地元住民。見慣れているのだろう、きっと。
「それにしても、鳥の化け物、ねえ」
男の忠告を思い出す。旅をする以上、化け物、要は魔者のことなのだろうが、それらに気を付けるのは当然の心構えである。彼がそんなことを承知していないわけはないので、鳥の化け物とやらには“殊更に気を付けろ”という意味があるのだろうことは、俺にも簡単に読み取れた。
「アルマリク周辺の魔者が活性化したのと関係があるのかもな。あの波は、南から段々とせり上がって来ていたんだ。それがある時に、わっとアルマリクまで伸びて来て、あんなことになった」
果樹園が襲われた日、二年前のことをティアフは言っていた。いずれはそうなるだろうと予期されていた事態ではあるが、まだまだ先の話だろうと油断していたところに、その襲撃はぐさりと突き刺さったのだとか。不運と言う他にないが、俺は全く別のことに気づいて、思わずそれを口にしていた。
「二年。そうか、あのおっさんは、それで懐かしそうだったのか」
薪を作る剣の修行もなくなった、なんて遠い目をしていた宿の主人の話の真相に、宿を離れてからようやく辿り着く。
「そうさ。おまえも体験したなら分かるだろうが、木ってのは案外、頑丈にできてるんだ。生半な剣技は跳ね除けちまうぐらいにな。アルマリクで剣を習うやつの中には、あの宿に合宿するみたいな形で修行に励むやつもいた」
それで、まともな木材ぐらいは一人で斬り出せるようになるまで、アルマリクには帰って来れないのだそうだ。平和な時代ならそんなスパルタもまかり通っていたが、魔者がはびこるようになってはおいそれと森に踏み入ることもできなくなり、薪割りと一体化した剣術合宿も自然と行われなくなっていった。魔者を斃すための修業に出て魔者に喰い殺されては何の意味もない。
そうそう、意味と言えば。
「おまえ、どうして剣なんか? 本当に、拳じゃ勝てない相手用なのか?」
「それもあるけど、それだけじゃない。ほら、おまえと約束しただろ? “人前でマイナーの力は使わない”って」
「正確には、そう悟られるような力の使い方をするな、だ」
「そうそう。それで、人間を装って戦うのは良いんだけど、ただ殴る、蹴るってのはどうもぱっとしないんだよ。リーチがないし、決定打にもかける。何より、生身で戦うってことは、多かれ少なかれ身体に怪我を負う可能性が増えるわけで、うっかり再生力を使っちまうかも知れない。だけど剣を覚えておけば、生身で接触する機会が減って、もっとちゃんと人間を装えるんじゃないかって」
要は、カムフラージュの技として剣技を求めたわけで……動機としては、そちらの方が主だった。拳じゃ勝てない相手どうのというのは、真実を明かせないあの冒険者たちへのもっともらしい方便としての側面が強い。むろん、そういう瞬間が来ないとは限らないし、対策を用意しておくことだって重要だったが、しかし喫緊の問題ではないのである。俺にとりよっぽど差し迫っていたのは、この先どうやってマイナーである事実を隠し通そうか、という難問だった。
答えとして導き出されたのが、武器の使用であるり防具ではなく武器を選んだ理由は簡単で、もし約束を破らなければいけない場面にまで追い込まれた時、死なない身体に防具は不要となってしまうからだ。その点、俺がマイナーとしての全力を出そうが出すまいが、武器には捨てるところがない。
こうやってとうとうと説明してやると、ティアフは何か、狐につままれたような顔を返してくるのだった。何か、変なことでも言ったのか、見当違いな検討でもしていただろうかと、こちらが心配になるようなきょとん具合である。
しかしティアフは、いやいや、と笑って見せた。
「意外と真面目にモノを考えてんだなと、思ってさ」
あの冒険者二人にも似たようなことを言われた気がするが、平時の俺はそんなに不真面目で粗暴で考えなしの輩に見えているのだろうか。そりゃ、死なないという意味でも自分とは何てテキトーな生き物なんだと思わない瞬間はないこともない……いや、どころか結構あるのだが、立て続けに指摘されるぐらいの実感を伴って、この葛藤がだだ漏れしているというのは少しだけショックだった。
もっとも、多少の間違いはどうにでも挽回のきく身体であるが故に、些細な事情には疎く、どんくさくなってしまうのも仕方がない。マイナーなんてこんなものなのだ、きっと、だから多めに見てもらいたいものである……ああ! だから、そういうところがテキトーなんだって!
「ま、話は分かった。剣はどこかで調達しないとな」
真面目なのはどっちだか。ティアフはそう言って俺の将来像を肯定すると、くるりと背を向けて歩き出した。疑問は解決したからすっきりした、と背中に書いてあって、ひとまずはほっとする。
「ベリオール・ベルに行くまでに、剣ぐらいは手に入るだろう。そう高いものは用意できないが」
「ベリオール・ベル。鳥の化け物がいる都か」
「大都市さ。アルマリクよりも何倍も大きな都。歓楽と奈落の鈴、ベリオール・ベル。ま、子どもが行くような場所じゃない、そんな街さ」
自分が子どもであることを棚に上げて、ではなく、そうだからこそ説得力のある説明だった。歓楽と奈落の鈴という二つ名と言い、ベリオール・ベルとやら一体全体どんな都なのかを一発で示す、絶妙な言葉選びだった。
「ペクメルは遠い。何の補給もなく歩きっぱなしで行けるような場所にはない。何度かは都に寄って買い足したり、路銀を稼がなきゃな」
鳥の化け物と出会う危険性をおしてでも、ベリオール・ベルには寄って、ちゃんと態勢を整えた方が良い。ティアフにはペクメルまでの道程がきちんと見えているようだった。それを俺に詳しく話さないのは、地理も情勢も知らぬ俺に話して聞かせ、相談したところで無駄に終わると決めつけているから。実際そうなのでは、俺には何とも反論のしようがない。せめて、彼女のことを信じて後ろを歩き、必要であれば前に出て盾となり剣となることが、俺が今してやれる旅の仲間としての最善の役割だった。
橋を渡り切ると、少しの間は木々のない真っ新な平原を通って、やがてまた深い森に入っていく。主要な都同士は道路で繋がれ、その間にぽつぽつと村落がある。人の住む村落はともかくとして、合間の陸路までをいちいち光聖のセイバーが守っているわけではないが、これらには代わりに加護の魔法がかけられていて、魔者が近づいて来れないようにする結界が張られているのだと、木々のトンネルを通る美しい道を示しながらティアフが話してくれた。むろん、この結界とて絶対の安全を保障するわけではないし、ちょっと加護のある道から外れれば、さっきみたいに魔者たちのテリトリーに踏み入ってしまうのである。光聖の護光を持ってしても、外の世界を優しく作り変えられはしない。それでも最低限、人々が生きていくぐらいのささやかな安全と安心とを、彼らは何とか築き上げている。旅をする方からすれば、ほんの少しでも魔者との遭遇が減るのであれば、こんなに嬉しいことはない。俺にしたって、無意味な戦闘で時間や労力を喰われずに済むのはありがたかった。全く、勤勉な彼らには頭が下がる思いである。……なんて言うと、ティアフが肩をすくめた。
「マイナーが光聖に感謝するのかよ」
確かに、笑い話にもならない。当の光聖が聞けば、マイナーに賞賛されるなど侮辱されるよりも心外だ、と怒り狂うかも知れなかった。けれど、それはそれとして、この感謝の気持ちは偽りのない俺の本心でもあった。最終的にやつらを……やつらを含めた人類を絶滅するような戦いへと身を投じることになるかも知れないからといって、いずれ殺す相手に感謝してはいけないだなんて決まりはない。大体俺は、カナタにだって礼を言いたい気持ちがあった。剣を使った方が良いな、楽になるなと思いついたのは何と言っても、彼や、同じように剣術を主とする多くのセイバーとの戦闘を経験できたからに他ならないのである。
「悪者風に言うのなら、何だって利用するってやつさ」
旅はまだ始まったばかりで、先もまだ長い。出会い頭につっかかり、そういろいろなものに喧嘩腰でぶち当たっていてはキリがないのだ。旅が有利に進むのならば、行為も善意も素直に受け取って歩くのが最も賢い歩き方。そうやって感謝しようが恨もうが、最後の最後の成すべき時に惑いさえしなければそれで良い。多分、俺はその瞬間に世界中の人間に感謝していたって、世界中の同じ人間をあははと笑って殺せるだろう。マイナーなんてそんなものだ。心配はいらない。
となれば、次は誰に感謝し、何を恨むのだろう。未来に思いを馳せてみると、それは何だか楽しそうな未来だった。ベリオール・ベルに待つ未知との遭遇、その期待に胸を膨らませて、俺たちは森の小径を歩いて行く。
そして、事件は俺が思っていたよりも少しだけ早く、……ベリオール・ベルを前にして、俺たちの身に降りかかって来るのだった。
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