第38話
「たああああすけてええええ!!!」
幾分楽しそうに、女の方が叫んでいる。手には網。きっと、男に言われて用意した薪をまとめて持って帰るための手段だろう。横を走るティアフは必死の形相で、そんなふざけた悲鳴を上げている余裕は少しもないように見えた。猫の仮面の殺し屋を相手に見せた踏み込みに、セイバーの一撃をかろうじて防ぎ切った視力。決して並の人間の運動神経ではないはずだが、そこはそれ、大人と子どもの体格差、旅慣れしている者か否かな体力差なのかも知れなかった。
「実践だ。いざという時は剣を捨てろよ」
「分かってる。俺もあいつに死なれちゃ困るんだ」
俺と男と、並んで剣を脇に構える。女とティアフが走って来る。その少し後を大量のマカイが押し寄せてくる。正体を明かすわけにはいかぬ以上、俺は剣一本で戦わなければならない。とすれば、俺の戦力はおおよそ剣一本分だ。男は隣で、安心しろ、と笑って。
「一本あれば十分さ」
と、いやに楽しそうにうそぶくのだった。
まず、逃げてくる二人が俺たちの脇を駆け抜けていく。後を追う大量のマカイ、それはほとんどが牙を持った四足歩行の……平たく言えば真っ黒で体躯の大きな犬みたいなマカイで、これらが寄り集まって怒涛に走って来る様は、まさしく夜中の荒波のようであった。放っておけば、俺たちも波に呑まれて押し流されてしまう。そうならぬよう、二人は同時に腰を落とし、数え切れぬ牙の波を迎撃せんとする体勢を取った。
ごう! と犬型のマカイどもが地面を蹴って、その大きな口を存分に開いて喰いかかって来る。
「でや!」
「ふん!」
これを、二人の剣が薙いで引き裂いた。一振りで、最前列にいた十近いマカイが一文字に斬り開かれて死んでいった。
「あは、斬れた!」
今まで一番巧かった、そう確信できる斬撃。感動のあまり一瞬だけ気を抜いた俺の全身に、冷や水を浴びせるみたいに大量の真黒い血飛沫が降りかかって来た。これ自体には毒も害もないが、衣服に染みれば重くなるし、目に入れば視界が潰されてしまう。まともに返り血を浴びた俺は戦いを続ける能力を奪われてしまったようなもので、しまった、と悔いる間もなく隣から怒声がぶつけられた。
「何をしてるんだばか! おい、これを使え!」
乱暴に目をこすって視界だけでも確保する。男は自分の持っていた剣を、背後へと逃げ果せていた連れの女へと投げつけていた。鋭い投擲だったが、女はこれをいとも簡単に受け止め、勢いの失せないまま男二人の攻撃をやり過ごして自分たちに降りかかって来る数匹のマカイを見事に斬り伏せた。その横で、ティアフが大人しく守られている。とりあえずは、無事なようだった。俺は、持っていた剣を手の空いた男に返すと、二の矢三の矢、息を吐かせず襲い来る黒犬どもを殴り潰し、蹴り飛ばした。
自然、この木材の散らばった場に留まって戦うようになり、互いの背中を守るように外向きに円陣を取った俺たちを、マカイの群れは更に大きく囲うように円形に展開していった。囲まれる前に突破したいのは山々だったが、しかし、マカイ側の陣形の展開があまりに円滑に行われるために、どうしても防戦一方になって状況打破の一手が打てない。鉄砲玉としてこっちの足を止め手数を消費させる役と、戦いには参加せず包囲網を展開していく役とがうまく分担されていて、敵ながら感心してしまうような手際の良さだった。
「ボスがいるわね」
女がマカイを真っ二つにしながら唸るり男もティアフも、その見立てには賛同しているようだった。俺はそこまでマカイとやらの習性について詳しく教わっていたわけではなかったが、群れを成す魔者の場合、全体の意思の疎通と統一図っている司令官のような個体がいることはそう珍しくないのだと、ティアフは俺に手短に説明してくれた。
「じゃあ、そいつを斃せば?」
「後は烏合の衆だ」
「そいつがマイナーじゃないことを祈ろう」
そう、群れを成すのはマカイばかりではない。大量のマカイを、魔者の分類の中では一つ上の存在であるマイナーが仕切っている事例も珍しい話ではなかった。何となれば、アルマリクで暴れていたマイナーに引き寄せられてやって来たというマカイの集団も、本当は指示を受けてやって来た、あの少女型のマイナーの配下だったのかも知れないのだ。それらの事実関係は今となっては確かめようもないが、しかし今の突発的な襲撃の裏にマイナーの影がないとは、そういう理由で誰にも断言できなかったり
確認されているマイナーの数は十体前後。それだけの数と立て続けに遭遇する確率は低いが、用心するに越したことはない。それに、例えマイナーがいなくとも、今が危機的状況であるに変わりはなかった。
「何だよ、怖気づいたのか?」
男が不敵に笑った。
「だってこの数、まともにやってたらキリがない」
「つっても、斬るしかできないし」
「あたしもそれしかできない」
「いや、俺も殴るしかできないけど」
何か一度に解決できる策でもないものかという希望を、二人はあっさりと打ち砕いてくれた。となると、周囲を埋め尽くす大量のマカイを地道に斃していく以外に道はないようだった。カナタのような飛んで貫く斬撃を放てれば、こんな紙切れみたいに柔らかい集団など物の数ではないのだが、あいにくとそんな境地には達していない。男と女もそうであろうが、……いや、そもそもあのカナタの力は修錬でどうにかなる類のものなのかも、甚だ怪しいものだった。何にせよ、ない物ねだりをしても仕方がない。頼れるのは己の肉体のみ、長期戦が予想されるが、前向きに考えるのなら、敵方の戦力がこの程度のまま膨れ上がることがないのなら、気を抜きさえしなければ大きな事故にも繋がりそうにないのが救いだった。そうやって全員が覚悟を決める辺りで、いや、と水を差す声があった。
「あたしの魔法なら一気にいける」
全員がティアフの言葉に、え、という疑問を返した。彼女は少しだけ得意気にして、その疑問に答えて見せた。
「剣に魔法を宿す。二人とも、魔法は使えるんだよな?」
「使えるが、これを覆すような魔法は無理だぞ」
「あたしも」
「十分。ちょっと魔力が制御できれば良い。あたしの魔法は“
それで、二人の冒険者には十分に伝わったようである。マジュというのは、物体に様々な効果を付与する補助魔法のこと。ティアフは二人の間に入り込んで、それぞれの背中に手を当てると、意識を集中し始めた。ひっきりなしにマカイ犬は襲い掛かって来るが、ティアフ以外の全員が、ティアフへと牙が届かぬように立ち回った。殊に俺は、補助魔法をかけられない役割を受けたからには、それが完成するまでの時間稼ぎとして一層奮闘しなければならなかった。
「エル・バーンズの御手をここに」
ぽう、とティアフの手元に光が宿る。この深い森の中に示し合わせたような、鮮やかな緑色の光だった。
「リカウス・ェスィオ・デイカン!」
魔法とは、想像の発現である。
イメージした事象を魔力を通して現象にする、それが魔法の全てである。頭の中に思い描く現象が具体的であればあるほど、魔法は色濃く発現し、現実に強く干渉する。その助けとして、イメージを言葉にすることでより具体化し固着するという手法が大昔に発明され、今に至るまでずっと使われてきた。この、魔法の使用に際して行われる言葉による自己暗示を“
今回の
「薙ぎ払え!」
「「応!!!!」」
先の全く見えぬほどに伸長された二人の剣が、緑光を伴って振るわれる。ばかげた長さの刃を背負った剣は一見すると鈍そうだが、しかしその実は風、全く重さを感じさせない軽妙さで森の中をことごとく斬り抜けていく。二人合わせてほぼ三百六十度。俺たちを中心に全周に渡って薙ぎ払われる風の刃。それは、俺たちを囲んでなぶり殺しにでもしようとしていた数え切れぬマカイどもを一閃、綺麗さっぱり一文字に断って全滅するばかりでは済まなかった。すっかりと、触れるものを切断する暴風の通り道にあった草木が同じ高さに揃って刈り取られ、森の最中に見晴らしの良い広場をつくってしまったのだ。
「こりゃ、すごい」
男が感嘆した。本当に、と女が同意する。ふう、と息を吐くティアフの顔色には疲労が伺えたが、ちらと笑顔も覗かせた。窮地を抜け出せたから、自分の魔法がうまくはまったから、褒められたから、どれにしたって悪い気のするものは何もなかった。危機を脱し、命を繋いだのだ。喜びが共有され、一様に緊張感から開放される。
何やら、そこだけがピンポイントに台風にでもあったみたいに拓けた空間。木々は薙ぎ倒され、一度に死んだマカイの真黒い血めいた液体が、墨をひっくり返したみたいに草木を染めていた。少し時間が経つと、マカイの残骸は残らず、様々な色の光の粒となって宙に浮かび上がりすうと空間に溶けていった。人を喰い、死んでなお大地を漆黒に染め上げる邪悪な魔者も、それが消えて行く姿は虹よりも多彩に煌めいて、美しく、幻想的だ。死んだ魔者は自身の形を維持できなくなって、そうやって魔力に戻って行くのである。こんな風に、魔者の死骸から分解された魔力や、今のティアフがやったような魔法で使われた魔力は、一時的に力を失った状態となり、少しの休息期間に入る。これが終わると、また“使える状態の魔力”となって、人に魔法として使われたり、魔者になって暴れたりする。
この、マカイの処理ついでにばっさりと伐採されてしまった草木たちも、このまま菌類の棲家になったり、朽ちて土に還ったりしながら、また次の命へと繋がっていくわけだ。。魔法も魔法でないモノにも変わりのない、ぐるぐると巡る循環。
死骸が消え、光が失せると、森に静寂が戻った。身を守るためとはいえ、直径一キロ近い自然破壊を伴ってしまったが、大陸中の森林面積を考えれば、これぐらいの破壊はちょっとした痛手にもなっていないだろう。せめて持って帰れるだけは薪にして、有用に使ってやれば良い。
戦いを無事に終えられた、そんな余韻に浸っていると、これを冷ますようにして、がん、と俺の頭が何者かに叩かれた。鞘に納めた剣を持っていたのは、男ではなく、彼の連れの女だった。
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