第36話

 ベッドを用意されてもどうせ眠れないので、俺を数えてベッドが二つある部屋なんぞ取らなくて良いと言ったのに、ティアフは結局ツインベッドのある部屋を借りた。することがない俺は、ベッドに横になったり、意味もなく窓の外を眺めてみたり、そっと部屋を出て宿屋の屋根に登って過ごしてみたりと、まあ、割と充実した一晩を過ごしたと言って良かった。

 明けて、早朝。日が昇り始めた頃に、宿屋の脇にある広場に一人の男が姿を見せるのを、俺は宿屋の屋根から眺めていた。昨日、最後には食堂のカウンターで酔い潰れていた、あのしたり顔の冒険者の片割れである。

 防具類は最低限のものだけをつけており、肩にはタオルを一枚。今から魔者退治に行くような雰囲気ではなかったが、腰には剣を提げていた。広場に据えられたテーブルにタオルを預け、少し離れたところに陣取ると、する、と両刃の長剣を抜いて黙々と振り始めた。

 正眼に構え、真っ直ぐ頭の上に持ってきて、最初の構えの位置まで一気に振り下ろす。ぶおん、ぶおん、と風を切る音が規則的に唸る。カナタのように抜く手も見せない剣速ではないし、勇者がマイナーとの戦いで見せた流麗で柔軟な型でもない。けれど、何の色気もない無骨な素振りは、じいと見ていても飽きが来ない不思議な魅力に溢れていた。

 一振りたりとも崩れることのない素振りを延々と、数えてはいなかったが何百とこなしてようやく、彼は手を止め、剣をざくと地面に刺して置いた。タオルを取って顔の汗を拭い、終わると同時に俺の方を向いて、やあ、とでも言うように手を挙げて見せた。

 何だ、ばれていたのか。

 ひょいと屋根から飛び降りて近づくと、どさ、と男はテーブルの周りに置かれた椅子に座って、爽やかに笑って見せた。

「早起きだな」

「まあね」

 寝てないだけなんだけど。

 俺が向かいに座ると、そういえば、と男が話しかけて来た。昨日の今日で、何だか友人のような気さくさだ。冒険者というのは、こういうものなのかも知れない。

「おまえたちも冒険者なんだろう。いや、アルマリクから出て来たってんなら、始めたばっかりか」

「そうなるな」

「アルマリクが大変な時期にアルマリクから出て来るなんて。何かやらかしたのか?」

 気さくに踏み込んだことを聞いてきた。冗談めかしてはいるが、何のつもりでそんな事情を聞きたがったのかは、その表情からは伺えなかった。もっとも、アルマリクの事情を良く知る人間が、そんなアルマリクを発って来たというのだから、何かあるのではと勘ぐるのは当然の話だろう。ティアフだって、それぐらいの勘繰りをされることは承知で話していたはずだ。つまり、俺がここで殊更に隠し事をすればかえって怪しまれてしまうわけだ。素性は隠しつつ、事実を答えてやる。

「まあ、ね。逃げて来たようなもんだな、ほとんど」

「逃げて来たって。……良く、ストレートに答えられたもんだな」

 男の方が呆れて、肩をすくめた。

「おまえ、俺たちがアルマリクに着いて、そのことを喋るとは思わなかったのか?」

「俺たちの正体を知らないのに、何をどう説明するんだ。少年少女がアルマリクから逃げ出しましたって? どこの誰とも分からない子どもを追っかけるような余裕は、さすがにないと思うけどな」

「なるほど。そういえば、名前も聞いてなかったか。ゴールドテイルの少女と、人間でピンク髪の少年。ピンクで目立つおまえはともかく、ゴールドテイルなんて有り触れてる。説明のしようがないか」

 あいにく、俺も人前で姿をさらしてはいない。外を歩く時はフードか帽子で人相を隠していたし、この目立つ髪色も人の目には触れていないはずだった。ゴールドテイル……ティアフのようなキツネの亜人は、彼の言う通りそう珍しい種族ではない。アルマリクの人間の多くは、ゴールドテイルと聞けばきっと、アルマリクの英雄にして無様な死を遂げた愚者とされているケンズ・ケイ・エコンを思い浮かべるのだろうが、同じように表向きは死んだとされているケンズの娘、ティアフ・ケイ・エコンにまで連想が行き届くかどうかは微妙なところだった。

 光聖だって、今回の事件の顛末を正直に話すと宣言しているらしいが、ティアフの安否については“死亡している”という嘘を覆しはしないはずである。だからこそ、サリーリアはティアフに出て行けときつく言って聞かせたのだ。今は何よりも、事後処理の混乱を収め、早急に健全な状態へと回復しなくてはならないが、ティアフの存在はそうした流れを邪魔し、あるいは反対方向へ持って行きかねない引力を秘めている。

 嘘や建前も時には必要だ。それらは決して誠実さと相反するものではない。

「悪いな。イヤなこと聞いちまった」

「最初っから聞くなっての」

「妙な取り合わせだったからな、気になったんだ」

「そういろんなやつに、聞かれたくなさそうなことをわざわざ聞いて回ってるのか?」

「単なる家出ならやめさせようと思ってな」

 なるほど、説教するつもりだったらしい。魔者による人死にが珍しくもない世界を子ども二人で歩くなど、確かに自殺行為と取られてもおかしくなかった。

「で、説教はやめたのか」

「家出するようなやつが素直に、逃げてきた、なんて言わないだろう」

 反抗期の少年少女には当てはまりそうなそれっぽい理屈を、彼はやはりしたり顔で話すのだった。考えてみると、ティアフも丁度そんなような年齢である。反抗する相手がいないのでは何の意味もない話だが。

「おまえたちは、どうも真面目らしいな」

「そんなことまで分かるもんかねえ」

「分かるのさ、それがな」

 詳しい根拠は明かされなかい。人を見る目があるか、思い込みが激しいのか、あるいは説教なんて言っておいて真剣になど受け取っていなかったのかも知れない。何にせよ、一端の冒険者と認められはしたようだった。

 その上で、試すようなことをしたお詫びに何か願いを一つ聞いてやると、彼は笑うのだった。

「願い?」

「大それたことはできねーぞ」

 それはそうだろう。人間一人、剣一本でやれることなどたかが知れている。そんな彼に頼めそうなことを考えてみると、これがなかなか難しかった。ロクな案が浮かんで来ない。とりあえずの旅程が決まっているおかげで、切羽詰まって解決しないとならない悩み事がないのだ。かといって、無理に捻り出したり、わざわざ拾ってくるものでもないだろうし。

 少し悩んで、俺は自分でもおもしろくもないと呆れるようなお願いを口にした。

「剣を教えてくれよ」

「……剣? 剣って、剣の使い方ってことか?」

「そりゃそうだ」

 そんな“提案なにか”が来るとは、男は全く想定していなかったようだった。剣の使い方を知りたいと思うような人間に見られていないのか、それとも剣の成り立ちや製法でも聞かれると思っていたのだろうか。確かに、知識を欲して旅をしているには違いないが、別に鍛冶屋や武器屋を目指す修行の旅ではないのである。剣はいかにして存在しているのか、いかにして存続しているのかなど何の興味もなかった。

「おまえ、武器は?」

「ないよ」

「ってことは殴る蹴る、いや、魔法か?」

「蹴る殴るだよ。ただ、剣も良いなと思って」

 むろん、それはカナタに影響されてのことだった。あんなはちゃめちゃな剣術だか魔法だか分からない技を覚えるのは無理だろうが、一丁前に剣を振れるぐらいになっておいても損はあるまい。例えば、打撃ではなく斬撃でしかダメージを与えられないような敵が出てきた時、ちょっとでも剣の経験があれば事を有利に運べる、とか。

「剣ねえ」

 思案するような顔で、男は空を見上げた。まずい提案だったのだろうか?

「いや、そんなことはないよ。教えるのも簡単だ。ただ、朝食を食べたら発つつもりだったからな。ろくに時間はないぞ?」

「分かってる。何も、ここで達人になろうなんて思ってない。ほんの少し、心得だけでも分かったら、後は旅をしている内に何とかするよ」

「何とかって……」

 幸いなことに、俺は死なない。死ぬような無茶をしながら腕を試していくことはいくらでも可能なのだ。ティアフとの約束で“そうとは口には出せない”し、そこまで話してやる義理もないが。

 男は値踏みするように、俺をじっと見つめていた。断られても食い下がるつもりはないし、彼を恨んだりもしないが、教えて欲しいというのは本心である。ここでだめでも、俺はどこかで誰かに剣を教えてくれと頼むだろうし、あるいは独学での修錬を始めるだろう。ただ、機会があるなら手を伸ばしておくべきだ。剣の先生なんて、そうそう転がっているものでもないだろうし。

 熱意は伝わったのか、男はため息を一つだけ吐いて、すっくと立ちあがった。

「一つ言っておくが、実践で付け焼き刃の剣を振るうのは命取りになる。分かってるな?」

「もちろん。危なくなったら、剣を捨てて殴れば良い。それ一本にこだわるってわけでもないんだ」

「うん。それが分かってるなら良い。それが分かってるなら、剣はいらないんじゃないかとも思うけどな」

 剣がなくとも戦えるには違いない。だが、だからと言ってそれ以外に戦い方を身に着ける必要がない、とはならない。それに、俺だって本当にいるかも分からない打撃無効の障害を想定して、こんなことを思いついているのではないのだ。ちゃんと、それなりの、現実に即した理由がある。

「それじゃあ、俺の剣を使え。適当に振ってみて、感触を確かめて置けよ。俺も準備してくる」

「準備?」

「剣が一本じゃな、修業も何もねえ」

 全く、その通りだった。どこからか剣をもう一本調達してくるのだろう、宿屋へと帰っていった彼の背中を見送りつつ、俺は彼が地面に刺したまま置いていった両刃の剣を手に取る。

 刃渡りは一メートルほど。両手で握ることを前提とした長い柄に、薄く円い鍔。俺より背の高い人間が持つとそれほど大きくは見えないが、子どもの俺が持つと少しばかり不格好に映るような大きさだった。重量はそこそこ、二キロもないぐらいだろう。見よう見まねの正眼で構えてみると、重さはそれほど感じられない。もっとも、俺の膂力は常人のそれではないので、重い重くないという話にはあまり意味がなかった。

 上から下へ、右から左へ。斬り下ろしたり薙いだりと剣を振る。適当に振り回しても、刃は小気味の良い音で風を斬ってくれた。この、ぶおん、という音が何とも気持ちが良くて、もしや俺は剣術の才能があるのでは、なんて気持ちになって来る。何の抵抗もなく風を斬れるのだ、他のものだってすぱんといけるんじゃないか?

「楽しそうじゃないか。何よりだ」

 夢中になって振り回していると、戻ってきたらしい男の声がした。手には一本の剣。鞘の形から察するに、俺が今使わせてもらっているものと同じようなものに見受けられた。予備か、もしくは片割れの女冒険者も同じ剣を使っていたのかも知れない。剣がペアルック、というのは仲が良い印にしては妙な気もするが。

「重さは気にならないみたいだな。ま、魔者ぶん殴ってるだけあって、力はあるってことか」

「おう。教わらなくても斬れる気がしてきたぜ」

「最初は何となくそう思うもんさ。それじゃあ、確かめてみよう。宿屋の主人からクエストをもらってきた」

「クエスト?」

「ま、単なる頼まれ事さ。こういうのは雰囲気が大事なんだよ。で、この辺りで斬れるもんがないかって聞いたらな、だったら森の木をぶった斬って薪にして欲しい、とよ」

「薪」

 それはまた地味な“お使いクエスト”である。

「ていうか、剣で薪なんか作れるのか?」

「斬れるんだからいけるだろ。薪ってのは要するに、木を斬り刻んだものだからな」

 いや、刻んでしまうと別の種類の燃料になってしまうような気もするが、ともかく、俺と冒険者は剣を片手に、近くの森へと入っていた。

 ティアフの言っていた通り、森、というのは東大陸の人間にとっては非常に身近な自然の一形態である。人の住んでいる場所以外はほとんどが森であり、他所へ行こうとするのなら森の中を通らないで行くルートの方が少ないぐらいだ。実際、俺とティアフもアルマリクからマリーエルルまでは、森の最中にある舗装された道を歩いてきた。

 そういう環境にあるため、薪にするための木はちょっと足を伸ばすだけで腐るほど突っ立っている。

「薪ってのは本来、もうちょっと寒くなってから採集し始めるもんだ。木が葉を落とすと、水を吸い上げなくなって幹が乾燥する。その状態で斬り倒して乾燥させるのさ」

「まだ葉っぱついてるけど」

「それも大昔の話。乾燥させる魔法をかけた容れ物が発明されて、採集の時期を選ばなくなった。まあ、五百年近く前の話だ」

「今は啓歴……千六百二十一年、だっけ」

「そう。千百年頃。エバンが起きるよりも更に前だな」

 西大陸の北半分を消滅させた、ある一人のマイナーによる自爆。現在確認されているマイナーにそれほど凶悪な個体はいない、とされているが本当のところは分かったものではない。もしそんなマイナーが何人もいたとしたら、この世界から大陸を消し飛ばすぐらい簡単にできてしまうわけで、そういうマイナーがいた、という事実は、光聖が世界を守る上で決して無視できない史実であった。

「光聖に入れない俺みたいな人間が心配しても、詮のない話だけどな」

「気になってたんだが、セイバーってのは成る人を選ぶのか?」

「何でも、“聖なる魔法”を手に入れるための儀式には、耐えられる人間と耐えられない人間とがいるらしい。光聖の中には、そういう未来のセイバー候補を探す部隊もあるんだ」

「儀式、ねえ」

 この世界には六つの属性が存在する。その中でも、セイバーだけが扱える特別な属性を“”と呼ぶ。魔者に対して一方的に有利な属性、と聞くと正義の光ながら反則的な性能のようにも思えるが、実は魔者だけが扱える属性“”の方がえげつない特徴を持っており、それ故に彼らは人類を脅かし続けていると言って良かった。

「魔は、聖以外の全ての属性に対して一方的に有利なんだ。力が拮抗している内は聖属性がなくとも魔には抗えるが、一定以上の差が開くと、魔は聖属性以外のあらゆる属性を“取り込む”ようになる。打ち克つとか弾くとかでなく、言葉通り“喰っちまう”のさ」

 魔法と属性に関する講義は、マリーエルルへの道中、ティアフの暇潰しがてらに聞いていたから、基礎的な知識は頭の中に入っていた。彼が同じようなことをとうとうと俺に語って聞かせてくれているのは、おそらく昨晩に俺が記憶喪失だと聞いて知っていたからなのだろう。彼らの旅の目的を聞いた代わりに、俺たちも自分たちも旅の目的を話していた。むろん仔細は伏せたが、喪失した記憶を探す旅じぶんさがしというのも決して嘘ではない。

「それも反則だよな。自分に向けられた魔法を、そっくり自分のものにしちまうんだろ? 勝てるわけがない」

「そう。だから、セイバーはこの世に必要なんだ」

 舗装された順路から少し外れただけで、森はその真の姿を現す。足元には所狭しと背の低い草花が生い茂り、見上げれば空を覆い隠すように樹木が葉を重ねている。肌を露出して数分も歩けば、全身一通りに切り傷を負うことになるような鬱蒼。森という自然はかくも険しく厳しいのだ。人が住むに当たっては根こそぎ伐採してやる、というのも頷ける。それが人と自然との競争であり、また共存の形なのだろう。

「さて、薪にする木だが……ん、最初はアレ、行ってみるか」

 男が指したのは、……その方向にも腐るほど同じような木が突っ立っているので、蓋然と方角を示されてもぴんとは来なかったのだが、何の変哲もない一本のように俺には見えた。

「いいや、少しだけ他よりも細い」

「そうか?」

「いきなり太いのに挑んでも仕方ないからな。よし、斬り倒してみろ」

 曰く少しだけ他よりも細いらしい一本の樹木、俺に今より斬り倒される哀れな生贄を、男はぽんぽんと叩いて示すと、そこから離れて俺の後ろに陣取った。

 ここまで一切、俺は手ほどきを受けていない。“教わらなくても斬れる気がしてきたぜ”なんて軽口を叩いたせいなのかも知れないが、だとすれば大人げない対応だと言わざるを得なかった。きっかけはどうあれ、剣を教えることを承諾したのだから、構えの一つ、振り方の一つも示したって良さそうなものだ。

 という抗議を、男は爽やかに受け流した。

「実践するのが一番早い。いきなり魔者の前に放り出さなかっただけありがたいと思えよ」

 むちゃくちゃだ。冒険者というのはこうも粗野なものなのだろうか。

 ともあれ、相手にその気がないのでは仕方がない。俺は動かぬ標的の前に立って、剣を構えた。

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