第34話

「あのまま光聖についていっても良かったんじゃないか。身内によって親が殺された子ども。保護はしてもらえるだろ」

「あたしは別に、光聖を信じ切ったわけじゃない」

 まあ、親を殺した相手を信じろというのも無理な話ではある。直接手を下したあの殺し屋が光聖の人間なのかは不明だが、暗殺作戦に組み込まれていた以上は、作戦を指揮した光聖に殺されたのと同じなのだ。

 そういう理由で光聖には近づきたくない。けれど、アルマリクに残って平穏に過ごすことも叶いそうにない。

 だったら、出て行くしかない、と。

 取って代わって、物を知らない俺をエスコートするという役割は、彼女にとっては丁度良い居場所になるのやも知れなかった。このまま外に放り出されても、彼女には外に知り合いのツテがあるわけでも、留まる場所のアテがあるわけでもなかったのだ。

 俺は、それに漬け込むような形で、光聖に追われる旅に彼女を同行させる、というわけである。

「といっても、主導権はあたしにある。分かるな?」

「道も事情もおまえの方が明るい。先頭を歩くのはおまえで良い。俺は、そうだな、番犬みたいなもんさ」

 後を歩いて、有事には前に出る。かかる火の粉を振り払い、遮る壁を打ち破る。俺に限らず、マイナーというのはおそらく、それほど複雑な生き物ではないのだと、今になって何となく悟るようなところがあった。誰に従うにせよ、従わずに自由であるにせよ、マイナーにできることは少ない。

 いや、限られている、と言うべきか。

「犬、ね。まあ、分かってるなら何でも良いか。じゃあ、そろそろ行こう」

 ぱんぱんと埃を払いながらティアフが立ち上がって、荷物の詰まったリュックを背負い直す。振り返ったのは南の方角。ここ、公都アルマリクは大陸最北の都市に当たる。人のいるところ、知識の集まる場所を目指そうと思うなら、進路は自然と南へと向くのだった

「行くって言っても、出て行く身だったな。南門を堂々通るわけにもいかないか。そうしたら、あの壁を超えるぞ」

 ティアフが指し示したのは、魔者から都市を守るためにぐるりを囲んでそびえ立つ巨大な壁、都壁だった。最も近いのは西側の防壁で、都の端近くに建てられた時計塔からはすぐの位置にある。

 遠くから見ても相当に大きな建築物だと分かるが、足元に立って見上げてみると、これが想像を超えて巨大だった。

 一軒家の外壁に、豪邸を囲む堀。建物の集合体である以上、都にはたくさんの“壁”と呼ばれるものが造られてあるが、そういうありふれた光景の中で培われてきた概念が一気に無意味になってしまうような圧倒的なスケールが、この都壁という壁からはひしひしと感じられた。少し離れたぐらいでは視界が真白い壁で埋め尽くされる状態からは逃れられないし、空に目線を逃がしてみても、その半分が覆い隠されて伺えない。この単純で強力な圧迫感を前にすると、息が詰まって、何だか、壁が倒れてきて押し潰されてしまうのでは、なんて不安にさえ掻き立てられる。

 冷静になってみれば、この壁は時計塔より少し低いぐらいの高さしかない、はずなのである。何の力もかかっていないのに倒れてくるなんてことも当然有り得ない。ただ、建物の幅の端が見えないというだけで時計塔を遥かに凌駕するような“大きさ”が演出されるのだと思い知らされ、打ちのめされる。

 なるほど。地べたを這いずり回るしか能のない陸上の生物にしてみれば十分に絶望的な障害であり、防壁としての機能は十二分だ。

「その大きさに加えて、ドラゴンでも持ってこないと壊せないほど堅い、ってのが売り文句だ。使われている素材と分厚さもそうだが、都壁はその上から防護魔法をかけてある」

 ぺしぺし、と自慢の息子でも紹介するみたいに壁を叩きながら、ティアフが説明してくれた。これも立派な、世界を知るための時間である。

「余計に堅いってことか?」

「それだけじゃない。よじ登れないように表面を磨いて凹凸をなくした上から、摩擦を極限まで少なくする魔法も一緒にかけてあるのさ」

 ぺし、と叩いた手で、今度は壁を撫でて見せる。何のひっかかりもなく、ティアフの指がさらさらと真っ白い壁の上に踊った。自分で触ってみても、その病的とも言えるすべすべ感には驚かされるばかりだった。摩擦が少なくなると、こうも存在が希薄に感じられるものなのか。押せば確かに感触が返って来るのに、それを滑らせると急にリアクションがなくなって、空中に指を走らせているみたいだ。

 堅牢滑沢。壊すことも登ることもできない壁。乗り越えるには、文字通り一息に飛び越えるしかないだろう。

「いけるか?」

 が、あいにく、俺にはそこまでのジャンプ力はないし、空を飛べるような特技もないのであった。肉を変形させて翼めいた何かを生やすことは可能だろうが、それを使ってゆうゆう飛べるかと言われればおそらく、ノー。飛行の原理を知らないのだから仕方がない。代わりに、高高度からの滑翔で疑似的に飛行するという手はあったが、それでは壁を越えられそうもなかった。

 防壁は時計塔に近いところにあり、更に時計塔より低いと言っても、あのてっぺんからジャンプしたぐらいでは到底、高度が足りていないのである。だから、優雅に空から攻略する線はなし、となれば。

「うん、地道に登るか」

 地面から肉を生やして、それに乗り、上空へと押し上げていく。これなら、壁に触る必要もなく乗り越えられる。

「ははあ、昇降機か。なるほどね」

 そう、生肉製の昇降機。柵も天井もないはりぼてだが、ただ昇るだけなら何の問題もないだろう。ティアフは、こうして肉の上に乗るには抵抗があったようで、散々悩んだ挙句、結局は自分の足を乗っけることを嫌がった。

 ぶよぶよした感触が嫌なのか、あるいは生き物を踏んでいるような嫌悪感があるのかも知れない。指示されるがままに彼女を背負い、二人分で壁の脇を昇って行く。都壁に沿って並ぶ戸建ての屋根を超えると、さあと視界が開け、同じ高さ、同じ赤い頭が絨毯のように敷かれた街並みが見下ろせた。

 少しずつ高くなっていく視線に合わせ、景色もまた広がっていく。一つ一つの家が小さくなるにつれ、アルマリクという群体の全容が見えてきて、その大きさを否応なく実感させられる。それは、時計塔の鐘楼に留まっていては決して臨むことのできなかったであろう、動的な感動だった。

「壮観だな」

「ああ、遠くなっていく」

 単純に感動しているだけの俺と違って、ティアフが漏らした言葉にはもっと別の感情が込められているようだった。“遠くなっていく”。地上から中空へと移動し続けているのだから、それは口に出すまでもない、当然の事実だった。俺にはだから、その思わず口走ってしまったような幼稚な感想には、思いもよらぬ万感が込められているのかも知れないと思われた。

 真意を聞きはしない。きっと、その方が格好良い。

「よっと」

 肉の昇降機から都壁のてっぺんに乗り移る。鏡のように真っ平らだった。しかも。

「のわっ!?」

 すべすべだった。すっ転んで危うくティアフを落としかけたが、何とか事なきを得る。

「気を付けろよ、滑るからな」

 もう遅い。まあ、側面にかけられた魔法が上面にもかけられているなんてこと、予測しておいて当然だったわけで、俺だってそれぐらい分かっていた。ただ、人の持つ力、偉大と評する他にない建築技術に面食らって、茫然としたままジャンプしてしまっただけだ。

「外を見ろ。あたしたちはここから南西を目指す」

 ティアフを背負ったまま半回転。アルマリクの内側に背を向けると、一転して大自然が広がっていた。この都壁を境に、世界が一変してしまったかのようである。

 実際、人の住むところとそうでないところでは、景色が違えばルールも違う。地続きでありながらも別世界だと言うのは、そうおかしな話でもないように思われた。

「木、ばっかだな」

「東大陸は元々、肥沃なんだ。植物や動物が多くて、人間はその一部を切り取って住んでいるに過ぎない。都の間に森がある、というよりは、大陸を覆う森の中に都がぽつぽつある、と考えるべきだな」

 東大陸にやって来た人間は、居を構えるに丁度良い場所を探して木々を伐採し、土地に手を入れ、住めるようにした。次に腰を落ち着けられる場所を見つけると、別の都との行路を森の中に通して、新しい都を造った。そうやって、東大陸にはいくつもの都が生まれていった。

「ここから西の方に、大きな川がある。その川を越えて、南下する」

「そこに、目的地があるのか?」

「いいや、あたしたちが目指すのはもう一つ向こうの都だ。名前を王都ペクメル。東大陸で最も大きな都であり、最も大きな図書館が置かれた街だ」

「図書館。本か」

「そう。この世界のことが知りたいなら、ペクメルの図書館を訪ねりゃ良い。それ以上の知識は聖都に行かなきゃならない」

「聖都?」

「世界の中心。光聖の本拠地さ」

 後回し。というか積極的に踏み入って良い場所ではなさそうだ。マイナーが行けば間違いなく戦争になる。知識を得るどころの騒ぎではない。

「ともかく、降りるぞ、ロー」

「合点。ああ、それと」

 滑らないよう気を付けながら、俺は都壁の端っこに立った。眼下を覗けば、真白い壁が崖のように切り立って、草原に突き刺さっている。落ちれば間違いなくただでは済まないと分かっていて、なお踏み出したくなるこの逸るような気持ちは、あえて言うなら好奇心か。

「……おい、まさか」

「思い出したんだ。俺の名前はリノン。リノンだよ」

「え? あ、ちょ、待て! おい! きゃあああああああああああああああ!!!」

 ひょい、と。

 少女の悲鳴を翼に、俺は自らを中空へと投げ出した。

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