第32話

 戦うことに意味はない。俺は死なないのだ。

 本気を出したカナタは確かに凄まじかった。剣筋はいくら重なっても見切れることがなく、どれだけ目の当たりにしても見切れることがなく、斬撃が飛んでくるカラクリを解明することもできず、俺は何度となく斬られ、落とされた。

 斬撃を飛ばす距離は明らかに制限していて、俺に届く以上の空間をむやみに傷つけるようなことはしていなかったが、もし、これが無制限だったら今頃、この街は積み上げたブロックを崩してしまったようにばらばらになっていたかも知れない。 

 数え切れない斬撃。途絶えることのない連携。俺は一発の有効打も与えられないまま、未明に始まった戦いはフォウリィ邸の庭園に戦場を移し、更に空が白んだ頃になってようやく、終わった。

「くそ!」

 悪態を吐くカナタ。全く、この状況は彼にしてみればクソッタレ以外の何でもないに違いない。大した攻撃など一切もらっていないのに、今や地面に剣をつき、杖代わりにして何とか立っているのは自分の方なのだ。

 不死身との戦いがどういうものなのか、彼は嫌が応にも理解しなくてはならなかった。そして。

「理不尽だよな、これ」

 そもそもから対等でないことを認めなくてはならなかった。

 同じ時間だけ戦って、お互いに致命傷に至るような怪我はしていない。俺は治ってしまうから。カナタは全部打ち払ってしまうから。明暗を分けたのは単純に、スタミナの差だった。というか、俺は疲れないのだ。戦いを続ければいずれ、疲労の溜まっていく方が根を上げるのは当然の結末だった。

「普通の戦いなら、おまえの圧勝だった。勝負にもなっていない。最初の一発で終わりだ」

 見えない斬撃が俺の首を刎ね飛ばして終わり。ごろん、と俺の首がフォウリィの寝室、彼の血に染まった絨毯の上に落ちて、それを俺の血が上から洗い流していく。斬られた……始まったとすら認識できずに悪は死に、戦いは終わっていただろう。

「けど、俺は普通じゃない。おまえも普通じゃないが、まあ……それでも普通だよ」

 疲れる。怪我をする。即ち、それは普通しぬということ。

 俺がゆっくりと近づいていくのを、カナタは黙って眺めていた。肩で息をしながら、傷一つ増えていないフルフェイスを通しても伝わって来る殺気、気迫が俺を射抜く。が、肝心の実力、止める気力などは残っていようはずもなく、俺が足を止める理由にもならなかった。いよいよ目前に立ち、フルフェイスの額を小突いて倒してやる。直立した木の板を押すように、一切の抵抗もなかった。

 がしゃん。

 立っていたのが不思議なぐらいの、疲労困憊。身体がまともに言うことを聞かない極限状態。

 地面に大の字になったカナタを見下ろしながら、俺は近くのセイバーの死体に肉を伸ばして、剣を拝借してきた。

「何のつもりだ?」

「剣に生きて、剣に死ぬ。おまえらしい死に方じゃないか」

 フルフェイスで顔は見えない。けれど、今更死に抗うつもりがないのは明白だった。潔いと取るべきか、諦めが早いと取るべきか。彼が真に世界の安寧を願うのなら、それをひっくり返してしまいかねない俺の脚にしがみついては、引っ掻き、噛み付いてでも、俺が何かの間違いで死んでしまうかも知れない、活動を停止してしまうかもしれない希望に賭け、この最後の瞬間にまで戦いを止めるべきなのだろう。

「何か、言い残すことはあるか?」

「無念だ」

 が、それは過小評価というものだ。

 彼は最後の最後まで希望を捨てていなかった。彼の最後の一撃は、残りの力を全て、余すことなく出し切った一撃だった。それまで、街に被害を出さぬよう残撃の飛距離に気を配っていた彼が、最後だけは飛距離のリミッターさえ外し、その分の力まで込めて俺を斬った。

 希望を捨てていなかったのだ。

 フォウリィ邸の塀を切断し、通りを挟んだ向こうの家々にまで被害が及んだ。研ぎ澄まされた剣筋は、石造りの建造物をバターか何かのように滑らかに切断し、崩して見せた。俺はそれで、先日の夜に俺を最初に切った彼の斬撃が背後の壁を大きく砕いたのは、俺を萎縮させるためのパフォーマンスだったのだと理解した。

 相手が何であろうと髪にハサミを入れるようにさらと斬ってしまう方が、彼の真の実力。本当の剣術。今の戦いは最初からそうやって、俺を殺しにかかっていたのだ。もっとも、俺の身体はいくら再生すると言っても、石のように硬いわけではないし、残念ながらどんな風に鋭利に斬られたと分析できるほど繊細にできてもいなかったので、本当のところは分からなかった。

 聞けば教えてくれただろうか。別に、知ろうとも思わなかったし、俺がそうだと理解しているなら多分、それで良いのだ。

 剣を振り上げる。カナタは俺を見ているのか、それとも死を覚悟して目をつむってしまっているのか。

「剣の心得があるのか?」

「いいや、全く。おまえのは参考にならないしな」

 握る右手に力を込める。このまま当てれば、鎧の上からでも人間の身体ぐらいなら破壊できるだろう。剣の方が耐え切れない可能性があったが、まあ、世界を守ろうとする軍隊に配られている代物である。斬るにせよ叩くにせよ、そうなまくらにはできていまい。

 すうと息を吸う。妙な話だが、今まで散々、床に散らばったおもちゃを足でどかしながら歩くみたいに雑に人を殺して来た俺が、ここに来て“惜しい”と思い始めていた。今からこの男を殺す、その事実、変えようとも思っていない近い未来を惜しんでいるのだ。センチメンタルになっている。

 理由は何だろう。あえて言うなら、ここまで長く、全力で戦ったのはカナタが初めてだったから、か。これまでの多くない戦闘の中で、カナタは間違いなく、そしてずば抜けて強かった。だが、強かった、なんて事実が何の意味を持つというのか。俺が勝っているには変わらないし、終わってみれば全部、見かけの上では圧勝だ。

 ……ああ、そうか、俺は。

「楽しかったのか」

 じゃあ、礼儀の一つも尽くそうか。

「やれ、マイナー」

「俺の名は“リノン”。この世を破壊する意志の一端だ」

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