第31話
あっさりと、身を翻した。
しかも、元々フォウリィ側だったカナタが、一度離れてから戻ったということは、この短い間に二度も手の平を返したことになる。
これまでの暑苦しい言動からは及びもつかない身の軽さ、意思の弱さ。だが、これもまた目の前で現実として起こっていることなのである。
「……ワイロだ、カナタ」
「フォウリィ様! それは!」
「黙れココメ! ここを逃せば次はない! 次ばかりは、審問会行きは避けられない! いくら何でも止められない!」
「避ける……止める? どういうことですか?」
ティアフ曰く、フォウリィは一度どこかで失敗し、それを拾われて今の地位についている……端的に言えば、この予測は大当たりだった。これを前提とした上で、フォウリィは『故にわたしは大きな力を持っている』と語った。
「一度は転落した人間が、今それほどの力を持っているというのは不可解です。無理な話でしょう」
「逆だ、カナタ。わたしは落ち、拾われたからこそ、今の影響力を持っているのだ。わたしは地位を失わない代わりに、わたしを拾った人間への奉仕を運命づけられている」
「ワイロですか」
「そうだ。当然ながら、不正行為だ。そのような形で民から搾取し、私腹を肥やすなど正義の光聖が認めるはずがない。だからわたしは、審問にかけられれば罰せられるだろう。そして……」
「……ワイロを受け取った側の人間もただでは済まない?」
「ならばどうする。わたしの上の人間は自らの保身のために、必死でわたしを庇う。一蓮托生とはこのことだ。そして、その繋がりが力となる。わたしに利するということは、わたしを利用する全ての人間に利するということ。この連携をもってセイバーの一人を昇進させるなど、何の障害も有り得ない」
カナタは吟味するように黙って、フォウリィの話を聞いていた。驚くべきなのは、この期に至ってなお、フォウリィが冷静沈着であったということだ。彼の提案は苦し紛れでも何でもなかった。この窮地を脱するに十分な方策にして、地に足の着いた現実的な秘策の披露だった。加えて、自らの罪を告白するリスクと引き換えに、重大な秘密を暴露したことは彼がいかに本気かを推し量る指標となり、その発言の信頼性も高まる。
ここで嘘は吐くまい。増してや、フォウリィの悪行を知らなかったらしいとはいえ、同じ光聖に属する人間……多かれ少なかれ事情を把握しているはずの同胞に。
「光聖とて一枚岩ではない。多くの人間がいる以上、表に出ない思惑が張り巡らされていて当然です。あなたがそれに噛んでいるとは、思ってもいませんでしたが」
「世の中は綺麗事だけでは回らないのだよ。そうやって手を汚す人間がいなければまた、光聖は財政難に陥る。世界を守るにもカネはかかるんだ、分かるな、カナタ?」
「ええ、良く」
頷きながら、カナタが剣の柄に手をかけた。次の瞬間、ひゅん、と空気を切り裂いた音がして、フォウリィの身体が縦に真っ二つになって分かれてしまった。
----。
「フォ、フォウリィ様!」
終わってから、俺もティアフも、きっとココメも、フォウリィがカナタに斬られたのだと理解するまで、数秒ほどの時間を要した。抜く手の見えない早業。腰に下げた鞘から始まって、逆袈裟に振り上げた姿勢。その剣筋は煌めいて空間に残り、さらさらと粒になって崩れ、宙に溶けていく。
しゃあー、とフォウリィだったものの断面から血が噴き出した。近くにいたティアフとココメが瞬く間に赤く染まっていく。純白のベッドシーツが、天蓋から垂れる薄い絹のカーテンが、いかにも高価そうな調度品たちが、寝室のおおよそ半分が、瞬く間に血に濡れていく。
ティアフは自分のすぐ横を駆け抜けて行った斬撃に今日何度目かの死を予感させられたのか、背中に降りかかる血の噴水にも気づいていないみたいにカナタの方を見ていて、ココメはただ、主が物言わぬ屍になってしまった現実を呆然と受け止めていた。
「お、……おまえ、何を……」
「カナタ!!! キサマァァァアアアア!!!!!!」
血の涙を流しながら、ココメが今までにない形相でカナタに振り向いた。人はここまで表情を歪められるのかと感心してしまうほどの憤怒である。
鬼である。
気にもせず、カナタは剣を鞘に納めた。
「聞いていたな。サリーリア」
「はっ」
廊下から一人、女性が現れた。部屋に入るよりも前に膝をつき、カナタに頭を垂れる。今まではフルアーマーばかりだったセイバーと違って、彼女は胸当てや肩当てといった部位ごとの防具に身を包んでいるだけで、いくらか軽装だった。それでも、鎧らしい鎧を着込んでいなかったエストっちやリエッタに比べれば十分に重装備であるが。
「今の事実を、セイバー・カナタの名において聞き留める。証拠が見つかり次第ゲフタと合流し、おまえたちはココメ殿を連れて聖都へ行け」
ココメが喚いている。むろん、誰も気に留めることはしなかった。いくら泣こうが喚こうが、もはや戦局は決したのだ。
「カナタ、おまえ……」
「ローとか言ったな。ココメ殿を離してくれ。彼女はこの事実を公にするために必要だ」
「ま、待て! あんた、フォウリィの企みに乗るつもりだったんじゃ――」
「無礼者!」
一喝。ひゅうと風が吹き抜けたかと思えば、ティアフの首元にナイフが当てられていた。サリーリアと呼ばれた女性が、目にも留まらぬ速度で近づいたのだ。
「カナタ様をこのような外道と……」
「サリーリア、よせ。彼女は生き証人だ」
驚くほど素直に、サリーリアが手を引く。とはいえ、止められなければ首を掻き切ってやったのに、と惜しむような表情を隠そうともしなかった。人一倍に正義があり、カナタを敬う気持ちも並大抵ではないのだろうが、それ以上にカナタを信頼し切っている、そういう反応だ。
死ね、と命じられれば死ぬのだろう。それが正義にもとらぬのなら。
この迫力に気圧されたわけではないのだろうが、少し毒気の抜けた様子でティアフが言った。
「……ロー。ココメを離してやれ。後はこいつらに任せよう」
「良いんだな?」
「良いも悪いもあるか」
フォウリィの足に刺しっぱなしだったナイフを抜き、ひょいとベッドから降りるティアフ。自慢の耳と尻尾も、血に濡れて真っ赤に染まり、ぴたぴたと滴を滴らせている。ぴんと張って見えないのは、緊張が収まった証拠なのか、はたまた単なる血の重みか。
俺がココメを離すと、その身をサリーリアが受け取った。同じぐらいの体格の女性なのに、実に軽々とココメを抱いて見せる。
……ココメはもう、喚くのも止めて意気消沈していたから、連れて行くにはそうするしかなかったのだ。歩く気力もない、といった風では仕方がなかった。
「光聖が直接、この事件を裁く。あたしたちにできるのはここまで。考えられる最善の結果さ」
「公正に裁くことを半貌に誓おう。それと、できれば君にもついてきてもらいたい。証言も証拠もあるに越したことはない」
きっ、とサリーリアの刺すような視線がティアフに向いた。すっかり目の仇だ。
ティアフは少し悩んで、やめておく、と彼の提案を断った。
「あたしの話も、あんたの名において聞き留めておいてくれ。あたしにはまだ、やることがある」
その返しが意外だったのか、カナタは更に問いを重ねた。
「君は光聖を信用していないだろう。いいのか、任せてしまって」
「あんたは信じられる」
殺し文句だった。それ以上カナタが疑問に思うべきことは何一つなかったし、脇で話を聞いていたサリーリアも満足気に、当然でしょう、とでも言うように大きく頷いていた。
ある意味、ちょろいのかも。
「それとも、あたしがいなけりゃ立証できないか?」
「いいや」
ティアフが自分でも言うように、彼女そのものに客観的な証拠能力はない。ただ、あらゆる証拠が出揃ってフォウリィによる暗殺があったと確定された時、その現場を見た唯一の生き残りである彼女の存在は強力な補強材となる。
ティアフ単体では単なる妄言でしかない暗殺話も、他の証拠によって彼女の言葉を妄言と切り捨てられなくなったなら、それは証言となるのだ。
逆に言えば、彼女がいようがいまいが、フォウリィによる暗殺計画が事実として認められなければ何も始まらない。例え暗殺計画が認められなくとも、どうせ他のワイロだ何だという事件が取り上げられ、どっちにしてもフォウリィは終わりだろう。
まあ、もう死んでいるのだが。
「サリーリア。先に行ってくれ」
「あたしたちも行こう、ロー」
この屋敷もそう長くは持たないかも知れない。倒壊に巻き込まれてココメやティアフが死んでしまっては元も子もないのだし。
ティアフが先に部屋を出て、俺も出て行こうとすると、待て、とカナタが制止した。
「マイナー。おまえを行かせるわけにはいかない」
まあ、そりゃ、そうなるよな。
と、俺は思ったのだが、ティアフは違うようだった。部屋を出ていく足を止め、振り返る。
「こいつがいなけりゃ、今回の事件は表沙汰にできなかった。分かってるだろ、カナタ」
「それとこれとは話が別だ。ここでマイナーを見逃せば、今は良くても、世界が滅びるかも知れない」
「こいつはそんなこと……」
「いいんだ、ティアフ。先に行っててくれ」
こうなることは何となく分かっていたから、大して驚いてもいない。むしろ、あのまま見逃されでもすれば、かえって気掛かりだっただろう。
それは、カナタという人間、いや、光聖という組織の在り方を考えれば当然の話だった。
「だとしても、だ。カナタ。あんたはこのマイナーが一役買ってると分かっていたから、ローではなくフォウリィを斬ったんだろう、違うのか?」
「今、その一役が終わった。例え一つの都を救おうと、腐敗を炙り出す引き金になろうと、マイナーはマイナーだ。わたしの正義は、……光聖の正義は、これを許さない」
許してはいけないのだと、堅く、宣言する。
「わたしは君の寄せてくれた信頼が、この行為によって裏切られるとは考えていない」
悪と分かれば断罪する。
善と分かっても断罪する。
マイナーはこれまで、多くの人間を殺し、世界と対立してきたのだ。それは何となく、人を殺すのに何の躊躇もない俺自身を省みれば自然と理解されるところだった。マイナーとは、そういう生き物であり、初めての人殺しに見境を失った瞬間を見つめれば認めざるを得ない正体だ。
そう、これも天秤。
長い歴史の中で悪で在り続けたマイナーが、たった一つの都に利したぐらいのことで、今後も善く在り続ける可能性は限りなく低い。
ならば斬っておくべきだと、カナタは判断した。光聖の歴史がそう判断させた。生存を許してはならぬ悪と断じ、ためらいないなく斬って捨てたフォウリィのように、このマイナーも逃さず斬っておけと。
「行け、ティアフ。おまえが退かなければ、こいつはおまえを殺すこともいとわないぞ。それじゃ、俺が困るんだ」
反論はあっただろう。俺は今回の事件の立役者だ。俺がいなければティアフはどこかのタイミングで殺されていただろうし、こうしてフォウリィに詰め寄り彼自身の口から真相を聞き出すこともなかったはずだ。自分で言うのも何だが、俺はティアフの役に立った。彼女の無念を晴らす一助となった。それが、褒められもせず、称えられもせず、殺されようとしている。
これを無視できるほどティアフは冷たくなかった、というわけだ。それ以外に、事件を光聖に認めさせた今、俺を殊更に庇い立てする理由など彼女にはないはずだった。
「ロー……」
けれど、もはや割って入れぬことが分からないほど、ティアフという少女も愚かではない。俺とカナタとを交互に見て、その表情から自らの出る幕がないと知ると、諦めたように背を見せた。
「死ぬなよ」
俺には多分、何の意味もない言葉だ。けれど、嬉しかった。
十分だ。
「…………全く」
足音も聞こえなくなってから、ぽつり、とカナタが漏らす。この場にはもう、俺たちしかいない。
「あの娘の言う通りだ。わたしがおまえを斬る理由は、おまえがマイナーであるという以外に何もない」
「何だよ。迷ってるのか?」
「そうだな。わたしは光聖を正義と信じ、フォウリィ殿も疑わなかった。それが今の惨状を招いたのだと反省しきりだ」
「じゃあ、やっぱり見逃すか?」
「生憎、不器用なんだ、わたしは」
剣を手に取る。
鞘を捨て、正眼に構える。
彼という人間を体現するのに、こんなにも相応しい様相はあるまい。
「わたしの過失を棚に上げてなお、わたしはおまえというマイナーを許せはしない。それは、正義の否定だ。この世界を守るという意志に刃向かう暴挙なのだ」
迷っている、なんて言っておきながら、その闘志には一切の不純物が見られない。道を見失ったり、区別がつかなくなったりすることを“迷う”と定義するのなら、きっとこの男は迷いなどしないのだろう。
どんなに暗い道でも、この男は自分の進むべき方角を見つけてしまう。目指しているのは天よりの陽光ではない。従うべきは自らの心の炎が照らす先なのだ。
それがこそが世界のためになると、何者にも通じる正義だと信じている。誤れば危ういが、正しければこんなに強い光もあるまい。
「セイバー隊隊長、我が名はカナタ・ツーシーランス。光聖の護光の下に、おまえをここで斬る」
「ああ。やってみろよ、人間」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます