第30話
「真打ちのご登場だな」
灰銀の鎧に、羽根飾りのフルフェイス。腰に提げたる剣は一本。空の甲冑の飾り物めいてぴんと伸びた背筋で立つ姿には、厳かな意気が感じ取れる。
鎧は傷つき、へこみ、焦げていた。フルフェイスの飾りは折れて、羽根だと一目に分からなくなっている。しかし間違いなくカナタ・ツーシーランス、その人である。
件の人間がようやっと顔を見せたのだ。
「貴様! どこで何をしていた!!」
さっきまで苦々しく眉をひそめ、唇を一文字に閉ざしていたフォウリィが、顔を膨らませ、真っ赤にして、ばんと弾けたようにカナタを怒鳴った。
さすが、人の上に立つ人間と言うべきか。真っ直ぐに飛んでくる砲弾のような怒声は、耳の中を駆け抜けてがんがんと脳みそを叩く。彼の怒鳴り声は反省を促すものというよりは、効率的に他人をすくませる、頭を押さえつけて下げさせる、そんな高圧的な力を強く感じさせた。
もちろん、誰もが頭を下げなかった。当のカナタですら。
どころか、ティアフの逆鱗に触れたようで。
「黙ってろ」
の一言を添えて、ぐりと足に刺さったままのナイフを捩じられてしまった。
悲鳴が上がる……かと思いきや、肉を混ぜられ、神経をぶつぶつと切られる痛みをバネにするみたいに、ますます声高に怒鳴った。
「カナタああ!! こやつらを殺せ!! 今すぐに殺せば貴様の奇行は見逃してやる!!!!!」
なるほど。喋る気になったのは強気になったからか。カナタの手に掛かれば、俺もティアフもたちまちの内に塵になるとでも思っているようだ。
“主人を見捨てて今の今まで姿を消すという奇行”から戻ったカナタは、進み出て部屋に入り、剣を抜いてベッドの側に立ち、刃の欠けた切っ先をフォウリィに向けた。
フォウリィは目を白黒させた。一瞬、……いや、かなりの間、何が起こったのか理解できずに、ばかみたいに剣の先を見つめていた。
「何を、している?」
「彼女が言ったことは本当ですか?」
「信じるのか!? こんなざれごとを!!」
「あなたは誰よりもアルマリクを案じているとわたしに言った。しかし、ココメ殿はそう言わなかった。どちらが本当なのですか」
「そんなことはこいつらを殺した後でいくらでも話してやる!! いいから助けろ!!」
「“そんなこと”?」
剣が淡く発光する。陽の光を透かす純白のカーテンをまとうように、儚げで冷たい薄明り。
「もう一度だけ聞きます。あなたにとってアルマリクとは、何なのですか?」
「貴様が気にすることではない!!!」
あるいは、そのままフォウリィを斬り捨ててしまうのではないかと、思わず止めたくなるぐらいに鬼気迫る立ち姿であった。事実、剣に魔法をかけたのは、回答によっては斬るぞという意思表示のはずだった。
結果として、カナタは剣を引いた。魔法を解き、鎧同様にかなりのダメージを負っているように見える剣を鞘にしまって、言った。
「ココメ殿を離してくれ」
猛るのではなく、また必要以上に控えるのではなく、淡々とした調子だった。
あえて表現するのなら、何も載らず、含まず、滲んでいない声。それだけに、言外に訴えかける強い感情が伝わって来た。
ティアフは、カナタの願いをふんと鼻で笑った。
「離す? ばかかおまえ。逃げられたらどうするんだ」
「これ以上の尋問は無意味だ。分かっているだろう?」
「だから証拠を探して、突きつけて、吐かせるんだろうが」
「証拠は部下が探している。追及は審問会で行う。既に私人が裁いて済む問題じゃないんだ、これは」
「審問会……だと……!?」
カナタの言葉に目を皿にしたのは、フォウリィだった。ココメもまた似たような、驚愕を隠さぬ様子でカナタを見ている。
ティアフも言葉の意味は理解しているようだったが、俺には何が何やらさっぱりだ。文字通り“審問する会”なのだろうと検討はつくものの、そこまで驚くことには思えない。
まるで、死刑でも宣告されたみたいな顔……ああ、そうか。
「審問にかけられるとまずいってことか。そんなに厳しいのか、光聖の審問って。言っても身内だろ?」
「身内だからさ、ロー。表面上でも世界の正義を標榜する以上、身の潔白は何よりも優先される」
「裏を返せば、汚点が表面に浮き上がるようなら、光聖はこれを決して許さない。正義のために」
“こいつを生かして全ての
正義を保つには、清廉の白で塗られた正義の文字を分かりやすく掲げておく必要がある。大きな文字で、何よりも目立つように。これを見た他の全ての人間が、なるほど、正義を掲げるこの何某こそが付き従うべき我らが正義なのだと直感的に知ることのできるように。
しかし、旗が汚れるとたちまちに疑問が生じる。大事な正義を綺麗に保てぬこの何某は、果たして真に正義を重んじているのだろうか? 宝物を汚れぬよう大切にし、錆びぬよう手入れするのと同じように、全ての人間にとっての宝物である正義を日々磨いておけぬ何某についていくことは、果たして正義足り得る、我々の安息へと繋がるのだろうか?
本当は正義よりも他に価値を見出す何かを、懐深くにしまっているのではないか……?
「疑念は正義を崩壊させる。信じる者のいない正義など何の意味も持たない。そうならぬよう、正義は常に自浄されなくてはならない」
この自浄作用を担保するのが、審問会というわけだ。
「と言っても、それだって保身の一種さ。光聖にとり自らを脅かす者を訴追し、処罰するための弾劾場。“それを追い出せば、他の多くの人間が助かる時”、光聖はこれを切り捨てる」
光聖お得意の犠牲の論理に従うのなら、当然の帰結というわけだ。フォウリィを庇って光聖がなくなれば、最悪人類が滅んでしまう。だったら、フォウリィを切ることで光聖をより良い形で存続させた方が良いに決まっている。
光聖にとっても、世界にとっても。
「だから、ここまでの疑念を抱える者は審問会に……」
「待て、待てカナタ! 分かった、話をしよう!」
審問会なんて言葉聞きたくもないとでも言うように、カナタの話をさえぎってフォウリィが叫んだ。その慌てようは、俺とティアフが部屋に乗り込んだ際の怯え方よりもよっぽど切羽詰まって見えた。
俺とティアフへの恐怖が本能的、反射的なものだったなら、審問会にかけられるか否かの瀬戸際に立つ今の恐怖は言ってみれば、理性に火が付いたような恐怖と言える。より客観的に自らの立場を眺められる訳知りな恐怖である分、差し迫る現実には具体性があるのだ。
そりゃあ、何だかよく分からない俺や子どもでしかないティアフに比べればずっと分かりやすい恐怖には違いない。
「釈明の場は審問会で……」
「ここでわたしを救えば、おまえの栄達を約束してやる!」
なるべく穏やかに聞こえるよう気を配って、フォウリィはそう切り出した。
「栄達?」
「昇進だ。昇格だ。思うがままの。わたしは顔が利く。借りた恩は必ず返してやるぞ、何百倍で」
どうだ? とカナタの顔を伺うような素振りさえ見せるフォウリィの姿は、さながら自慢の一品を売り込む商人のようだった。懐刀、一発逆転を狙える
そもそも、より影響の少ない方を犠牲として容認する光聖の考え方は、損得勘定の極みのようなものである。その点においても、損得勘定の傀儡たるカナタへの誘惑として、フォウリィの切り口は絶妙だった。
「よく考えろ、カナタ。万が一にもわたしが処罰されるようなことになれば、良いか、おまえにも累が及ぶ。それが分からないおまえじゃないだろう?」
「承知の上です」
カナタが頷くと、フォウリィの引きつった口元に少しだけ余裕が戻った。彼の説得がうまくいくためには、カナタがきちんと今の状況を理解し、自らの今後を省みていなければ成り立たなかったからだ。
それが分からぬほど、カナタは愚かではない。聡く、素直だ。
「ならば、分かるな? 審問会の極刑は死刑だ。連座による処罰でも減刑は有り得ないんだぞ?」
本人が直接関わっていなくとも、また行為について知らなかったとしても、責任を負う立場であったなら同じように処罰されるべき、とするのが“連座”制。
この場合の責任とは、監督責任や任命責任といったもので、本人に故意や過失がなくとも、責任があったと判断されれば罪に問われる。
「わたしの罪は職務怠慢。本部からの出向である以上、わたしにはあなた方を……光聖主導となったアルマリク政府を監視する役目もあった。が、これに気づかず、抑止にも至らなかった。結果、今のような事態を招いたというのであれば、罰は甘んじて受け入れましょう」
「違う! 違うぞカナタ! おまえがここで我々に協力すれば、この不届き者どもだけを始末して、こっちは無傷で終えられると言っているのだ!」
「無傷は不可能でしょう。ここまで広がってしまった波は、そう易々と抑えられるものではありません。もう遅いのですよ」
「遅くない! 光聖の力をもってすれば、この程度の鎮圧など労せず可能だ! その上、おまえの将来も約束されるんだぞ!」
「それも意味が不明だ。あなたにそんな……個人でセイバーを昇格させるような影響力があるのなら、こんな辺境にいるわけがないでしょう?」
「力ならある!!!」
熱っぽく、断言した。フォウリィは食い入るようにカナタを見つめ、足を刺されてなければ飛びついて、その足元にすがっていたのではないかという勢いでまくし立てた。
「証明できますか?」
「カナタ、おまえ!!」
話を聞く姿勢を見せたカナタに激怒したのは、ティアフだった。それはそうだ。正義なんて言葉を口にして、最初はフォウリィを詰問するような厳しい態度を取っておきながら、栄達の未来がちらついた途端に物分かりが良くなってしまったのだ。
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