第26話

 強く背を打ち付ける。衝撃は骨を伝い筋肉や横隔膜に渡るばかりか、脳天にまで届いて意識をぱちぱちとちらつかせた。その上呼吸困難に見舞われ、身体の自由が利かなくなってなお、しかし脳みそは“見ること”を止めなかった。

 足を止めるな。足を止めるな。足を止めるな。足を止めるな! 足を止めるな! 足を止めるな! 足を止めるな!

 沸き上がる怒りが熱となって全身を駆け巡り、血液を沸騰させ、激痛に身体が参ることを許さなかった。それで、かろうじて意識を繋いだのだ。だが、どれだけ気合が入っていても動かないものは動かない。“殺し屋”から目を離すまいと踏ん張ったところで、もって数秒、身体は全く言うことを聞かなかった。

 仰向けの格好で、ごつん、と頭が落ちる。

 上目に見えたのは、上半身が吹き飛び、炎に包まれて……いや、まるで下半身から炎を噴き出しているような格好になったローが、ゆっくりとこちらに倒れてくる映像だった。

 普通なら、死んでる。やりすぎなぐらいに。

「ろ、……おお……」

 名前を呼ぶことも満足にできない。強打による一時的な麻痺は治りつつあるが、身体はすぐに動けるようにはならなかった。心臓が張り裂けそうなぐらいに高鳴って、全身が強張っている。酸素が足りていないからか。その足りない酸素を求めてか。いいや、そればかりではないことは、自分が良く理解していた。

 フォウリィ邸への侵入を寸前に阻んだ一撃。怒りで我を失いながら、一方で刃のように研ぎ澄まされていた感覚は、その剣閃にかろうじて追いつき、見極め、予測される軌道にナイフを置いていた。

 どんぴしゃり。

 でなければ、頭を上から半分、斬り落とされていた。

 明確に、自分がそうやって死ぬ“未来ビジョン”を連想させみせつけられた。ガードできたのは偶然であり、奇跡であり、九死に一生をうっかり拾って“しまった”ような一瞬だった。身体の神経が張り詰めて動かないのは、生き残りながらも、“間違いなく殺されていた”とはっきり理解してしまったが故に、恐怖でまともに機能していないからだった。

 きいい。

 飛び越えようとした両開きの門が開く、悲鳴のように甲高い音。

 がしゃん。がしゃん。とゆっくり歩いて来て、真横に、鎧が立った。フォウリィ邸を守る六人のセイバー隊の隊長であり、淀みなく自分を斬り伏せようとした邪魔者しゅごしゃ

「良い目だ。賞賛に値する」

 落ち着き払った低い声だった。賞賛なんて口にしながら、その声にはむしろ、嘲笑めいた感情が込められているように感じられた。自分を斬った相手だから、敵愾心からそう聞こえるだけだろうか。

 フルフェイスに隠れて表情が読めないから、真意はようとして知れない。

「反乱分子にしておくにはあまりに惜しい。さっきのチンピラどもは、まるで意気地がなかった。全員、メイルクとかいう裏切り者に殺されてしまった。あんなものを殺せないで、セイバーに歯向かう気でいたとは、敵ながら同情するよ」

「おま、え……ぇ……!!」

「君のお友達も、腰から上を吹き飛ばされては一溜りもあるまい。いや、不死という噂が本当なら、まだ死んでいないのかな? 動く気配はないが、どうだね、君。お友達の安否は、いかに?」

 知ったことか! 吐き捨てたつもりだったが、音になったのはひゅーひゅーと頼りなく空気の出て行く音だった。

 知ってても教えない、とまで啖呵を切れれば恰好もついたろうが、ローが本当に不死かどうかを自分は知らなかった。殺したはずが生きていた、という事実は動かしようがなくても、“生き返る場面を実際に見たわけではない”のだから、証明のしようがない。ローと直接戦い、それを目の当たりにしたはずのカナタと彼の部下たちぐらいなんだろう、真実を知っているのは。

 言葉にはできないから、代わりになるだけ分かりやすく、怨念を込めて、反抗的な表情を作って睨み返してやった。

「反光聖の隠し玉。やはり、賞賛ものだ。それだけの心とあれだけの目があれば、セイバーとしても存分にやっていけるだろう。わたしほどの使い手になるかも知れないよ」

 地べたをちょこまかと行きかう虫けらを見て、ああ、そんな下等な生物に生まれてしまって、と嘆く悲哀と憐憫こそが、男の声の全てだった。

 見下している、というレベルではない。相手が同じ人間だなんて、きっと心の底から理解してもいない。

 言葉を振り下ろしてから、相手が表情を変えない、考えを改めないことを確かめると、ひょい、と無造作に剣を振りかざした。

「殺してしまっても良いかね?」

「構いません」

 いつからそこに立っていたのか。多分、堀の後ろにでも隠れていて、さっき、門を開けてこの男が出てくるのと一緒に現れたのだろう。足元の方に立つ女は、ココメだ。反光聖派の地下室に踏み込んできたカナタと一緒に居た、メガネの女。

 フルネームをココメ・アラシア。フォウリィ・ウィンプスに付き従う首長補佐。彼の右腕。

 冷たい目の、いけすかない女だ。

「では、死ね」

 剣が振り下ろされた。ガードする気力はもう残っていないし、例えできても簡単に弾かれるだろう。ああ、こんなところで死ぬのか。

 仇を前にして。

 なんて、無様。

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