第25話

「でも、どうしてそんなことを? ……もし、その緩い監視の隙をつかれるようなことがあったら……」

「フォウリィが何より! 怖がってたのは、手詰まりになったおまえたちが、反光聖派が! やぶれかぶれで勝負を仕掛けてくることだった! そのリスクに比べれば、普段からおまえたちを! 本当は抑えつけて、つけ込ませないように、付け入られないように立ち回る方が、よっぽど簡単だったんだ!」

 ティアフの質問は、メイルクの話のおかしな点を突いて、本当は彼が裏切ってなどいないのだと証明するためのもののようだった。けれどメイルクは真っ向から、その思惑を打ち砕いた。

 恐れているくせに警戒が甘い。矛盾のように見えた点こそが、本心だったのである。

 フォウリィが何より警戒していたのは、手詰まりになった反光聖派の暴走。現状で掴まれている証拠を引き合いに、今の地位から引きずり降ろそうと実際に行動を起こされる可能性を恐れていた。

 反光聖派は、そんなフォウリィの心配とは裏腹に、不確かな証拠ではアルマリクの世論は動かないだろうと踏んでいた。早まった真似をすれば、フォウリィに利するかも知れない。だから、春の事件から証拠を集めるだけで、手を打てないまま一年半が経ってしまった。

 しかし当のフォウリィは、反光聖派が思っているほど、自分がアルマリクの人心を掌握し、惹きつけられているとは考えていなかったのである。

 味方にしきれてはいない、と。

 アルマリクをまるで信じていなかった。

「必要なのは、反光聖派がずるずると、現状! 維持を続けることだった! だから僕の役目は、反光聖、光聖派に! ずるずると現状維持を促すこと、もの、だった! 間者とのパイプである僕が、わたしが! 嘘と本当と虚実とを織り交ぜて情報を! 未来を! 希望を! 与え反光聖派の動きを、コントロール! 操って、糸を引いて、していたんだ!」

 二年。

 先代ケンズの頃からフォウリィの粗捜しは始まっていて、彼らの死をきっかけにニットが本腰を入れて調査を始めた。だが、不正に関する疑惑はいくらでも出てきたが、決して確たる証拠に辿り着くことはなかった。

 今にして思えば、それは当然だったのである。メイルクがいる以上、情報を掴もうとする反光聖派の作戦は、立案の段階から光聖に筒抜けであり、これを回避することはフォウリィたちにとって容易なことだった。故に彼が虚を突かれ、出し抜かれるなんて失態は起きるはずもなかった。煮詰まろうが煮詰まるまいが、最初から反光聖派には勝ち目などなかったのである。

 二年は無駄だった。

 フォウリィの掌の上で転がされ、喜んだり、悲しんだりしていただけ。

 だが、これは決してフォウリィ一人の手柄ではない。全ては、メイルクという二重スパイがいてこそだった。

「本当に裏切ってたのか、おまえは……!!」

 放心し、立ち尽くしていたティアフの目に、光が戻って来る。湧き上って来る怒りが熱になって漏れ、見えるようだった。

「一年前の、あの日も……!!」

「そう、そうだよ、ティアフ! あ、ああ、ははははは!!」

 対して、メイルクは蕩け始めていた。身体も、声音も、言葉も、思考も、何もかもが急速に取り留めを失い始めていた。けれど、液状になって溶けだせば溶け出すほど、彼の体積は増していく一方だった。風船が膨らむように肥大化していく。注がれる水の量に追いつけない器が、水を垂れ流しながらも、必死で自身を大きくしていくような様子はただ、おぞましかった。

 きっと、肉の塊になって再生し増殖する俺も、側から見るとあんな感じなんだろう。溶けていないだけマシかも知れないが、気持ち悪いには違いない。

 ティアフは、涙を浮かべて彼を見ていた。それは、裏切りへの怒りだろうか。気づかなかった自分たちへの怒りだろうか。あるいは、憐みの類かも知れない。

 人の姿を放棄したメイルクが、けたけたと笑う。屋敷の門前に立つ光聖のセイバーたちは誰一人、その異様な光景にたじろくこともなく、ただ正面を見据えていた。

 元々が人だから斬らないのか。いや、彼らはきっと……。

「ぐ、ぐぐ! ケンズ! 僕は、き、君が死んでも、僕、はあ! 君が、例え、殺されて、なんて、も!」

 既に反光聖派は壊滅した。ニットやケスタは物も言えず破壊され、多くの間者たちはおそらく、暴れ馬に轢かれるみたいにマイナーに殺されていったのだろう。

 残るはティアフと俺だけだ。

 なら、俺は何をするべきだ?

 涙を流しながら、けれど毅然と立つ少女。

 目の前には今なお崩れていくメイルクだったモノがある。その少し後ろに六人のセイバーが並び、奥にそびえるのがフォウリィの屋敷だ。

 フォウリィの屋敷? ……そうだ、あるじゃないか、やるべきことが

「ああ、が。あ? き、みぃ。何をする気、だい?」

 ぎろり。人の頭ほども大きくなったメイルクの目玉がこちらを向いた。小さな山のようになって、川のようになって、雪崩のようになって、周囲に自らを広げていく化け物。放って置くとこっちまで飲まれてしまいそうだ。

「ティアフ」

「分かってる」

 まだ何も言っていない。以心伝心と言うほど深い仲でもない。けれど、俺の考えることぐらいはもしかしたら、ティアフには予想がつくのかも知れなかった。

「メイルクを殺せ。屋敷に乗り込む」

 説明の手間が省けるのは良いことだった。一秒だって無為に時間をかけてはいられない。あの化け物がどんな意外な手を使って来るか分からないのもそうだが、いまだ“カナタの姿が見えない”のもまた、未来を不確定にして留める大きな要因だった。何が起きても不思議ではない。その不快な暗黒に足を取られる前に、……何か不都合な事象に巻き込まれる前に、行動を起こさなくてはならなかった。

 ここはともかく、駆け抜けるように終わらせる。

「行くぞ!」

 威勢良く飛び出す二人。

 しゅん、と。

 化け物メイルクの首が刎ねられた。

「え?」

 どこからが首上でどこからが首下なのか、溶岩に覆われた山みたいな身体ではもうほとんど分からなくなってはいたが、かろうじてそこから上が頭部なのだろうという部分が、山に例えるなら頂上付近に当たる部分が、きれいに刈り取られた。

 ……何だ、今のは? 俺たちはまだ何もしていないぞ?

 呆気なく、悲鳴もなく、また液体を切るようでろくな音もなかった。が、確かに首は刎ねられ、俺とティアフが混乱して足を止める間にも、しゅうううううと煙を吐いて地に落ちる前に蒸発するように掻き消えてしまった。

 後に残った山のような身体もまた、煙になってしぼんでいく。目に沁みそうな腐臭が撒き散らされていく。その向こうに、メイルクだったものの首を刎ねた犯人の姿が悠然と現れた。

「――――!!!!」

 ぶわ、とティアフが緊張する。耳としっぽが張って、金色の毛が逆立って、目が見開かれる。

 犯人は、じいと、こちらを見ていた。

 目深に被った茶色のフードの下、“ふざけた猫の仮面”の向こうで、深藍こきらんの瞳が鈍く光る。

「おまえは!!」

「あ、おい!」

 ぶわ、とティアフが駆けた。静止は聞こえておらず、一息に三メートルほどの距離を詰める。俺が一歩さえ動く前に、事は終わった。虚しく、ナイフが月光に閃きながら空を切る。位置は合っていた。もうその場所に、猫の仮面が立っていなかったのだ。

 避けた。

 ではなく、いなくなった。

 ティアフに聞いていた通りだ。本当に、“次の瞬間には消えて”いた。ケスタと似たような高速移動だろうか、いいや、それにしては音もなければ風もない。何か超常的な力で移動した、という痕跡が欠片も感じられなかった。

 不可解だ。

 一度、ケスタのアレを目の当たりにしている俺からすれば、猫の仮面のソレは全く別物のように映った。超常の更に上。理不尽で、常識の外にある方法が隠されている、と。

 ティアフは足を止めず、フォウリィ邸に向かって走り出した。高い、とはいえジャンプで超えられないほどではない堀と門扉が立ちはだかっている。柵から透けるフォウリィ邸庭園の真ん中に、人影が二つあった。白衣の男と、茶色の外套。片方はメイルクを殺した猫の仮面。もう片方の白衣は……誰だ?

 鍛えているようには見えない枯れ枝のような肉体に、不摂生を物語る蒼白な肌色。目は細く、けれど瞳はやたらにらんとしてこちらを見据えている。

 いつからだ?

 あの白衣の野郎はいつからそこで、にやにやと、遠目にも分かる薄気味の悪い笑みを浮かべてこちらを眺めていたんだ?

 門扉を越えようと、ティアフが跳ねた。自分の身長の二倍はありそうな高さだが、彼女の身の軽さをもってすれば訳のない高さだった。簡単に飛び越え、そして、がん、と鉄の交錯する音がして跳ね返される。

「きゃ!?」

 ティアフの悲鳴。俺はそれでようやく、我に返ったように自分を弾いた。ティアフを攻撃したのは、門の側に並んで立っていた鎧の内の一人だった。カナタのものとは違うが、他のセイバーに比べて装飾が凝っている。彼は、この隊の長なのだろう。

 目にも留まらぬ速度でティアフの前に移動し、斬ってかかった。尋常ならざる移動速度、しかし褒めるべきは、その神速の一撃をナイフで受け止めたティアフの方だろう。投げ出される彼女の身体を、地面に激突する前に受け止める。そう決めて走り出した直後、俺は、自分に向かってくる一点の光に目を取られたのだった。

 発射位置は分からない。けれど光は、針の穴を通すように門扉の柵の隙間を抜け、走り出して体勢を落とした後の俺の眉間に真っ直ぐ、“最初からそうやって俺が動くことを予知していたみたいに正確に”、突き刺さった。

「え?」

 矢だ。先端に炎を宿した矢。そう理解した矢先に、視界と意識が吹き飛んだ。

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