第19話

「な、に……!?」

 表情は伺えなくとも、動揺が見て取れる。切羽詰まった様子の報告に羽兜が唸った。膠着に穴が空く。そうか、こいつ、エストっちとリエッタを殺したマイナーと、同じ日に街中で暴れてセイバーを一人殺したマイナーを、どっちも俺だと思っていたんだ。あの晩に、部下の一人が俺を指して“三人も殺された”という風なことを言っても、羽兜は否定しなかった。それは彼自身もそうだと決めつけていたからに他ならない。

 その思い込みが、ここに来て否定されてしまっては、確かに混乱もするだろう。だってそれは、“都の中に二人のマイナーの侵入を許していた”という由々しき事態の証明なのだから。隙を突くように、構えを解いて言ってやる。

「そっちに行ったらどうだ。俺は今のところ、おまえたちを殺してやろうとは思ってねえよ」

「……」

「犠牲が増えるぜ。人手不足なんだろう、おまえたち。また何人も死んじゃ、たまらないだろうに」

 羽兜は構えを解かない。戻りも進みもしない。悩んでいる。張り詰めたまま、状況を噛み砕いている。

 昨晩のやり取りを思い出せば、羽兜がセイバーの犠牲を嫌っているのは瞭然としている。あの日には俺が二人殺して、別のマイナーによっても一人殺されていたはずだった。強いセイバーが死んだのか、弱いセイバーが死んだのか、数が減るにしたって重みはそれぞれだが、何にせよ減っているには違いなくて、羽兜はそうした状況を良しとしていないようだ。なればこそ、俺の言葉にも耳を傾けたのだろう。

 それは弱気か? いや、違う。単なる合理だ。

 もし、ここで俺を追い詰めるより、外で暴れていると今しがた報告を受けたマイナーを止める方が先決だと思ってくれれば、羽兜は俺を捨て置く。戦わずしてこの場を切り抜けられる。

 羽兜は構えを解かない。俺を見据えたまま、言った。

「ココメ殿。この二人に見覚えは?」

「あったら言っています」

「では、下がりましょう」

 剣を収め、羽兜があっさりと背を向けた。

 撤退と決めれば潔いものだ。階段を駆け上がる彼に続いて、ココメも俺とティアフ、二人を一瞥して地下を出ていく。耳を澄ますと、爆発だか倒壊だか、とにかくただ事ではないと分かる破壊音が地上から、あるいは地面を伝ってかすかに聞こえていた。その内に溶けていく二人分の足音。急いでいる上に敵地であって、彼らが仕掛け扉を戻していくわけもなく、音と振動とは相変わらず響いてきていたが、それで、地下室には一応の平穏が戻ったのだった。

 光聖の人間が確かに遠ざかったと確認するまでの数十秒、地下室はしんとして、それからばたんと、ティアフが尻もちをついて倒れた。

「だ、っはー。死ぬかと思った」

「あの羽兜。何となればおまえも殺すつもりだったな」

「ここのセイバーの隊長だ。カナタ・ツーシーランス。暑苦しいやつさ、よっぽどじゃなきゃ民を殺すような真似はしない」

「知った風だな?」

「光聖に潜らせてるスパイから、そういう話を良く聞くのさ。フォウリィはクズだ。けど、隊長さんはヒーローほんものなのさ」

 して、今の状況は果たして、彼にとって“よっぽど”だったのか否か、去ってしまった本人には聞けず終いだ。不意打ちを喰らわせて来た挙句、この狭い場所で戦闘を始める気でいたのだから、俺の目には“よっぽど”と映ったが、羽兜、カナタ・ツーシーランス、あのセイバーの隊長が俺をどんな風に評価していたかによっても、俺とティアフを天秤にかけた際の結果は変わって来る。それで、もし、よっぽどと判断していて、かつティアフを巻き込んででも俺を斬るつもりだったのなら、あの羽兜は大した人間だ。犠牲を省みない光聖の信念が、骨の髄まで染み渡っている。

 子ども一人とマイナー一匹なら、黒字。恐ろしい話だった。

 優先順位を間違えない、見失わない意志の強さは、何にも心を揺らすことなく、いつだって全力を発揮できるという意味に他ならないのだ。

 そういう意味でも、彼は“本物”なのだろう。

「さあ、ロー。これは好機だ」

「好機?」

 さっきは死ぬ思いをしたと自分で言っておきながら、その瞳にはいささかの憔悴も感じられない。けろっとしたものである。

 それで、今度は何だ?

「あの隊長、都に残っている唯一の上位のセイバーが、外でマイナーの対処に当たる。ってことは、他の守りが薄くなる。イレギュラーだが計画を実行するなら今しかない」

「何の話だ、それ」

「ロー。フォウリィの家に潜入して、何でも良いから不正の証拠を盗んで来い」

「それはまた……何だ、いきなりだな」

「いきなりなもんか。あたしがあんたにとつとつと話をしていたのは、全部これのためなんだよ。分かるだろ? あいつを切り崩すならまず、金の問題を明らかにしてやらなきゃいけない。フォウリィの屋敷か光聖支部か、証拠があるのはどっちだか知らないが、どっちにしたってカナタのやつが外に出張っている今が好機チャンスだ。もう一人のマイナーが暴れてくれてる、この機に乗じる」

 ティアフが息巻いて、言った。

 多分、これを俺に命令するところで、さっきの二人が侵入して来たのだろう。彼女にとっては、中断した話が間を置いて再開しただけ。いきなりではないと言われれば、確かにその通りだった。セイバーの隊長カナタや、立場は分からないがココメとかいう女がやって来たハプニングは、ティアフが最初から……“今夜”にやると決めていたこと、反光聖派がやらなくてはならないことの優先順位を動かす理由には成り得ないと、彼女は判断したわけだ。むしろ、チャンスであるなら、背中を押す材料ぐらいに受け止めているのかも知れない。

 それもまた、光聖の信念と同じような芯の強さだった。この場合の犠牲は、マイナーに殺されるセイバーか。

 何にしても、断る理由は見当たらない。ティアフとともに地上へ駆け上がり、隠れ蓑のケーキ屋を出て表通りへ。真夜中のアルマリク、俺がこの二日で見た帳の降りたそれは、静かで冷たい、厳かな景色だったと記憶している。

 けれど、今日は違う。

 遠目に立ち昇る煙がいくつか見え、爆発や倒壊の音は途切れることがない。大通りや近くの広場には、騒ぎを聞きつけた住人が出て来ていて、何事かとざわついていた。同じ都の中の騒動とは思われるが、この辺りはまだ一切の被害に遭っていないようで、差し迫った危機感を覚えている者はいないようだった。

「セイバーは……来てないか」

 見回して、ティアフ。鎧を着こむセイバーは、寝間着のまま外に出て来ているような群衆の中にいれば、真夜中とは言え目立つはず。しかし俺の目にもそれらしき姿は映らなかった。

 反体制の俺たちにとっては好都合。しかし、そうではない善良な都民からすれば心許ないに違いなかった。説明してくれる者がなく、指示をくれる者がなく、ただ何かが……それも良くない何かが起こっている、というだけの状況。絶えず破壊や戦闘の音が止まない街の向こうと比較して、こちらは不気味なほどに静かだったが、それがまた恐怖を煽るのに一役買っているようだった。今は安全でも、いや、安全だからこそ、火の嵐がこちらにやって来る未来を想像せずにはいられない。

 また、爆発があった。星空に吸い込まれていく黒い煙。音も光も小さいが、それはつまり、“こんなに遠くからでも分かるほどの爆発である”、ということ。本当はどんなに大きいものか。遠くから眺めているだけではさっぱり掴めやしない。

「おーい!」

 広場の野次馬を掻き分けるように抜けて、数人の男が走って来た。

「ニット! ケスタ! メイルクも!」

 その三人の顔は俺も知っている。他にも三人の男がいたが、こちらは初対面だった。一緒にいるのだから反光聖派のメンバーなのだろう。

 爆発のある方を指さして、ティアフが興奮気味に話す。

「外でマイナーが暴れてる。カナタはそっちに向かってるよ」

「ああ、そのことで話が……あれ? なんで知ってるんだい? というか、どうして地下室から出てるんだ?」

「さっき、カナタとココメに、地下室まで入られたんだ」

「な!? 大丈夫だったのか!?」

「それからすぐに、この騒動になっちゃって、カナタもココメもあたしたちに構ってられなくなったんだ。だから、一応は助かったよ」

「そうか。なら、良かった。けど地下室はもうだめだな」

 ケーキ屋を一瞥して、いやに落ち着いた風にニットが応える。すると、後ろで見ていたメイルクが、そんなことよりも、と口を挟んだ。

「あの話を……」

「そうだ、そうだった。ローくん。頼み事がある」

 ニットが俺を見据えた。ケスタは遠くの火の手の方をじいっと眺めている。俺たちが反光聖派のメンバーだと分かっているのか、周囲の人間は少しばかり俺たちから距離を取って、ちらちらと観察するなり、やはり爆発の音や光に気を取られたりしていた。現状、アルマリクにおける反光聖の旗色は最悪に近い。一時は潰えたとさえ思われた過去の遺物なのだ。

 そんなものが、街中を堂々と闊歩している。亡霊でも見ているような気分なのだろう。

 それはそれとして。

 頼み、というのはきっと、ティアフが地下室で俺に言ったものだ。この機に乗じてフォウリィの泣き所を叩きに行く、という作戦。

「いや、違う。そっちはわたしたちでやるよ」

 ニットが首を横に振った。そんな、と食い下がるティアフを制して、ニットは、それどころでもないんだ、と続けた。

「この機に乗じて……とは思わないが、光聖が自分のところに潜り込んでいた反光聖派のスパイの処断を始めたんだ」

「処断……? 処断って、具体的にどういうことだよ?」

「殺すのか、捕えるのかは分からないが、ともかく追い立てを始めた。一年前の再来だ。ケンズたちを殺したあの粛清を、やつらがまた始めた」

 それ以上、ティアフが食い下がることはなかった。ケンズの名を出されたからであり、また、一年前の光景が脳裏によぎったからでもあっただろう。取り乱すような子どもじみた真似はしないものの、あの映像が蘇って見えるのか、目をつむって振り払うように、彼女はぶんぶんと首を振った。

「ロー。おまえはティアフを連れて、反光聖派の援護に向かえ。場所は支部の方だ。始まったばかり……なんだよな、メイルク?」

「うん。だから、今から助けに行けば十分に間に合うよ」

 加えて、マイナーの出現で、セイバーはかなりの数を……あるいは全員を、そっちの対処に回しているはずだった。カナタでさえ、俺とマイナーを放って出て行ったぐらいなのだ。彼の行動は、反光聖派への粛清が始まったことを明確に示しながら、マイナーの脅威がそれを上回っていることの証左でもあった。

 光聖と反光聖の追いかけっこは、マイナーの邪魔が入ったことで中止されているかも知れない。その内に反光聖派を拾えれば、とりあえず今の場の粛清からは逃げられる。

 ただし反対に、もし光聖が一定の人数を粛清に割いていたなら、非セイバーの生き残りは一転して絶望的と言えた。敵の方が足が速いと決まっている追いかけっこ、最初から不利と分かっているゲームに、夢も希望も有ったものではない。

 メイルクはそれを承知で、“十分に間に合う”と楽観したような言葉をあえて選んだのだ。いくら悲観しようが、どれだけ深刻に受け止めようが、どうせ立ち向かわなければならない問題である。無為に気負う必要はない。

「助けに行くのはいいが、どうしてティアフを? 危なくないか?」

「置いていく方が危ないよ。カナタやココメがここまで来たんだろう? ティアフのことを知ってはいないはずだけど、地下室にいるのを見られたんだよね。つまり、関係者と見做された。それを放っておくほど光聖も甘くはない。一度目を付けられた以上は、処断の対象になっていると考えるべきだよ。なら、護衛が側にいる方が安心だ」

「ケスタたちで連れていかないのは? 手薄になってるはずのフォウリィの屋敷の方が、連れ回すにしても安全じゃないのか?」

「おまえがこの中で一番強いからだ」

 だから、がたがたぬかすな。

 誰あろう、俺と戦ったケスタがそう言うのでは、俺はもちろん、他の誰もケスタの言葉に異は唱えられなかった。

 強いから任される。簡単な原理だ。どんなに言葉を並べ立てるよりもずっと説得力があった。

 それは同時に、“どこへ行ってもセイバーと戦闘になる可能性は拭えない”という意味でもあった。

 爆発と閃光は絶えることなく、アルマリクを揺らし、照らし、燃やしている。マイナーによる破壊であるにせよ、セイバーが戦っている証であるにせよ、向こうは戦場だ。

 ……支部とフォウリィの屋敷のある方は、戦場になっているのだ。血を見ないで済むと思わない方が良い。

「分かった。ティアフを守って、反光聖派も守る。それでいいな」

 ティアフ本人も異を唱えることはなかった。俺の強さを頼りにしている、というよりは、あのケスタが言うのだから、という形での信用の表れだった。俺はティアフにだけ能力を見せているが、実際に戦闘を見てもらったわけでも、ケスタを殴り飛ばす瞬間を見てもらったわけでもない。だというのに、良く知るケスタを信じて、未知数の俺を信じると決めたティアフの覚悟は、おそらく相当なものだった。

 彼女も、腹を決めたわけだ。ここが分水嶺だと。

「どちらかが終わったら、終わってない方の援護に向かって合流する。優先すべきはフォウリィの屋敷だが、粛清を野放しにしてわたしたちが全滅しても意味がない。ともかく、セイバーはローくんに任せて、我々はフォウリィの虚を突く」

 じゃあ、始めよう。

 俺とティアフは広場を通る方へ。

 ニットたち六人のパーティは大通りを抜けていく方へ。

 別れ、逆方向に走り出し、ついに作戦が開始された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る