第18話

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………。

「……誰だ?」

 意気揚々と話し始めたティアフを遮って響く、腹の底を震わせる低い地鳴り。それは、この隠し部屋へと通じるケーキ屋の仕掛け扉が開閉する際に、がりがりと床をこする音だった。

 ここに入る時に、仕掛け扉は閉めている。だからこの音が扉が開く音なのは間違いない。

 かつん。かつん。石の階段を降りて来る足音は全部で四つ。察するに人間が二人。ここを知っているのは反光聖派の人間だけで、入ってくるのは関わりのある者だけと決まっている。

 けれどティアフは近づく二人分の足音の方、ぴしゃりと閉められた鉄の扉を怪訝に睨んで、動かずに。

「ロー。開けた扉の陰になるように隠れてろ」

 と、小さな声で俺に指示した。

 俺は素直に従って扉の軸側、向かって左の壁に身を寄せる。

 ティアフが懸念しているのはただ一つ。最悪だが、この状況においては最も確率の高い可能性でもあると、彼女はおそらく考えていた。地下室に長らく、反光聖派の切り札として隠匿されていたすんでいたティアフには、きっと足音だけで誰何を判別することだって可能だろう。

 その眠れる切り札が、仕掛け扉を開け、この地下室へと降りて来る“仲間以外は有り得ないはずの”誰かを警戒している。

 すらりと腰の鞘からナイフを取り出し、正面から見えぬよう後ろ手に構えるティアフ。不意打ちがあっても良いように、あるいはこちらから不意打ちを仕掛けても良いように。

 ぎいぎぎ。

 鉄の扉が開いた。陰になってしまう俺では、誰がその先にいて、部屋に入って来たのかは見えはしない。けれど平静を保つティアフの表情がぴくりと、ほんのわずかに引きつったのを見逃さなかった。

 望まぬ当たり。要は外れ、だったらしい。

「子ども?」

 男の声。聞いたことのある声だった。

「ああ、そうだよ。ただの子どもだ」

「反乱分子の用意した隠し部屋に子ども一人、か。何を考えているのか」

 ティアフは構えを解きはしないものの、飛び掛かろうともしなかった。入って来たのが敵性人物だと分かっていて、しかし動けないでいる、そんな様子だ。俺なら扉ごと向こうの誰かをぶん殴ることも可能だが、ティアフが話を止めなかったので、その流れに従って今は壁に張り付いて状況を伺うことに努めた。

「光聖のセイバー様が、こんな夜更けに一体何の用なんだ?」

「反乱分子のアジトの周囲に、どうも不可思議な地下空間があることをココメ殿が見つけた。それで、調べに来たら案の定、というわけだ」

「ここの家のものじゃない、とは考えなかったのか? 空ぶったら問題だろ?」

「心配はいらない。それに」

 すー。金属がかすかに擦れ合う音。ティアフのものではなく、扉の向こうで話している男の方だ。鞘から長剣を抜く、研ぐように薄く鋭い音。ティアフがより一層、注意を払って相対している誰かを睨んだが、しかし攻撃態勢に入った、というよりは、いざという時に飛び退けるように、といった風の体重移動だった。逃げの準備、もはや刃を交える気はないと見える。かといって、姿勢を少し後ろに戻しておきながら、怖気づいたような消沈振りでもない。言うなら、諦めだ。逃げるしかないと悟った、そういう潔さだ。

 ティアフが口にしたように、相手がセイバーなら仕方あるまい。常人で勝てる相手ではな――――きいいん!

 耳鳴りめいた音がした。

 ぱっくりと、開かれていた扉が真横に切断され、そうかと思えば、俺の視界がぐらりと歪んで地に落ちた。ティアフが目を見張って、事態に驚いているのが視界の端に映る。がたんがたんと扉が崩れ落ち、俺はとうとう、この地下室に入って来た何者かの正体を見た。

 床に張り付く最も低い視点から見上げるその人物は、なるほど、その声を聞いたことがあるはずの見知った男であった。顔も知らない、名前も知らない、けれども他のセイバーよりも少しだけ豪奢な銀色の鎧一式、金色の羽飾りが印象的な、銅像のように感情のないフルフェイス、何よりも鮮烈に記憶に残っているのは、“切られた後になってようやっと空間に映り込む眩い剣筋”。こちらを見下げ、あの“羽兜”が言い放つ。

「貴様らはマイナーをかくまっていた。十分だ」

 ぐしゃん、と地に落ちた俺の生首が自壊して血だまりになると、突っ立っていた胴体の切断された首の上に同じ頭が再生する。羽兜もティアフも、特別何かの反応を示したわけではなかった。ただ、セイバーの後ろにいたココメと言うらしい女だけが、まじまじとこちらを見ていた。

 細く厳しい目元にシンプルな長方形のメガネが合わさって、ヒステリックに険のきつい顔つき。それを最低限崩さず、かといって驚きを隠し切れてもいないような反応は、話に聞いていたマイナーの再生を実際に見て、……といったところだろう。

「人間がマイナーをかくまうわけないだろ。こいつはただの侵入者だよ」

「見え透いた嘘はよせ」

「どうして嘘だって分かる? 見ていたわけでもないくせに」

「争ったような跡がどこにもない。静かに扉の後ろに隠れていたのも不自然だ。そこの化け物の再生を見て、驚かないのもな」

 剣だけでなく口も立つ。というよりは、ティアフの反論が稚拙過ぎた。ぐう、と押し黙ってしまったティアフに代わり、俺が話を進める。

「で、ここには何しに来たんだ? 子どもを殺しにでも来たのか?」

「いいや、貴様を切って終わりにしよう。切り札とは、貴様だったわけだ。マイナー」

 羽兜が剣を構える。地下室はそれほど広くなく、四人も人が入れば自由に走って暴れ回るというわけにもいかない。即ち、どう戦っても周りに被害が及ぶ、それぐらいの狭さだった。

 殊、斬撃の先の空間を切り伏せる羽兜の攻撃は、一歩間違えればティアフを殺してしまいかねない。

「……ただの子どもに当たるぜ、ソレ」

「ただの子どもとは思わんが、殺しはしない」

 今のは確認。

 羽兜は俺のことを“切り札”だと言った。後ろの女も訂正するような素振りを見せていない。どうやら二人とも、このティアフという少女こそが反光聖派の切り札なのだと気づいていないようだった。

 好都合だ。

 ただの子どもと思っていない、とも羽兜は言ったが、それは、何らかの確証があって訝しんでいるのではなく、こんな場所に隠れ潜んでいるのでは子どもとは言え怪しまずにはいられない、それぐらいの認識に見えた。俺がいなければ即座に尋問するか、連行して行ったに違いない。しかし、タイミングの悪いことに、地下室には俺が同席していた。

 分かりやすい敵が、分かりやすい場所で待っていた。

 少なくとも、一見すれば何の変哲もないティアフこどもよりはずっと分かりやすい敵。そんな俺を無視して少女を切り札と断じるのは、いくらなんでも不自然だ。

 有り難い勘違い。

 だがそれは、“同席していた少女を過剰に気にかけない可能性が有り得る”、という意味でもあった。

 マイナーを殺すためなら、子どもだろうと市民の一人や二人の犠牲は省みない。光聖とはそういう組織だと、今の今まで散々話していたのだ。ここでティアフを斬ってまで俺を殺した場合と、ティアフを気にかけるあまり俺を逃した場合、どっちがより将来に禍根を残すかなど論じるまでもない。

 俺にその気があるかどうか、ではない。問題は光聖である彼、セイバーである羽兜がどう考えるか、だ。

「どうなんだよ、羽兜」

「無駄だぞ、マイナー。子どもをダシにわたしを揺さぶるなど」

 ティアフを生かしつつ俺を殺す自信があるにせよ、ティアフを犠牲にしてでも俺を殺す覚悟があるにせよ、退く気はないようだった。羽兜が剣を構える。両手で握った剣を自分の身体の前に持ってきて、緩やかに剣先を上げ相手に向ける構え。元々、ドア一枚を挟んでいただけの距離である。一歩でも踏み込まれればたちまち射程の範囲内デッドゾーンだ。もっとも、この相手に限っては見かけの距離など何の意味も持たなかった。地下室は狭く、自由に避けられる余裕はハナから存在しないが、どうせお互いの間にある空間は、“剣の実体が持つ範囲以上を斬り伏せる”羽兜の剣技の前では最初からゼロも同然だ。状況に関係なく、剣を振ることによって生まれる“切断”という事象が俺の身体に届くのは止められない。

 もはや、待ったをかけて待ってくれるようではないし、二人一緒に見逃してくれるような雰囲気でもなかった。となれば、こっちも覚悟を決めるしかない。羽兜を倒す覚悟ではなく、ティアフを守ってここを切り抜ける覚悟を。

 羽兜が上段に構えた。俺は一直線に突撃するだけの構えを取る。

 本来、ティアフを守ろうとするのなら、ここで戦いを始めるべきではなかった。場所を移して、安全を確保してから存分にやり合うべきだ。

 が、場所を移そうなんて提案をして聞き入れてくれるような余裕が羽兜にあったなら、羽兜の方から言い出して移っていなければおかしい。ティアフに死なれては困る、という選択しか採れない俺にとって、彼女が巻き込まれる可能性のある状況での戦いは望ましくないが、羽兜にとってはそうでないから場所を移さず戦いを始めようとしている。ティアフの死は、俺の死の前には取るに足らない犠牲なのだ。積極的にティアフを殺そうという意図があるのではなく、結果として巻き込んでしまったとしても、ここで叩かず、取り逃すようなリスクを負うよりはマシだと、羽兜は即決している。

 俺が考えなきゃいけないのは、ともかく場所を移せない前提の上で、つまりは地下室で羽兜と戦うとして、一体どうすればティアフが死なないで済むのか、ということだった。どうせ、相手の攻撃動作を見切れる優れた目は俺にはない。見えないものは警戒しようがないのだから、最初から防御を捨てて殴りかかるしかない。斬られても死なないからこその捨て身。だが、先には動かない。見切れない速度で攻撃ができるのなら、同じだけの速度で防御もできると考えるべきで、そうであれば俺のテレフォンパンチなどまともに打ってはかすりもしない。それでも当てんとするのなら、相手の攻撃に合わせてカウンター気味に拳を入れるのが最善のはず。防御のできない、あるいは難しい状況でしか、俺の拳は届かないのだ。

 じり、じり。

 俺の考えが羽兜にはお見通しなのか、全く動こうとしなかった。このまま膠着が続いて損をするのはどっちだろう。先んじて仲間が駆けつけて来た時、より有利になるのはどっちだろう。反光聖派が束になってもセイバーには敵いっこないのなら、数で押されて困るのはこっちだ。膠着は良くない。セイバーが増えまくれば、俺にだって勝てるかどうか分からなくなるし、ティアフが死ぬ危険性も高まるばかりだ。

「た、隊長!」

 睨む会う二人の沈黙に水を差したのは、地下室の外、地上の方から降って来た光聖の怒声だった。

「市街にマイナーです! またも内部で、マイナーが暴れています!!」

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